ボストン市庁舎のレビュー・感想・評価
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民主主義の実像
タイトル通りにボストンの市役所の仕事を丁寧に追いかけた作品なのだが、いつものワイズマンらしい部分とちょっと変わってるかなという部分が混在する。ワイズマン作品には特定の主人公的なポジションの人物がいないのだが、今回は当時の市長、ウォルシュ氏が頻繁に登場する。確かに彼は魅力的だ。労働者階級出身で、かつてアルコール依存症で、市民の声をよく聞いている。スピーチも上手い。ワイズマンは午前中に市役所を見て回り、その日何が行われているかを見てからその日の撮影対象を決めるそうだ。最初からウォルシュを追うと決めていたのではなく、面白そうなものにカメラを向けたらウォルシュがいたということらしい。そういう意味では、ワイズマンはいつものスタイルを貫いている。
この映画を観ると、政治は生活のあらゆる場面を支えているものだということがよくわかる。ゴミ収集も、ネズミ退治も全部政治なのだ。その他、大麻ショップのオープンをめぐる住民との議論が面白い。このシーンだけで20分くらいあるのだが、本当にエキサイティングかつ知的な刺激にあふれている。
Human Behavioral Science Sample
It's hard to say whether Japanese audiences will find much fun in this opus of an ant farm display of the internal workings of a US city's bureaucratic office. A four and a half hour epic, we see various offices of the city hall, from police, to cultural events, low-income housing meetings, and more. We spend a lot of time with the mayor to become familiar with that job. How about a Tokyo version?
多様性を守る、移民を守る、LGBTQの人権を守る
御年90を過ぎても堂々と重厚長大なドキュメンタリーを撮り続けているフレデリック・ワイズマン監督の次なるターゲットは、市民と行政の最前線となる市役所です。いつも通り、字幕表示は必要最低限で、音楽もナレーションもスタッフからの質問もなく目の前で繰り広げられる事を唯々撮り続けているだけです。今回はそれが途中休憩を挟んで遂に5時間近くになりました。でも、昨年末に約7時間の『水俣曼荼羅』を経験した身ですから「はいはい、5時間ね」と堂々と受けて立ちます。
舞台は、アメリカ東部・マサチューセッツ州の州都ボストンです。本作では、予算を巡る庁内の会議から、結婚、住宅、医療、警察、消防、防災、ホームレス問題、薬物対策、公設市場、障碍者問題、そして銃規制など市が関わる様々な現場にカメラが入って行きます。よくこんな所を撮らせてくれたなとまず感心するのですが、それもその筈です。市役所の仕事を撮ろうと監督は様々な役所に依頼したのですが、たった一ヶ所「自由に撮ってくれ」と言ってくれたのがボストンのマーティン・ウォルス市長だったのだそうです。
本作の撮影時はまだトランプ政権の時代です。連邦政府の流れに盾突いて市長は
「市民が分断された街は栄えない」
「経済格差をなくす事が目標」
と堂々と訴え、市民の中に入って行って、
「問題があったらいつでも私に電話してくれ」
と訴えるのです。それが単なるポーズではない証に、彼の意を受けた市の組織や仕組みがダイナミックに動いて行きます。しかし、現実は勿論それほど甘い訳ではなく、様々な人種・民族・年齢・経歴・収入の人々が様々な抗議・意見・依頼を市に持ち込んで来ます。そこに露呈するのはアメリカの現実なのです。何も変わろうとしない甘い日本の社会から見ていると、「アメリカはもうそこまで行って、そんな事を悩んでいるのか」と唖然とさせられると共に、どの様にそれらを調整するのだろうと目がクラクラしてしまいます。
それに立ち向かう市長の基本的な姿勢は、困窮している人・社会システムから零れ落ちそうな人を救う事が社会全体を前進させると言う信念で貫かれている様に見えます。それを端的に表すのが市長の言葉です。どの様な質問も遮らず、自分の言葉で答え、分かり易く話します。その力強さに心震えると共にとても羨ましく映りました。誤魔化しの巧言令色をちりばめた官僚の作文を読み上げる事しかできず、決して突っ込まれることのないやらせ会見に10年近く慣れて来た日本の政治家からは決して聞けない言葉です。
終盤、市長はスピーチで、
「多様性を守る、移民を守る、LGBTQの人権を守る」
と高らかに明言します。それは、日本語の美しさなどと言う意識は全くなく、大阪弁でヤクザの様に凄んで見せる事だけに長けたあの知事や市長には望むべくもない輝きに満ちた言葉です。
お坊ちゃまの居直りとヤクザに支配された日本の政治はもうダメなのでしょうか。絶望と希望の素晴らしい作品でした。
(2022/1/2 劇場鑑賞)
不親切すぎる。
訳者と配給は、この字幕だけでボストンやアメリカ、その政治を知らない人がこの映画を満喫できると思うのか?
