プラットフォームのレビュー・感想・評価
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予想外に面白かった
まずグロいし人を選ぶ作品だと思います。
合わない人はとことん合わないハズです。
「縦に何キロの建物だよ」「何で禁煙でここに来る必要あんの?」とか理論的に考えたら途端に楽しめなくなるので、頭空っぽにして見なきゃ負けな映画だと思います。
そもそもあの移動する食卓宙に浮いとりますんでw
吹き替えの「明らかだ」の言い回しが良かったし、終盤助けた黒人と連帯感や結束が生まれたのが中々盛り上がって良かった。
一番上の階より、台に乗って安全に上に上がれる最下層の方が実は当たりなんじゃないかな。
見終わった後で一部の人々が富を独占する実社会を風刺してた映画だと知ってまた良かった。
その風刺の意味ではあの終わり方で良かったんだと思う。努力しても報われないがきっと一矢報いたんだと思う。
ひどくエグい。感心する示唆もない
ひどくエグい。始めの方で観るのをやめようかと思ったくらい。仕掛けや展開に期待して最後まで観たが、そのエグさをひっくり返すほどのものはなく、なるほどと関心させられることもまったくなかった。それどころかガッカリしてしまったのは、333階層で子供が生きていたこと。この子供は一体どうやって生きていたの?・・・何これ? この謎の施設の事実上の大前提ー食料が得られなければ同層の人間を食わねばならないーが完全に崩れてる・・・。
結局、謎がほとんど解決されないし、現実社会の比喩かどうかもよく分からないので、エグいものを見せられて終わった感じ。よく考えれば、何か示唆があるのかもしれないが、最後に向かってぐだぐだになって、考える気がしない。
なんで?なんで?の連続にゃ
そもそもその建物になに?
入る人は犯罪者もいれば、希望して入る人もいるってなに?
すごい豪華で三つ星級の食事を作る理由は?
この建物の目的何?
子供はなんでここにいたの?
殺人はOKなの?
もともとここで働いてた女の人、ここに入る前に
もっと説明受けててもよくない?
主人公も禁煙目的できたけど、いつ出られるとか聞いてないの?
いやでも面白かった。
不条理たっぷり。人間から余裕なくしたら、こんだけひどいっていうのを
これでもかと見せつける。
なんで??と疑問がいっぱいだから
「2」も観たくなる。
しかし、レビューの平均点は低い。
1か月ごとに階層が変わる超運ゲー
ルールがシンプルで設定が面白い。
1か月ごとに階層が変わるので超運ゲー。上層から下層に行ったときの絶望感が半端ない。パートナーも変わるので「次はどんな相手なんだ!?」と飽きずに楽しめた。
人肉バリボリ、グロシーン炸裂。
グロシーン多いけどだんだんと慣れてきた。自分は進撃とか鬼滅とか食われる系好きだから何ともなかった。耐性ない人はキツイかも。主人公がじいさんに食われそうになるのはヒヤヒヤ。ミハルがグッドタイミングで台に乗って登場するとは思わなかった。ミハルが居なかったら序盤で主人公が死んで映画終わってたね。
ミハルの素顔は美人。
ミハルは血まみれ特殊メイクで怖かった。鑑賞後、素顔が気になり検索したら美人でビックリ。主人公とのセクシーシーンは意味ありげだったけど何だったんだ。現実になってミハルと主人公が良い雰囲気になると思ってた矢先、ミハルが殺されちゃったから残念。
社畜の私もプラットフォーム。
与えられた物も食って寝るの繰り返し。これって日常生活と似てる。クソみたいな給料もらって、そこそこの飯を食う。その飯に満足してる内は、上には行けず幸せになれないんだろうな。クソみたいな日常を変えたければ、考えて行動を起こすべき。主人公からそう学んだ。
不快なだけ。少なくとも、Part2は『神への冒涜』
本能だけで生きる生物であっても『共食い』をする生物は、特殊だと先ずは理解すべきだと思う。
それで『子宮にしずめる』を見れば、この映画のちゃちい哲学が露見する。
つまり、なぜ分かりにくいか?
