「コメディ作品(しかも下ネタ満載)。それでも高く評価したい!」お隣さんはヒトラー? TRINITY:The Righthanded DeVilさんの映画レビュー(感想・評価)
コメディ作品(しかも下ネタ満載)。それでも高く評価したい!
第二次大戦終結から15年、コロンビア郊外で独り暮らしを続けるポルスキーの隣に、いわくありげな老人が越してくる。
転居早々、越境してきた隣家の飼い犬に大事な薔薇を荒らされたうえ、「落とし物」までされてフン慨したポルスキーは、「証拠物件」をその日の新聞に包んで抗議に出向く。そこで初めて目にする隣人ヘルツォーク(ニュー・ジャーマン・シネマの巨匠に配慮したのか、劇場版の字幕は異なる表記に)の沈んだ青い目と他者を拒絶する不信に満ちた眼差しに、忌まわしい人物の記憶と過去のつらい経験が蘇る。
ウンの悪いことに、ウ〇チを包んだ新聞はナチスの大物アイヒマンが南米で捕縛された記事を大々的に報じていたため、ポルスキーの疑惑は確信へと変わっていく。
かくして、ウ〇チまみれの当日の新聞は、ポルスキーの手元に保管されるウン命となる。
本作品は、ホロコースト生存者やナチハンターなど、重くなりがちな題材を扱いながら、のっけから観る側の多くに、この映画をコメディとして観るよう、作り手が求めていることを再認識させる。
第二次世界大戦の最大の犠牲者は?と問われれば、何と答えるべきだろうか。
民族という観点なら、推定600万人もの命が犠牲になったユダヤ人と答えても議論の余地はないだろう。
では、国家としての最大の犠牲者は?
少なくとも大西洋側に限っては、やはり全人口の1/5に相当する600万の人命が奪われ、都市を徹底的に破壊されたポーランドでは?─そう考えたくなるが、世界中にはナチスドイツのホロコーストに協力した加害者としてポーランドを非難する声は少なくない。積極的に加担した者も存在しただろうが、多くは「関心領域」(2023 ポーランドほか)でヘス夫人に「あんたも灰にしてやるから」とすごまれるメイドのように否応なく従わされるケースがほとんどだった。
ヒトラーがポーランドに侵攻した一番の理由は、ユダヤ人が同国に集中していたからだと言われている(ポーランドの犠牲者の半数に当たる300万人がユダヤ系だった)。ポーランドが他の欧州諸国に比べユダヤ人に寛容だった結果だが、両者の関係はヒトラーのせいで修復困難なまでに引き裂かれたまま、今に至っている。
加害者呼ばわりされる過失がポーランド側にまったくなかった訳ではない。
戦後、運良くホロコーストを生き延びたユダヤ人が戻ってみると、家や土地がポーランド人に占有されており、衝突に至ったケースは非常に多く、流血や殺人事件にまで発展したものも少なくない。「イーダ」(2013 ポーランド)や「家(うち)に帰ろう」(2017 スペイン、アルゼンチン)は、この際の出来事を作品の題材にしている。
ユダヤの人たちがこの件を快く思うはずもなく、彼らの憎悪が世界に拡散された結果、古くからあるポーランド人差別が今なおはびこる一因になっている。
そして、その傾向が顕著なのがハリウッドを中心とする映画業界なのである。
ポーランド人(またはポーランド系)と登場人物の出自をさらしたうえで、悪人や間抜けなキャラクターに仕立てる映画はかつていくつもあったし(「ゴーストバスターズ2」(1989 米)のヤノシュはその典型)、近年露骨な作品は減ってきたが、オスカー(外国語映画賞)を獲得した「サウルの息子」(2015 ハンガリー)は寓意的ではあるものの、ポーランドへの憎悪剥き出しに描かれている。
「サウルの息子」ほどではないが、同じ賞を獲得したヒット作「戦場のピアニスト」(2002 仏・独・英・波)もポーランドを好意的には描いていない。
主人公であるポーランド在住のユダヤ人ピアニストは、ドイツの侵攻後、ナチスの魔の手をからくも逃げ延び、終戦後、何事もなかったかのように優雅にピアノを弾く場面で映画は幕を閉じる。
