「不器用だが懸命に生きるどこにでもある家族の風景」ミナリ yookieさんの映画レビュー(感想・評価)
不器用だが懸命に生きるどこにでもある家族の風景
これは特別な家族の話ではない。80年代にアメリカに移住した韓国人の家族という設定ではあるが、イ家族はごくごく普通の家族であり、人たちだ。みな、不器用だけど家族思いで、自分本位だけど優しい。
夢aka呪いによって家族を翻弄してしまう父ジェイコブの「男・父・主人たるもの、こうあるべき!」と全部独りで成し遂げようと、背負ってしまっている姿。
(おそらく病気の子を産んでしまった事への責任を感じているのだろう)過保護すぎるほどに息子デービッドの身を案じ、子供達の将来と家計を心配する母の苛立ちと疲れ切った表情。
そんな父母と弟の間で感情を抑え冷静に振舞おうとする姉アンのどこか寂し気な眼差し。
父も母も姉も自分の立場・役割を全うしようと、理想としている人間になろうと懸命に生きているだけなのだ。
彼らを見ていると、自分の中に、家族や親戚や友人に、どこか見覚えのある姿が投影されるだろう。
そんな中で唯一自然体で生きているように見えるのが、韓国からやってきた祖母だ。
口が悪くても文字が読めなくても料理ができなくても、不自由なはずの暮らしにあっという間に馴染み、悠々と暮らしている。アメリカで生まれ育ったデービッドは、自分が移民である(外からやってきた)という認識が薄く、家族という自分の知っている世界の外から訪れる祖母やポールの存在に戸惑いを隠せず、挨拶もできないほどだ。兎角、祖母に関しては「おばあちゃんらしくない」としきりに言うように、アメリカ社会ですりこまれたのかもしれない「理想」(いや「空想」と言ってもいいだろう)が邪魔をしている。
そうでなくても、おばあちゃんというのは、子供からすると、なんだかとても面倒で、風変りで、でも愛嬌があって面白い存在だ。自身の幼少の頃を思い出しても、そんな風に感じることが多々あったように思う。妙な薬湯を飲ませたり、しきりに可愛いと言ってきたり、でもいつの間にか父母姉とは違うその自然体な言動をデービッドは少しずつ許容していく。
デービッドに一緒に走ろう、と言ってくれたのは、おばあちゃんだけだった。教えてもらった花札で友達との距離を縮めることができた。水道水の代わりになる水汲みで家族の役に立つことができた。農場を手伝うポールと家族の距離を縮めたのも、病気になってしまったおばあちゃんかもしれない…。
ポールという人物もまたイ家族とは違うが、不器用に一所懸命に生きている。奇妙な程に信心深い彼は穏やかな目元にどこか狂気のような絶望のような深い闇を携えている。おそらく彼は、戦争の傷跡が残り、妻や家族を亡くした独り身で、もしかしたら農業でも失敗したのかもしれない。文字通り十字架を背負い、神を信仰し、悪を祓い、人を赦し、人に感謝して生きている。ジェイコブと対のような人間だ。彼も一度は理想を追い求めたのかもしれない…けれど今は雲の隙間から太陽の光が漏れただけで目を潤ませる…。
人は正解かも間違いかも分からない道を進んでいく。
おばあちゃんはとんでもない事故を起こしてしまった。
途方に暮れ、行く当てもなく、ただどこか遠くへ消えてしまいたいようなおばあちゃんの茫然とした姿、それまでたくさん笑っていたおばあちゃんからは想像も出来ない表情に胸が引き裂かれそうになる。そのおばあちゃんに駆け寄り、一緒に家に帰ろうと、デービッドは優しく言った。それは、デービッドが初めて意思を持って走った瞬間だった。
その夜、疲れ果てたイ家族4人は、リビングで川の字になって、ぐっすりと寝ていた。アーカンソーのトレイラーハウスに着いたその日に父ジェイコブが提案した「ここで雑魚寝しよう」はスルーされ、いつもバラバラに寝ていた家族。デービッドはそれまで半ば強いられて行っていた祈りを捧げることもなく、深い眠りについていた。最悪な事態が起こった夜に、家族は一つになった。
その姿を見つめながら一人眠れずにいたおばあちゃんは何を思っていたのだろうか・・・。
父が一人船頭を切って「始めた日」、家族は同じ方向を向くことができなかった。最悪の事態、いわゆる「終わった・・・」の日。でもそれは言い換えれば、これ以上の最悪は無いと信じたい、新たな「始まりの日」だった。
不器用だった家族たちは、各人が抱いていた理想という呪いが少しだけ解けただろうかと、想いを馳せるエンディングだった。人に頼ることを覚えた父は、ポールにサンキューと言えているだろうか。母はデービッドに走ってもいいよ、と背中を押せているだろうか。姉はもっと子供らしく無邪気に笑っているだろうか。デービッドはミナリ(セリ)のように逞しく成長しただろうか。おばあちゃんはまた笑って自由に振る舞っているだろうか…。
人生とは理不尽で、人間とは不器用な生き物で、家族という集合体は面倒だ。
また嵐が来て、夫婦は喧嘩して、親に説教され、水が出なくなっても、窓から朝陽がさして一日が始まるー。その繰り返しかもしれない日々は続いていく。
それでもやはり、人は愛おしく、家族と生きていくことは尊いのだと思う。
エンドロールの虫の鳴く音に故郷を、家族を、祖母を思い出し、涙した。
”To All Our Grandmas." 「全てのおばあちゃんに捧ぐ」
この言葉で締めくくられた本作。
鑑賞後にじわじわと様々な感情が沸き起こる。
キャスト・脚本・演出・撮影・音響・美術・・・全てが良かった。
A24配給、PLANB制作らしい本当に素晴らしい作品だった。