人間の日常の食欲や性欲を生物が元来持っている『生きる事の本能』と混同してしまっている。そこが間違いの出発点で、あとはグロさをキャッチーな絵柄とているだけ。そして、曖昧でありきたりな感情で締め括る。それは続編へ繋ぐ為の姑息な表現と直ぐに分かってしまう。まぁ、映画として最低な手法だと思う。Part2を観たい特殊な方人もいる事でしょうが。僕は時間がないので、これにて一件落着にしたい。
奇抜なシチュエーションで描かれる社会の縮図
巨大な構造物の中に閉じ込められ、他人の食べ残しを食べて生きる事を余儀なくされるシチュエーション・スリラー。
主人公ゴレンが目覚めると、そこは“第48層”という中央に長方形の“穴”が開いたコンクリート製の無機質な部屋。同室に居るのは、トリマガシと名乗る施設の構造に詳しい老人の2人きり。部屋は上から下まで何層にも続いており、食事は上の階層からやって来るプラットフォームという台座に乗った、上の階層の人々の食べ残しのみ。
この極限の状況下で生活する中で、ゴレンは次第にこの世界の仕組みに順応していく。
シチュエーション・スリラーと言えば、『CUBE』を連想する人は多いだろう。だが本作は、理不尽さや不条理さはそのままに、より風刺的に人間社会の持つ病理を可視化して見せてくる。
❶可視化された世界の構造
この巨大な構造物は、元職員であるイモギリによると垂直自主管理センター(VSC)と呼ばれているらしい。建物が地上にあるのか地下にあるのかは分からないし、最下層(あの暗闇)は果たして第何層だったのか、食事を運んでくるプラットフォームの浮遊する原理など、様々な事が謎のままだ。
だが、シチュエーション・スリラー作品において、こういった荒唐無稽な構造物の理屈は重要ではない。
大事なのは、これは正に、我々の生きる世界の縮図だという事だ。この世に生を受けた瞬間、何処のどういった家庭に産まれ落ちたかによって、どの“階層”に居るかが決まる。最初から上層に居る者、下層に居る者。そこから上がる者もいるし、下がる者、あるいは更に勢いよく転落する者もいる。それは、冒頭の「3種類の人間がいる。上にいる者、下にいる者、転落する者」という台詞にも象徴されている。
プラットフォームに乗せられた豪華な食事の数々は、それ自体が飢えを凌ぐ為の栄養であると同時に、様々な利権の象徴にも思える。だからこそ、上の層の者達ほど最初に手を付けて自由に貪り食らう事が出来るのだ。
この食事の数々が、例え食べ残しですら「美味しそう」に見えるのが素晴らしい。観ていて無性に空腹感を覚えるのだ。そして思ってしまう「寄越せ」と。
この世界に翻弄され、順応し、洗脳されゆく登場人物達。そんな彼らの誰もが、我々の持つ様々な要素の代弁者なのだ。
❷ゴレン
ゴレンは、この過酷な世界に“認定証”を求めて自らやって来た。その認定証が外の世界でどれほどの効力を持つものかは分からないが、少なくともゴレンは、脱出後の世界でそれによって優位な生活を送れるようになる事を夢見て、欲を持ってやって来た。しかし、これ程までに過酷な環境で生活する事は知らされておらず、全てが彼の想定外であった。
規定により持ち込む事を許された唯一の私物は『ドン・キホーテ』の本。また、最初は世界の構造に疑問を持ち、上の層の者達に「食べ物を残してくれるよう」語り掛ける世間知らずさと、「皆が必要な分だけ食べれば、皆に食事が行き渡る」という公平さや優しさも持ち合わせている。
ゴレンが他の収監者達と違うのは、彼だけが唯一“本”を持ち込んだ事だ。本とは即ち“知性や理性”の象徴に他ならない。これまでの収監者が持ち込んだナイフや銃といった“暴力”の象徴とは正反対の物だ。
