ミナリのレビュー・感想・評価
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聖書を暗示する要素に満ちた物語を紐解く
アーカンソーの解放感ある高原風景の中、冒頭からちょいちょい暗雲のようなエピソードが提示される。鑑別後に処分される雄ヒヨコの煙、夫婦の不和、不便そうな土地での幼い息子の病、怪しい隣人。
妻モニカの母スンジャの登場で多少頬の緩む場面も出てくるものの、家族の先行きへの不安感が常に見え隠れし、倉庫の火事というカタストロフィでめげそうになった。終盤に希望の予兆をチラ見せする程度の救いのシークエンスがあるが、きっとこのあとセリがバカ売れしてお金持ちになったんだよ、と自分で脳内補完しながらエンドロールを眺めていた。
スンジャを演じたユン・ヨジョンは確かに圧巻だ。序盤の家事もせず奔放な姿から、孫への深い愛情を示す姿、病んで弱った姿まで。韓国のハルモニだけど日本の80年代のおばあちゃんもこんな感じだよね、と思ってしまう普遍性を感じた。彼女に着目して見るだけでも、十分見応えのある物語だ。
ただ、宣伝にあるようにアメリカの各映画祭で軒並み受賞し、ロッテントマトの批評家支持率100%という評価に対する実感は、鑑賞中には得られなかった。
色々調べたところ、町山智浩氏がpodcast「映画ムダ話」で解説している聖書エピソードとのリンクの説明が一番腑に落ちた。監督もインタビューで聖書との関連に言及しており、それなりに妥当な解釈のようだ。
聖書にインスパイアされた物語は多いが、監督の実体験に基づいたリアリティ、アメリカ人の開拓民魂に通じる設定に加え、聖書の物語がこれだけ随所に織り込まれているからこそこの作品はアメリカで高く評価されているのだろう。
裏返せば、アメリカ以外の非キリスト教圏では監督の意図が十分には伝わらない場合があるのではないだろうか。私は、聖書由来の背景を後から理解はしたものの、知識欲が満たされたに過ぎず、キリスト教徒が享受するであろう感動はおそらく体感出来ていない。自己弁護になるが、これは文化の違いによる限界で、見る側の理解力のなさとは違う要因だと思う(思いたい)。
町山氏が内容転載OKである旨言及しているので、自分用の備忘も兼ねて、ごく一部(podcastは本作の話だけで70分ある)の内容を書いておく。自分で調べて短くまとめた部分もありますが、基本受け売りですみません。
【ジェイコブ】
ヤコブ。サタンに神への信仰を試され、様々な苦難に会う。神の祝福を得るため天使と格闘し、祝福を勝ち取ってユダヤ人の始祖となる。キリストは、彼が掘ったとされるヤコブの井戸に立ち寄った後ガリラヤで病気の子供を救う。また、ヨハネ福音書「ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る」に掛けて、移民1世代目が苦労し、2世代目以降がその成果を享受することをジェイコブが体現する。
チョン監督の父親(移民)がモデル。なおチョン監督の韓国名イサクはヤコブの父親の名前。
【ポール】
聖パウロ。知恵で神を知ることは出来ない(コリント人への手紙)という記述から作中のような人物設定にした。
【デビッド】
ダビデ王。イスラエルに繁栄をもたらす王でヤコブの末裔。子供の頃のチョン監督がモデル。
【冒頭の引越トラック】
側面の会社名CATHER TRACK RENTALは、アメリカの小説家Willa Catherから。チョン監督が本作を作るきっかけになった「私のアントニーア」作者。
【トレーラーハウス】
ノアの方舟。ハリケーンが洪水にあたる。
【モニカのジェイコブへの批判】
約束の地になかなか辿り着かないモーゼに対する民の反乱。
【川のほとりに育つミナリ】
出エジプト記で神がモーゼの祈りに応じ天から降らせたマナという食物。イザヤ書44章で神がヤコブに語った内容にも掛けてある(神が乾いた地に水を注ぎ、ヤコブの子孫が恵みを受け、流れのほとりの柳のように育つ)。川辺に蛇が現れるのはエデンの園がモチーフ。
【祖母スンジャ】
運命そのものの象徴、神の化身。不幸や幸福をもたらす。病を治す(不安がるデビッドを抱きしめて眠った後スンジャが病み、おねしょをした。デビッドは病が改善した)。家族をひとつにする(火事によって結果的に家族の絆が復活する)
【太陽の映像】
神の奇跡の象徴。作中には太陽の映るシーンが3回あり、その都度奇跡が起こる。
【ダウジングで発見した水源にジェイコブが置く石】
ヤコブが神からイスラエルの名を受けた時に建てた祭壇。
家族がたくましく生きる姿が静かに深い感動を呼ぶ
この作品は1980年代のアメリカ南部を舞台に、韓国出身の移民一家が理不尽な運命に翻弄されながらもたくましく生きる姿を描いた家族の物語だ。農業での成功を目指す父に「バーニング 劇場版」で印象的な演技をみせたスティーブン・ユァン、荒れた新天地に不安を抱く妻に「海にかかる霧」のハン・イェリと演技派俳優が顔を揃えた。さらに韓国で敬愛されているベテラン女優のユン・ヨジョンが毒舌で破天荒な祖母を演じ、その存在感ある演技が絶賛されている。監督・脚本は、「君の名は。」のハリウッド実写版を手掛けることでも注目を集めている韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョン。
