「高レベル放射性廃棄物を生み出し続ける原発」国民の選択 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
高レベル放射性廃棄物を生み出し続ける原発
原子力発電所を題材にした映画はいくつか鑑賞した。最近観たのは邦画「太陽の蓋」とスイス映画の「地球で最も安全な場所を探して」である。前者は東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故当時の様子を首相官邸のシーンを中心に、原発事故の前に如何に人間が無力であるかを描いていた。タイトルの「太陽の蓋」は、原子炉を同じように原子力で燃えている太陽に見立て、太陽に蓋など出来っこないという意味だと思う。後者は原発推進派のひとりの学者にフィーチャーして、原子力発電によって発生する高レベル放射性廃棄物の処理について、原発のあるすべての国が困っている様子を描いていた。
原子力発電は稼働時の安全性の問題の他に、核のゴミの安全な捨て場所について、問題の解決ができていない。遠い将来には鉄腕アトムのように超小型化した原子炉を搭載して自由自在に動けて強力なパワーを発揮するようなロボットも誕生するかもしれないが、現時点では原子力発電のメリットとデメリットを比較すると、デメリットのほうが大きいように思える。
本作品は何かの講習会の際に見せられるビデオみたいな作品で、ドラマ仕立てだから完結するために国民投票の結果のシーンがあるが、観客に同意を促すものではない。原発賛成派も反対派も、未来に結論を先送りするという点では同じだ。しかし既に生み出されている核のゴミの問題が解決されていない以上、高レベル放射性廃棄物を生み出し続けるべきでないのは、人類共通の結論になるのではないかと思う。「地球で最も安全な場所を探して」の原発推進派の学者もそれを認めていた。
原発推進派の人の中には、自動車が危険だからといって自動車を廃止するかといった議論をする人がいるが、自動車を原発に擬えるのは無理がある。自動車を廃止するメリットよりも自動車を使うメリットの方がずっと大きい。自動車は排気ガスを出すが、石油の生成技術や自動車自体の改良で、いまでは排気ガスの有害性が極端に少なくなった。しかし原発は生身の人間が近寄ることが出来ない危険なゴミを出し続けている。
廃炉には巨額の経費がかかる上に、廃炉そのものは何の利益も生み出さない。原子力ムラの人々が廃炉を嫌うのも当然だ。だからといって稼働をすれば核のゴミを出し続けるから、ゴミの処分問題が解決するまでは稼働はありえないはずだ。しかし実際には日本の原発は8基ほど稼働している。何を考えているのだろうか。