非常に不親切だ。
何度か出てくるが、NAACP(NCCAPだったかも?)って何?
いくつものミーティングの途中の場面が流れるが、何の会議でどういう人が参加して何を話し合っているか、一切説明されない。
ボストン「市庁舎」というからには、市で働く公務員とその働きぶりを捉えた映画なのだと勝手に期待していたが、
原題のBoston City Hall を訳しただけで、この映画の内容なら「ボストン ある一年の記録」とか「市民目線の街づくり」とかの方が適切といえる。
自分は市役所で働く公務員なので、何か得るものがあるはずと期待してみたが、市長の言葉のいくつか以外には何もなかった。
差別と不平等に行政の人間が敏感で真摯に話し合っていることは良いと思ったが。
「我々の仕事はボストン市民を助けること/間接的または直接的に人を助ける/君達は公務員としてその責任がある」
「人に話ができないと心の傷になる/国のために戦った帰還兵とアルコール中毒では見かけは大違いですが、心の傷は同じです/絶望感や無力感、何をしても無駄な感じ」
という言葉は記憶しておきたい。
道路の色分けをつける作業、コミュニティで料理を作って食べる行事、ネズミ駆除の現場確認、街路樹剪定、
これって市職員なの?
市が委託してる業者とかNGOの人じゃなくて?
途中で「この人が市長なのかな?」というのはわかるが、
全ての場面において、制服を着ている警察官以外は、どういう立場の誰なのかわからない。
「市民の暮らし」を語るのならば、そんなことは重要ではないかもしれないが、「市庁舎」と銘打って作った映画で、そこを説明しないのは酷い。
どんな経過があって開かれた会議なのかもわからないのに、会議中の発言を訳して流すだけという、不親切すぎるつくり。
ただ長いだけでなく、消化不良の連続なので観てるのが苦痛になる。
映画自体に説明がないためだろうが、それにしても不親切すぎる。
確かにあの市長は魅力的だった。
依存症になった過去を持つ一市民からスタートした人で、市政に関し高い志と人に伝える言葉を持つ人だということがわかる。
だけど、戦没者慰霊の日の集まりとか、完全に市長を追っただけ。
麻薬の店?の会合に関しては、市当局者はいないようだったし、市民の暮らしとしては重要なトピックだけど、市民側が真っ当な分、開業したいだけな店側の人間の自分語りに辟易。
最後のホールで催されてたのは何?