次第にこの世界のシステムに順応し、一度は仲間であったトリマガシに復讐を果たし、彼の肉を食らって生き延びる。しかし、構造物の真相に触れ、絶望して自殺してしまったイモギリや、神を信じ地獄からの脱出を試みるバハラトとの出会いによって、再びこの世界のシステムへの反逆を決意する。
ゴレンとバハラトは、途中で出会ったバハラトの師である賢者に「料理を作る“第0層”の人間達に、手付かずの料理を一つ送り返して伝言を伝えろ」と提案される。次第に凶暴化していく下層の収監者達と命懸けの戦いを繰り広げながら、送り返す料理のパンナコッタを死守する。
しかし、“第333層”に居た幼い少女を救う為、彼らはこれまで命懸けで守り抜いて来たパンナコッタを与えてしまう。だが、彼らの表情はまるで彼らこそが救われたかのような笑顔だった。
翌日、戦いの傷によりバハラトは失血死してしまう。残されたゴレンと少女は、最下層を目指して更に下へと下って行く。やがて、無限に広がる闇の中で、ようやくプラットフォームは停止する。トリマガシの幻影に促され、ゴレンは少女だけをプラットフォームに残し、伝言として上へ運ばれていく様を眺めて姿を消す(恐らく死)。
彼の行いは、特別な者だけが行える救世主的なものだろうか?いや、彼も一度は世界のシステムに順応した。生き残る為にトリマガシの遺体の肉を食べ、下層の者達へ言う事を聞かせる為に暴力だって用いた。ゴレンという主人公は我々観客と同じ普通の人間のはずだ。
だからこそ、我々にだって皆に平等に食事が行き渡るように戦う事も、幼い少女に食事を与える優しさを示す事も出来るはずだ。
また、ゴレンは自分を生き残らせる為に(あくまで自身が作り出した幻影が語る利己的な解釈)飛び降りではなく、首吊りを選択したイモギリの肉を食う事は最後までせず、自らが持ち込んだ本のページを破いて食してまで、欲望に理性で抗ってみせた。欲望を理性で制し、再び人間性を取り戻した瞬間だろう。
我々はどうだろうか?欲望を理性でどこまで抑えて、人間性を捨てずにいられるだろうか。
❸トリマガシ
この世界で1年近くも生活しているベテランの収監者。上層の生活も下層の生活も経験している彼は、時に人を食わねば生き残れない過酷な現実も理解している。システムに順応し、必要に応じた行動を取る姿は、我々と最も近い存在と言えるかもしれない。
彼は、下の層へと下っていく食事に唾を吐きかける。「何故、そんな事をする?」と問いかけるゴレンに「上の層の者達もしているはずだ」として、さも当然の事であるかのように非道な行いをする。しかし、実際に上の層の者達が食事に唾を吐きかけているかは示されていない。彼のやっている事は、あくまで「されているだろう」という被害妄想からくる仮想敵への復讐に過ぎないのだ。
彼は最初、第48層でゴレンと出会って食事した際、運良くワインが残っていたのを「禁酒主義者が多くて助かった」と考える。「もし上層の人々が残してくれていたのだとしたら?」とは考えもしない。
自分の中で膨れ上がった“見えない敵への悪意”を、彼は振り撒いている。それはまるで、現代のネット社会を見ているかのようだ。「誰が敵なのか?」「何の為の復讐か?」目的を見失い(そもそも、最初から見えていない)ながらも、「そうしなければ生きられない」という姿を彷彿とさせる。
❹ミハル
数日が経過し、次第にシステムに順応し始めたゴレンの前に、ミハルという“息子を探して”プラットフォームで下層へ下る女性が現れる。ゴレンは、作中唯一彼女の身を案じて、彼女に手を差し伸べる。
しかし、イモギリは「規定により16歳以下の人間は収監されない事」、「彼女に息子など居ない事」、「外の世界で女優を目指していたから演技している事」から、殺人目的の異常者だと切り捨てる。
