「結末は読み手に委ねられた」プラットフォーム momonsoさんの映画レビュー(感想・評価)
結末は読み手に委ねられた
エンドが示されていないと読後感が悪く低評価になりがちだが、
自分であれこれ結末を考える事も私は好きだ。
①パンナコッタは最上階に届いたかもしれない
映画後半に、料理長らしき人がパンナコッタに髪の毛が入っていた事を激怒している描写がある。
②パンナコッタは届いたがメッセージは受け取られなかったかもしれない
「髪の毛が原因」で食べられなかったと自己満足な理解をした可能性がある。
完璧な料理を作ることが下の者のための施しという、現実に即していない独善的な思考を感じる。
これは為政者の独りよがりさへの風刺かもしれない。
③パンナコッタは届いていないかもしれない
激怒していたのは、穴のシステムの厳格さを描写しただけかもしれない。
守り手のいないパンナコッタが住人をスルーして0階まで届いたかはかなり疑わしい。
子どもに食べさせた描写もある。
④代わりに子供が最上階へ届いたのだろうか?
穴へ送り込む仕事をしていたイモギアが16歳以下は入れないと言っている。
共食いなしで生きられない遥か下層で、力のない子どもが生存していることも疑わしい。
特に、プラットフォームが過ぎた後にパンナコッタを保持していてもペナルティが発生しなかったことから、非現実の出来事を描写している可能性もある。
⑤ちょっと飛躍して
あの子どもはミハルが穴の中で産んだ子ではないか?
生存者のいない下層に隠し、ミハルが人肉を届けて育てていたのかもしれない。
それならばシステム外の存在としてペナルティが適用されないのも分かるし、ミハルの下層への執念も分かる。
その子どもを0階へ届けることで、システムの不完全さを知らしめるメッセージにもなる。
もちろん、全て私の空想で精神の壊れたゴレンの幻覚だった可能性もある。
他にも私が気づいていないヒントや可能性があるだろう。
答えは、描かれていないから分からん!
恐らく何かのメッセージを目的とした映画ではないのだろう。
(蛇足)そもそも最下層に降りて上がってくるという選択がとれるなら
飢餓する前に上がろうとする人たちがいたんじゃないか...?