参加者は市の公務員っぽかったけど、最後まで置き去りにされた感じで未消化。
尺が長いため映画館では料金が高かったと思うが、観終わったあと、この未消化のモヤモヤを解消するためにパンフレットを買うかといえば、私はNO。
レビューの中にパンフレットは良かったと書いてるのがあったので、パンフレットは充実してるのかもしれないが、
通常より高いチケットを買わせて、プラスアルファのお金を払った人にしか、映画を理解するのに必要な情報を提供しないのはちょっとどうかと思う。
度々はさまれるボストンの景色は美しかったが、映画の内容自体から得るものはなかった。
映画館で観なくて良かった。
U-NEXTで数百円分のポイントしか使っていないが、モヤモヤする。
長いからゆっくりみようと思っていたのに、閲覧時間が2日とあとから気付き、焦ったのもある。
配信で観る方は要注意です。
行政に携わる人たちとこの映画について語ってみたい
4時間半、それだけの価値のある映画。これまで引越しが多かったこともあって、地域行政の方々とは書類手続きだけの関係であったが、市民や県民とどのように向き合っているのかを知りたいと思った。
特にアメリカ人がよく使う自らの「part of solution」の実現を、「対話」によって前に進めようということについては、日本でも参考になると思う。
行政は許認可を与えることが目的ではなく、地域でできる限り多くの人たちが幸せに暮らすことができるよう、対話をしていくのが大事なのだ。映画にあるように「不幸なのは悩みがあることではなく、悩みを誰にも話すことができないこと」なのだから。
置き去りにしたものを自省する4時間半
話せばわかるという時代はどこに置き去りにされたのだろうか。いつのまにか、話してもわかりあえないことに洗脳されてしまっている自分がいる。
なのに、ボストンの市長と市職員たちの熱弁には、少なくとも話してもわかりあえないという諦めがない。
それはある意味嘘臭いとも思える。だが長時間のドキュメンタリーの間、ずっと対話し続けている彼らを見て、うーん、こんなのあり?と度肝を抜かれるのである。
市長が、「力を合わせればなんでもできる。それが民主主義です」と少しも恥らいもなく言い切る。そして、不平等は法律違反、地域の利益は地域が動かす、という言葉が市民との対話の中で飛び交う。ここは古代ギリシャのポリス?
理想を掲げられなくなった自分がいる。というより、掲げるべき理想があるはずだ、と信じなくなっている自分がいる。だから、この理想を掲げた熱弁の数々は至極疲れる。聞いてて照れ臭くもなる。
置き去りにしたものを自省する4時間半。誰しもが突きつけられるだろう。
あなたはどう考えるのか、あなたはどうしたいのか、あなたはただ黙ってればいいのかと。
「世の中にはどんな問題があるのか」
4時間半にもわたるストーリーのないドキュメンタリー。きついかなと心配しながら座席に座る。案の定前夜の睡眠不足がたたり、座るやいなやうとうと。多分15分くらいかな。
ストーリーなんてないから途中からでも大丈夫。
頭がスッキリしてここから映画に集中。予想以上に面白い。驚くほど多岐にわたる相談が市に寄せられ、またさまざまな団体やら集会やら会議やらに市、市長が関わっていく。考え方の根本は常に弱者、マイノリティの救済がある。
最後に、市長が市長就任5年を記念する講演会で「アメリカは移民の国です。そしてボストンではこれからも新たな移民を受け入れ、自由で平等な社会を築いていく」と宣言、その思いを語る。折しもアメリカはトランプ治世下。市長の思いとは逆行する動きがアメリカ社会に見られていたようです。
今の世の中には、どのような問題があるのか、よくわかる。またどう対処すべきなのか考えさせられる。この映画ではさまざまな問題点を我々に提示するだけで、個々の解決策まで追ってはいない。しかし市長や市の職員あるいはボストンの市民たちとともにどうしたらよいのか考えさせられることになるだろう。
若い人には特にお勧めです。
聴く力、喋る力、そして映し出す力
1 ボストンを舞台に、市民と共に創り上げている街づくりの一端を捉えたドキュメンタリー。
2 映画ではボストンを国の縮図として捉えている。その上で、市長が先頭に立ち、トランプができなかった分断や差別の解消を目指し、市民の生活水準の底上げや住みよい街づくりに取り組む真摯な姿を映し出す。
3 映画の多くのシ−ンは、市長など幹部と市民との対話からなる。市は、住環境や貧困、シェルター、薬物などに関わる施策の公聴会や説明会で、市民の意見を聴く。市民は、臆することなく堂々としかも冷静に意見を出している。このことはとても良いことではあるが、絵柄としてはよく似た構図であり、次第に飽きてくる。少し整理できなかったのかなぁと思う。また、市民から出された様々な意見が内部でいかように整理され政策に反映されるのか、そうした過程の描写がなかったのも残念であった。
