お隣さんはヒトラー?のレビュー・感想・評価
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お隣にやってきたヒットラーは本物かどうか、ネタバレが意外な真相で面白かったです。
歴史に、「if」はないけれど、アドルフ・ヒトラーの「南米逃亡説」をモチーフに、実際に起こり得たかもしれない世界線を大胆なアプローチで描いた、ナチス映画の新たな系譜が誕生しました。これが長編第2作となるレオン・プルドフスキー監督がメガホンをとった作品です。
●ストーリー
1960年の南米・コロンビア。第二次世界大戦終結から15年が経過し、巷ではアルゼンチンで逃亡生活を続けていたアドルフ・アイヒマンが拘束された記事で賑わっていた。ホロコーストで家族を失い、ただ一人生き延びたポルスキー(デビッド・ヘイマン)は、コロンビアの片田舎に移り住み、妻が生前愛した、黒バラの手入れを日課にし、チェスを趣味にしながら日々を穏やかに過ごしていました。
世間でアドルフ・アイヒマンがモサドに拘束された事件が話題となっていたころ、彼の隣家に、そんな老人の隣家に越してきたのは、ドイツ人のハルツォーグ(ウド・キア)でした。
ハルツォーグの飼い犬に黒バラを荒らされ、猛抗議に行くと、彼のサングラスがずり落ち、鋭い眼光から雷に打たれたような衝撃をポルスキーは受けます。それはヒトラーの青い瞳そのものでした。それを見た瞬間、ポルスキーはハルツォーグが15年前に56歳で死んだはずのアドルフ・ヒトラーだと確信します。
ポルスキーは痴癩(かんしゃく)持ち、絵画好き、左利きなどヒトラーとの共通点を1つずつ洗い出し、ヒッチコックの「裏窓」のように隣人の監視を始め、大使館に訴えますが信じてもらえません。ならばと、カメラを購入し、ヒトラーに関する本を買い込み、自らの手で証拠を掴もうと行動を開始します。
やがていつしか互いの家を行き来するようになり、チェスを指したり肖像画を描いてもらったりと交流を深めていき、2人の距離が少し縮まったように見えました。
そんなある日、ポルスキーはハルツォーグがヒトラーだと決定的に確信する場面を目撃するのです。
●解説
ヒトラー南米生存説をモチーフにしたナチス、ホロコースト映画の意表を突く作品です。
前半は頑固な老人同士のコメディーを前面に押し出しました。ハルツォーグの意外な正体をゆっくりと明らかにしていく後半は運命と哀惜をユーモアで交ぜ合わせた演出が巧みです。愛犬やバラの花、チェスなど2人の関係をつなぎとめる小道具を巧妙に配置し、贖罪(しょくざい)と許しを背景にしつつうっすらと情感を揺さぶってくるのです。
加えて、2人の俳優の巧妙な間が物語のアクセントに。ポルスキー役のデヴィッドーヘイマンと、隣人役のウド・ギアによる名優対決の緊張感が、終盤に向かうにつれて、物語にダークなユーモアを醸し出します。ヒトラーが好んだブルックナーの交響曲が流れる中、チェスを囲む2人が、少しずつ心の手の内を探り合う描写などスリルにあふれています。男優2人の味わい深い表情と演技があってこその作品ですが、虐殺の恐怖を後方に置いたことでかえって浸透しました。
●感想
当初着想自体が荒唐無稽に思えましたが、2人の“隣人”による巧みな演技に、ひょっとしてと惹きつけらました。
ポルスキーが隣人を偵察してヒトラーと一致する特徴を一つ一つ確認し、独りで大騒ぎする前半はドタバタ喜劇になっています。そこから孤独な老人同士が奇妙な交歓を重ね、やがてハルツォーグの正体が分かってさらに転調。ナチスが残した傷痕という普遍的テーマもきっちりと破綻なく作られて、安心して楽しめました。
ハルツォーグの代理人女性がもう少し絡むと、奥行きが増したのではないでしょうか。 ところでポルスキーの探査は、パンツを下ろさせてハルツォーグの金玉が2個揃っているかどうか確認するほど徹底していていたのです。
