竜とそばかすの姫のレビュー・感想・評価
全626件中、101~120件目を表示
毎週サザエさんを楽しみにしているオラ
レンタル88
久々のTSU○YA 旧作キャンペーン価格だった
最近スクリーン鑑賞が増えてレンタルすることが減った
映画はもっぱら配信で観るというひとが多く
TSU○YAは閉店が増えているんだと
オラが高校生の頃にスタートした貸レコード屋から
取り扱う媒体を変化させつつ40年くらい続いてきたレンタル文化
いよいよ終焉か
で本作
この監督の作品はサマーウォーズ以降欠かさずチェックしているが
そういえば最新作何だっけと思い 調べたら観ていない
この監督より好みではない雀の戸締まりをスクリーンで観たこともあって
これは片付けておかねば と
いやぁこの情報量よ 圧倒的な画像クオリティー
風景とかの写実レベルは行き着くところまで達している
逆にアニメーションである必要はあるのかとちと思う
毎週サザエさんを楽しみにしているオラとしては
話は難しくなくて意外性は少なかった
美女と野獣のオマージュとおぼしきところも 美女と野獣知らないのだが
インターネットの壮大なスケールのはずが
結局そこかいというのが意外といえば意外だし残念だった
主人公をサポートする友だちのキャラが楽しかった
オジサン萌えとかこの年代の不思議な感情が織り込まれているような
この監督も役者声優派だよな
役所広司とか おばちゃん4人組はあてがきぽかった 清水ミチコもいたか
それにしてもエンドロール 関わった膨大な数の組織とスタッフ 恐れ入る
いい作品だった、途中寝たけど
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高校生・すずは、幼少期に母親を事故でなくし、消極的な性格だった。
Uというバーチャルリアリティの世界があり、大半の人が参加してた。
その世界では各個人の才能が自然とクローズアップされるようで、
すずの歌が人々の心をとらえ、その世界では歌姫となった。
そしてライブ中に、警察みたいなのに追われた竜が乱入する。
竜は凶暴で邪悪視されてたが、接してみると悪い奴じゃなかった。
心の傷を抱えてることを知り、すずは親近感を感じた。
やがて捜査の手が伸び、竜に危険が迫ってることを知る。
すずはUにいない竜を現実世界で探す。そしてついに見つける。
その正体は父から虐待を受けてる兄弟の兄だった。
ネットの通話機能を使って話をしたが、信用されなかった。
現実の竜は誰も助けてくれない世の中に失望してたのだった。
で、信用されるには1つしか手がないということになった。
それはすずがUの中で素顔をさらすこと。勇気を持って実施。
これにより竜はすずを信用し、すずは高知から竜を救いに東京へ。
そして兄弟を救ってハッピーエンド。
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劇場で見た。正直、途中で眠くなって寝た。
でも後半改めてちゃんと見ると、結構面白かったな。
すずが勇気を持って自ら素顔をさらすのが最高の見どころ。泣く。
あと不思議に感じたのが、すずのU内の姿であるベルが超格好いい。
顔やスタイルが全然違うとはいえ、声や性格はほぼすずのまま。
なのに何をやっても慈悲深く、深みのある人に見えるんよな。
見た目が洗練されるだけで、ああも印象が違うものなのか?
現実世界で言えば中条あやみとかがベルみたいな感じやけど、
あの人も中身は少女みたいに純真な人なのかもって思った(場)
歌素晴らしすぎん???
映画館。
Uの世界、ベルの歌に鳥肌立ちっぱなし。
凄まじい歌と映像美で映画館で見れて良かった。
高知の田舎がすごく綺麗で、
四国旅行の時、高知行かなかったの間違いだったかな?と。
自然の描き方が素晴らしすぎて、夏の入道雲のもくもく感、映画でも動いてたのかな?