4 対話のシ−ンの合間に、市長や職員の仕事振りとか街や建物の風景が示された。
この中では、市長が招かれた退役軍人の集会のシ−ンが印象深い。アメリカが経てきた戦争に駐軍した退役軍人が自分の体験を語る。ワイズマンの反戦に対する願いを感じるシ−ンとなった。また、街の清掃、駐車違反の異議申し立て窓口の場面が面白く感じられた。
5 この映画にはナレーションは付いていない。後付けのナレ−タ−による説明に頼ることなく、取材した映像と音声だけで作り上げた。ドキュメンタリーの本来の姿であろう。また、大勢の市民の姿をカメラが捉えたが、肖像権の許可を得るのは大変だったろうと思う。そして、全編を通じ、社会的弱者に対するボストン市長の取り組みへのシンパシーが滲み出る労作となった。
真摯な言葉は明晰である
なんといっても長尺だが、まったく解説などない独特のスタイル。
しかしリアルな人々の生活が見えているだけに退屈しないし、最初に議論されていたことが後々進んで再度登場したり、気付きも多い。誠実な行政というのはそういうものだろう。
そして、市長や市職員の行動が「市民ために仕事をするのだ」という信念で貫かれており、そこが本当に羨ましい。
これらの真摯な人々の語る言葉は明晰で迷いがない。
不明瞭な言葉で誤魔化そうとするばかりの我が国の政治家や公僕に爪の垢でも叩き込んでやりたい…
ありのままに
ボストン市庁舎の業務、市政、街の営みをそのまま流していた。
大学の街のイメージが強かったが、実情は他の地域と同じく貧富の差が激しい様子だった。
上映時間は非常に長く、事前に食事を取っておく必要がある。
インタビュー方式ではなく、出来事、やりとりをそのまま映しているので、出来事の裏側をある程度想像できない人には厳しい作品かもしれない。
人を選ぶ部分で★3です。
大麻の店/市長対マイケル・カリー(NAACP )ベストシーン
ボストン市役所の実態を公表する?ワイズマン監督はボストン人だとはいえ、ボストン市は随分寛大で透明化を目指しているが向こうみずじゃないかと思った。最終的には市長が映画撮影の契約書にサインをすると思うが、訴訟の社会だから、ここに出ている市役所職員全員や参加している全市民にも許可をもらっているんだろう。撮影側としては撮影前の準備が大変だなと思った。市役所側はミッションを公にしたり実態調査をされているわけだが、監督が要請するものに許可しなかっ
たのは何か調べてみる価値はあると思う。個人的見解だが、市長は、ブードバンク、退役軍人の式、ホロコスト記念での10000ドル寄付の場、グッドウィルでの感謝祭の食事、NAACPと などなどの催し、数多くの会議に出ていて会話をし、スピーチをしているように思える。 うっかり間違うとこの映画の主役は市長かと思うかもしれない。いいえいいえ、それは錯覚かもしれない。この市長は行動力があり、机上の空論を話しているわけではなさそうだ。
私は個人的に一つの問題に対する討論の部分を見ることが好きだ。だからこういう説得されない結果がまだ出ていないプロセスの段階を学ぶことで多種多様な考え方を学べる。話し合うことの大切さや意義がよくわかる。きっと答えが一つにならない課題で、未解決で交渉決裂もあるのではないかと察する。最近は上からの押し付けが増えてきて、嫌ならやめろとか話し合いなしという一方的な業界が増えているような気がする。この市役所ははっきり、資産は『人』だと示しているから、とことん話し合って進める場こそ、意見の相違はあっても市民と役所が一体になれる場である。
市長の哲学や人柄などを全てのスピーチや会話から察すると、微笑まない、草の根運動家、労働者上がり、映画で貧困地域と言われているドーチェスター(Dorchester)の出身で人生の苦難を知っている。以前より多様性に富む市政をと過渡期の状態を撮影されている。だから、あっちこちの場に顔を出している(もちろん招待される)と思う。もう一つは勝手に想像するが監督の見解だと思う。監督の撮影したいところに市長がいたと言ったほうがいいだろう。毎朝、市役所のアジエンダを見て、きっと撮影するわけだろうから、たまたま、監督の撮影したいところが、市長の行くところと一致したのではないか。あくまでも推測。