しかし本作は韓国映画ではない。「ムーンライト」など話題性と作家性の強い作品で高い評価を得ているスタジオ「A24」と、「それでも夜は明ける」など良質な作品を手掛けてきたブラッド・ピットの製作会社「PLAN B」が、チョン監督の脚本にほれ込み、タッグを組んで作った映画だ。劇中の大半が韓国語であるにもかかわらず、このような強力な体制で、韓国人が主人公の企画が成立したのは、多様性が求められている昨今の社会情勢やそんな企画を探しているハリウッド事情も追い風となったのであろう。ユァンはブラピとともに製作総指揮にも名を連ねている。
チョン監督は、葛藤する夫婦、親の子への愛、そして祖母と好奇心旺盛な孫の絆という3世代の家族を見つめ、所々にどこか懐かしく美しいカットを挿入しながら、運命に打ちひしがれても人生は続いていく貴さを描いている。祖母が請け負い、失い、そして子と孫に残すものが、静かに深い感動を呼ぶ。
夫婦喧嘩物語
西部開拓史では無いが見知らぬ地で農業に臨む姿は、ある意味、原点回帰の趣があるところがアメリカでの評価に繋がったのでしょう。
一方、80年代といえば、まだ人種差別も酷かった時代、それでも、この韓国移民の一家は差別どころか地元の人々に優しく受け入れられている点は意外でした。
農業に用水は必須なのに下調べもせずに行き当たりばったり、水道水では割に合わないでしょう。農業を甘く見る夫に不安を感じる妻の気持ちも判らないではないが、のべつ幕なしの夫婦喧嘩にはうんざりでした。
文化の違いと言うこともあるのでしょうが孫に花札を教える祖母というのも頂けませんね。
一家で力を合わせ新天地で成功を掴みとるというシンプルな感動ストーリーでないところがドラマツルギーなのでしょうが、キャラクター設定を含め雑味が多すぎてしっくりきませんでした・・。
タイヤの付いた家
生きづらい韓国を脱して
暮らしやすいアメリカに移住する
淡々と日常を送る
家はトレーラーハイス
夫婦の生き方の違いとか
孫とおばあちゃんとの関わり
異国で大自然の中で暮らす大変さとか
…淡々とした日常
普通じゃないおばあちゃん
おばあちゃんがミナリの種を蒔く
…川のそばに
大きく育って力強く生えている
水は作物にとって必要なもの
…デビットは
思っているほど弱くない
とおばあちゃん
…ここの水が
デビット君に合っています
と医者から言われ
ミナリの様に力強く育っていって欲しい
おばあちゃんと絡む
デビット君がとってもいい
演者の中では一番かな
夫婦の意見の違いから
離婚の危機もあったりしたけど
父親の家族を守る姿とか
妻に気遣うところが…
淡々と家族の絆を描いています
最近みたA24の作品と同様
家族愛の映画…
日常…
エンターテイメント性はなく、ただ淡々と韓国系移民一家の生活する上での苦労を描く。ミナリのようにどこでも雑草は強く育つ、またその様に頑張って生きようということだろうけど。ノマドランドと言い、映画に求めるものは人それぞれだが、特に感じるものが無かった。
なける
おばあちゃんが出てくる映画はやめてくれ
元気なシーンと後半の対比が辛すぎる
ラストの孫が引き止めるところはうるっときた
お父さんはインタビュー動画でも言ってたけど、男性的で家族を顧みない感じで、振り回される家族
あまり姉にフォーカスが向いてなかったけどお姉ちゃんも色々考えることがあったりするんだろなーと考察
登場する家族以外のメンバーも好き。手伝いのちょい変なキリスト教徒、教会で会って仲良くなった白人の子供とその父親、孵卵場の同僚とか
最後、燃えるのはオーバーキルやわ、やめてくれってなった
雑草魂で生きる
韓国での生活に限界を感じ、アメリカの生活に希望をもってやってきた夫婦。
成功をまず夢見る父親
揺れ動く思いを持ちながらも家族一緒にいることが優先と考える母親
保守的で面倒見のいい娘
人見知りだが好奇心が強く友だちもすぐできる息子
ぶっきらぼうだが家族の役に立ちたいと思っている韓国から呼び寄せた母方祖母
アーカンソーで畑を開拓するところから始め、苦労しつつ、アメリカ人のポールとともに韓国野菜の栽培を始める。そのためには水が必要で、この水がストーリーの中でしばしば重要な場面で登場する。
ミナリはセリのこと。どんな場所でも育ち、疲れた体に優しい野菜である。雑草のように力強く育つという紹介があったが、これはまさにこの一家が韓国→カリフォルニア→アーカンソーで成功と生活の安定を夢見ながら雑草のように生きていく様子の象徴である。
火事で野菜を失ってもセリは出荷できる。雑草魂で生きることをセリに託す。
セリは本当にワンダフルなんだよ
映画「ミナリ」(リー・アイザック・チョン監督)から。
