竜とそばかすの姫のレビュー・感想・評価
全1514件中、221~240件目を表示
アニメって凄ぇな…
現実は変わらない。
でも、世界なら変えられる。
実に興味深い脚本だった。
まるで精密な腕時計の中身を見てるような構成で、綿密に用意されたマテリアルが流麗に機能していく。
傑作、なのだろうな。コレは。
仮想空間というか、実態のないネットの世界観を物凄く端的に捉えているような気がしてる。
その自由度の高さも、悪意が発生する要因も。
そして、その可能性も。
色々と都合の良い事は起こりはするが、ソレはソレとして不問にしてもよいとは思う。
なんちゅうか…凄く辛辣な脚本だとも思うの。
仮想空間を満喫しようとも、現実からは逃れられなくて…「人生をやり直そう」なんて事は出来やしないし、その類いの謳い文句に、つい期待をしてしまう僕らのなんと虚しい事か。
ベルの容姿にしたってそうだ。
ベルに匹敵する美貌のキャラが誰1人として出てこない。どころか人の形を為してない者までいる。監督はこの虚構の世界に「魂の形骸」を見てたのかとも考える程だ。外見上、人と認識するに難しい生き物で溢れ返ってる世界なのだ。
見事に整備され画一化され統制されてる世界に蠢く、人の形を成さない人に類似した生き物たち。
かなり攻撃的なアプローチに思う。
そんな中、悪として排除されようとしている「竜」
盛大な口撃。無数に投稿される吹き出し。
でも、俺には何故彼が「悪」なのか分からない。
でも、その世界の大多数は彼を「悪」と認識してる。一部の人間が声高に彼を責めてはいる。だが、それだけで実害を被ってる訳でもない。
扇動と同調をこうも単純明快に見せられるとは思わず、溜息が出る程見事だ。
「今、あなたが抱えている怒りや憎しみは、本当にあなたの中から発生しているものですか?」
そんな問い掛けが聞こえてきそうだ。
仮想空間で発生する「正義」
そういうものはあるのだろうなと思っていたけれど、今作を見て疑問にも思う。
そもそも、現実ではないのだ。
その現実ではないものに、現実を持ち込んで意味があるのか?もしくは、現実と紐付ける価値観と信憑性を存在させるべきなのか?
正義なんてものは普遍性があるものではないぞ?
作中でソレを振り翳す輩のなんと傲慢な事か…。
…とはいえ、実際に人は死んでいる。
最早、別世界と思っても良い世界とリンクしている。
させすぎている。
「匿名性があるから人の本性がでる」
どっかの専門家なり評論家が、そう意味付けた。
そして、それを僕らは鵜呑みにしてしまう。
何故?に対する答えに的確だと判断してしまった。
本音が氾濫する世界。
そう思い込んでしまった世界が、現実を侵食してる。
「人が3人集まれば戦争が起きる」
そんな格言を残したのは誰だったろうか?