果たして、彼女は本当に単なる異常者だったのだろうか?私には、彼女こそが、この構造物が示す世界のシステムの被害者の象徴に思えた。彼女が持ち込んだ物はウクレレ。楽器は音楽を奏でる為に存在するのであって、武器=暴力を持ち込んだ事にはならない。
彼女は度々、他の収監者の男性達に暴行を加えられそうになり、それらを返り討ちにしている。実は、彼女は自分に手を差し伸べてくれたゴレンを救う際以外には、一度も自ら進んで暴力を振るいに行った事はない(イモギリの持ち込んだラムセス2世を食べようとした事を除いて)。恐らく、他の収監者達の方が先に彼女を慰み者にしようと、欲望という悪意をぶつけたのだ。そう考えると、彼女の“息子を探す”という偽の目的にも意味が生じてくる。彼女は女優を目指していた。だから、「そういうキャラクター」を演じる事によって精神を保っていたのだろう。
収監者を食べる事を厭わないのも、あの世界のシステムに人間性を破壊されてしまったから。そう考えると、彼女を悪く思う事が出来ない。
❺イモギリ
かつてVSCの職員として多くの人々を送り込んできた。ゴレンの面接を行ったのも彼女である。しかし、職員である彼女ですら、最下層がどれ程の深層にあるのかを正しく聞かされておらず、「最下層は200層」「食事は個人個人が適切な量だけ摂取すれば足りる」という情報を信じ、末期癌で死ぬ前にシステムを改善しようとやって来た。
しかし、実際には“第202層”に送られた事で、想像を遥かに超えた地獄があると知り、またシステムの改善も不可能だと絶望して自殺してしまう。
この、「下には下がある」という絶望に、私は堪らなく共感出来てしまう。「今が人生のドン底。後は上がるだけ」と自分に言い聞かせながら日々を過ごしつつも、その先に更なる“下”がある事を知り、ある日その位置に立ってしまう。そんな終わりの見えない事に対する絶望感は、首を括ってしまうのも無理は無いと思えてしまうのだ。
それでも、ゴレンの見た幻影が語った彼女の言葉を信じるなら、彼女が飛び降りではなく首吊りを選択したのは、自分の肉を食べさせてゴレンを生き延びさせる為。聖書の引用も飛び出すあのシーンは、彼女が最後まで利己的ではなく利他的な思考の持ち主だった事を示している。だからこそ、ゴレンは彼女の肉を食らう事を拒んだのだろう。
❻世界を救うには
この世界のシステムを変える上で、“管理者”に訴えても無駄だと言う。賢者曰く「良心を持っていない」から。
この管理者とは神の隠喩なのだろうか?度々示される「神を信じるか?」という問いや、他の入居者の地肉を食べる事を、聖書のイエスの肉体をパンと葡萄酒に例えた事に準えて引用する様がそう思わせる。
しかし、我々がいくら神に祈ろうと、神は答えてはくれない。この“格差”は人間が生み出したものに他ならないのだから、それを解決するのは神ではなく人間達自身であるべきなのだ。
ゴレンは少女を救う為に伝言であるパンナコッタを差し出した。それは、紛れもなく利他的な行為。今まで自分も「生き残る為に」と行ってきた利己的な行為とは正反対の行いだ。ゴレンは知性と理性を持って誰かの為に行動する優しさを示した。
ラスト、ゴレンはトリマガシの幻影が言う「きっと伝わるさ」という言葉を受けて、彼と共に姿を消す。それは、役割を終えて次世代に未来を託す行為だろう。あるいは、あの少女そのものが「未来」の象徴だったのかもしれない。彼はそんな未来に「優しさ」という「希望」を託した。それこそが唯一、暗く先の見えない未来を照らす光なのかもしれない。
この「きっと伝わるさ」という台詞は、同時に監督からの我々観客へのメッセージでもあるだろう。我々は、目の前にある食事を「当然の権利」として貪り食らうか、未来の為に腹を空かせた誰かに差し出せるか?