邦題ではわかりにくいので、原題を検索したら「Minari」、
内容より先に、タイトルが気になり、もっと調べたら、
原題のMinari(미나리)は韓国語で「セリ」を意味する語であった。
作品中には、こんな会話がある。
「韓国から「ミナリ」の種を持ってきた。
この先の水辺に「セリ」を植えたら、よく育ちそうだよ。
セリは最高の食べ物だよ。
雑草みたいにどこでも育つから誰でも食べられる。
お金持ちも貧しい人も、食べて元気になれるんだ。
セリはキムチやチゲに入れたり汁物に入れてもいい。
具合が悪い時は薬にもなる。セリは本当にワンダフルなんだよ」
作品とのセリの関係性が分かりにくかったが、
公式サイトによると「セリは、たくましく地に根を張り、
2度目の旬が最もおいしいことから、この作品には子供世代の幸せのために、
親の世代が懸命に生きるという意味が込められている」とあり、
妙に納得させられた。
もう少し、分かりやすいタイトルはなかったか、と思いながら、
貧困な生活からなんとか抜け出そうとする移民家族の逞しさは、
伝わってきた気がする。
個人的には、煙突の煙を見ながら「オスのヒヨコ廃棄してんだ」と呟き、
「廃棄って何?」と訊く息子に「難しいよな。オスはおいしくない。
卵も産めないし役立たずだ。俺たちは役に立たないとダメだ、わかった?」
と父親が諭すシーンが印象的だったなぁ。
アメリカンドリーム
韓国からアメリカに越してきた家族を描いた物語。
夫はアメリカドリームを夢見て
農場を作るが取引先に裏切られたりと
苦労が伝わってるが
妻はそんな夫に半ば呆れている
2人は夫婦ではあるが
別の道をそれぞれ見ていた
うまくいって欲しいと願い
ホッとした矢先不運がやってくる
ラストはその不運が2人を
同じ方向に向けさせ
上手く行く気配を感じさせる
まだ宗教観の違いなど垣間見える
親近感があった。
1980年代。アメリカ南部。韓国人移民。
全く接点がないはずなのに、
夢見る夫。
呆れ疲れ果てる妻。
どこでも無邪気な可愛い子どもたち。
口の悪いお母さん。
どこにでもある家族環境にとても親近感が湧いた。
特に漫画家と言う職業柄、
畑に生き甲斐を見出して周りの意見を聞かず
自分の力だけで何とかしようとする夫に感情移入しました。
周りを全く信じないのではなくて、
自分の力で家族を守りたいんだよな!分かるぞ!と
分かってやってよ奥さんと思いながら観てたので、
川辺に根付くミナリと、ダウンジングに頼るところから
始める夫の隣にいる妻を観てとても安堵しました。
家族4人でも完成してるんだけど微妙なバランスの所に
口の悪い空気を読まないおばあちゃんがいる事で
フッとみんなの肩の力が抜ける感じが良かった。
映画を観てる時は息子がおばあちゃんに嫌いだの臭いだの
言う事に、そんな事言ってやらんとってくれよと思ってた
けど、思ってる事を口に出来る相手はおばあちゃんしか
いなくて、それこそがおばあちゃんのいる意味なんだなと
思ったら2人の関係性がとても愛らしく思えました。
観てて僕も頑張ろうと思える映画でした。
大地に逞しく根を張る私たち家族(ミナリ)の物語
本作はハリウッド作品ではあるが、いよいよハリウッドまで席巻し始めてきた韓国。
『パラサイト 半地下の家族』に続き、本作も米アカデミー作品賞にノミネート。
『パラサイト』のような強烈インパクトの作品ではないが、どちらかと言うと『フェアウェル』(中国系アメリカ人だけど)のような家族物語。
いや、あちらは笑って泣けるホームドラマであったが、こちらは厳しい困難が幾度も訪れる監督の半自伝的の家族物語。
アメリカに移住した韓国人家族。父ジェイコブ、母モニカ、娘アン、息子デビッド。
カリフォルニアで暮らしていたが、片田舎のアーカンソーへ。
農業で成功を夢見るジェイコブに連れられ、半ば強引に。モニカは不満を募らせ、早速暗雲が…。
幼いデビッドは心臓に疾患を抱える。
そこでモニカの母スンジャを韓国から呼び、一緒に暮らして子供たちの面倒を見て貰う。
夫婦は共働きが出来、これでやっと夢見た新天地生活が始まったかと思いきや、農業や家族間にまだまだ困難が続く…。
農業にのめり込むジェイコブ。固執と言っていい。
無論ジェイコブは農業初心者。上手くいく筈がない。
農場の水が干上がった時は、家であるトレーラーハウスから引っ張る。家では水が出なくなる。
やっとの思いで育て、心血注いだ作物が売れない。
すると男というものは、イライラしてくる。さらに仕事に没頭する。
ジェイコブの気持ちも分からんではない。
一家の大黒柱。家族を支えなければならない。
序盤のひよこの選別場。煙突から出る黒い煙を見るジェイコブが印象的。役に立たないオスは廃棄される…。
あんな風にはなりたくない。
家庭を顧みない妻と喧嘩が増え、溝が。
いつの時代、何処の国も同じ。
そんな時夫婦間の接着剤になってくれるのは、子供…と言いたい所だが、まだ幼い。それに、デビッドは病持ち。
年長者。
口が悪く、毒舌家。
不味い飲み薬は作れるけど、料理は出来ない。
じゃあ、何が出来るの?