異世界と区切りをつけきれなかった制約の無かった世界。人の業の深さを垣間見る。
ベルが「歌姫」と祭り上げられる経過にアイドルの変遷を垣間見たり…。二面性が無いと思いたいのは、その偶像に妄執する者達だけで、ベルが鈴であったように、偶像はただの偶像だ。
本来あるべき内側から目を背けたかったのは、お前らだろうが?でもそれはおそらくならば、アイドルだけの事ではない。人は「見たいものしか見ない」のだ。
理想なのか虚像なのかは知らんが、見たいものを見ようとする。きっとソレは自己防衛の一種でもあると思う。写真週刊誌やワイドショーに踊らされっぱなしでいいのか?いい加減、目覚めろ。
…とまでは言い過ぎか。
ベルが歌う姿には、何故この世界に歌が必要であるのかの本質を見たような気にもなった。
彼女は作った事もないラブソングを作ろうとする。
鼻歌がメロディーになり、やがて歌詞が付随する。
彼女の心が、言葉となって現れる。
どこぞのアイドル達が、金儲けの為にやる行為ではない。群衆に迎合するでもない。売れ筋のメロディーラインを踏襲するでもない。
ああ、こうやって歌は生まれ、アイデンティティを確立していったのだなぁとしみじみ思う。
鈴として歌うシーンは圧巻で…映画を見に来たのに聞き惚れてた。
物語は、原色に彩られた世界と同時に、消耗されていく現実をも描く。
変化し、過ぎていく明確な時間が存在する世界。
そこには目を背けたくなる事柄も、平然と至極当然のように存在する。
仮想空間に逃げ込もうと、現実からは逃げられやしないのだ。そこで生きていく限り、全ての事は自らが行動していかねばならない。
前足がない犬も、しかり。
虐待を受けている兄弟も、しかり。
美しさだけが際立つ世界ではないのだ。
その虐待を受けている兄の言葉も鮮烈だ。
言い訳のしようもない。
ホントにその通りだと思う。難しい問題ではあるが、自己肯定感を満たした所で彼らは救われない。マニュアルに沿ったところで解決はしない。
鈴は、ネットを介しその虐待されている兄弟達の元へ行く。父親を非難するわけでもない。彼らをただ抱きしめていただけだった。
実質的な解決方法を提示したわけでもないのだと思う。何が出来るわけでもない。ただ、あなた達を孤立させはしないと、寄り添う事は出来るのだと思う。
鈴にしたって、兄弟達にしたって、結局のところ現実を打破していくのは自分達なのだから。
ただ、彼女は顔から夥しい血を流しながらも、父と対峙し無言を貫けたのは、ベルとしてではあるが人々から肯定された経験があるからなのだろうと思う。
そして、彼女は母親の死後、トラウトとなり歌えなかった歌を歌う。
現実は変わらなくても、彼女の世界は変わる。
歌えなかった世界から、歌える世界へ。
父親と話せなかった世界から、話せる世界へ。
そんな事を漠然と見ながら、考えれてしまうアニメって凄ぇなあーってのがレビューのタイトル。
「町田くんの世界」って作品でも、同じような感想を持ったな。あっちは実写で切り口も随分と違うけど。
オープニングの派手な演出と歌でツカミはバッチリだし、結局、忍君のアバターは不明だったり…意味深なクリオネは意味深なままだし。
ツボをしっかり押さえた演出だったなぁー。
竜の城がなんで存在できるのか、よく分からなくはあるし、現実の写真をデーターとして反映できてるのも何故だか分からないが。
監督が言う「現代だからこそ、やる意味も意義もある」ってのは十分伝わったような気はする。
現代版美女と野獣は良いミスリード
現代版美女と野獣だと話題になっていましたが、ディズニーとは違い野獣は異性愛の対象ではありませんでしたね。
すずは単純に孤独な人への助けたい思いから側にいたいと感じていたのでしょう。
そうなると踊りのシーンとかは必要だったのかな?とは思ってしまいますが、いつも虐待を受けていたけいくんにとっては母性愛の暖かさを感じた瞬間だったのでしょうか。
映像も音楽も美しく心奪われました。
Uの世界でのそれぞれの生き方には現代のネット社会がよく表現されていました。
