「『チャイナタウン』的『ジョーカー』をクリストファー・ノーラン風味で」レミニセンス f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)
『チャイナタウン』的『ジョーカー』をクリストファー・ノーラン風味で
【あらすじ】
近未来のマイアミ。
海面上昇により、世界中の都市が半水没。
人々はボートや小船を使用した生活を強いられていた。
水没地域は貧民街となり、ダムによって水没を免れた「乾燥地帯(ドライランド)」には富裕層が住んでいた。
最近まで続いた戦争によってアメリカ国内は疲弊。
戦時中に都市を安く買い漁った地主が、土地の支配権を握っており、自分たちはドライランドに住みながら、水没地帯を貧民に貸して金を搾り取っていた。
昼間の高気温が理由で、人々は夕方に起床し、涼しい夜間に活動するようになっていた。
戦時中、捕虜を尋問するため、記憶にアクセスする装置が用いられた。
これは被験者の特定の記憶にアクセスし、映像化して、立体的に投影するというものだった。
この一連の作業は「レミニセンス(reminiscence:回想)」と呼ばれる。
主人公(ヒュー・ジャックマン)の職業は、この「レミニセンス」装置を用い、現実に失望した人々が過去の幸福な記憶に浸ることを助ける、というものだった。(レミニセンス導入士)
元・軍人の主人公は、軍需用のレミニセンス装置を入手し、生計を立てていた。
この職業にはしばしば司法からの需要があった。
刑事事件の容疑者の尋問に用いるためだ。
そのため主人公のもとには、しばしば検察から「レミニセンス」の依頼があった。
ある日主人公のもとに、「自宅の鍵をなくしたので見つけて欲しい」という女性メイ(レベッカ・ファーガソン)が訪れる。
彼女はシャンソン歌手で、毎晩バーでステージに立ち、歌声を披露していた。
主人公はメイの記憶にアクセスし、鍵のありかを探す。
メイの記憶の中で、主人公は彼女の姿と、歌に惹かれる。
メイは主人公の職場にイヤリングを忘れて帰ってしまう。
主人公は、彼女のバーを訪れ、忘れ物を渡す。
そして二人は自然と恋に落ちる。
だが幸福な数ヶ月ののち、メイは忽然と姿を消してしまう。
そんなある日、主人公のもとに、ある麻薬密売人の「レミニセンス」をするよう検察から依頼が入る。
密売人の男の記憶を見ると、偶然にもそこにはメイの姿があった。
彼女の手がかりを見つけた主人公は、血眼になって「レミニセンス」を繰り返していく…
【解説】
荒廃した近未来の社会を舞台に、孤独な主人公が、運命の女(ファム・ファタール)を探し求めるという「フィルム・ノワール」形式の作品。
物語の後半では主体的で力強い女性像が描かれる。
監督・脚本・製作のリサ・ジョイにとっては映画初作品。これまでテレビ作品として『ウエストワールド』などの製作に携わってきた。
夫ジョナサン・ノーランは脚本家であり、今作の製作に加わっているほか、リサと共に『ウエスト・ワールド』の製作を主導。ジョナサンの兄はクリストファー・ノーラン。
【補足】
※1 夜とは、人々が寝ながら夢を見る時間帯である。夢とは「そこにはないものを見る現象」だ。人々が記憶を反芻し、目の前にはないものへの依存に陥る今作において、夜という時間帯はふさわしい舞台であると言える。夢遊病的だ。
※2 今作の主人公は、『インセプション』のように夢の中に直接アクセスして活躍するわけでもないし、『TENET テネット』のように過去に直接アクセスしてインタラクションするわけでもない。記憶はあくまで過去の出来事であり、改変もインタラクションもできないから、現実にはなんら改変が起こらない。あくまで記憶が映像として立体化されるだけだ。
しかし、あたかも現実であるかのように流れていた映像が実は記憶だった…という演出は劇中に何度かある。
「夢と現実の区別がつかない」「記憶と現実の区別がつかない」「過去の現実の区別がつかない」(あえて区別をつけない)というトリックは、映像作品が(そしてジョナサン・ノーランが)得意とするものだ。
ただし、記憶とは必ずしも映像的なものだけではない。その点において、「記憶とは映像的なものである」というステレオタイプを生じやすい映画作品には注意が必要だ。
※3 映画『インセプション』においても、人々が夢を見ることに依存する描写がある。
ジョナサン・ノーランは兄の作品である『インセプション』にクレジットはされていない。
このような『インセプション』との類似が許されるのは、彼の兄がクリストファー・ノーランであることに由来する。
※4 「人間は、一人称視点を三人称視点で記憶するため、記憶には自分の姿が写っている」と言い訳しているが、実際にそうだろうか?