花札。プロレス好き。
ユーモアたっぷり。
その一方、戦争で早くに夫を亡くし、独り身。読み書きも出来ない。
哀しさも滲ませる。
当初デビッドは会った事無かったおばあちゃんが苦手。嫌い、韓国臭い。子供は時々痛いほど正直。
デビッドがおばあちゃんに“アレ”を飲ませる。父親でなくとも、コラ! しかし怒られている時、おばあちゃんは孫の味方。
ある夜の子守唄…。
そんなおばあちゃんを、デビッドは次第に…。
包み込むような優しさ。
韓国人俳優で初の米アカデミー演技賞受賞の大快挙も納得。
日本で例えるなら故・樹木希林のような存在感と名演。
ユン・ヨジョンがひと度画面に出れば、作品が締まり、グッと面白く魅力が増す。
先におばあちゃんの方を紹介してしまったが、
スティーヴン・ユァンも一家の大黒柱としての苦悩、身勝手さ、哀しさを体現。
妻ハン・イェリも良かった。いや、非常に良かった。良妻賢母。それ故の悩み、孤独、苛立ちを見事に表していた。ユァン、ヨジョンと共にオスカーにノミネートされても良かったと思う。
2人の子役もいい役回り。特に、デビッド役のアラン・キムが可愛らしい。
農業を手伝う地元民のポールを演じるウィル・パットンも好助演。個人的に、彼については色々な意味合いが込められている気がした。
自身も移民2世である監督のリー・アイザック・チョン。
自身がデビッドに反映されているのは一目瞭然。
農場での出来事や引っ越して来てトレーラーハウスを見た時の両親の対照的な反応はほぼ実体験なんだとか。
それ以外にも父親から怒られた時の「棒を持って来い」、おばあちゃんからの褒め言葉「驚いた。頭のいい子だね」なんかもそんな気がした。
不便な田舎ではあるが、アメリカ高原の美しさ。
舞台設定は80年代。
世代も違う、異国の家族の話なのに、不思議とノスタルジーやシンパシーを感じる。
さっきは苦い意味であったが今回は、いつの時代何処の国も同じ。
監督が思いを込めて、丹念に綴る。
普遍的な家族の物語…ではあるが、根本には深いものが込められている。
アメリカと韓国。ジェイコブらは英語名で呼び合い英語で話すが、おばあちゃんは韓国名で話すのは韓国語。長らく離れて暮らしていた為生活様式も考え方も価値観も違う。アメリカと韓国、相容れる事が出来るか…?
農業手伝いのポール。見た目はちと変質者っぽいが(失礼!)、親切で働き者。信仰心が厚く、イエスのように十字架を背負って歩く彼を地元民は変人扱い。偏見。
一家に対して直接的な迫害は無いが、馴染めぬよそ者感が…。
アメリカで高く評価された点の一つに、信仰が巧みに織り込まれている。これは見ていてすぐ分かる。
作品の端々に聖書や信仰への問い掛け、言及。
元々信仰心があったモニカ。
が、一方のジェイコブは…。
目の前の見えるものしか信じない。
それが悪いという訳ではない。大半の人も同調しそうな現実的な生き方。
これまでにも何かの作品レビューで言ってきたが、別に私は信仰心がある訳ではない。
でも…
辛い時、苦しい時、挫けそうな時、もう一人じゃ無理な時…
何かにすがりたくなる。
一抹でも、信じる者は救われる、と。
これは、ジェイコブが真に“信じる”までの物語でもある。
シンプルな単語にして、聞いた事の無い“ミナリ”。
意味は韓国語で、“セリ”。
セリは何処でも育つ。富裕層から貧民層まで誰でも食べる。
セリの種を持ってきたのはおばあちゃん。
その種を森の中の綺麗な自然水の近くに植え、見事なセリが育った。
そのセリと通じているような自然水を飲み続けているデビッドの身体に、奇跡が起こった…!