上に向かってむくむく動いてる入道雲が夏らしさを感じた。
ほんとすげえや。
Uの世界観の描写、ベルの歌をよく表現できたなと純粋に驚き。
くじらに乗って歌ってる歌まじで最高だった。
サントラ買おうか悩む。
現代版、今時版美女と野獣だったし、しのぶくんはイケメンすぎたし。
ストーリーはあんまり好きじゃないけど、それを覆い隠すくらいに映像と歌がよかった。
最近見た中でめっちゃめちゃ良かった。
21.8.12 映画館
「あの子を解き放て! あの子は人間だぞ」→金色の野に降り立つべし→好きな人ができました
↑ タイトルは、、 モノノケ × 姫 = 美女と野獣、ということで。。(オマケ付)
デジモン(’00) → サマーウォーズ(’09) → そばかす姫(’21)と、
監督のなかで、時代毎に確実にブラッシュアップされてきた お得意の手法なんだけれども、
改めて感じるのは、デジタルや仮想現実を描いてはいるけれど、
結局、この人(細田氏)は、世代的にも、根っからのアナログ人間なんですよね。
家族とか、親戚とか、友達とか、恋人とか、仲間とか、そういった
人間同士の繋がりを、どうしても賛美する描き方になってしまう。
もちろん、毎回、(拗らせ気味とはいえ)人間賛歌の作風であるし、
人間、そこが大事なんだという心の根っこの部分ですから、
否定的に描きようがないのですが、
どうしても、新しい時代、新しい世代、新しい価値観は生まれてこないんですよね。
時代は進んでいるのに、どうも「昔の日本はよかった」「人間かくあるべし」という懐古的な視点から脱却できません。
(もちろん、現代から振り返り、学ぶべきこと、思い出すべきことは多いのですが)
せっかくの「U」というデジタル世界も、物語の結末(リアル)とは どうにも相性が悪く、
途中から描かれなくなります。
これは、 美女と野獣のテーマに照らし合わせると、
愛し愛された結果、偽りの魔法(自分の内面の裏返し=ネット上の仮の姿)は解けないといけないため、
ネットから解放されて、リアルに戻らざるを得ないのですね。
デジタル(魔法)から解き放たれ、本来の姿に戻る、、この構図が、
非常に素晴らしいアイデアなのですが、同時に、呪いとして、作品のテーマを、少し、作家の意図しない方向へ足を引っ張ってしまっているような気がします。
結局、仮想現実で、歌で、人々の心は繋がり、救われるのか、世界が変えられるのかというと、
どうも、テーマがそこにないため、宙ぶらりんになってしまいます。
ではこの映画の主題は、というと
主人公「すず」の成長と、弱者(被害者)への救済がテーマなのですが、
彼女の愛も、方向がどうにも定まらないのは、姫がキス(救済)すべき王子様が多すぎるのですね。
現実の恋人と、仮想空間を通じた相手(しかも兄弟)と、妻(と子)を失っていた父親と、、
あと、実は、
いちばん手を差し伸べてあげないとならないのは、虐待していた竜の父親、ですよね。
さすがに現実の女子高生が救済するには荷が重すぎたのか、
歌で通じ合えたはずのネット民からの応援もなく、リアル仲間もリモートでサポートもなく、
その場では一見、対決のように表現され、直接の救済は描かれません。
ただ、虐待父も、すずと、兄弟によって救われる道筋が、台本上は約束されているのですが。。これを読み解くのは、少々難しい。
竜と姫が向かい合う構図のポスターからもイメージできるかと思いますが、
この映画において、すずと竜は、常に「鏡合わせ」の存在なのですね。
デジタル世界で竜と姫が「鏡合わせ」だったように、(どちらも母親を失い、その自身が抑圧した心の傷が、
仮想現実世界で吹き出し、大きな力となった、歌か暴力の違い、ふたりとも本質は同じ孤独な存在→だから惹かれ合う)
ふたりは現実世界でも、抱き合ったあと、まるでキスするかのような、互いの顔の距離を「鏡合わせ」とすることで、
2組の家族を光と影として対比させており、本質的に、同じ存在だと示しているのですね。
無事に帰還したすずは、ずっと見て見ぬふりをしてきた父親の愛と心の傷に気づき、受け入れることができた。この和解により、すずも父親も救われました。
であれば、鏡合わせの存在である、竜と、竜の父も受け容れられ、救われないと、台本上の構造としておかしいのですね。
あの兄弟にとっても、父親の歪んだ愛(が孤独化し、暴力化してしまった、それは「U」で暴れ廻った竜自身と同じであり、
つまり、父親と自分もまた表裏一体の存在であるということ)に気づいて、受け容れられるはずなのです。
虐待してしまっているため、一見、絶対悪と受け取られてしまいがちですが、
(現実には虐待するようなクズ親からは行政が保護して、子供だけでも救済するのでしょうが)
それでは真の救済にならなず、テーマから反れてしまうのですね。
★ ここが非常にわかりづらく、この映画が共感されにくいポイントになっています。(!)
