海辺の金魚のレビュー・感想・評価
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花のまなざし
若手女優としても有望株である小川紗良の初商業映画監督作品。児童養護施設で18才を迎えた主人公・花が、新しく施設に入ってきた少女・晴海とのふれあいを通じ、葛藤し、成長していく姿を描いている。 主人公を演じた小川未祐の真っ直ぐなまなざしが強く印象に残る。横顔が二階堂ふみに似ている感じで、これからの活躍が期待大。 子供たちの自然な演技を引き出す小川監督の演出力は、師匠の是枝裕和譲りか。フレームの切り取り方に上品なセンスを感じさせる。ローカル鉄道、砂浜、流しソーメン、夏祭りなど、ロケーションも好ましい。 ラストシーンは、母親からの呪縛を脱し、自分の力で生きていこうとする主人公の覚悟を示しているよう。 エピソードの一つ一つをもう少し深掘りしてほしいという物足りなさはあるものの、今後、もっと長尺でじっくり描いた作品を届けてくれることを大いに期待したい。
海と金魚
地方の施設で親との関係に問題のある花と晴海、歳の違う2人の魂が共鳴する、、、という話。
2人の関係や会話は自然で良い感じだったが初監督、脚本故の気になる点も多かった。
以下祖父のお小言。
カメラ手持ちの揺れが何箇所か酷かった、狙いなのかもしれないけど寝室と海に向かうシーン、今どきジンバル安いの有るからケチらず使おう。
監督のインタビューで「海に金魚放すと死ぬ」ことはわかっててやったと書いてあった。そうせざるえなかった主人公を描いた模様。
東京だと条例違反。
生命を軽んじる行為、虐待と同じ。
「人はいくら殺しても良いが動物はダメ」なハリウッドだと愛護団体から袋叩き。エンドロールに必ず「出演した動物は死んでません」というクレジットが入る。
それだけで個人的には0点だけど頑張ったスタッフ、役者のために2点にしました。
初めの悶絶シーンとラストは連動してるらしいんだが、どうも繋がりが悪い。逃した金魚がすぐに海で腹出して死んで、自分の愚かさを嘆いてるなら親子の関係メタファーでなんとなく話的に分かるんだが、あっさり「ただいま」は一気に話を安っぽくしてしまった。
エンディングを2種類用意して「大人の事情でハッピーエンドを選んだら齟齬が産まれた」感がしてしまった。
以上、次回が有れば頑張って頂きたい。
#53 レイトショーで観たい映画
児童養護施設の存在は知ってたけど、主人公のハナのような立場の子がいることを想像していなかった。 良い子にしないと親が迎えに来ないと言われるハルミ。 良い子にしても絶対に親が来ないハナ。 好きだった母親と今ある現実から解き放たれたい気持ちを金魚で表現するところが良い。 朝早い回で観ちゃったけど、後は寝るだけとなるラストの回で観たほうが余韻に浸れる気がする。
タイトルがすべてを物語る
こんなにすがすがしいバッドエンドがあるだろうか。 いや。 こんなにかなしいハッピーエンドがあるだろうか。 いやいや、そのどちらでもなく、どちらでもある。 そのエンディングの一部がオープニングに使われている。 波打ち際で這いつくばって激しく感情を昂らせている。 そこで何が起きていたのか、わからないまま暗転して、金魚鉢の金魚のカットに切り替わる。 タイトルバック「海辺の金魚」 このタイトルが物語る、金魚は海では泳げないという事実。 それが象徴するような、単純に割り切れない複雑な少女の心もようが、ラストになってようやく一気に紐解かれるのだ。 解放感はない。 かといって閉塞感もない。 なんともいいようのないそのラストは、児童養護施設で育つこどもたちの、明日の滑走路を走る精一杯のリアルなのかもしれない。 説明を極力排した小川紗良スタイルは、長編デビュー作にしては映画としての気品にあふれている。 