喜ぶモニカ。
時を同じくしてジェイコブの作物も売れ、何より喜ぶ。
これが遂にモニカの限界となる…。
家族より仕事。自分中心、自分の事だけ。
家族にとって苦難の末のやっとの明るい道が拓けた矢先、モニカは別れを決意する…。
またこんな時おばあちゃんが頼りになってくれれば…しかしこの時おばあちゃんは、脳卒中で倒れ、身体が不自由であった。
そんなおばあちゃんがある大失態を犯してしまう。
何やってんの、おばあちゃん!…と言いたい所だが、これが結果的に家族に大切なものや初心を思い返させる。
チープな言い方かもしれないが、
全てを失って、また始めからやり直す。
が、今度は自分勝手な夢ではなく、家族と共に、信じて。
ミナリのように逞しく大地に根を張って。
ずっと続く私たち家族の物語。
小津映画のような小品
ストーリーは
1980年代、米国南部アーカンソー。
アーカンソーに移住した韓国人夫婦が、がむしゃらに働いて自分たちの農地を買った。学童期の娘と息子がいる。息子は先天的な心臓病で、走ったり運動することができない。夫婦は移民してきた5年間のあいだ、町でヒヨコの雌雄選別の仕事をしてきたが、やっとお金をためて念願の土地を買ったのだった。父親の望みは、自分の農地を持ち、そこで韓国野菜を作り米国在住の韓国人の間で流通させることだ。アーカンソーで韓国人はみな食べ物が自分たちの育ってきた国の食べ物と違うので苦労している。韓国人の要求に見合う作物を作れば事業として成功間違いないだろう。
大きな夢を抱いて購入した農地に家族でやってくる。草ぼうぼうの広い野原と、掘っ立て小屋。雨漏りはするし、水も十分ではない。電機はモーターの自家発電で使える時間が限られる。さっそく、何もかも気に入らない母親と大喧嘩だ。父親は、妻のために国から妻の母親を呼んでやることにする。畑仕事に明け暮れる両親に代わって、子育ては、韓国からやってきた祖母が担うことになる。そして祖母と孫たちとの交流が始まる。
というストーリー。
夫婦してヒヨコの雌雄判別作業を5年間した、ということがどんなショボいものだったか、想像できる。映画に残酷なシーンは出てこないが、卵から孵化したばかりの愛らしいヒヨコは、ずらりと並んだ移民たちの手で判別され、オスはベルトコンベアーに乗せられて、羽毛や手足など生きた姿のまま粉砕機に放り込まれて燃やされる。オスは肉が硬いので食べられないし、卵を産まないからだ。オスは孵化されても殺されるために生まれてきた。なんともやるせない。だからヒヨコの入った箱にいくらと決められたわずかなお金をためて土地を買ったときは、夫婦はどんなに嬉しかったことだろう。
ミナリとはセリのことで、水辺に育つ野草。匂いの強い、韓国料理に多用に使われる野菜で、どこにでも根を張り繁殖する。韓国人家族が米国に根着いて生きていく姿を、象徴している。韓国から祖母が種を持ってきて、繁殖させ、彼女が倒れた後、父親がいとおしそうにこれを摘む。
家族の喜怒哀楽が描かれていて共感できる。でもそれにしても、母親はどうして怒ってばかりいるんだろう。家がボロだとか、畑が荒れ放題なのは当たり前だったと思うけど、当たり散らして子供たちを怯えさせるのは、止めて。いったん怒るとその気性の激しさ、一歩も譲らぬ論理性、感情表現の一刻さに、彼女の子供でなくても怖くなる。
アメリカ南部の農耕地帯の田舎町で教会を通して移民家族がコミュニテイーに入っていく様子が好ましい。牧師が模範的なキリスト者の態度で、片言しか話せない移民でも仲間として受け入れる。アーカンソーの自然の大きさ。自然災害の怖さもよく描かれている。
しかし、アメリカ人にとっての韓国人とは、どんな存在だったのかが、あまり描かれていない。どんな田舎に住んでいても、当時徴兵制のあったアメリカ人にとって、朝鮮戦争とベトナム戦争には関わらざるを得ないものだったはずだ。
その国のイメージは自分の父親や祖父から直接聞いた実話から印象付けられる。アメリカ人にとって朝鮮戦争もベトナム戦争も自分たちにとっては何の利益もなかったにもかかわらず、犠牲ばかりの多い戦争だった。1960年代、韓国軍はアメリカ軍と共に参戦したベトナムで、最大時5万人の兵を送り5千人の戦死者を出している。今もなお、徴兵制のある韓国で、彼らがなぜ米国に移民しなければならなかったのか、日米関係よりも米韓関係のほうが、ずっと複雑で密接な関係があったはずだ。
リー チョン監督は小津安二郎が大好きで影響を受けたと言っていることが、うなずける。家族は大切かも知れない。でも人間は社会的な動物だから、社会状況に関わりなく生きていくことはできない。映画では、小津の映画のように、あまり大きなことは起こらない。平穏と小さな幸せ。この映画は家族の結びつきを強調するあまり、人がどんな心を抱えて、どんな社会で生きたのかが十分描かれていないのが、残念だ。小津にないものねだりをしても仕方がないんだけれども。
北の米から
