「お隣にやってきたヒットラーは本物かどうか、ネタバレが意外な真相で面白かったです。」お隣さんはヒトラー? 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
お隣にやってきたヒットラーは本物かどうか、ネタバレが意外な真相で面白かったです。
歴史に、「if」はないけれど、アドルフ・ヒトラーの「南米逃亡説」をモチーフに、実際に起こり得たかもしれない世界線を大胆なアプローチで描いた、ナチス映画の新たな系譜が誕生しました。これが長編第2作となるレオン・プルドフスキー監督がメガホンをとった作品です。
●ストーリー
1960年の南米・コロンビア。第二次世界大戦終結から15年が経過し、巷ではアルゼンチンで逃亡生活を続けていたアドルフ・アイヒマンが拘束された記事で賑わっていた。ホロコーストで家族を失い、ただ一人生き延びたポルスキー(デビッド・ヘイマン)は、コロンビアの片田舎に移り住み、妻が生前愛した、黒バラの手入れを日課にし、チェスを趣味にしながら日々を穏やかに過ごしていました。
世間でアドルフ・アイヒマンがモサドに拘束された事件が話題となっていたころ、彼の隣家に、そんな老人の隣家に越してきたのは、ドイツ人のハルツォーグ(ウド・キア)でした。
ハルツォーグの飼い犬に黒バラを荒らされ、猛抗議に行くと、彼のサングラスがずり落ち、鋭い眼光から雷に打たれたような衝撃をポルスキーは受けます。それはヒトラーの青い瞳そのものでした。それを見た瞬間、ポルスキーはハルツォーグが15年前に56歳で死んだはずのアドルフ・ヒトラーだと確信します。
ポルスキーは痴癩(かんしゃく)持ち、絵画好き、左利きなどヒトラーとの共通点を1つずつ洗い出し、ヒッチコックの「裏窓」のように隣人の監視を始め、大使館に訴えますが信じてもらえません。ならばと、カメラを購入し、ヒトラーに関する本を買い込み、自らの手で証拠を掴もうと行動を開始します。
やがていつしか互いの家を行き来するようになり、チェスを指したり肖像画を描いてもらったりと交流を深めていき、2人の距離が少し縮まったように見えました。
そんなある日、ポルスキーはハルツォーグがヒトラーだと決定的に確信する場面を目撃するのです。
●解説
ヒトラー南米生存説をモチーフにしたナチス、ホロコースト映画の意表を突く作品です。
前半は頑固な老人同士のコメディーを前面に押し出しました。ハルツォーグの意外な正体をゆっくりと明らかにしていく後半は運命と哀惜をユーモアで交ぜ合わせた演出が巧みです。愛犬やバラの花、チェスなど2人の関係をつなぎとめる小道具を巧妙に配置し、贖罪(しょくざい)と許しを背景にしつつうっすらと情感を揺さぶってくるのです。
加えて、2人の俳優の巧妙な間が物語のアクセントに。ポルスキー役のデヴィッドーヘイマンと、隣人役のウド・ギアによる名優対決の緊張感が、終盤に向かうにつれて、物語にダークなユーモアを醸し出します。ヒトラーが好んだブルックナーの交響曲が流れる中、チェスを囲む2人が、少しずつ心の手の内を探り合う描写などスリルにあふれています。男優2人の味わい深い表情と演技があってこその作品ですが、虐殺の恐怖を後方に置いたことでかえって浸透しました。
●感想
当初着想自体が荒唐無稽に思えましたが、2人の“隣人”による巧みな演技に、ひょっとしてと惹きつけらました。
ポルスキーが隣人を偵察してヒトラーと一致する特徴を一つ一つ確認し、独りで大騒ぎする前半はドタバタ喜劇になっています。そこから孤独な老人同士が奇妙な交歓を重ね、やがてハルツォーグの正体が分かってさらに転調。ナチスが残した傷痕という普遍的テーマもきっちりと破綻なく作られて、安心して楽しめました。
ハルツォーグの代理人女性がもう少し絡むと、奥行きが増したのではないでしょうか。 ところでポルスキーの探査は、パンツを下ろさせてハルツォーグの金玉が2個揃っているかどうか確認するほど徹底していていたのです。
それでハルツォーグの気が変わったのか、モサドが突然調査にやってきて、ハルツォーグを拉致するつもりだと話しかけてきたとき、ハルツォーグを庇おうとするところが一番良かったです。二人の間に生まれた絆の強さを感じました。