更に詳しく言えば、
この物語には幾重もの鏡、対比構造があり、そのひとつに、「誰もが被害者であり、同時に、加害者である」というものがあります。
たとえば、
川の少女は被害者であり、同時に、すずの母親の命を奪った加害者でもあります。
母親は事故の被害者でありながら、すずにとっては、自分を捨てた加害者に映る。
すずは被害者だが、父親に対しては無意識のうちに加害者だし、妻を失った被害者である父親も、すずを救済できない意味では、遠い加害者でもあります。
同じように、
妻を失った虐待父は被害者である。と同時に竜兄弟へ対しては虐待する加害者である。
竜は父親の暴力の被害者であり、同時に、ネットの世界では、暴力を振るう加害者でもある。
同時にネット民は竜の暴力の被害者であったが、転じ、加害者として、暴力で竜を追い詰めます。竜は加害者にして、被害者になります。
このように、この物語は、登場人物それぞれが、被害者にして加害者(光と影=太陽と月=生と死)という、鏡合わせの対比構図になっています。
それに気づき、自分の影である相手を理解し、受け容れることで、この物語の登場人物は救済されるのです。
ですので、虐待親を絶対悪と定義してしまうと、「U」で悪というレッテルを張られ、
(大して悪さをした訳でもないのに)同調圧力的に叩かれた竜もまた絶対悪というなり、救われなくなってしまいます。
ですから、虐待親もまた被害者であり、救済されねばなりません。(!)
また、
2組の父親同士も、どちらも妻を失い、傷ついた気持ちを抱えたまま、
子供に対して愛情がうまく伝えられない、愛情の距離や方法が見つけられないという意味では、
すずの父と竜の父も、光と影、本質的には同じ存在なのですね。
例えば、
すずの父親も、濁流に飛び込む形で妻を亡くしたのだから、すずを大切に愛するがあまり、
竜兄弟のように軟禁し、外に出させないようにした可能性だってあった訳ですよね。
それは歪んではいますが、大事な者をもう失いたくない、大切にしたい、といういう愛情ですよね。
愛情が行き過ぎて、なぜ俺の言うことを聞かないと手が出ると、それはもう、監禁、虐待となるのです。(※ 虐待の一例であり、肯定する意ではありません)
すず親子はそうならなかっただけで、そうなってしまったのが竜親子なんですね。
ですから、鏡合わせのように、
すずも母親の気持ち(死)が理解でき、父親の心の傷に気づき、受け容れられたように、
竜兄弟もまた、いつか、母親の死を、虐待に走ってしまった父親を受け容れることができるはずなのです。
(もちろん、その前にまず父親が変わらないといけないのでしょうが、、、
竜の身代わりに血を流したすずとの対決で、彼が何に気づき、怯えたのか、、もう、彼は実は気づいたのでしょう、
彼は息子達を傷つける事はあっても、流血させた事はなかったのでしょうね。
また、すずも、「U」の世界で「その光を放て」と言ったベルですから、「その拳を放て」と心の中で叫んでいた事でしょう。(ここはデジタルとリアルの対比構造になっています。伏線とも言います))
ですから、どちらの家族も救済されるはず・・なのですね。でないと、物語の構造上、成立しない。
ね、かなり複雑な構造でしょう?