お前ら今日からここ住むど!てところだけ切り取ると北の国からと同じ。ただ山っ気というより、もっと切実ではっきりとした野心が吾郎と違いある。火事に見舞われるのは共通してたけど。
ばあちゃんが男の孫ばかり可愛がるのが、ああ、とキムジヨンを少し思い出した。でもあのばあちゃん、ある種のいたましさとともに、たまらない魅力があった。なんていうたらええんやろう。
韓国野菜だけに頼ってたから販路が狭くてほかに下ろせないという、同郷ネットワークのメリットデメリットむき出し。社会関係資本なんやそれ。
石川セリ、ひさしぶりに顔が見たくなった。
家族の愛の物語
アカデミー賞最有力候補!
と謳われていたので、公開前から楽しみにしており、なかなか鑑賞出来ぬ間に、本作のキーパーソンであるおばあちゃを役を演じた、ユン・ヨジョンさんがアカデミー賞で助演女優賞を受賞。授賞式のスピーチを英語でペラペラと話す姿を見て、新たなヨジョンさんの魅力を知りました。
スピーチでは、ブラックジョークのような事も言いながら、彼女の女優、母親、女性、映画に携わる者としての心構えや意志の強さを感じることができました。
個人的に韓国人俳優は世界一演技が上手いんじゃないかと思うくらい大好きなので、今回の受賞で昨年のパラサイトに続き韓国が注目されることを嬉しく思います。
ヨジョンさんが言った、American hospitalityであったかもしれない今回の受賞ですが、それであったとしても注目される事に大きな意味があると感じました。
さてさて本題へ。
本作をアカデミー賞最有力候補として鑑賞してしまい、過度の期待を込めてしまったのは正直やっちまったな。でした。
純粋に余計な情報なしに鑑賞した方が、ずっと楽しめただろうに、、、
ただし、面白くないわけでは決してなく。
どうしてこの作品がこれほどまでに注目され、話題になったかと考えると、移民や多文化国家であるアメリカが舞台になっているからなんだなと。
私自身、農家を生業にする家に生まれたわけでもなければ、開拓者でもなく、移民の経験もないし。なんせ共通点がなく感じたのです。
ある移民家族の生き方を淡々と見せて、紆余曲折しながらも、年長者である祖母が離れそうな家族を結びつける。夫婦の喧嘩はド派手やし、一家の大黒柱である父ちゃんは、妻と多分十分な話をせずに、父親のプライドだけで夢を追いかける少々困った父ちゃんで、病気の息子を心配するあまり子供を逆に不安にさせるようなことを言っちゃうママ。まだ小学生であろう姉の、物分かりの良さなどいろいろある中で、素直な悪ガキに育っている末息子デイビッドが非常に可愛く描かれている。
おばあちゃんはおばあちゃんらしくない。
と孫たちに言われるけれど、おばあちゃんはちゃんとおばあちゃんしか出来ないであろうことをやっています。
娘のことを思い移住してきてくれて、娘を元気付けられる食材を持ってきてくれる。知恵のあるおばあちゃんは自然とどう過ごせば健やかに生きられるか、どこにどんなものが適していて、危険があるかなど。
孫を褒めたり、勇気づけるときは一生懸命。
人生にユーモラスが必要であることも教えてくれます。
そんなおばあちゃんが侵してしまった事故は、結果的には家族の成長と絆にとってはとても重要な役割を果たす。
本作品のインタビューを見ると、主演のスティーブンは、「どの家族にも共感できる部分がある」と話し、妻モニカ役のハン・イェリは「家族の愛の物語です」と言っていました。
ミナリ(芹)のように、雑草のようにどこでも根をはって力強く生きていく家族を描いた本作。
美しく広大なアメリカ大地の風景と、その中で一家が寄り添って雑魚寝する姿を1人じっと見つめるおばあちゃんのラストシーンが印象的でした。
神のみぞ知る
この映画には常に緊張感が漂っています。冒頭のハリケーンに始まって、息子デビッドの心臓病、水場のヘビなど、命を脅かすものが次々に現れ、いつ襲われるか分からない恐怖を感じさせます。ですが、それらの心配事は一切起こらず、結果として家族を襲ったのは予期せぬ事故であり、祖母スンジャの台詞「本当に恐いのは見えないこと」が意味する通りになりました。しかし、この不幸な事故のおかげで家族は守られ、事態が好転するあたりに「神のみぞ知る」未来が表現されています。
このように不幸と幸運に翻弄される中で、家族が変化していく様子も見どころです。夫のジェイコブは迷信や宗教を信じず、自らの知恵によって生きる人間でしたが、映画の最後では夫婦揃って神頼みな様子が描かれます(宗教もまた、不幸な世を生き抜くための一つの「知恵」でしょう)。子ども達も逞しく育っていきますが、娘のアンが母を気遣う場面や、息子のデビッドが脚の怪我を我慢する場面、懸命に走って祖母を止めにいく最後の場面によく表されています。
祖父母との文化の違いは自分にも経験があったので懐かしく感じました。個人的には、悲劇の事故から家族が和解し、立ち上がる様子をもう少し描いて欲しかったですね。最後を綺麗にまとめすぎた印象を受けました。
で、結局最後はどうなったの?