個人の経験から:学校組織でもいえるが、伝統的で、トップの校長は生徒や学生のアクティビティーにはほとんど全部参加する。スピーチをしなくてもいいから、存在感を示したり、催しに参加している全生徒によくやってるねと声をかけて賛美する。しかし、近年、校長にもよるが、ビジネスライクで、金や評判に結びつくアクティビティーしか顔を出さないしスマホによく目がいく校長もいる。ウォルシュ市長は人とコンタクトを大事にする前者のタイプだと思う。
ボストン市庁舎に戻ると、市長のスピーチで気づくと思うが、彼は必ずと言っていいほど、自分の経験を入れている。彼はスピーチスタイルのの基本を知っている。アリストテレスのレトリック(エトス、パトス、ロゴス)を心得てる話し手だ。例えば、自分をアル中だったことを認めていて、そこから抜け出したと言ったり、子供の頃、癌でその治療を受けていたなどと真実だと思うが、個人の苦しみを場に応じて市民と共有し、何かあったら、市長室に連絡したりや道端でもいいから声をかけてくれと言ってる。
このドキュメンタリーで、驚いたことを一つ挙げる。まず、ボストン市内の裕福そうな地域でだが、ゴミをまとめて整頓して出している地域にいき、収集車はゴミ集めをしている。可燃ごみ、不燃ごみが一緒に、リサイクルできそうに思うが、分別されていない。ボストン市はこのような収集の仕方をする(隣町はまるっきり違うかもしれない)。2020年以前のフィルムだが、現在はもっと環境問題を視野に入れてゴミ分別化をしていると思うが。(後で調べてみよう)
これはボストン市だけに限らないことだと思うが、若者、特にLGBTQ+や、ホームレス、有色人種などに力を入れている。特に若者や女性、少数民族のビジネス、教育育成、格差(Disparity)是正にも力を入れているように思える。一般に大都市から郊外に引っ越して家族を作るイメージだったが、この市は公立学校とチャータースクールを含めてすでにキャンパス以外の場所を教室としているようだ。だから生徒の入学数がもっと増えているので、教室の新しい確保が必要なようである。次のミーティングで早期解決方法が見つかるといいね。少数民族の中小企業をサポートするミーティングである中小経営者が契約がハネウェルのような大会社にまわり、市は中小企業に寄り添っていないというようなことを言っている。ここが構造的・制度的人種差別(Institutional racismORsystemic racism)なのだ。これが後半のNAACPのマイケル・カリーと市長の話し合いでマイケルが市政に押しているところなんだよね。ここが大切なんだよねえ。
好きなシーン:
一番興味があったところはスモックショップ(キャナビス・大麻を売る店)をドーチェスター(Dorchester市長の出身地)のウォルグリーンという薬局スーパーの近くに開けるかどうかを市民に審議しているところだ。90%は有色人種であり、刑務所経験もある人たちが住んでいるし、このウォルグリーンは誰でも行く薬局スーパーで少年少女に悪影響を与えるとか、アジアのビジネスは私のような(黒人)人は雇わないから、このコミュニティーのビジネスにはならないとか。(二人のアジア系ビジネスマンはアクセントから察すると中国系)ある女性はアジア系をステレオタイプ化しないように上手に質問していた。それに、この地域には西アフリカ人、ケープ・ヴァーディからの移民が多く、語学がわからないからこの場にいないとか、住民投票で結論を出せるかなどなどと質問が出るなか、今まで踏み潰されてきたけど、ここは自分達のコミュニティーだから何度も話し合おうと。ここに誘致したいビジネスの一人は興奮気味にもなり(このアプローチはまずいなあ!!)、コミュニティーメンバーも白熱化していた。この討論(戦い?)は最高だった。(暇をみて、大麻の店ができちゃったか調べてみよう。) その後、地元活性化のため、アメリカン・フード・バスケット(AFB)という地域のスーパーマーケットとの店主と市との会話が出てくるが、地元が経営しているマーケットとアジア系の新参者が地域に入ってこようとしている大麻のショップとの対比がいいね。
州がキャナビス使用を認めると、ある町は大麻の店が貧困層や商店街が多くあるところにできる。環境悪化になるのでどこもが賛成しないと聞く。学校とこういう店との間はマサチューセッツ州では600フィートあけなければならないと。大麻とはいうが、クッキーやキャンディの中に大麻が入っているのもあるので、若者がアクセスしやすい。
圧巻:
映画の締めとして、NAACP(エヌ・ダブリュエイ・シー・ピーと発音する)のマイケル・カリーとの会話とBSOでの?式の市長の祝辞、これも好きだった。 市長はマイケル・カリーとの会話でかなり(見解の違いからくるものなのか、おどおどしていた?マイケルとの会話に緊張感がある?)かなり吃っていた。疲れていたのかもしれない?