それでハルツォーグの気が変わったのか、モサドが突然調査にやってきて、ハルツォーグを拉致するつもりだと話しかけてきたとき、ハルツォーグを庇おうとするところが一番良かったです。二人の間に生まれた絆の強さを感じました。
前立腺
境界線の一件はダンツィヒ回廊、犬(初代)はゲシュタポを思い出させ、親衛隊国家保安本部長官と同姓の人物まで登場してマレクの疑惑や苛立ちを刺激し続ける。頭に来てユダヤ人組織にチクりたくなるのも当然だ。が、実は…
独裁政権による人生の狂わされ方は様々だが、インサイダーの中にも被害者がいた事をきちんと描くバランス感覚が良い。
「おやくそく」の総統閣下お怒りシーンは残念ながら(?)ありません。
Vendetta
年一ペースで劇場にお呼ばれするヒトラーが隣人なんじゃ?と疑ってかかるコメディで良い切り口だなーと思い鑑賞。
隣人としての仲を深めていく様子はとても微笑ましく、チェスを好むという共通点でヒトラーかどうかを探る様子だったり、酒に溺れてベロンベロンになった状態を介抱したり、その内自分の身の上話をし始めたりと、警戒しながらも距離を詰めていってて面白かったです。
ヒトラーの筆跡を取りたいからチェスをしようと持ちかけたら、「チェスが終わった後に書いてやる」と言われ、「チェスやる前に書いてくれ」と言ったら、「分かった、チェスをやった後に書いてやる」と押して押されてのシュールなコントを見せられているようで楽しいシーンでした。
その後のチェスが終わった後に書くのかと思いきや、タイプライターでの打ち込みだったりと思い通りにいかない展開もとても良かったです。
良い隣人になってきたな〜と思っていたところに茶々が入るのもお決まりで、飲みにきた人たちが思いっきり総統万歳!なんて言っちゃうもんだから疑惑が確信へと変わってしまうスリリングな展開もやってきました。
ヒトラーのタマタマが1つという情報頼りにズボンを脱がせて確認して、タマタマが2つあることに泣き崩れる様子は当人たちにとっては極限状態の出来事なんだと思うんですが、いかんせん下半身モロ出しのおじさんと近くで泣いてるおじさんという絵面を見せられてるもんですからつい笑ってしまいました。
本当のヒトラーだったとか、全くの別人だったとかのオチなのかなと思ったら影武者だったというオチはちょっと予想してなかったので、一本取られたわ〜と思いつつ、そこからの展開もヒトラーの影武者になるために腹の肉を切られながらも生活していたというゾッとする過去が挟まれ、それと同じラインで戦争で家族を亡くしたマレクの悲しい過去もやってきて、2人が同じ時代に味わった苦痛を共有する事でまた違う距離の詰まり方になっていたのが少し面白かったです。
短い期間だったとはいえ育んだ友情がサラッと別れに繋がってしまう切ない展開には心がキューっとなりました。
ヘルツォークにとっては良く起こりうる事だと思うので、少しだけ寂しそうでしたが慣れていましたが、距離が近づいていたもの同士、言葉には出さないだけで寂しさはビシビシ伝わってきました。
鑑賞日 7/26
鑑賞時間 15:40〜17:30
座席 D-3
ヒトラーはタマ1つだったの?
家族と仲良く写真を撮るポルスキー、この家の隣に怪しい奴が引っ越してくるのかと思ったら、コロンビアで一人暮らしに変わっていた爺さんのポルスキー。ある日不動産関係の事で隣の事を聞かれたが無視。すると隣の犬がやってきて黒バラを食べ、糞を残して去っていった。腹の立ったポルスキーはお隣さんに苦情をぶつけた。えっ!この人、ヒトラーに似てるかも。もしかしたら本物かもって思って探り始める。とにかくこの犬、やけにうるさかったな。何でそんなに怒ってんだよ〜!