最近、結末がはっきりしない映画が多い。
あえて途中でぼかして終わり、その後を想像させてるのかもしれないが、強烈なモヤモヤが残る。
この映画は、火事を通して「家族の絆が強まった」といいたいのかもしれないが、何を訴求したいのかが伝わらない部分が多い。
お婆ちゃんは終始何を考えてるの?
取引先との納品の仕事はどうなったの?
水は出たの?
タイトルでもあるミナリは何か役にたったの?
理解力がないからか、意味が深すぎて伝わらないのか分かりませんが、、うーん。よく分からない映画でした。
ただ韓国人の素朴な生活の描写、好きですね。思ったことをすぐに言葉にする率直さ。親近感が沸くというか。
不幸でつかれる
火事起こしたあたりでもう不幸疲れしました。あと妻、人の幸せを喜ばない感じ、自分の不満を夫にも押し付ける感じ、自分を一番に考えてくれないと不機嫌になる感じ、かわいいが最高の美徳とされた故に幼稚な東アジア女まるだしで、鏡を見せられてるようでキツかった。この時代に移民した韓国人にとっての三丁目の夕日的な映画なのかしら。三丁目の夕日見たことないですが。
あの…
「私はこうでした」って感想で、他の方が感動したり涙したりは存じてますし理解しています
«感動、感激した人は読まないで!不快になります!»
で…あの映画の見せ場ってどこだったんや?
最後で
(>︿<。)「ミナリ(芹)ー!」
ってなる?
🐼は「あー、芹畑が成功しておばあちゃんのチョンボはイーブンになるってことかー。いや?!介護費となあるけん、ダブルボギーくらいじゃ…」
と考え始めた矢先、エンドクレジットでびっくり!
終わ…った…?
なんか鑑賞中は終始イライラしていた
理由
①萩原聖人と真田広之を、足して割った感じのお父さんに
🐼「あー、いるねー、オンリーyouの夢なのに家族の夢と公言し、失敗や苦労は『家族のため!』と自己洗脳する男」
②子供が嫌い…
その点で映画の子役達は、🐼に嫌悪感を抱かせたんで「本当にいる普通の子供」の演技をされてたってことですな
③お母さん
自論ですが、ダメ男にほだされちゃう女は、その男を甘やかしてダメを助長させる元凶と思っている
④介護
幼少のみぎり、🐼の父親の親が脳卒中になり介護問題で両親が何年も荒れたので、映画後半は
🐼「あー、ここは嫁の実母やけんマシか…姑なら修羅場や…」
🐼「なまぢ歩ける要介護者は、本当に大変…」
🐼「このおばあちゃんは結構善悪の区別は付くから良い方や」
など、介護の悪夢が…
映画は、敬愛するウエイン町山氏によると多分にキリスト教の寓話が隠されているとか
じっくり考察を拝読したい
十字架おじさんが何なのか等
感想は、聞かれたら対外的には無難に
「『ミナリ』見たなり~」にします
夢を追う夫を持つと奥さんは大変だよな
冒頭から夫婦間のギクシャクしているんだなとわかる演出
何もないただ荒れた農地とトレーラーハウスが新生活の場所
家の中に上がろうと手を貸す旦那を拒否して
自分1人で上がる奥さん
この場面だけでも奥さんのうんざり感と旦那との距離がよくわかる
亭主ジェイコブは自分の考えを曲げない
あまり他人の意見を信じないタイプの人間で
農地の水脈を探すのにダウジングの業者を試しに呼ぶけど、結局は断って自力で見つけるし
野菜の出荷の契約をいきなり断られて
新たな契約業者を探すときも
『アメリカに住んでる韓国人は信用出来ないから』
と言って契約先を限定したり
でも終盤になると自分の頑固な考えを改める行動があるんだよな
すごくおもしろかった場面があって
心臓疾患の息子を病院に連れて行って、その後に新しい取引先に持ち込むための野菜を積んでいたんだけど、
炎天下の車内に野菜を積みっぱなしにしたくないから、病院内に運ぼうとするんだけど
当然奥さんは『やめてくれよ』と拒否。
『じゃあ、地下の駐車場に移動するから、お前たち先に行ってて』
病室で診察を受けていたら、野菜を大事そうに抱えて旦那が入って来て、奥さんは無言。
いかにジェイコブが野菜にすべてを懸けているのか
本人が真剣だからこそ側から見ると笑える場面でした。
ストーリーに大きな展開だとか、大どんでん返しみたいな事は起きないけど
夢を追いかける親父とその女房、子供たちって
色々と大変なんだろうな
この作品けっこう好きです
『君の名は』の実写版
楽しみです
