「運び屋じゃないぞ!」クライ・マッチョ kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
運び屋じゃないぞ!
とにかく印象的な言葉がこの「運び屋じゃないぞ」と「ドリトル先生じゃないぞ」でした(「ムツゴロウじゃないぞ」ならもっと良かった)。91歳を迎えたイーストウッド御大が自身の集大成ともいうべき内容で彼の過去作品をも思い出してしまうのです。
鑑賞前には世話になった牧場主の依頼によって彼の一人息子を元妻から取り戻すためのロードムービーだとか、その放蕩息子ラファエロの成長物語だとかを想像していたのですが、なんのこたぁない。イーストウッド自身がマイク・マイロに投影し、自分の死に場所を探し求めるのがテーマなんだと感じました(あくまでも個人的な意見です)。
『運び屋』のオマージュというかセルフパロディを取り入れたり、少年との交流なんてのも『グラン・トリノ』に繋げているし、マイク・マイロの設定自体も『許されざる者』に近かったり、砂漠なんてのも『続・夕陽のガンマン』をはじめとしたマカロニ・ウェスタン風だったりする。動物好き(特に馬好き)という性格もいくつかの作品にあったような気がするけど、猿が出てきたら失笑してしまったかもしれません。
強さを象徴する言葉のマッチョはむしろ今までイーストウッドが演じてきた男であり、物語でもかつてロデオスターだったことと共通している。そんな中で闘鶏(ルースター)のマッチョを「チキン(弱虫)」と表現したりして、虚勢を張ることだけが強さではないとマイロの心も変化していったりする。「強さ」ってのは何だったんだろうなぁ~と、人生の特等席ならぬ終着駅に向かう哀愁漂う老人の姿が清々しい。さらに現代的なDV問題などをさらりと組み入れている素晴らしさ。
「バーベキューにして食っちまうぞ」などいうと笑えないジョークも少年と心が通じ合ったことの証し。ただ、マルタの差し入れた朝食にはスクランブルエッグが入ってたように思えたし、イーストウッドが調理したのも鶏の唐揚げのように見えた。マッチョに共食いさせようとするブラックジョークだったのかな・・・それにしてもマッチョの演技が最高すぎる!
「グリンゴ」「メヒコ」なんて言葉も印象に残りましたが、最も痺れたのは「手話を覚えたのは長い人生の経験の中で」・・・って台詞。使ってみたい!
お恥ずかしながら昔は洋画は全くと言っていいほど触れてこなかったものですから...笑
予告でも謳っていた様に集大成的な映画でしたね。セリフやシーンにも何となく聞いたり見たりしたことがある作品が見受けられましたし。
今晩は。
”元ロデオスターを元マカロニ・ウェスタンスター、元刑事アクションスター、などなどと置き換えれば自身の投影といった感じですよね”
私は、客電が落ちた瞬間から、マイク=クリント・イーストウッドとして観ていました。
男の誇りとは何かを彼の名優は、雄弁に語っていましたね。
<閑話休題>
今年の冬は、私の居住区でも既に三度降雪があり、慌ててスタッドレスタイヤに履き替えました。(昨年は一度も降雪なし・・。)
Kossyさんが、貰い事故のなきよう、遠き西三河から祈っています。(正月休みに息子が帰省した際、”明るい太陽が見たい・・”と言っていましたから。)
あ、返信不要です。では又。
kossyさんのレビュー通りですね。いい死に場所見つけたんですね、イーストウッドは。運び屋もグラントリノも見てないです。「マッチョ」嫌いなので敬遠してました。考え直します。