ポルスキーが探る為にヘルツォークと接する事が多くなる。2人でやるチェス、楽しかったよ。このまま友情が進んでいったらよかったのに。あら、ヒトラーって絵が上手かったの?知らないわ。
ナチスによって家族を失ったポルスキーがヒトラーを許せない気持ちは分かる。でも証拠探しの為に空き巣をするのはちょっとな。分からなかった事が1つ、卵の殻って植物の栄養素なの?
ラストになって真実が明らかになる。タマが2個だったみたいな。自分としてはヒトラーについての情報なんて何も知らないので嘘か本当かなんて全く判断できなかったけどね。ずっと爺さん2人のやり取りが面白かった。役に立たない役人達もね。
境遇
106本目。
コメディかと思ってたら、この流れでは作品全体でそれは出しにくい。
年寄りの冷や水、ヒヤヒヤしたりもするけど、ユダヤ人、ドイツ人、戦火においての二人の境遇。
作風からすれば、血生臭いエンディングは考えづらいなと思ってたんだけど、落とし所としては、お見事と思う。
2人の悲しいおじいちゃん
コメディぽい予告から、ヒトラーをテーマにコメディって複雑な気もしていましたが、コメディではなくしっかり悲しさのある作品でした
序盤はわりと軽めのストーリー展開、ラストは2人のおじいちゃんのそれぞれの抱えてきたものが悲しすぎました
立場の違う2人がヒトラーによって人生を台無しに
あんなラストにならず、2人あのままあの土地でチェスをする関係になれてたら良かったのに
でも、ポルスキーの目からはひたすら悲しさが伝わり、ヘルツォークの目はギラギラしたものを私は感じて、孤独で悲しさを抱えてきた人生でも全く違うように思いました
それを伝えるこの2人の俳優さんの演技は素晴らしいと思います
観終わって心に何かの感情が残る作品でした
【“怪優ウド・キア、ヒトラーを演じる?の巻。”今作は、現代でも巷間で密やかに囁かれているアドルフ・ヒトラー生存説を基に、想像豊かに展開されるストーリーが面白可笑しく、且つ少し切ない逸品なのである。】
ー ご存じのように、アドルフ・ヒトラーは、1945年4月に終末が近づいた事を悟り、愛人エヴァ・ブラウンと自室で拳銃自殺したとされている。
だが、ヒトラー自身の遺書により遺体は焼却はされ、その遺体を西側が確認していない事から、今でもヒトラーの生存説、特に、南米への逃亡説が囁かれているのである。-
■1960年、南米コロンビア。
ホロコーストで家族を失ったポーランド人のポルスキー(デビッド・ヘイマン)は、町外れの一軒家で、家族が愛した黒い薔薇を庭に植え暮らしている。
彼の腕には、収容所に入っていた事を示す数字の刺青が入っている。
そんな彼の臨家に、ドイツ人ヘルツォーク(ウド・キア)が引っ越してくる。
夜でもサングラスをかけ、髭もじゃの怪しい風体のヘルツォーク。ある日、ポルスキーは彼の灰色がかった青い目を見てしまい、愕然とする。そして、ヘルツォークをヒトラーと確信した彼は、日夜彼を観察し、ヒトラーである証拠を集め始めるのである。
◆感想
・ポルスキーが、ヘルツォークの愛犬が自分の庭にした糞を、フン然として持って行くシーンが可笑しい。彼はその糞を、アルゼンチンに逃亡していたアイヒマンが捕まった事を伝える新聞にくるんで持って行くのである。