Minari(芹)は、Nausicaäのチコの実だった
「たまずび」で町山さんの解説を聴いてから観ました。
なので、「北の国から」もしくは「大草原の小さな家」の様な雰囲気を予想していました。
ただ、のっけから石積みの家でも、ログハウスでもなく、トレーラーハウスというところに、近代のアメリカを感じました。
町山さんほど、アメリカ事情に詳しくなくても、トレーラーハウスは貧困層の象徴として映画やドラマにしばしば登場するので、一家のおかれた立場が一挙に実感できました。
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主人公の男(Jacob)を演じるのは、Walking Dead でお馴染みの Steven Yeun。
彼が、ヒヨコのお尻を見るだけで人生を終えたくないという想いは、男なら痛い程分かります。
ただし、一攫千金の手段として、借金してまで農業に投資する姿は、正直理解しきれませんでした。
「大草原の小さな家」の時代(19世紀後半)なら分かります。
まだ誰も手を付けていない草原を、開拓すれば自分のものになったからです。
ただその時代でも、天候不順に悩まされ、危険な石切場で出稼ぎしたり、ゴールドラッシュに踊らされる姿も描かれていました。
現代の日本なら、YouTuberやデイトレード、仮想通貨で一攫千金を夢見るのでしょう。
しかし、アメリカで観客に「我が家の話」として共感を得ていることから、時代設定である1980年代の移民にとっては、農業こそがアメリカン・ドリームの手段だったんですね。
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中盤で、息子のDavidが協会で遭った白人少年(Johnnie)に、
"Hey David, why's your face so flat?" 「なんで君の顔は平らなの?」
って聴くシーンは印象的でしたね。
これは、とりようによってはdisられてる気もするし、アジア人に対する差別にも聞こえる。
ただ、Johnnieは家に招いてもくれるし、お婆ちゃんが倒れた時にも、親友のように遊んでくれる。
町山さんによると、アメリカには自国の世界地図上の位置を知らないくらい、世界情勢に疎く、特に保守的な南部では自分の身の回りにおきる事象にしか関心がないようです。
なので、アーカンソーの片田舎で育った白人少年が、アジア移民に初めて遭遇した時に、純粋な好奇心として、顔の平たさに好奇心をもつのは、必然だったかもしれません。
自分も、あの台詞には差別意識ではなく、「テルマエ・ロマエ」の"顔の平たい族"という言い回しを思い出させ、笑けてしまいました。
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もう1つ印象的だったは、父子が水辺で芹を採るラストシーンでの台詞。
Jacobは、水辺に繁茂する芹を褒めながら「お婆ちゃんのお手柄」と言います。
しかし、この映画の最大のクライマックスの火事のシーンでは、やっと買い手が見つかった農作物は全焼してしまいます。
そのキッカケになったのも、脳溢血で半身麻痺が残るお婆ちゃん。
動機が善意であっても、Jacobに見えた僅かな光明まで焼き尽くされたかに思えました。
それでも、にこやかに繁茂する芹を褒め称えたのは、ちゃんと水源さえ確保すれば、韓国野菜もしっかりと育つことの、これ以上ない証だったからでしょう。
だから、今度はケチらずにダウンジングの助けも借りました。
「風の谷のナウシカ」では、核戦争後に汚染され、人間が呼吸したら即死する瘴気に満ちた腐海が広がる終末世界が描かれていました。
しかし実際には、腐海は土壌の汚染物質を吸い上げて瘴気として放出するので、腐海の下には清浄な砂が積もっていました。
「ナウシカ」のラストシーンは、ナウシカとアスベルが落としたチコの実が、清浄な砂で芽吹いている様子で終わりました。
それは正に、終末に芽吹いた希望そのものでした。
"Minari"における芹も、移民家族におけるチコの実であり、希望そのものだったに違いありません。
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