監督が作品に託した思いを、私はちゃんと受け取る事が出来ただろうか?そう考えながら、エンドロールを見つめていた。
【一月毎に変わる縦構造の異様な建物の中で繰り広げられる食物ヒエラルキー。人間の悪性と善性と、如何に足掻こうとも運命には逆らえないというシニカルな内容を暗喩タップリに描いたSFシチュエーションホラー。】
■ある日、ゴレンは目が覚めると48階層にいた。
部屋の真ん中に穴があいた階層がはるか下まで伸びる塔のような建物の中、上の階層から
順に食事が“プラットフォーム”と呼ばれる巨大な台座に乗って運ばれてくる。
上からの残飯だが、食事はそれしかないない中、同階にいたトリマガシという初老の男に塔の構造やルールを教えて貰う。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ゴレンは48階で目覚めるが、その後171階、33階、202階、6階と食物ヒエラルキーを経験する。
ゴレンがその中で教えられたルールが面白い。
1.中に持ち込めるモノは一つ。ゴレンはドン・キホーテの本を持ち込む。
2.最上階で”プラットフォーム”の上には豪華な料理が載せられるが、当然下の階に行くにつれ、料理は無残な状態になり、無くなって行く。
3.食物をプラットフォームから取り出して貯蔵しようとすると、階の温度が急速に上がり、耐えられない状態になる事。
4.建物には16歳以下は入れない事。
・ゴレンは、それを教えられ、且つ自身で経験し理解していく。
・各階層で出会った人物も、トリマガシのように下層に行った際にはゴレンを縛り、その肉を喰らおうとするもの、6階で出会ったバハラトは持ち込んだロープで更に上を目指そうとするが5階の悪意ある男女により、縄を外されてしまう。
・ゴレンは、それを見てバハラトを説得し、食料を得られない下層の人達のために”プラットフォーム”上の食料を分割配布しようとするが・・。
<今作は、見る側に色々と推察させるような構造になっている。私は難しく考えずに素直に食料のヒエラルキーの中、人間の悪性と善性を描いた作品であり、如何に足掻こうとも運命には逆らえないというシニカルな映画ではないかと思った。
何にしろ、考えさせられる点では面白かったが、今一つ完全に納得できる回答には至らなかったし、何よりも映像がグロテスクで、且つ人間性否定のトーンに立った作品ではないかなと思ってしまったので、評点を3.5にした次第である。>
シンプルな設定ながらも見応えあり。
上の階層の食べ残しが上から降りてくる、というシンプルな設定だが、階層が1ヶ月で変わるということへの恐怖や、そこにいる人間に対する恐怖を描いた作品。
みんなで平等に取り分ければ皆が恐らく飢えないことは分かりつつも、そんなことをできるはずもなく、最下層の人々には全く食事が残らない。この辺は現実世界で裕福な人々と上に苦しむ人々へのメタファーではあるだろうね。
ただ、下層あたりでは死んだ人の肉を食ったり、そもそも殺して食ったりとなかなかにカオスな状況になる。
正直かなりグロいしキモいので、そういうのが苦手な人は無理。俺も無理なのでかなり飛ばし飛ばし見ました。
でも最後まで見たのは最後の結末を知りたかったから。
最後まで食べ物を残せば、管理者である上の人たちへのメッセージになる。それは確かにメッセージになりそう。
ただ、最後に子供を行かせたのは?16歳以下の子供は絶対に入れないようにしてるから?
てか、なんで子供が最下層333にいたのか?そしてなぜ生きてるのか。
その辺が謎すぎて、イマイチピンと来ませんでした。
ま、いいのか?
てか、そもそもあの机に乗って上に行けるなら、みんなそうしてるのでは?