ー アイヒマン逮捕については「アイヒマンを追え!」に詳しく描かれているが、彼はナチス残党と共に1960年当時、ブエノスアイレスにいた所を、イスラエルの秘密警察モサドにより摘発され、処刑されている。-
・今作が面白いのは、そのような事実に基づきヒトラー生存を信じた男ポルスキーが、図書館でヒトラーの性格や人となりを調べて行く姿である。
1.ヒトラーは左利き。
2.ヒトラーは癇癪持ち。
3.ヒトラーは絵が好きだったが、美術学校には入れなかった。
4.ヒトラーが好んで描いた絵は、朽ち果てる寸前の家。
5.ヒトラーは、酒は飲まないし、煙草も吸わない。
6.ヒトラーは〇〇が一つしかない・・。クスクス。
・・・1.2.以外は知らなかったなあ。
それにしても、ポルスキーが、ヘルツォークの○○をしげしげと見るシーンは、可笑しかったなあ。
そして、彼はヘルツォークは実はヒトラーではないのではないか?と思って行くのである。
■だが、ポルスキーは徐々にヘルツォークとチェスをし、その際にガブガブと酒を呑む彼に、興味を持って行くのである。
この時のヘルツォークを演じる怪優であり、名優でもあるウド・キアが魅力的なのである。
ポルスキーがヒトラーと言う怪物だと思いこんでいたヘルツォークが、犬を愛する人間味ある姿。
■クスクス可笑しくも沁みるのは、実はヘルツォークがヒトラーの多数居たという替え玉の一人だったという事が分かるシーンからである。
替え玉の多くは亡くなり、ヘルツォークも体重を落とすために身体の一部を削ぎ取られたり・・。
その過去がヘルツォークの哀しみを讃えた灰色がかった青い目であり、替え玉であるが故に親しい友人も居なかった彼が、ポルスキーとチェスを指す喜びの顔であったのである。
<そして、ヘルツォークはヒトラーの替え玉という事で、秘密警察に感づかれ、ポルスキーの隣から去って行くのである。
その際にポルスキーがヘルツォークに渡した、彼の家族が愛した黒い薔薇を花束にして渡すシーンはナカナカである。
今作は、序盤はややミステリー要素を絡めながらも、ユーモアと哀愁を絶妙に塗した逸品なのである。>
お色気もあるの?
ヒトラーと疑わしいお隣さんのマネージメントしている人なのか、お目付け役なのかわからないが、カルテンブルナー夫人と呼ばれる人が強烈。
言葉こそ丁寧だが、ボリュームあるボディと目鼻立ちがハッキリした顔でゴリゴリ、プライベートゾーンに踏み込んでくる。お隣さんは、このご婦人に頭が上がらない。なので、お隣さんの正体は、なんとなく想像がつく。
主人公一家がナチスから受けた惨劇は、会話の中でさらっと語られるが、誠実な隣人に裏切られた過去が、奇妙な隣人との関係に影をさす。
まあ、なんともいい感じのところに着地でございました。
被害者
引っ越してきた隣人をヒトラーでは?と疑うポーランド人男性の話。
1960年、コロンビアの郊外で余生を過ごすポーランド人宅の隣家に素性の知れない短気なドイツ人が引っ越してきて巻き起こるストーリー。
思い出の黒いバラを荒らされて、さらにはそれが植わっている場所のことでトラブルになって、素顔がみえたら死んだ青い目がっ…!!
ドタバタ気味のコメディで、隣人を探り近づき気づけばチェス友!?
みつけて何がしたい?は流石にヒトラーに対してはキレイ事すぎませんか?とは感じたけれど、言いたいことはまあわかる。
なかなかブラックなユーモアも織り込んだ悪ふざけと人情の物語で面白かった。
チェスに関する知識があるとかなり有利?