また、子どもたちの自然なふるまいや表情を自然な風景として撮れているのは熟練監督以上ともいえる。 そこは山崎裕撮影監督の技術のおかげでもあり、是枝裕和監督の薫陶を受けていると言われてしまうだろうが、編集の妙はヨーロッパスタイルのクオリティで舌を巻く。 「いい子」についての映画でもある。 「いい子にしてなきゃ」「いい子にしてろよ」 的なフレーズは思わず口にしてしまうのが世の常だが、その言葉は裏を返せば呪いの言葉だ。 子どもにとっては親や先生から「いい子にして」と言われれば、それを金科玉条としてしまう。 ましてや、「いい子にいしてればお母さんに会えるよ」と言われれば「希望」を抱き、かなわなければ「絶望」を感じる。 子どもにとっては「生か死か」に関わる問題だ。 「いてくれるだけでいい」と伝え、存在を肯定してあげなければいけない場面は多いし、それをベースとして接しなければいけないのが本来なのだが、大人はなかなかそれができない。 ついこの前まで(今でも)同じ境遇で、「いい子でいて」が呪いの言葉となっていた18歳の主役・ハナでさえ、新入りの保護児童につい同じ言葉を放ってしまう。 『きみはいい子』という小説・映画では、「きみはいい子」と言ってあげることで全肯定してあげることがテーマだった。 親と子の断絶は一筋縄では改善しない。 当初はタイトルを「求愛」にするつもりだったというが、海辺で金魚鉢に飼われている金魚という皮肉と表面的な美観との違和感は、改題したことで端的な比喩となった。 解決などしない現実を日常として生きていく子どもたち、そして大人になっていく自分。 その複雑すぎる問題に、少しでも踏み入れてエンパシーを感じようとして、あの一見わかりにくいラストシーンとなったのだろう。 和歌山カレー事件にも想を得て、農薬かき氷事件として使うあたりも、冤罪の匂いの濃い事件に対する関心が窺える。 個人の問題が深く社会的問題に起因するという視点をもつ点でも、是枝映画のよき後継者と言えるだろう。
金魚掬い
海の近い田舎町の児童養護施設、星の子の家で暮らす18歳の少女花と、そこに新たにやって来た8歳の少女晴海の話。 自身の置かれた状況から将来を不安視すると共に、施設に入るに至った経緯からの痛みを抱えつつ、やさぐれ少女の問題に気付き、気になり寄り添っていくストーリーが、苦しかったり健気だったり、響いてくる。 振ったネタの割に、最後まで描かれないものが多々あり、物足りなさは感じたけれど、みせてくれたものはなかなか良かったかな。
【閉じ込めてきた気持ち】
虐待、犯罪。 親の暗い部分を背負いながらも、親との絆を何処かで求めてしまう。 子供であれば当たり前だろう。 寄り添う花と晴海。 花は、晴海に何を見たのだろうか。 深まる花と晴海の絆に、物語ではありがちな奇跡のような魔法はない。 2人の決してスムーズとは言えない交流を見ていると、絆は少しづつ強くなっていくものなのだと感じる。 (以下ネタバレ) 水槽の中で生きる金魚は何を表しているのだろうか。 それは、きっと、ずっと昔に、心の奥底に閉じ込めた花自身の気持ちだ。 母親への思い。 淋しさ。 泣きたい気持ち。 だが、もうすぐ施設を旅立たなくてはならない。 淡水魚の金魚は海で生きていくことは出来ない。 海に放たれた金魚は何を意味しているのだろうか。 きっと、自由や解放を意味しているのではない。 淡水魚の金魚は海で生きていくことは出来ないのだ。 花は、金魚ではない。 金魚は、きっと、花がずっと閉じ込めてきた気持ちなのだ。 花は、奥底に閉じ込めた自分自身の気持ちをお終いにしたかったのではないのか。 児童養護施設で生活する子供達をモチーフにしながら、その複雑な胸のうちを照らした秀作だと思う。
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