自己表現を自由にする人、現実では心が満たされず完璧を演じる人、匿名性を武器に誹謗中傷する人、名声を得るために他人を蹴落とす人、現実ではひどい扱いを受け発散する手段として他人を傷つける人。
人を傷つけるのは悪なのだけれど、なぜ傷つけてしまうのか「考える」ことが大切ですよね。
数ヶ所結末や詳細が描かれずにモヤモヤしたひとがいるかもしれませんが、自分なりの解釈を「考えたら」いいと思います。
すずが飼ってたふーがの片足がないことに何の意味があるのか、虐待をうけた2人がどうなったのか…
Uの世界でもそれぞれの正体が誰なのか誰もが気になっていましたが、これは人間のもつ知る欲求を満たそうとしている様子がうまく表現されていました。
答えを安易に得ようとするのではなく、考えてみましょう。
子どもを1人で虐待の現場にいかせるなんてというコメントもありました。
どこまでフィクションで許すかの線引きは人によって違うのですが…
現実にあり得るかどうかではなく、その描写になんの意味があるのか、を考えた方がただ批判するよりかは生産的でしょう。
圧倒的描画
鳥肌たった。結末は少し想定外。
わからないけど、涙が…(ღ˘⌣˘ღ)
無償の愛に感涙しました
美女と野獣のシーンやストーリーにかなり寄せて、
オマージュとも言えるのですが、
実際は、アンチディズニーかと。
ディズニーならヒロインが救うのは美しい王子様。
そして結ばれてメデタシメデタシ。
ディズニーなら、竜の正体は、隠された秘密を持ったしのぶ君だったかも。
この作品のベルが救うのは、王子様ではなく、
世間から切り離され見捨てられた少年達。
ディズニー自身が見知らぬ王子様といきなり恋をして、ハッピーエンドになる平面的なお話を自虐する映画もありますが、
ディズニーの作られた見せかけな幸せを揶揄してるように思えました。
美女と野獣は、ベルと王子に心の交流はありますが、、
ベルが竜の為にラブソングを作って、竜の心が和らぎ、
上空で顔を向かい合わせ、本来ならキス、という所で、ベルがハッとして、そっと抱きしめるシーンが秀逸。
アンベイルされた鈴の歌に皆が涙を流すのは、
鈴の無償の愛に触れたからでしょう。
私も自然と涙が溢れました。
クジラは母性の象徴だし、
鈴は母から受け継いだアガペーの体現者。
鈴がいきなり自分のコンサートに現れた竜に心奪われたのは、鈴自身に母に見捨てられたと思った寂しさ、ネットの誹謗中傷に傷ついた過去の傷があるから、
竜のただ強いだけでは無い闇に、無意識に気付いたのでしょう。
鈴が飼っているワンコが前足が切断されている所、欠けたマグカップを愛用している所に、鈴が傷ついた物に心惹かれてしまう描写があります。
鈴は共感力の強い子で、だからこそ彼女の歌が自分の為に歌われてると感じると、Uの世界でコメントされたのでしょう。
虐待をする父親の所に会いに行くのは、鈴1人でなくては、竜は勇気を貰えなかったし、竜自身が受身では無く立ち向かわなければ解決にならない状況だし、
虐待の父親が、鈴の気迫に負けたのと
自身の正義を振り翳すジャスティスが、自身を曝け出しても、なお強さを放つ鈴に負けた事はリンクしていました。
鈴の父親も忍君も、鈴に立入過ぎず傍らで見守り、だけど必要な場所では強く後押しするという理想の癒し方でした。
作品全体が愛と優しさに溢れていました。
何故、何故、と意味が分からないから、この作品は駄目だという意見が散見されるのを見ると、悲しくなりました。
私には、Uの世界で、表面だけ見て誹謗中傷をするコメントにリンクしてしまいました、、
一つだけ難を言えば、カミシンが小さな窓から見えるような見えないようなビルから、遠征の川を思い出すのは、ちょっと都合が良過ぎるような。
まあ、2回目を見たら、それもどうでも良くなりましたが、、
日本の誇ってよい音楽映画
どのレビューもおっしゃっている通りで、映像は素晴らしいです(CGの空想世界も、高知の自然も)。しかし音楽はさらに素晴らしい出来です。日本にこんなにすぐれた音楽映画があったでしょうか。歌唱もアレンジも凄いです。これがディズニー映画だったら、作中のナンバーは世界でヒットしたことでしょう。