今年270本目(合計1,362本目/今月(2024年7月度)33本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「台北アフタースクール」→この作品「お隣さんはヒトラー?」→次の作品「」←テアトル梅田予定)
大阪ステーションシネマに移動してこちらの作品。なぜかこの作品、放映時間が極端に偏っているんですよね…。
ナチスドイツを描いた映画としては、いわゆる収容所問題のドキュメンタリーやそれに準じるものと、この映画のように「ヒトラー逃亡説」のような一種のネタを扱う映画とに大きく分かれますが、後者です。後者に関してはやはりナチスドイツの行った政策の性質上、そんな映画やるのはけしからんというのはあると思いますが、最大限それでも思想良心の自由や表現の自由は尊重されるべきではあります。
※ まぁ、同じ映画館で(旧シネリーブル梅田(現テアトル梅田))で、一方で収容所ものを放映しつつ、向こう側のスクリーンでは「もしヒトラーと東条英機が生き残っていたら、というifものでひたすらバトルする映画」という謎の組み合わせはさすがにアレかと思いましたが…(2021年ごろのコロナ事情での混乱期であり仕方がない)。
ネタバレに関してはすでに書かれている通りですしそれを書いても仕方がないので…。
ヒトラー自身に限らず当時のドイツではチェスが多く遊ばれていたのは事実で、この関係でチェスに関する語が多く登場します。なかにはチェス用語ばかり出てくるシーンがあるので(将棋から類推ができる部分はないわけではないが、別のゲーム)、そこがちょっと厳しいかなといったところです。もう一つ、場所がら、「ドイツ語」「南米スペイン語」「英語」「ヘブライ語??」と最低4言語出てくる珍しい映画で(最後のヘブライ語?は少な目だが、残りの3つはほぼ等分の割合で出てくる)、結構展開を迷わせてくるなといったところです。
結局のところ、誰であろうが、あるいは逃亡していようがいまいが、「どこに住むか」というのは本人の自由であり(密航などのケース除く)、それを行政が「あなたは犯罪の嫌疑があるのでここには住めません」とは基本的には言えません。少なくとも日本では、です(日本のいわゆる地下鉄ガス事件のあと、その事件の末端の信者たちが事の重大さに驚いて引っ越しなどしようとしたら、「この宗教の方はこの市では住民票を受理できません」などとなって一時期社会問題となった)。このことは、程度の差がそれと大きくさらにかけ離れているナチスドイツのそれでも同様であり、「どこに住むか」といった基本的人権に関することまでどうこう言われる筋合いはなく(それは加害者を擁護するというより、人権の尊重を優先した場合のお話)、第二の筋としてはそれがあるのかな、といったところです。
もっとも映画の展開としてはあっと驚く急展開を見せるのですが…。ここはネタバレになるので回避しましょう。
採点に関しては特段気になる部分はないですが、チェスのコマの名前等も結構多く出てくるので、youtubeなどで「10分でわかるチェスのルール」くらいの動画を見ていればよいかなと思います。減点なしフルスコアです。
小さな物語 だが小さなカタルシスあり
本作は どう考えても目立たない小作品 だが カタルシスありそうな広報だったので観た
映画館スクリーン前には 騒ぎそうな 中学校・人組もいたが 静かだった。
ただ、中学生には本作の良さは受け止められないかも
ただし、これから未来のある君たち【上から目線】には中長期的には 元が取れる 費用対効果の高い作品
ただ今日時点では ツマンネかもな
ヒトラーの死骸自体は 掘り起こされたりして確認されてる模様
本作は まだ未確認だった時期の南米・コロンビア での 隣人との騒動の物語
【有料🈶パンフより 🈶有料パンフは 完全なネタバレはないが 途中までのネタバレあり
作品同様地味だけど 読みやすくて 費用対効果としては損は無いです 買う習慣の人はぜひ コラムが効いている】
愛と憎しみの対価性 回復 赦しと贖罪 ゆえのカタルシス
家のセットは作ったとのこと イスラエル🇮🇱ポーランド🇵🇱合作
奇妙な友情の物語 ぜひ劇場で スクリーンで確認して
まあ 小カタルシスといったところか
ヒトラーさんはすごいよな コメディ界にも他作を含め進出