考察見てからもう一回見たいけれど見たくない
Twitterで話題になっていたため視聴。
救われる系かな?と思ったけれどまぁ救いはなかった笑、一回いい思いをした分、階が下がって食料がなくなった時の絶望がすごい笑
施設に閉じ込められてるし環境が一ヶ月で変わるから苦しいけれど現実世界もわりとこういう感じよね笑
怖さで言ったら結構高かったし純度も良かったので星4で。視聴した方々の考察レビューも見てみたいなと思いました。
メッセージ性が強すぎて、私にはよく分からない
設定が面白がったので、観てみました。アマプラで。結構グロテスクです。
ちょっと設定を整理すると、
様々な境遇の人達が塔に閉じ込められ、上から降りてくる食事を食べる。ただし、食べられるのは上の階の人の残飯のみ。各層には2人。
食べ物を保管すると部屋が高温or低温になって死ぬ。
半年間、過ごすと認定書(?)が貰える。
って感じでした。
様々な人→人を殺した人、元ここの職員の人、自ら入った人、体が悪い人、息子を探す女性などなどでした。
個人的な感想としては、上の階にいる人は必要以上に貪って、中位階の人らは残ったものを奪い合って、下の階の人は同じ階の人から奪うって言う社会的なメッセージなのかなーって感じです。息子を探す女性も途中で殺されてしまうのですが、何のためのキャラクターなのか分からないです。
1番下の階が333階で、その部屋には何故か子供がいました。なんで生きているのかは不明。
この子が上のやつら(閉じ込めて食事を提供している団体)への伝言だ!みたいな空気で終わりますが、子供が希望だ!っていう安いエンディングにしか見えませんでした。どういう意味なんだろう?
ルール設定がなぁ…
訳の分からない状況に放り込まれて脱出する系の作品大好きなんです。
でもそれは、理不尽に放り込まれた人達を応援したり、攻略のルールがあるから面白いんですよね。
ところがこの作品は、
放り込まれた状況が自主的だったり犯罪者だったりと明確、
自業自得じゃーん。
月毎の階層決定も善行すれば上へとか、
全ての階層の人間に、決められた期間食べ物が行き渡るように過ごせれば全員解放、
とかのルールがあるなら施設の意味も分かる。
でも、結局任期満了しなけりゃ出られないなら、そりゃカオスになりますよね。
施設の目的が全然伝わらないのに、
「格差社会」とか「人間の業」的なメッセージ性がありそうな感じで描いてるのが鼻に付く、というか訳ワカメでした…
設定は面白いんだけどなぁ。
オチが少し…。
予告動画で「めちゃくちゃ面白そう!」となって観ました。
・この階層は「200」までしかないと告げた元職員の女性(2人目の同室者)。
しかし目を覚ますと202。自殺をした女性から階層が映されるシーンの絶望がとても良かった。
・バハラト(3人目の同室者。黒人)が可哀想。
主人公の行動で致命傷を受ける、250階層より下がある…。
まぁそもそも最初に助かることが出来たのが主人公のおかげではあるけど。
・子どもが333層まで何故生きられていたのかが分からない。
あの子は幻覚とかではないのかな?そして猛スピードで上がっていくのに
起きないのにちょっと笑った。
最後、「君は必要ない。運び手は必要ない」と言われ、トリマガシ(幻覚)と立ち去るシーンは良かったですが、物足りなさが凄かった。
でも観ていてドキドキそわそわはしたので★3。
とりあえずグロい
建物の仕組みは気になるけど
そこは置いておくとして
よくこんな話思いつくなと思いました。
凄いのは舞台
舞台の見せ方にこだわった結果
伏線回収がままならなかった感じの作品
なんか惜しい
神ではなく人へ伝える
果たして伝言は届いただろうか。
鑑賞後の印象はロブスターに似てる(あっちの方が目的は明確だけど)。
管理者の目的、建物の原理もハッキリとしない、自分のいる階層+上下1層ずつくらいが世界の全て。この盲目な感じが社会であり世界の風刺としてとても良くできている。
一番おぞましいのは行先を知らぬまま作り続ける料理人たちだ。
しかし気になるのは、あの階層でどうやって生き延…ry
これなんの施設?