この言い訳は、主人公の事務所において被験者の姿を立体映像で投影するための、製作上の都合だ。
【ネタバレ】
麻薬密売人の記憶の内容は、ニューオリンズの麻薬王との取引だった。
なんとその場に、偶然にも5年前のメイが同席していた。
麻薬王の名前は「セイント・ジョー」。
主人公は、メイが「ジョー」の情婦であったこと、麻薬依存症であったこと、ジョーの麻薬を持ち逃げして売り捌こうとしたことを知る。
それでもメイを探しだすことを諦めない主人公。
ニューオリンズに出向き、ジョーから情報を得ようとする。
その結果、「メイは自分から何かを持ち去ったのではないか」ということに気が付く。
自分の事務所を調べた主人公は、顧客の記憶保存用ファイルが持ち去られていることを発見。
ファイルの保管庫は施錠されていた。
彼との関係を深めながら、メイはキーの内容を特定していたのだ。
持ち去られたファイルは、常連客だった女性のもの。
女性の居場所を探す主人公。
女は最近何者かに殺され、その子供が行方不明になっていることを知る。
女の居住地を捜索する主人公。
暴漢に襲われ、事件に首を突っ込まないように脅迫される。
自分の記憶を「レミニセンス」した主人公。
暴漢を以前目にしたことに気が付く。
その男を見たのは麻薬密売人の記憶の中。
彼は、麻薬王ジョーと同席していた汚職警官だった。
汚職警官の居場所を特定し、格闘のすえ彼を捕縛。
「レミニセンス」装置にかける。
その結果、以下のような事実が判明する。
汚職警官は麻薬王ジョーの売上金をくすねていた。
ジョーの逆鱗に触れた警官は、制裁として火傷を負わされる。
現在の警官は、ある地主に雇われているらしい。
その地主は多くの女性と不倫しており、私生児も誕生していた。
警官が雇われたのは、不倫相手や私生児の存在を抹消するため。
常連客の女を殺したのも、警官だった。
そして、主人公の保持している記憶ファイルが邪魔だった。
記憶の中身は、地主との不倫の光景だったからだ。
警官はメイを脅し、主人公と親密にさせた。
鍵をなくしたメイが事務所を訪れたのも、主人公の知っている歌を歌ったのも、全て仕組まれていた。
だがメイは、主人公と本当に恋に落ちてしまう。
彼女は警官から暴力を振るわれていた。
警官は、女性を殺した直後、その子供も手にかけようとした。
メイは警官に抵抗。
子供と共にボートで逃げ出し、安全な場所に隠す。
だがすぐに警官に居場所を特定、誘拐される。
メイは、主人公が警官の記憶を見るであろうことを予測。
子供の居場所を示す暗号を伝える。
それは主人公とメイしか知らない場所だった。
だが警官は、メイが自分に向かって話していないことに気づき、彼女を拷問しようとする。
麻薬によって自分が情報を漏らしてしまうのを恐れたメイは、自ら身を投げる。
すでに彼女は亡くなっていた。
このことを知った主人公は、警官に怒りを向ける。
もっとも苦痛である火傷の記憶をループさせ、警官の精神を破壊。
それは殺人以上の大罪とされていた。
警官を雇ったのは地主であると思われたが、地主の息子だった。
警官が主人公を襲う直前、地主は病死していた。
雇用主は地主本人ではなかった。
父が不倫相手に財産分与するであろうことを、息子は恐れていたのだ。
主人公は地主の息子の犯罪を暴露。
女性の子供を保護する。
息子の犯罪を知った貧民の怒りは爆発し、暴動が発生。
主人公は警官を廃人にした落とし前をつけるため、愛しいメイとの記憶に浸りながら永遠の眠りにつく…
この物語全体もまた、主人公の回想であったよ、というオチ。
「レミニセンス」というタイトルは、この物語全体が主人公の回想であるよ、という意味であった。