この作品の予告編でも 極悪人 と呼ばれてるが 誰が どう考えても 悪のアイコンとなった 功績はある
個人的意見:完全無欠な極悪人であることに相違ないが ①最後までベルリンに留まって自分の始末したこと
②形なりとも最後に結婚式挙げたこと は ベクトル的には正しかった。
時間も短いので是非どうぞ。隣人は一体誰❓ユーモア&サスペンス❓
彼の置かれた立場は理解できるが、もう一段深い因果がないと、主人公の行動は理解しづらい
2024.7.27 字幕 MOVIX京都
2022年のイスラエル&ポーランド合作の映画(96分、G)
ヒトラーそっくりの隣人の正体を暴こうとするホロコーストの生き残り老人を描いたスリラー映画
監督はレオン・プルドフスキー
脚本はレオン・プルドフスキー&ドミトリー・マリンスキー
原題は『My Neighbor Adolf』で「私の隣人はアドルフ」という意味
物語は、1930年代の東欧にて幸せに暮らすポーランド系のポリスキー一家を描き、その後は1960年の南米へと舞台を移していく
ホロコーストにて自分以外の家族を失ったマレク・ポリスキー(デビッド・ヘイマン、若年期:Jan Szugajew)は、妻リリー(Maria Juzwin)が愛した黒バラを育てるのを唯一の楽しみにしていた
ある日、彼の元にヘルマン・ヘルツォーク(ウド・キア)の代理人と称するカンテンブルナー夫人(オリビア・シルハビ)が訪れ、隣家のことを尋ねに来た
マレクは関わりを持ちたくなく不愛想に接するものの、それが却って裏目に出てしまう
隣家との間にある柵の位置がおかしいと主張され、黒バラが育っていた場所は隣家の敷地だと言われてしまう
物語は、得体の知れない隣人と過ごすことになったマレクが敵意をむき出しにして接するものの、ある日の出来事を境に恐怖に慄くことになってしまう
それは、いつもサングラスをしている隣人の素顔が「かつてチェス大会で目撃したヒトラーそっくりだった」のである
マレクはイスラエル大使館に出向き、そこにいた諜報員(キネレト・ヘレド)に訴える
だが、ヒトラーはすでに自殺していると言われ、マレクは躍起になって、隣人がヒトラーであることを示そうと考えるのである
映画は、視点の変わったヒトラー映画で、南米に逃亡した説を基に作られている
後半にはあっと驚くとまではいかない真実が暴露されるのだが、それに対してマレクが感情移入をするのは少し違うなあと思ってしまった
隣人が置かれた立場と、家族に降りかかった悲劇はイコールなどではないので、彼があの行動に出てしまうのは微妙な感じに思えた
いずれにせよ、面白い試みで、緊張感のある内容なので楽しめるのだが、もう一段キツいオチを用意しても良かった
復讐をすれば心が晴れるとは思えないが、いまだに庇護にあって逃亡生活を送っているあたりが感情移入しづらい部分かも知れない
隣人が完全に関係が切れて、逆にネオナチなどに狙われているのなら話は変わると思うが、そこまで踏み込まなかったのは微妙かなあと思った
引っ越して来た隣人アドルフとの交流が始まった。
ホロコーストを生き延びたポルスキーは越してきた隣人に会った瞬間に気付いた。あの目は、かつてチェス大会で1度だけ見たアドルフの目そのものではないか。自分はあの邪悪な目を決して忘れない(ホントは映画では、たしか ”邪悪” なんて言ってなかったと思う ^^ )。
隣人のヘルツォークは、本で調べたヒトラーの特徴とすべて一致する。ポルスキーは隣人がアドルフに違いないと確信し、証拠を見つけようとする。しかし、確証を得られぬままに、チェスや酒での交流が続いていく。
ある日ポルスキーはヘルツォークに肖像画をかいてもらう。赤いバラを背景に優しそうに微笑むポルスキーが描かれている。
僕はこの場面で、この絵を見たポルスキーが「自分をこんな風に優しそうに描いてくれるヘルツォークは、もしかしたらヒトラーでないかも」なんて少し思ったんじゃないかと思った。「でも空のタッチとかヒトラーだしなあ」などとポルスキーも揺れる。
で、その直後の出来事でポルスキーと僕に衝撃が走る。
なんとポルスキーの仕事仲間 (?) が、帰り際に「総統万歳(ハイル ヒットラー)」と言って片手を前に捧げたのだ。
アッチョンプリケ、本物のヒトラーやんけ ( ̄□ ̄;)!!