サラッと見ていると、モヤっとするのは、ここなのですね。
これを描かずに、観客に読み解かせるのは、なかなか高度な手法かと思います。
とはいえ、この映画の随所で、こういった直接描かず、構図や絵や演技で観客に想像させる、読ませる
(匂わせる)技法は散りばめられてありますよね(!)。 読み解けるはず。
これは安易に、作家の説明不足、力量不足と安易に捉えてしまうよりは、
むしろ、敢えて描くことをしなかった、作家の意図を鑑みるべきで、
監督が観客の想像力や教養に期待している、ということですよね。
このあたり、やっぱり、アナログ人間なんだなあと感銘を受けます。
(・・なんでもかんでも台詞でわかりやすく説明してしまう昨今の鬼・・いや、やめようw)
台本上、「すず」が現実の激流に身を投じ、無事に帰ってくることで、
作家のテーマ的にはちゃんと成立しているのですが、
(ここも対比で、生きて帰ってこれたのがすずで、生きて帰ってこれなかったのが母親です)
どうしてもモヤっとしてしまうのは、やはり、「ネットを解けるべき魔法」としてしまったことの弊害で、
たとえば、最後に、再びすずが成長した姿で、新世界のディーバとしてデジタル世界へ繋がりなおし、
そこでアクセスする全世界の人すべての救済が、彼女の歌によって成されるような展開があれば、(そうなるともう宗教ですね、ますます「ナウシカ」になってしまいます)
竜の家族が、そこで救済されたり、傷の癒えた竜と姫が再び抱き合うような、それを全世界の人が、祝福できるような、
そんな昇華されたビジョンが、デジタル世界とアナログ世界の融合が示されないと、
どうにも、今作における「救済」が、デジタルを通じた全世界まで及ばない気がするのです。
ドラマ的にはご都合主義的ハッピーエンドかもしれませんが、
リアル世界に根ざさない形の、未だ見ぬ、新たなハッピーエンドが、
デジタル時代ならではの、新たな救済、新たな切り口や、可能性もあったように思います。
昨今の、SNS上の炎上的な描写(竜の城など文字通り「炎上」させられる・・この意味!)、
心無い書き込み、ネットゲーム的な表現、過度な叩き行為、アバターと中の人のギャップなど、
社会的問題も含め、上手に取り上げてあったのですが、やはりどこか、
デジタル世界や、新しい世代の価値観は、どこか否定的なまま終わってしまったのが、
非常に残念でなりません。
(というのは、この監督が新しいと信じている感覚が、既に古いから、なのです・・
映像的手法はとてつもなく新しい、が、リアルとデジタル空間を分けたり対比させたりする感覚が、もうかなり古いのですね。
今はもう、それらの境目は極めて曖昧になっており、地続きというか、癒着して、説明しきれない、
まったく、訳のわからない混沌化したものになっており、
従来の価値観や正しさでは測れない、新たな物理法則が発生しているからなのです。
一方、作家の根底はリアルに根ざした古き良きもののままなので、
デジタル世代との感覚の差は大きく、これを「作家性」としてゆくなら、今後、細田作品は
高齢者向けの懐古主義的な作品となってしまう、
しかし、描こうとしている内容は、そこを目指している訳でないのは明白であり、
現代を汲み取ろうとしている方向性なので、頑張ってほしいのですが、
どうしても若者ぶったおじさん構文が横滑りしてしまっている感触は拭いきれません。
この作家性の壁は非常に大きく、デジタル世代とリアル世代の隔絶した社会問題そのものに挑むことになり
年長者には、一度、これまで積み上げてきた成功体験やキャリアを捨てる覚悟が必要であり、
並大抵ではないと感じております。そういう意味では、 非常に期待しております)
映像も音楽も非常に美しく、本棚にいつまでも飾っておきたい絵本のような作品なだけに、
もっと寓話的に美しい終わり方があったのではないかと、つい期待してしまうのは、
もちろんこの作品が、非常に良質な佳作だったからでしょう。
私は大好きです。
仲間は宝物!
「美女と野獣」を連想させる展開。母の死で歌えなくなった主人公・すずは、仮想世界「U(ユー)」で別人になる。友人たちの力添えを得て、仮想世界で知り合った竜を救うために決心する。ラスト付近で葛藤する“すず”、そして朗々と歌いあげる姿に感涙! “すず(内藤鈴)/ベル”役・中村佳穂の歌が素晴らしい。物語舞台の高知県「仁淀川と鏡川」が美しい。仲間は宝物!
映像も美しく、壮大な世界観が心地良い
映像美、電脳世界の壮大でイマジネーションに溢れた世界観が綺麗に表現されていて心地よかった。
様々考えさせられることがあったが、
自分の印象に残っているのは2点。
1つ目が、主人公 鈴のお父さん。
若くして妻を亡くしたお父さん。
鈴同様、様々な葛藤や感情の揺れ動きがあったのだと思う。
物語終盤、チャットアプリでの鈴とのやり取りで
“お母さんのような優しさを持った子に育ってくれた。”
という意味合いの短文を鈴に送っていた。
しかし鈴の優しさはきっとお母さんから
学んだものだけではないのだろう。
母を亡くし、傷心のあまり家の中で
上手く振る舞えなくなってしまった鈴を
毎日気にかけつつ、過度な干渉はせず
見守り続けたお父さん。
そんなお父さんから学んだ優しさもやはり
鈴の優しさに含まれているのだと思う。
そんなお父さんには作中通して
大きくスポットライトが当てられる場面は無い。
竜の城内、竜の部屋に顔面部分が見えない?女性の写真が
おおきな額縁に入れて飾ってあることで、
竜の正体は妻を亡くし、心に傷を負ったお父さん?
