迷子になった拳のレビュー・感想・評価
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殴り合いでなぜ生を実感するのか
安全や安心は現代社会で絶対の正義だ。しかし、そんな社会に皆が馴染めるわけではないはずだ。程度の差はあるだろうが、人にはある程度の危険が必要なのだと思う。本作は、グローブもつけずに殴り合う、世界一危険な格闘技と呼ばれるミャンマーの国技、ラウェイに挑む日本人をとらえたドキュメンタリーだ。なぜそんな危険な格闘技にわざわざ挑むのか、だれも明確な答えを示せない。ただ、殴り合っている彼らはとても充実感に満ちているように見える。
ラウェイの試合はかなり血なまぐさいのだが、同時に宗教的な厳かさもある。そもそも、ミャンマーでは1000年以上続く伝統的な神事だそうで、日本でいう相撲のような存在なのだろう。また判定での勝敗がないというのも面白い。神事においては勝ちと負けを分断する必要ない、それよりも重要なものが戦いの中にあるということなのだろう。
本作を見て、人はなぜ古来から殴り合いや殺し合いを見て楽しむのかを考えた。変わりに血を流してもらうことで、鑑賞者も生の実感を得たいのかもしれない。血湧き肉躍るという言い方があるけれど、映画を見るというのもそれに近い。
筋肉を鍛える事と、精神を鍛える事
ミャンマーとの交流に尽力した人など
少しはミャンマーの事がわかった。
ご尽力されたご夫婦に感謝します。
過酷で原始的なルールの格闘技だが、精神性は高い国技。
格闘技をビジネスとして行う場合
派手な演出や、無理目の設定でも客を呼ばなければ成り立たないだろう。
とてもよかった
本編に登場する東京タワーのZONEの大会は見に行っていた。そしてちょうど今、ミャンマーの納豆の本を読んでいたところだったので、自分の中でつながるものがある。そしてこの映画の後、軍事政権がクーデターを起こし大変なことになっている。金子選手も渡慶次選手も負けてこっぴどく怒られる。稼ぎのない格闘家はつらい。渡慶次選手はミャンマーで学校を作るなど成功されているようで素晴らしいのだけど、クーデターで政情不安なため今後が心配だ。
”戦う時は獅子たれ。それ以外は謙虚たれ”
あまり格闘もののドキュメントは観ないが、なぜか予告編で惹かれて鑑賞。
最初はグロいシーンが多かった、だってバンテージだけで殴り合うんだもの。
特に多分、麻酔しないで縫合しているシーンはつらかった(自分は医師だが)。
総合格闘技とは違い、相手へのリスペクトを重んじる格闘技に感動すら覚えた。
セコンドが、試合中、優勢になり喜んでいる選手に向かって「戦う時は獅子たれ。それ以外は謙虚たれ」と制しているシーンが良かった。
愚直…
「100円の恋」や「あゝ荒野」、「アンダードッグ」などの作り込まれたボクシング映画も好きだけど、やっぱりドキュメンタリーの説得力には敵わない。
しかも古くは魔裟斗選手や今の時代の寵児の武尊選手、天心選手などの「華々しいスポットライトの当たる選手」とは違い、アンダーグラウンドな雰囲気が漂う「ラウェイ」という格闘技にスポットを当てた作品。
「売名目的の通過点」、「ラウェイをメジャーにするため」、「他の競技での挫折感を払拭するため」それぞれの野望や目的、目標が交差しながら「自分は戦っているか?」と自分探し?をしながら淡々と描く監督。
最後の「続ける事」が響いた作品でした。
迷いながらも拳たちは進むべき道を見つけていた
ミャンマーのラウェイは、タイにおけるムエタイのように「国技」だと言われている。パンクラスの尾崎代表が世界一危険な格闘技だと紹介してから残酷なイメージが先行したが、現地の試合の様子は一応スポーツ然といていた。
ラウェイには選手権がないらしく、チャンピオンベルトは贈呈試合で勝てばもらえる勝利者賞だと説明される。“ラウェイのチャンピオン”という宣伝文句は“最強”を意味していなかったのだ。
映画は、前半で金子大輝選手に密着しながら、ミャンマーと日本のラウェイ事情を紹介する。
途中から渡慶次幸平選手が登場し、被写体が彼に移る。
ミャンマーを活動拠点とする金子選手と、新興だがミャンマーから公認された日本の団体を活躍の場とする渡慶次選手が、やがてミャンマーで同じリングに上がるまでの構成はドラマチックで上手い。
金子選手が母親に、渡慶次選手がトレーナーに、それぞれ叱責される場面がある。
過激なルールで闘っているとはいえ、競技人口の少ないラウェイに身を置く彼らは格闘技の一流選手ではなく、むしろマイナーリーグの二流選手。いみじくも、二人とも心構えの弱さを厳しく問われたのだ。