観に行かなくてもわかることですのでネタバレには当たらないと思いますが、「美女と野獣」の本歌取り的作品です。つまりベルが野獣を救うお話であるわけですが、では、「助ける」とは何をすることか?という問いかけが映画のメッセージとなります。カンヌで好評だったそうですが、それはこのメッセージがヨーロッパやアメリカで伝わりやすいものだったからかな、とは思います。しかし私も確かに感動しました。
こんなにわかりやすくしなくてもいいのに、と思うところはいくつかあります。しかしそれは、お子さんでもよくわかるということでもあります。暴力的なシーンもごくわずかです。お勧めできます。
よかった
勇気をもらいました
華麗な演出でネット社会を描いた作品。
美しい映像と音楽、理解しやすいストーリー
細田監督作品と知って、劇場へ。
劇場の大きなスクリーンで描かれる仮想世界は美しく、深みのある唄や音楽で冒頭から惹き込まれました。
主人公は高知県に住む高校生の普通の少女。
幼い頃に事故で母を亡くしたショックから内向的な性格になっていた主人公ですが、仮想世界Uで唄う事や、謎のアバター竜との出合い、現実世界にまで影響を及ぼす出来事を通じて意思や優しさを見つけ心を開いて成長していく、というのが大筋です。
このストーリーが素晴らしいと思うのは、ただのラブロマンスでは無いという事です。
ストーリー冒頭にある幼い頃の母との幸せな思い出、突然訪れた別れ、なぜか知らない子供を助ける為に命を落とした大好きだった母。
この「なぜ?」が残されたままストーリーが進む事が、最後で生きてきます。
顔も素性も分からない仮想世界での相手のために、自分が積み上げて来た物の全てを投げうってでも助けたいという想いや愛情、自己犠牲。
昨今のネットやSNS事情における匿名での暴力が多発する中でも
「繋がるのは人であり、愛情や思いやりを忘れてはいけない」
というメッセージを感じます。
最後、竜のために主人公が暴力に立ち向かうシーンでも、暴言や暴力に訴えない、静かに立ち塞がるという事がその意味を大きくしているのだと思います。
ストーリー上、ご都合主義的な所やインパクトの為大きな数字が使われる所もありますが、話が破綻するようなものではなくエンタメ的側面だと感じます。
確かにもう少しストーリー途中で観客にフォローを入れてあげればもう少し受け入れやすくなったのかなと思う所があったのは残念です。
また美女と野獣的な演出をする事で、誤解されやすくなっているのも事実です。
おかげて竜のバックストーリーを深すぎるテーマと捉える人が散見できるのが勿体ないです。
総括として、観終わって満足感があり、少し涙もできる良い作品でした。
紗に構えたり、わざと難しい解釈や考察などをせず観るのがいいと思います。
個人的に、主人公と父のやり取りが変化してゆくところ、メッセージや最後の「ただいま」が好きです。
結論:もう一度見たい
【今現在自分にやりたいことがあるけれど皆に理解されるか心配で行動できない】そう思ってる人に【思いっきりやれば皆は理解してくれる】と思えるようなシーンがあった。そのシーンでは思わず涙が出てしまいました。また、正義が必ず正しいとは限らないと思えるシーンもあった。いろんなメッセージが隠されていると感じた。映像は素晴らしいが内容は物足りないと感じる人もいるようですが色々自分で考察しながら見るのが面白いと思います。我々が生きている現代では謙虚で気弱な者、SNSにどハマりな者、正義に縋り我を見失う者、いろんな人がいる。その現代にフィットしている作品だと思いました。
それぞれの想いで膨らむストーリー
賛否両論あるけれど
言ったら失礼かもだけど、細田監督の映画で初めて泣いた。 鈴のお母さんのシーンはほぼ泣いてた。 鈴は名前も知らない子を助けて亡くなった母に色んな感情を持ったんだと思う。でも最後は鈴も知らない誰かのために行動しててあー似てんなーって思った。あと歌唱力が凄すぎる。圧倒された。でもツッコミどころは多いと思う。
歌で泣けた
とにかくベルの歌声が素晴らしい!