と想起させる演出があったり、
竜(恵くん)が同じく妻を亡くした(離別した?)父親から虐待を受けていたり。
お父さんも1歩間違えばそのようになっていた、
つまり鈴が竜のような境遇になっていたのかもしれないし、
そうなり得る相応の心の傷があったのだろう、
と間接的にお父さんの苦悩を連想させるような
描かれ方をされている。
秀逸なキャラクターの表現だと思う。
もう一点が、現代社会への皮肉。
SNSが発達した今、個人が匿名で容易く
ネット上に存在、発言することが出来る。
それに加えて、以前より物事が伝達するスピードや範囲が
格段に広がったこともあって、
結果、人の一面のみを見て批判が集中することが多くなっているように感じる。
竜はまさにそうで、Uの社会では後半
犯人探し、身元特定に躍起になる人、
興味本意でそれを肯定する人々に溢れる。
映画を見ればわかる通り、Uの中での竜は
あくまで恵くんの一面であり、
それ以外にも弟思いなお兄ちゃん、など
他にも様々な“面”がある。人間皆そうだ。
勿論、どれだけ現実世界でひどい仕打ちを受けていようが
U内で働いた悪事がチャラになるわけではない。
ただ、罪を犯した一面だけをみんなで
寄ってたかって叩く。そんな社会は窮屈で嫌だ。
自分自身も気軽につぶやくことが出来る今、
無意識にでも他人を傷つけているかもしれないし、
人を追い詰めることに加担しているかもしれない。
人の全てを知るのは容易ではない。
それでも、みんななにかしら悩みを抱えて生きている、
と想像をはたらかせ、“まず相手を理解しようとする”
ことからはじめないとな、と鈴の姿勢からも
学ばせてもらいました。
【質問】鈴のマグカップは何故欠けているのか。なぜそれを使い続けているのか。
ワクチン2回打つまでは我慢していて、やっと観に行けました。
映像と音楽の美しさはぜひ劇場の大画面とオーディオシステムで堪能して欲しい。とても良いMVを見たような気持ちになれて良かった。
ストーリーを酷評するレビュアーが多いですが、細かいツッコミどころは確かにあったと思いますので満点ではなく4点としました。この点、細田守監督にはご都合主義で作ってしまうご自身の欠点を次回作からは克服してくれたらな、と思います。
1点私が見逃していただけなのか、それとも劇中に描写されていないからわからないのか、疑問点があるのでここに質問として投げておきます。
鈴が使っているマグカップ、淵が欠けている描写が繰り返し何度か出てきますが、あれは何故欠けていて、なぜ鈴はそれを買い換えずに使い続けているのでしょうか?
歌が素晴らしい
最初の約5分間でUの曲でまず引き込まれてしまいます。ミュージカル要素も有りサスペンスあり学園ドラマ要素もあり、盛り込みすぎて分かりにくい面があります。現実とインターネットの間での行き来きも分かりにくい原因かと思われます。比較の為に美女と野獣も見ましたがまず出会いが違いますし、共通2人はどうやって心を寄り添っていけるか?ですが美女と野獣は2人が結ばれてハッピーエンドですが、この作品は人の救済になってしまっています。この点が曖昧な感覚を感じるんでは無いでしょうか?
あとミュージカル要素はあるもののコンサート場面があるがクジラと戯れて終わりはちょっと物足りない感じがしました。
母親の死も長い間悩んで選んだのが母親の気持ちを理解する為に竜の救済を選んだように私は感じ取りました。そうで無いと話の筋が合わない、後半で父親の虐待されてた兄弟を助けに入って今後本当に立ち直る事が出来るんだろか?