豪華な食事を載せたプラットフォームが上の階から下の階へと移動していく。
食べられるのは上の階の者の食べ残しのみ。
下の階へいけばいくほど、食べられる食料は減っていく。
設定だけ見ると「CUBE」や「saw」のようで面白そうだったが、観てみると多くのメタファーを含んだ映画で結構難しかった。
次の月はどの階層へ行くか分からないという設定はJ・ロールズのいう「無知のベール」によく似ていると思った。
自分の産まれや社会的地位、経済的状況が分からない「無知のベール」に包まれた時、我々は誰にとっても公平なルールを望もうとする。
上層なら好きなものを好きなだけ食べ、下の階へ唾を吐けるが、下層に行ってしまえば飢えて死ぬような世界か、どの層へ行っても腹は満たされないが、餓死しない程度の食事にありつける世界を望むか。
それにしても、333階の少女は何者なんだろう。
パンナコッタを食べていたので幻覚などではなく実在したとは思うが。。。
333階の下の真っ暗な空間は地獄を表していて、主人公は老人を殺し、人肉を食ったので地獄に残り、少女のみが上に送られることになったとか?
じゃあ逆に0階は天国なのか?
メッセージを0階にいる神に送って現状は変わるのか?
何となく、何も変わらないような気がする
この施設、なにがしたいのかわからなさ過ぎる。
更生どころかどんどん性格悪くなっていきそうだし、死人もかなり出てる。
何のメリットがあって作った??
普通にイカれサイコ野郎が「殺し合いが見たくて作った」施設とかの方が納得がいく。
しかも、333階の人っていつでも帰りのプラットフォームに乗って上に行けるじゃん。。。。パンナコッタが残っていたら話は変わってくるが。。。。
オチが曖昧すぎるせいで、結局、何が言いたかったのか分からない映画になってしまっているのが残念
良い点
施設の設定が斬新で面白そう
悪い点
話をまとめきれていないと感じた
大便が降ってくるシーンは流石に汚い
蜘蛛の糸
中盤までなるほどなるほどとワクワクして観てたけど、
後半は宗教的要素が強くなりしんどかった。
でも、前半からこの穴のシステムの説明やら、
人間がその結果どうなるかの件はとても面白くて
惹きつけられた。
個人的にはそれはもう分かったから、何故これが生まれて
何のためにやってるのかまで知りたかった。
パンナコッタを残す事がメッセージ。
女性が言ってた連帯感と言う事なのかな?
協力し合う事が出来るって事だろうと思ったのだけど、
そのためにボコボコ人を殴り殺して行くのだから
隠しカメラでもあろうものなら、やっぱりコイツらダメだね
ってなるよなと思いました。
ラストの描写は今まで死んだ老人は赤い映像で出て来てたのに、現実のものとして描かれていたから、たぶん主人公は
死んだのだろうと思うけど、
何故女の子があそこにいたのかはよく分かりませんでした。
あの女の子は管理者が用意していたものなのかな?とも
思いましたけど、最下層から二番目の人が降りて女の子と
一緒に上がって来る可能性もあるだろうし、
と見終わってから色々考えてしまいました。
管理者的には1人でも弱者を助ける者がいれば良かったのかな?