私としては市政の根本を変えようとするマイケルとバンドエイドタイプのアプローチをする市長の二人の見解に興味があった。(二人は一致してるが、二人の考え方の根本にずれがあると思う。これはあくまで私感だ。)
マイケルは社会正義に力を入れ、行政の構造的・制度的人種差別における格差を変えて行かなければという考えの持ち主で、ボストンや全米の社会構造を根本的に変えていきたいと考えている。例えば、一般市民と貧困の人々の健康の差について、偶然に貧困に、そして、自分で貧しいままでいると考えてる。『貧困の人たちはただちょっといい健康な食品を食べるだけなんだよ。でも、そういう食べ物にアクセスすること、チャンスがるあること、そういう公正性などの概念を理解できていないんだ』と言っている。歴史は重要で、何が悪いかどうすればこれからどうすればいいかも学べるが、こういう人々は歴史を勉強していない。ハーバード大学が近くにあるから、スキップ・ゲイツ教授たちにコミュニティーに参加してもらうことにより、こういう教育をボストンの各地区にアウトリーチできると。
市長はNAACPのメンバーを警察、看護婦、消防署などの市の要職につけると発言している。極端にいうと有色人種の雇用を上げて、行政の多様化を図りたいという結果を数字で出したいのだ。『マーケティング』という言葉の使い方からもわかるように、 NAACPの力は戦略に必要だということだ。市長が社会正義の雄弁者、マイケルの意見取り入れ、行動力をコミュニティーにと。
一言:
市長の家族が一度も顔を出してないのが不思議だった。
『臭いものには蓋をしろ』という姿勢がないのが良かった。
ボストン市と日本のxx市の行政では大きな違いがある。あくまでも私感でそれを一つだけ書くと、ボストン市職員は市民へのOutreach(コミュニティーに入っていく姿勢)がある。友達の言葉を使うと『フットワークが軽いね』である。日本のxx市の職員は制服を着て、名札をつけて、市民と職員を二つに分けるカウンターの中で縦社会にいるから、一般市民のいる外に手を伸ばしにくい。市の実態を表しているドキュメンタリーをいくつか見るのも職員にとって、いいかもしれない。
長い…
長いのは知ってたけど、やっぱり長い。
どのような内容かはあらかじめ確認のうえ見に行きましたが、わたし個人的には他の映画にすれば良かったと後悔。
鑑賞料にも役所にお勤めの方の割引があり利用者も結構いたから、役所勤めの方が見るには良いかもしれませんね。
とにかく長い
アメリカのボストン市庁舎へ入り込み、市役所の人々とともに街のあちこちを撮影していた。警察、消防、保健衛生、高齢者支援、出生、結婚、死亡記録、ホームレスの人々の支援、同性婚の承認など数百種類ものサービスを提供する市役所の仕事の苦悩と現状、そして市民の幸せのために奮闘する市長マーティ・ウォルシュと市役所職員たちの姿を映していた。
アイリッシュ系の市長はよく頑張ってるのはわかる。こういう作品は必要だとも思う。しかし、長い。ダラダラと続くから耐えきれず途中ウトウトしてしまった。チケット代も高いし、お値段に合ってるかといえば???