すずの顔バレしたベルを皆んなどう向き合うんだろうか?うーむ考えさせられる作品でした。
中村佳穂さんの歌声は文句なし感動それだけで
涙が出ます。映画と関係有りませんが娘が高校時代に中村佳穂さんと知り合いだったのが余計意味深い映画となりました。
面白かった
ベルが竜に「貴方は誰?」ってとにかく言い過ぎだな…とは思いました。
まあ、それ以外は細田守監督の中でもわかりやすいし面白い内容でした。
ただ、Uの中のジャスティンが虐待していた父親にするとか、スズの周りの人達もUの中での役割がもう少し活躍する人にするとかすれば良かったのになぁと思います。
とりあえず推しは忍くんとお父さんですね
すずちゃんのお父さん
母親を幼くして亡くしてしまった娘のことを信じて温かく見守ってきたお父さん(声:役所広司)が素敵だった。その他、すずちゃんを取り巻く温かい登場人物が出てきて、こういう所が細田作品の好きなところ。久しぶりに娘と映画館に行って、思わず嗚咽しそうになるのをさとられないように必死に抑えてました。
父親目線で泣いてしまいました。
人に誘われ、事前知識なく観ました。
仮想現実と現実の里山風景の対比など様々な設定がありましたし、キャラクターたちの言動にはつっこみどころも満載ではありましたが、自然と父親目線で観ていて娘の成長を描いた作品だと感じました。
後半はその観点で、図らずも号泣してしまったシーンが2つありました(1. 主人公が無我夢中であの時の母親と同じ行動を取った瞬間、2. 主人公が自身のその行動を通してあのときわからなかった母親の行動を理解した瞬間)。
また時期をおいてオンラインでレンタル視聴をしたいと思いました。
良かったです。
心に傷を抱えた少女が周りの人達の支えもありながら最終的には自分の意志で打ち勝っていく物語にグッと来ました。
最初は母親の行動が理解できず、自分を置いていってしまったことから中々自分を表現できない、周りに期待できなくなってしまった主人公が、最終的には自分で一歩踏み出して母親と同じような行動を取るという成長が見られて、周りのキャラクターと同じく応援したくなりました。
大きな説明描写はそこまでないですが、細かな仕草や掛け合いから人物の関係性や心情が読み取ることができ全体を通して違和感なく観ることができました。足りない部分は自分の想像で補うことができる、映画の良さが詰まった作品だと思います。
映像や音楽もとても素晴らしかったです。
劇場で見るべき迫力
初めて劇場で細田監督作品を鑑賞しました。
緻密に作り込まれた映像と波打つような音楽に圧倒。特に自然風景の描き方が瑞々しく、田舎の夏休みを思い出すようでした。
「U」の世界は仮想現実でありながら、現実に潜む闇を炙り出していて、「U」の世界を飛び越えて現実で問題を解決していく様は、SNSのあるべき未来として描かれているのかな、なんて考えながら見ました。「U」はすぐ目の前に迫っている未来のようでドキドキします。
現実世界で持て余した・抑圧された自己を「U」で解放した主人公たちが、「U」を現実世界での自己の解放に還元している様には少し勇気を貰えました。
劇場で鑑賞できて良かったです。
王子様はどこ?
ネタバレあり
主人公の鈴は頑張ってる。回りも無責任に応援している。助けているようで突き放してる。
仮想世界でベルと名乗り歌姫に祭り上げられてる。
ベルが竜の正体を知りたい理由がわからないので、何故、竜に執着しているんだろうと思うし、しつこく感じる。
最後も王子様は助けに来ない。お姫様は一人で武器も持たずに戦う。
結局、ベルと竜の関係は、描かれていないし。モヤモヤします。
映像は、キレイで歌は素敵でした。
キタコレ!
しのぶくんと父さんが久々ヒット。いいよいいよー、時かけのチアキの再来!