僕ならどうしていただろう…
現代社会の縮図なのか
以前、『ハイライズ』という映画を見たのですが、難解でよく理解できず、翻訳本を買ったものの、なかなか読み進まず・・・そんなとき、動画配信でこの映画をちらっと見て、これもヒエラルキー系かな?と思って鑑賞。
主人公ゴレンが目覚めると、コンクリート張りの建物の「48」階にいた。部屋の真ん中に大きな穴があり、そこは上層階から順番に食事(といっても上層の残飯)がエレベーターような食卓台(これが、プラットフォームらしい)にのって運ばれてくる仕組みになっていた。しかも、ほんの数分?で降りてしまう。「後で食べようと」食事をとっておくと、気温が上昇(下降)して、生命維持が難しくなる。その場で手づかみで食べるしかない。そして、1ヶ月後には、違う階層に移され、下の階層に行けば残飯にもありつけず、人間を襲わざるを得ない、というサバイバルタッチで進んで行くのですが、食事のシーンが汚らしく、人肉を喰らったりのグロくて、えぐい描写があり、何度も目を塞ぎたくなりました。
ショッキングなシーン続きですが、資本主義社会が生んだ格差社会の姿が、この穴のある施設そのものなんでしょう。管理者と映画では言っていましたが、果たして管理者とは誰なのか?政府か?? ゴレンは48階層、171階層、33階層、202階層へ移動され、最後に目覚めた時が6階層。ここで、ゴレンは黒人のバハラットと最下層の人にも食事が渡るようにと、二人がプラットフォームに乗って下へ降りていくのは、ある意味革命的な行動とも思えたのですが、一筋縄ではいかず。
最下層の333階層にいた女の子(ミハルの子?息子ではなかったか?)、あの子は本当に存在したのか。最下層にいたのに衰弱しておらず。あの女の子が上層部まで昇り、それが「メッセージ」となったのか。
OL時代、大きなホテルの裏側を通った時、生ゴミなどの入ったと思われる大きなゴミ箱に顔を突っ込み、箸を持って、残飯をつついていたルンペン(差別用語になるのか?)を目撃したのがすごく目に焼き付いており、この映画を見て、その時のことを強く思い出してしまいました。食べられなければ残飯食べるしかない。そういう意味でかなりリアルでした。
シチュエーションはいいけれど
シチュエーションはいいけれどそこ止まりかな。
こんなシチュエーションがあったらどんな事が起こるのか?
というのはおもしろいと思うけど、見ている側は様々な点で
疑問に思う事が多々あるのは分かるはず。
そこをまとめるのがプロなんじゃないかと。
こんなシチュエーションだったらこうなるだろうとか
分からないでもないが、雰囲気で誤魔化しすぎているのが
嫌だな。何かを伝えたいのだろうが、ミハルが上下している事
(最上階行ったんじゃないの?)とか、その子供はどうやって来て
どうやって生き残ったか?そもそも、なんのための施設なのか?
運び込まれた人たちはどうなるのか、どうやって来たのかなど
いっぱいあると思うんだよね。
キューブも同じ様な感じだったけど、
プラットフォームは自らやって来たのだから、そこに来ることで
どんな利益があるのか、カイジ的ななにかなのか?でもそれぞれ
違う事情で来てるみたいだし、そう言うのって疑問に思いながら
みんな見てるわけだからそこは回収してほしいと思う。
聖書的な要素があるとかなんとからしいけど、
聖書詳しくない人のほうが多いわけだし
もう少しストリーを練ってほしかった。
うまく聖書と結びつけて深いだろ?
みたいに自己満足しちゃってるよね。
わかる人には分かればいいって類いは好きじゃないな。
時間やお金を費やしてるわけだし。
みんなが言うほど残虐な描写があったとは思えないが、
(もしかしてカットされてる?)そこそこ過激な描写があった。
食べるというか顔に塗る
陰鬱とした雰囲気の中降りてくる食事を食べる、というか顔に塗る、顔にぶつけると言う方が表現としては正しいか、兎に角目の前の飯を手掴みしかき込む姿は鬼気迫る物があり、状況を一発で理解させるに充分な導入部分となっていました。
そこからはずずずっと物語に没入。
言わずもがな社会構造のメタファーなのでしょうか。
しかし富んでいる、若しくは幸運な人が貧しい人に富を配ると酷い目に遭うぞ、と言うのは辛すぎぴえん。
現実では人に優しくしましょう。
下層で勿論食事が乗っていない台座が降りて来た時の絶望感だったり、精神的にかなり来る描写は個人的に良き映画の条件だっりするので、本作は良く抑えてると感じました。
モザイクがいちいち仕事してきてちょっとそこはノイズでしたが、色んな人が観ることを想定するとまあ仕方ないかと思える程度。
しんどい物語が続き、最後に迎える映画的な救いと共に上昇し映画が終わり観客が現実に戻った時、果たして私たちは分け合うことが出来るでしょうか。
とか固いことは言わないし、低予算ながら完成度は高くシチュエーションホラーとして最後までしっかり楽しむことが出来るので安心して是非ご覧下さい。
R15です。お気をつけて
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