ま、良い経験にはなったし、市役所や県庁で働く公務員には観て欲しいと思った作品。
【“尊重と敬意。市長の仕事とは多くの扉を開く事。”当時の市長マーティ・ウォルシュと市役所職員たちが、多様な人種と文化が共存するボストン市民の幸のために奮闘する姿を描いたドキュメンタリー作品。】
ー 当時の市長マーティ・ウォルシュは、現在バイデン政権の労働長官に起用されている。そして、彼が職を辞任した後、民主党所属のアジア系市議、ミシェル・ウー氏がボストン市長としては初の女性、有色人種として当選した事は記憶に新しい。-
◆感想
・当時の市長マーティ・ウォルシュに薫陶を受けたのか、劇中に登場する市職員達の、市民に対し、”寛大で尊重と敬意”を払いながら仕事をする様が印象的である。
- 駐車違反者に対する遇し方のシーンは、分かり易い。
彼らの仕事の仕方はお役所的、官僚的ではないのである。ー
・マーティ・ウォルシュが自ら、且つてアルコール依存だった事、移民であった事が、彼の行政を行う上での基本姿勢になっている事が良く分かる。
ー 彼の基本姿勢は、常にマイノリティ側、弱者側にあるのである。
そして、全米ライフル協会に対する怒りのコメント。ー
・多様な人種と文化が共存するボストン市は、数百種類ものサービスを提供している。
このドキュメンタリー作品でも、その幾つかが描かれている。
警察、消防、保健衛生、高齢者支援、出生、結婚、死亡記録、ホームレスの人々の支援、同性婚の承認、退役軍人へのサポート、移民対応、地球温暖化対応、様々な依存者対応、知的障碍者支援・・。
その幅広さに驚く。
・更に、市が何かを決める際には、上から目線ではなく、数多いコミュニティに入り込んで、住民代表の意見を粘り強く聞く姿勢にも、感銘を受けた。
- 様々な問題に対し、徹底的に討議する姿をカメラは捉えている。-
<米国内に広がる分断化。
有色人種や女性への差別など難問が山積する中、当時の市長マーティ・ウォルシュと市役所職員たちの市民に対する接し方、基本的な考え方は尊い。
特に、ラストで披露された、マーティ・ウォルシュの”民主主義とは何か”をテーマにしたスピーチは素晴らしいと思ったドキュメンタリー作品である。>
<2022年1月4日 刈谷日劇にて鑑賞>
長い! けど覚醒する。
ここでそれっぽい客観的説明的ナレーションが入っても良くない?という挿入カット(ボストン市庁舎の建物や町並みの美しいファサード)でも無音。見る人に全部材料が放り出すように与えられてしまう。
ボストン市の多様性と包括性はきっと世界一なのだと思う。脚本のないドキュメンタリーでしか表現し得ない言葉の応酬と間合い。以心伝心の対極の世界。為政者側・市民側双方のレベルを日本国のそれらと比べてしまうにつけ落ち込んでしまった。文化の違いとか言って逃げるわけにはいかないのだと思う。21世紀なのだから。
過日、女性市長誕生のニュースを見たときは驚いたけど、これで腹落ちした。土壌はあったのだ。
ワイズマン監督作品を観るのは3作目
恐れ慄くような上映時間なので、決死の覚悟(大袈裟)で臨んだら…意外と起きてた。
いつもの感じです。ナレーションやテロップ、インタビューはいっさいなし。風景や短いシーンを挟み込みつつ、さまざまなひとや場所や出来事を無造作に取っている(ように見える)。が、映されるものを観れば、そこに明確な主張があるの。強いて言えば、どこにでも現れる人がたくさん映ってる。
ボストンというと…『スポットライト』『マンチェスター・バイ・ザ・シー』が思い浮かぶので、どこかで見たような風景もあったような。
面白かったのは、シェルターの話、学校の定員の話、アイリッシュの境遇にチラッと触れてたとことか。所々、「ちょっとこのパート長すぎない?」と思ってしまうこともあり。
(おそらくカトリックの)教会が映ると、いよいよ行くのか行くのかとワクワ…ドキドキしたり(結局行かない。市政とは直接は関係ないし)。
ただやはり対象が巨大すぎるのか、ジャクソン・ハイツの時も思ったが、どうしても捉えていない別の側面があるだろうにと、思ってしまう。
図書館の映画よりは分散しててとらえどころがない。場が一点ではない...
図書館の映画よりは分散しててとらえどころがない。場が一点ではないから。長すぎてきつい。でも市長はよかった。言説が力を持ってて、日本と違うと思う。
でも、ドラッグ、銃、人種問題など、日本では考えられないような社会問題のリアリティがあった。
戦争体験者の語りのシールも良かった。たくさんの戦争を経験してきた国だということを実感。でも、ベトナムにせよ、イラクにせよ、自由を守るための戦争だったと美化されてるのには驚く。
市長自身が依存症だった話は圧巻。
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