しのぶくんもだいぶなトラウマを抱えてるだろうに、彼の視点では語られず、あくまでも「保護者」。つ、つらい…これからは自由に生きてくれることを願ってやみません。
ストーリーとしては、相変わらずヘンに偏ってるし、お母さんの救助シーンとか児童福祉的なあれとか、ちょっとそこ座れこの野郎くらい納得できないけどね。
南無阿弥陀を感じる映画でした
映像が綺麗でストーリーもとてもおもしろかったです。
これは映画館で観ないと良さが半減する映画です。
「U」の世界は、本当の自分の魂がある世界、あの世の世界だと感じました。
「U」の世界には三日月が出ていた。
この三日月は、これから新月になろうとしている下弦の月だったので、新しく生まれ変わる前の場所を象徴していたのではないと思いました。
鈴は、この世で本当の姿を隠している弱い自分を受け入れることができずにいた。
「U」の世界に入り、隠している「人前で堂々と歌える自分」と出会い、「U」には本当の自分の魂があることを知ります。
しかし、この世で依然として、本当の自分を隠して、迷いだらけの生活を送っています。
そして、虐待されている男の子と出会い、自分だけがその男の子を歌で救えることを否応なしに求められていきます。
それには「U」の世界に現実の迷いが多く、弱い自分を晒さないといけない。
現実の弱い自分のまま「U」に行って、歌える確信はない。歌えなかったら、これまでのファンを失望させ、自分の存在意義を失うかもしれない。
けれど、鈴は「U」にある本当の自分のあの世の世界に晒し、飛び込むことで、本当の自分と出会い直し、また現実世界を変えていきます。
よく臨死体験をし、あの世の世界を垣間見た人はそれまでの生き方がすっかり変わり、そこから飛躍する人が多いことを聞いたことがないだろうか。
臨死体験をした人は、「死んでもおかしくない命だったのに、助かった。これからの人生は生かされた命なので、人のために使いたい」ということをよく聞く。
この世は肉体を持っているがゆえに、自分を守ろうとする自我が誰にもある。
その自我から離れられる人はいない。
しかし、この世の肉体を超えて、あの世の事を体験し、本当の自分の魂と出会った人は強い。
本当の自分の魂で生きる喜びが自我より優っているのだろう。
これは、あの世の世界を信じて、あの世に行きたいと願う「南無阿弥陀仏」に通じると感じました。
臨死体験は、誰でもできるものではないが、近しい人の死を弔うことを通して、あの世のことを学び、垣間見ることはできる。
また、主人公の鈴は、幼い時に亡くなった母親の死の話に沿って物語が進み、「歌よ導いて」の通り導かれ、成長していく。
主人公の鈴は、虐待されている男の子を救うために自分の母と同じように自分を顧みずに「U」の世界に飛び込んだ時に、鈴が幼い時に亡くした母親の記憶が蘇り、今まで受け入れることができなかった母の死を理解することになる。
「U」で母とも出会い直したように思う。
私も、亡くなった故人によって、導かれていることを感じざるを得ない出来事が節目節目に起こるので、改めて感謝したい。
大人の事情で大幅にカットされていると思う。主題について加筆、「美女と野獣三段活用」!
(回収されなかった伏線にモヤモヤするのは当たり前なので酷評して良いと思います。)
一番モヤモヤしている人が多いであろう最後のところだけ推察してみます。
ヒロちゃんが恵くんの住所を特定するところですが、特定自体は犯罪じゃないです。
しかしそれを利用して何かするということは問題になる場合もあるらしいです。
あれだけの情報があればピンポイントの特定ができるとは思いますが普通の人にはできません。
売り出し中のヒロちゃんの中の人が「特定班のやばいやつ」になってしまうのでソニーからNGが出たのでしょう。(全部妄想です)
鈴はスマホとヒロちゃんのリモートサポートで家のそばまで行けたはずですが差し替えられていると思います。
そして鈴に知くんが駆け寄ります。
おそらく鈴が歌ったのでしょう、知くんだけ気づきます。
これは最初のUの世界でベルが雑踏で歌った時に知くんが美しいと気づいて最初のフォロワーになったところと似ています。
彼はとても耳がいい知的障がい者、「サヴァン症候群」だと分かるシーンです。
ラストにふさわしいシーンだと思うのですがカットされていると思います。
これも特定班がつかう手法でライブ配信中にだいたい突き止めた住所のあたりで音を出し特定するというのがあるからだと思います。
知的障がい者の名前が「知」というのはどう見ても伏線なので、「耳の認知能力がとても高い知くんにだけ聞こえる(認知できる)。」ということでラストに回収するつもりだったのでしょう。
兄が「恵」で弟が「知」で「知恵」なので知恵も多様性の時代ということだと思います。
恵くんが助けられてすぐに「戦うよ」と言い出すのもおそらくヒロちゃんからリモートサポートの申し出があったからだと思います。(通報したところで父親が養護学校の先生に怒られるだけでしょう。)
突然行って助けたけど帰りましたではモヤモヤします。
ジャスティンについても「ヒロちゃんルート」に関係していたと思うので深く考えてもモヤモヤするだけだと思います。
映画の主題は別にあるのでこっちが大幅にカットされたのかなあと思います。
うしろゆびさされてもカットせずに回収してほしかったです。
かしこ。
ここから加筆です。
この映画の主題を一言でいうならば、「美女と野獣の三段活用!」です。
1、「美女と野獣」
これはクラスの人気者である「ルカちゃん」と、独りでカヌー部をやっている「カミシン」です。
2、「美男と野獣」
これはクラスの女子の人気者「しのぶくん」と、飼い犬の「フーガ(小説参照)」のような「鈴」。
3、「美女で野獣」
これは「ヒロちゃん」ただ一人です!