この場面、結局ヘルツォークが偽物だったことから、仕事仲間のただのオフザケであったのが後から分かるのだが、僕はこの映画を、最後にはやっぱしニセのヒトラーでしたという話だと思って見てたので、実はホントにヒトラーだったというオチになるのかと思って驚いた。うまいミスリードにやられた。
ヘルツォークが本物である事実を目撃したと思ったポルスキーは大使館へ駆け込むが、責任者は全く信じてくれず、最後には口論になり出禁をくらってしまう。万事休す。
ところがヘルツォークはヒトラーでなく、ヒトラーの替え玉を強要されていたことが分かる。ドイツ人だけどヒトラーの犠牲者でもあった。
「隣人アドルフ」説の疑念もなくなり、これからは善き隣人としてお付き合いしていこうかという矢先に思わぬ横ヤリが入る。ポルスキーが持ち込んだ絵を鑑定した大使館が、ヘルツォークを監視するとポルスキーの家に乗り込んできたのだ。
そんなこんなで逃亡する羽目になったヘルツォーク。なんともアイロニカルな結果になっしまって残念である。
別れ際、ポルスキーは、かつて妻が育て今は自分が育ててきた黒バラをヘルツォークに贈る。ヘルツォークは新しい飼い犬とバラが植えてある土地を贈る。
いつか2人が再会し、この話を笑って話せる日が来ればいいのにと思わずにはいられない。そんな切なさを感じる物語だった。
黒薔薇の花言葉は「永遠の愛」「憎悪」
謎めいた隣人・ヘルツォークの登場を機にホロコースト生存者・ポルスキーが突入する、ナチハンターかくやの執念に満ちた追跡の日々を描いた作品。
コメディタッチで進む物語ではあるのだが、イスラエル発の作品かつ主人公の背景が背景だけに、笑いを狙ったシーンで笑っても良いのか判断に困った。
また、劇中のヘルツォークとポルスキーの関係の顛末、東欧に住んでいた時代のポルスキーと『良き市民』であろうとした隣人の関係の破綻を思うと、安易に「出会い方や生まれた場所さえ違っていれば…」とは言い切れない苦味を感じた。
作り手の意図と受け手である自分の間で歴史観や道義心に由来する温度差が生じる体験は、映画『オッペンハイマー』を観た時の感覚を思い出した。ノーラン監督が日本向けに語ったインタビューと『オッペンハイマー』本編との間で感じた温度差に、自分は敗戦国と戦勝国の戦後感の違いを感じ、本作でもそれと再会した。
ポルスキーが一線を越えたなりふり構わない捜索方法をとる点やヘルツォークの正体と彼の行く末として設定されたものを見るに、一度でもあちら側にいた者には重い枷も止む無し、という前提があるのだろう。
大味なコメディ風味で始まった物語ではあるが、失ったものが戻りはしないこと・行ったことが取り消せはしない人生のシビアさをきっちりと示し、メインの二人が背負ってきた痛みや業を簡単に払うことなく〆る渋い物語だった。
とはいえ、痛みや業を背負った人生であっても、生きていてこその出会いや刺激である。この短い奇妙な交わりが、ポルスキーとヘルツォークの中でネガティブなだけの思い出としては残って欲しくないと感じた。
花言葉には諸説あり、国や地域によっても異なります。
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