劇場公開日 2021年10月1日

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「30代、40代はまだまだ迷いの年齢なのだ」TOVE トーベ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.030代、40代はまだまだ迷いの年齢なのだ

2021年10月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 どうやらトーベ・ヤンソンの時代は、マンガは油絵や彫刻よりも格が下だと思われていたようだ。トーベ自身も世間の見方に抗い切れず、マンガは生活のためだと言い訳をする。しかしヴィヴィカはあなたの絵よりもあなたのマンガの方が好きだと正直な感想を言う。世間などお構いなしのヴィヴィカの自由な精神がトーベの創作意欲を解き放ったようだ。
 それにしてもヴィヴィカという女性は自由奔放という言葉を体現したかのようで、結婚していることに縛られることなく、男でも女でも手当り次第に関係を結ぶ。トーベは嫉妬心を覚えるが、そこは芸術家である。嫉妬心を覚える自分を客観視して、乗り越えようとする。
 フィンランドが特別に自由な国だった訳ではないと思う。ヴィヴィカが特別な女性だったのだ。ヴィヴィカに出逢えたことは、トーベにとって幸運だった。大抵の女性は家父長制みたいなパラダイムに縛られて不自由な思いをしていたに違いない。その証拠に、ヴィヴィカはしょっちゅうパリに出かける。フィンランドはヴィヴィカにとってさえも、やはり息苦しい国だったのである。

 同じことはフィンランドに限らない。当時の世界は女性解放が端緒についたばかりであった。21世紀の現在に至っても、女性解放は尚も道半ばである。10月4日に発足した岸田内閣の閣僚20人の内、女性はたった3人だ。日本も遅れているが、イスラム原理主義のタリバンが支配するアフガニスタンみたいに、女性の自由などハナから存在しない国さえある。
 トーベを取り巻く環境は、女性芸術家にとって生きやすいものではなかった。しかしトーベは、環境に内心まで支配されることはなかった。人間は環境に支配されやすい。戦前の日本の愛国婦人会やヒトラーに熱狂したドイツ人、それに渋谷で集団で騒ぐアホたちもそうだ。仲間とともに意味もなくひとつのパラダイムに酔いしれる。自分で考えないから楽なのだ。
 人間は考える葦だが、自分で考える人と人の考えを鵜呑みにする人に分かれる。子供の頃は他人の意見を聞いたり読んだりすると、その殆どでその通りだと思う。しかし沢山の意見や思想に触れるにつれて、食い違いやズレや矛盾に気がつく。一体どの意見、どの思想が正しいのか。そこから自分で考えることが始まる。
 本作品はトーベ・ヤンソンの30代から40代にかけての物語で、トーベが迷いから覚めて自分の道を進むようになる姿を描いている。そんな歳になってやっと自分で考えるようになったのかと思う人もいるかもしれない。しかし現実をよく見てみるがいい。女は結婚して子供を産むのが幸せだなどと唱えている年配者はたくさんいる。とっくの昔に終わった筈のそんなパラダイムを後生大事に抱いているのだ。それは自分で何も考えていない証左である。孔子は「五十にして天命を知る」(「知天命」)と言った。30代、40代はまだまだ迷いの年齢なのだ。
 トーベは迷いを捨てて、足元を固めた。トーベがふらつくようなダンスを踊るシーンは、その足元の固さを確かめているかのようである。ヴィヴィカの劇団員から「ムーミンはどうしていつも穏やかなのか」と聞かれたトーベは「それは臆病だからよ」と答える。トーベはついに彼女なりの哲学を持つことができたのだ。劇団員は理解できなかったが、ヴィヴィカは即座に理解した。そして笑った。本作品で最も幸せなシーンである。

耶馬英彦