この映画の一つ目の主題はなんと、「美女が野獣で何が悪い!!!」です。
元になっているのは「アナと雪の女王」の「エルサ」、魔法が使えます。
そしてもう一つ、Asが「スーサイド スクワッド」の「ハーレイ クイン」に似ています。
つまり「ヒロちゃん」は「女ダークヒーロー!(ウィザード級女ハッカー!)」だったのです。
本来はダブルヒロインだったはずです。おそらく大人の事情で「ヒロちゃん」が「ハーレイ クイン」をやる所はなくなったのでしょう。
そして「鈴」ルートだけが残ります。
ちょっとふざけましたがこれが二つ目の主題、
「鈴が保護犬から野生の一匹狼に生まれ変わる親離れの物語」なのだろうと思いました。
あと、意外と「鈴」が「恵くんのおとうさん」に勝つところがモヤモヤする人が多いようなので勝手に推察すると、頬から血が出ていたので警察が来たら問答無用で任意同行か逮捕されるからです。
(恵くんお父さんの心の声)
「10分以上喧嘩をしていたらご近所さんに110番通報(バルス)される・・・ご近所の目が!目がぁーーー!」
おわり
少女が心の傷を乗り越える
1人の少女が心の傷を乗り越え成長する作品。
現代的映画。
情報量過多。最近流行りの邦楽が、歌詞を詰め込み、たたみかけるように歌うのと同様に、この映画も大量の情報に溢れ、その海の中から拾える範囲だけ拾っていくしかない。情報を拾う力が問われる作品かもしれない。受け身で見ていても細かい説明などしてくれない。
テネットといい、観客はストーリー展開から置いていかれるもので、何度も映画館へ来場させようという魂胆なのか。
◆素晴らしかった点
・孤独感。
母を失った孤独、意中の人と結ばれないという孤独。クライマックスに向けてこの孤独が、別の孤独へと変化していくところが素晴らしい。
・映像の美しさ。美しいが不自然ではない、違和感なく体感出来てしまう。
・声優陣のナチュラルさ。
その現場にいるかのような生々しさがあった。
各人の個性が出過ぎていないので、全体的にまとまりがある。
◆情報化社会
インターネット、SNSの威力をファンタジックに反映した映画でもある。
・U
批判のコメントなど、ネット社会の残酷さをありのまま描いた。
・ネットによって、物理的に遠くにいる、面識のない誰かと深く共感できる、分かり合える、というネットコミュニティの生々しさ。
・部屋の窓の外の景色や、夕方のチャイムが2回鳴ることなど、ネット上に晒した情報により、ある程度の住所を特定されてしまう恐ろしさ。
◆そのほか覚え書き
・なぜベルと竜が心を通わせたか?
鈴は母親を失ったあと、狂ったように心の声を紙に書き出し、何枚も何枚も書いては捨てた、狂気的な時期がある。
現実世界の竜も、父親に罵られ、心に傷を負い抑圧された。そして助けると言ってくる人たちがいても解決しない現実に対する不信感、怒りを抱え、Uの世界で過激な戦いを繰り返す。
鈴の狂気的な時期があったからこそ、竜の痛みを理解できたのかもしれない。
・ベルのAsの見た目
まるでルカちゃん→最初からルカに憧れていた描写あり。深層心理が反映された?
・現実世界の描写が生々しいのは、Uの世界との差を出すためか
・現実世界の竜を助けるのは、母親の死の理由を理解するための流れであったために、細かい描写はなかったのかもしれない
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