【補足2】
※A 映画.comによる本作の紹介は、次のようなものだ。
「記憶に潜入し、その記憶を時空間映像として再現する「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」のニックに、検察からある仕事が舞い込む。それは、瀕死の状態で発見された新興勢力のギャング組織の男の記憶に潜入し、組織の正体と目的をつかむというものだった。」
しかし、主人公の仕事は『インセプション』において主人公が夢の中へ潜入したのと同じように「記憶に潜入する」というものではない。
また、「検察からの依頼で組織の正体を掴む」という内容も、今作の本筋ではない。
ストーリーはあくまで「女性を探す」というフィルム・ノワール的なものだ。エキサイティングでジリジリとヒリつくような内容を期待させる映画紹介には注意すべきだ。
※B 「記憶のループ」も、『インセプション』における「夢のループ」に似た要素だ。『インセプション』において、夢に潜ることの危険性が強調されている。それと同様に、本作においても「レミニセンス」することに伴う危険性がいくつか用意されている。
※C 不倫好きの地主が黒幕である…と思わせて真犯人は息子である。ミスリーディングのためとは言え、主人公が暴漢に脅された際に殺されずに済んでいたり、主人公の目の前で雇用主に電話をかける警官であったり、タイミングよく病死する地主であったり、ご都合主義だ。(ご都合主義を避けようと整合性をつけようとしすぎるクリストファー・ノーラン監督作品もやや盛り上がりに欠けるが)
※D 暴動というオチにカタルシスを持っていくのが『ジョーカー』風。
「海面上昇・水没」「経済・住居格差」という大きな舞台設定が、「失踪した恋人」というプライベートな感情をモチベーションとして行動していくうちに回収されていく。
「個人的な動機で行動するうちに、人類や世界・社会全体に関わる大きな問題を解消していく」というのはノーラン兄弟風。『インターステラー』が顕著にそうだったし、『ダークナイト』3部作や『インセプション』もそうだった。
「水問題」という伏線、運命の女が登場するフィルム・ノワール探偵物…『チャイナ・タウン』風。この作品もまた、都市、水、魅力的な女性、妊娠、地主...といった要素を持つ。
※E「記憶も現実も区別が不可能」という論法を展開する人にとっては、物語は幸福な終わり方を迎えたようにも思える。厳密には「水槽の中の脳」とは状況が異なっており、主人公には肉体が存在するのだが。
そのことを記憶の中で主人公が自覚しているかどうかは定かではない。
一般的に我々が記憶を反芻する場合、我々には、記憶を反芻している自覚がある。
その点において、記憶は夢とは異なる。
夢の中ではしばしば、我々はそれが夢であると気がつかない。
それゆえに『インセプション』の説得力は増す。
『レミニセンス』は「記憶に潜入」しないうえ、記憶にインタラクトができないし、現実生活において記憶は記憶であるという自覚があるため、説得力が劣る。
夢と同様に、「記憶であると気づかないような記憶」は起こりえるだろうか。
『インセプション』『13F』『マトリックス』のような映画は基本的に現実に価値を置くけれども、本作は記憶の中(夢の中)にこそ価値を置いた終わり方で、少し新しい。
字数制限が理由で、内容をかなり割愛しました。
VECTORさん
おっしゃる通りですね。「ノーラン」ブランドと、あたかも夢に潜入するような『インセプション』風のマーケティングで客寄せです。
映画の内容をねじ曲げかねないですね…