リングに上がる勇気がそのまま覚悟とは言えない。彼らは自らの生き方を見つめ直さなければならなくなった。
そして二人ともラウェイを続けるので、覚悟を新たにしたのだろう。
終盤は彼らのその後の苦闘する姿を比べるでもなく映し出し、いよいよ二人が参戦する日本対ミャンマー対抗戦日本大会へと舞台が進展していく。
金子選手が身を寄せるミャンマーのジムの会長の言動に、ラウェイの根底に流れる神聖さが垣間見える。
対抗戦で、日本側代表である金子のセコンドにつき、優勢に気を良くした金子がコーナーで「オレ、格好よくない?」と舞い上がるのを見て「相手をリスペクトしろ」と諭す。
ラウェイを日本とミャンマーの架け橋にしたいと考えていた人たちの思いが、日本の未成熟な格闘技興業界の犠牲となってしまったことは気の毒だ。
今や格闘技興業のメインステージとなったRIZINの榊原代表などは、ラウェイを知ろうともせず色物興業の出し物としか見ていないことが解る。
最後に、金子選手は国内に拠点を移してK-1に転戦したことが紹介され、渡慶次選手はミャンマーで学校設立に尽力したことが伝えられる。
監督が「僕」の事情を字幕で語るのがこのドキュメンタリーにどう関係するのか、最後まで不明だった。
ラウェイに青春を捧げた男たちを追いながら、自らの人生と結びつけたかったのかもしれないが、迷子になったのは拳ではなく監督自身だったのかもしれない。
金子選手は母の姓にリングネームを変え、南雲大輝としてキックボクシングの世界でラウェイを背負って今も闘い続けているようだ。
勝者とは?
ミャンマーの伝統格闘技「ラウェイ」をこの作品で初めて
知りました。
この「ラウェイ」を中心に様々な人が描かれます。
体操競技をケガにより引退、その後格闘技の世界に入る青年
家族を持ちながらも闘のせ世界に戻って来た者 などなど
それぞれに、闘う意味を抱いて生きています。
「ラウェイ」でとても興味深いのは判定勝ちという制度がなく
最終ラウンドで両者とも立っていたら、二人供、勇者として
讃えられます。
作品のテーマはここにあるのだと思います、人生において大切なのは
闘い続けること、たとえ倒れても次の戦いに向け一歩でも前に進むこと
何か大事な事を気づかせてくれた作品でした。
ミャンマーは現在、大変な事になっています、一日でも早く平穏な日々が
戻ることを祈っております
当たりのドキュメンタリー
ドキュメンタリーって難しい。ありのまま撮ればイイってものじゃないし、一方だけの視点じゃ理解を得にくい。
ミャンマーの伝統格闘技ラウェイ。ほぼ禁じ手無しの競技、相手をリスペクトした上の喧嘩に思えた。生きるか死ぬかをかけて戦ったからこそ敗者へのリスペクトは忘れない。引き分けなら、お互い生き残ったこと喜び、周りもそれを祝福する。格闘技というより宗教的な儀式のように思える。
迷子になった監督
凄く観たかった作品。自身もほんの少しだけボクシングをかじっていることもあって、ラウェイに参戦する選手のドキュメントは興味深いものがありました。
生々しい試合シーン、右往左往する格闘技人生、団体のめんどくさい話、などなど日頃カメラに映されることがない映像ばかりでなかなか良いです。
選手がいないということもあり、とりあげる日本選手は一般的には著名では無い。故に、その人生はなかなかうまく流れていないように思えます。
しかし、エンディング曲の中島みゆきのファイトの歌詞の様に、水の流れに抗いながら不恰好でも前に進もうとする姿は、熱く感じ入ります。
また、ラウェイと言う日本の中ではポピュラーではない格闘技の紹介と言う意味では良いかな?
しかし本作はドキュメント映画として、何を描きたかったのだろうか?監督は取材、密着を通して何を感じ、何を得て、何を観客に提示したかったのだろうか?
映像作品としてそこが徹底的に欠けていると思いました。
こなないようなら、休日の午後に某局で放映している、ドキュメント番組となんら変わらないのです。お金払って観るほどか?と。
取材対象が珍しいから、だけでしかないように思います。果たして、ポピュラーなスポーツ、ボクシングを題材としたらこの監督は撮れたのだろうか?と大きな疑問を持ちました。
もっともっと、対象選手の人生を、その背景を、今を掘り下げて欲しかったし、なによりも訴えたいモノを監督自身につかんでほしかった。
残念です。
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