ドイツが撤退したあとのポーランドは、平穏を取り戻した訳ではない。ナチスの黒い鉤十字の支配から、ソ連の赤い共産支配へと、地獄の色が変わったに過ぎない。
同作の続編ということではないが、巨匠アンジェイ・ワイダ監督の遺作「残像」(2016 ポーランド)とは時間的な連続性があり、同作品では自由が抑圧された政権下での表現者の悲劇が綴られている。
ワイダ監督が名作をいくら世に放ってもオスカーに手が届かなかったのは、彼がポーランド人だからで、その背景には、アカデミー会員の多数を占めるユダヤ人の意向がはたらいていたという話は、都市伝説よりも信憑性を帯びた噂として長く信じられてきた(ワイダ監督は2000年に個人として栄誉賞を受賞)。
実際、「コルチャック先生」(1990)を発表した際には、ユダヤ系のジャーナリストから「事実をフィクションにすり替えようとしている」という趣旨の非難を浴びている(作品のラストシーンが問題視されたが、はっきり言ってイチャモンである)。
映画「お隣さんはヒトラー?」は、ナチスによってもたらされた不幸な記憶を呼び起こす内容でありながら、ポーランドとイスラエルの合作によって成し遂げられている。
このことは、「意外」とか「画期的」などという単純な言葉では言い尽くせないほどの重要な意味を持っている。「歴史的快挙」という言葉で語っても、決して大袈裟とはならないだろう。
前述のように、「戦場のピアニスト」や「サウルの息子」がオスカーを受賞して以来、ナチス関連の題材を扱うことは、言葉は悪いが、賞獲りレースのツール化してしまっているきらいがある。
この作品も同様のテーマを用いながらも、気負ったところがまるで見受けられない。それどころか、放尿シーンやウ〇チにキ〇タマなどと下ネタ満載で(ヒトラーってほんとに片キンだったの?!)、アカデミックに仕上げようとする気概すら感じられない。
劇中のイスラエルの機関は当初、ヒトラーの生存説を相手にせず、呑気というより牧歌的ですらあった。だが、ターゲットがナチスの関係者だと知るや俄然、行動が迅速になる。詳しくは語られないが、ヘルツォークは既にリストアップされて逐われる身だったのだろう。冒頭の彼の眼差しの険しさは、それで説明が付く。
彼自身の口から語られる、ヒトラーのボディダブルとしての人生は悲惨の極みである。
体格維持のために食事もまともに与えられず、恋人を失い、アイデンティティーさえ奪われる。ヘルツォークもまた、ナチスの被害者である筈なのに、ナチハンターはそんなこと斟酌してくれない。彼の逃避行はいつまで続くのか。ヘルツォークの悲劇性は、ナチスドイツに蹂躙されながら加害者として非難され続けるポーランドのメタファーにしか見えないが、イスラエル(ユダヤ)の人たちが抱く歴史観とは相容れないものだろう。
監督のレオン・プルドフスキーはロシア出身のイスラエル人。こんな映画を作れば本国から批判されることは承知の筈。
ただでさえコメディ仕立てにしたことで、「JOJOラビット」(2019 米)と同じく不謹慎と批判されることは目に見えている(しかも下ネタ満載)。
それでも自分はこの作品を高く評価し、喝采を贈りたい。
ポーランド・イスラエル両国合作のこの作品が、未来への新しい方向を示していると信じているから。
「いつも通り」と言い残して行方を晦ますヘルツォークは、愛犬ウルフィを殺したポルスキーに二匹目の犬を託して去って行く。
二人の間でどんなやり取りがあったかは一切描かれないが、おそらく意図的に語らなかったのだと思う。
作り手は、今度は観る側それぞれに、このラストシーンの解釈を問うているのだ。
同じジャーマンシェパード種なのに、攻撃性剥き出しで主人にしか懐かなったウルフィと違い、二匹目の犬は極めてフレンドリー。決めつけや偏見からは正しい答えは出ないのだと思う。