基本、生歌でしか泣けないのだけれども映像の美しさも相まって、琴線に触れまくって、都度泣けてきた。
すぐにサントラを予約しました。
本当にステキです。
出来ることならば中村佳穂さんのライブにお邪魔したい。
是非生の歌声を聴いてみたいと強く思いました。
ストーリーに関しては『なぜ美女と野獣チック…?』という疑問がなきにしもあらず…いや…大いにある(笑)
そこが惜しいと感じたけれども、すずちゃんとひろちゃんの掛け合いが高校生らしくて微笑ましく、尚且つとても面白かったし、すず母の友の皆様が温かくすずちゃんを見守っているところにほっこりしたし、しのぶくんがあまりにも、あまりにもかっこ良すぎて久し振りに2次元に恋をした♪
そして『正義』という名の元に特定の人物を吊し上げる今のネット社会がよく描かれていた…とも思いました。
最後に。
竜も幸せでいてほしいです。
「14分間スタンディングオベーション」
今年45本目。
カンヌで上映後14分間のスタンディングオベーション。日本の舞台挨拶で成田凌が「14分間ってどんな気持ちだったんですか?朝ドラ1本分ですよ。」成田凌質問のセンスがいい。
細田監督は最初は関係者と握手していたが、最後は観客とも握手して14分が過ぎたと。
フランス人にも大絶賛で日本人として嬉しいです。フランスで本当に日本のアニメ人気ありますからね。ドラゴンボールのアニメの視聴率が60%越えてたとか。自分も人生Best漫画です。
余談でしたが、ついでに7月20日のスッキリは中村佳穂さんの特集。映画のオーディションの前に京都のライブに細田監督が見に来ていた位、前から注目していたんですね。声優初挑戦でこの演技力はベタ褒めしていました。
細田監督の最高傑作かなと思います。
IMAXで見たので感動倍増。
現実世界はやり直せない。 Uの世界ではやり直せる。
Uの世界で自己実現を果たし、現実世界をうまく生きられるようになる物語。
誰しもが抱える、理想と現実の乖離。
鈴の母は、人助けに川に飛び込んみ、川に流されて亡くなってしまう。その母との思い出だった音楽(DTM)に没頭した鈴は、次第に歌を好きになっていく。
歌いたい。けれども自信のない鈴は、上手く歌うことができない。
そこに登場する「U」の世界。
「U」の世界・空間において、利用者は、感覚にまでネットに接続された「As」として存在する。
鈴は、UにおいてBelleと称し、潜在的な音楽と歌の才能を発揮して、歌姫となる。
〜
数億のユーザーが見るステージに、ジャスティスに追われて乱入した竜に対し、いきなり「あなたは誰?」と問うことへの疑問が散見されます。
竜は、ステージに乱入した際、他のAsの説明により、闘技場でのファイトスタイルが常軌を逸しており、批判されている存在だと説明されます。
私としてはこれは、現実で虐待されている竜が、Uの世界において決して負けない自分を自己実現しているからと思われました。(だからこそ、鈴に会えた時の決意の言葉があのようなものだったのでしょう)
自己実現が可能なUの空間において、その背景を知らないBelleからすれば、暴れ回る竜の行動は理解できません。(なぜUで暴れるの?あなたはどんな現実を生きていて、何を望んでいるの?)と思ったのでしょう、そんな思いを包括した言葉が「あなたは誰?」という言葉になったのかもしれません。(曲解ですかね)
〜
ストーリーや個別のシーンが発するメッセージに疑問点が多くあるのは強く頷けます。その一方で、
感覚まで接続するデバイスの進化やインターネットの未来へのワクワク感
やり直しの効かない現実へのアンサーとしての「U」の世界と、それがもたらした現実世界への肯定感
これらは今の私にとって心に残るものでした。
…
音楽と映像が素晴らしいので映画館で観る価値ありだと思います。
中村佳穂のMVという意見もありましたが、音楽がBelleで出ている点、彼女のアーティストとしての活動の方向性・音楽性との違いがあるのかなと思いました。
Belleという別の軸での音楽活動はあるのかな?期待してます。
全1514件中、221~240件目を表示








