オールド・ジョイのレビュー・感想・評価
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つまらない、何も起きない、としか思えなかったら負け。
「ファーストカウ」のケリーライカート研究。
高井戸でデビューからの4作上映してるので見てきた。
予想通りの渋さ。4作品の中でもっとも激渋。ライカート上級者向けwww
幼馴染のダメ親父2人の温泉旅行。
ただそれだけの話なんだけど、2人の関係や其々の思いなんかを表情やインサートから推測してウズウズする映画です。黙って座ってるとエンタメ口に放り込んでくれる映画ではありません。
この監督は何気ないインサートがきちんと機能していて、凄く計算されてるのにそれをまったく感じさせないところが凄い所かもしれない。
ベルギーの監督バス ドゥボス思い出した。
旧友と2人でキャンプのリアリティ
実際に旧友と2人でキャンプに行ったことはないのだが、山歩きを誘ったことはある。
結果的には実現しなかったが、この映画に流れる空気が、それが実現していたとしたらこんな感じだったかもというリアリティを感じさせた。
旧友同士、過去ではリアルタイムで共通の体験があり、それをもとに壁なしにやりとりできたのだろうが、今は、離れてそれぞれの暮らしを積み重ねているので、当然ピッタリとはいかない。
マークは、ボルボに乗って一軒家を持ち、もうすぐ子どもも産まれる。それに対して、カートはどうやら安定した仕事についておらず、夜間学校に行ってみたという発言も出てくる。
そんな2人が向かうキャンプ。目的地は、カートがマークに勧める場所なのだが、車はマークのボルボで、行き先もカートが結局うろ覚えだったので、1日目にはたどり着けない。地図を広げて、なんとかしようとするマークに対して、我関せずと、タバコを吸っているカート。
そりゃマークもちょっとはカチンとくるでしょうと思いきや、結構我慢強いのがマーク。
でも、そういったマークの様子から、壁を感じてしまったカートが、思わず本音をポロリでちょっと気まずい雰囲気に…。
ただし、2人は無理に過去の出来事を振り返って距離を縮めようとするのではなく、言葉を多く交わさずとも、互いにそこで寄り添おうとする。
ライカートらしく、決定的な何かは起こらず、淡々と描写を積み重ねることで、観ている者の内面に、登場人物たちの心情を描き出させていくタイプの作品。
当時のアメリカの社会状況について知識も不足している自分にとっては、ちょっとつかみにくいところもあったが、80分に満たない中で描かれたものから、色々とイメージを膨らませるのは、とても楽しい作業だった。
余談だが、アメリカにも温泉があるんだなということに驚いた。加えて、車を走らせている場面は、まるでBS-TBSの「ヒロシのぼっちキャンプ」だったが、あの番組を心地良く思うのは、ライカートの映画が結構好みっていうのと通じるものがあるのかもしれないと思った。
あと、この映画にもルーシー(監督の犬)が出てくるのだが、改めて賢い犬だなぁと思った。
この独特な雰囲気はいかに
「リバー・オブ・グラス」からの流れで鑑賞。ストーリー的には「リバー・オブ・グラス」とずいぶんノリが違うが、ロードムービーであることと、観終えた後の何ともいえない余韻は共通事項。
本作は、人物よりも風景をメインに撮っていたり、登場人物がやけに少なかったりと、全体を通してやたらにわびしさが漂っているあたりが最大の魅力なのだろう。
フロントガラスに写る青い空白い雲はとても見事だったし、登場人物が少ない代わりに「ルーシー」がちょこまか活躍していたのもなにげにほほえましい。
ロードムービーにまさにぴったりの音楽も心に染み入る。
エンドロールの短さも本作の特徴を饒舌に語っているか。
「リバー・オブ・グラス」にしろ本作にしろ、女性が監督だったとは良い意味で意外。男性が撮りそうな作品を女性が撮ると、こういった何ともいえない独特な世界が創り出されるのだろうか。
ちなみに本作中の名言は、個人的にはいまひとつピンとこなかったかな。
「寂しさ」「侘しさ」をアメリカの情景で描いたという、稀有な一作。
前作『リバー・オブ・グラス』(1994)を、”道のないロードムービー”と自ら評したライカート監督が、今回はしっかり二人の男たちのちょっとした旅を描いています。
道中起きた様々な状況を描いてはいるんだけど、それもそこまで劇的な盛り上がりとなるわけではなく、友人同士である二人は淡々と、しかし美しい映像と絶妙な形で入り込んでくる音楽とともに、目的地である山奥の温泉を目指して進んで行きます。
冒頭の電話のやり取りからも、二人の主人公マーク(ダニエル・ロンドン)とカート(ウィル・オールドハム)が旧知の中であることは伝わってくるんですが、どうも家族よりも男同士の集まりを優先しがちなマークに妻はあきれがち。そしてカートは社会の束縛から逃れて自由に生活しているようですが、実際のところは決して恵まれた生活を送っているわけではない、といったことが、様々な描写の積み重ねから伝わってきます。
約70分と短い上映時間でもあり、映像の旋律に乗っているとあっという間に観終わってしまいます。淡々とした描写でありながらも結末に残る寂しさを含んだ余韻は意外に強く、彼らのその後を想像しないではいられません。表題である「オールド・ジョイ」の意味、そして温泉施設の醸し出す何とも言えない侘しさなど、全体的にまるで俳句のような作品でした!
旧交をあたためるつもりが余計寂しくなっちゃったような話
旧友の男性たちが、秘湯へ行って帰ってくるだけの話です。
しかし、夫が旧友と二人(きり)で山の秘湯へ出かけると聞いたら、私は多分、微妙な気持ちになりますね。
そして予定の日に帰らない…頭に浮かぶのは『ブロークバック・マウンテン』。
「何か起こるのか、もしくは起こらないのか」という緊張感が下世話ながらずっとあり、そのため全く退屈しない73分でした。
結局、行って帰るだけの話にはなっていました、が。
米国オレゴン州ポートランド。 身重の妻と暮らすマーク(ダニエル・ロ...
米国オレゴン州ポートランド。
身重の妻と暮らすマーク(ダニエル・ロンドン)は、ある日、旧友のカート(ウィル・オールダム)から電話を受ける。
「久しぶりに街に戻って来た、ついては、山岳地帯にある温泉に行かないか」と。
カートは、ヒッピーのような放浪の生活を続けていて、定職もない。
マークの妻は、「とめても、どうせ行くんでしょう」と諦めた風。
翌日、マークの車で出かけたふたり。
カーラジオからは、リベラル派を糾弾するような論争めいたものが流れている・・・
といったところからはじまり、一日で行って帰って来る予定だったが、カートの道案内が不十分でキャンプすることになり、まぁ、翌日どうにか鄙びた袈裟懸けみたいな温泉小屋に到着・・・といった具合で、物語は至ってシンプル。
ふたりのとりとめのない話題と自動車での移動、それがあるだけなのだが、横移動/前移動の画面に音楽の効果も加わり、豊穣な気分になってくる。
しかし、温泉小屋で話すカートの「悲しみは、使い古された喜びなんだ」という話は、さびしさがまとわりついており、2000年代中頃の米国の地方都市のやるせなさのようなものが感じられます。
この温泉小屋の後、映画は短いエピローグで終わるのですが、町に戻ったカートが、夜あてどなくふらつく様があることで、やるせなさが一層募りました。
1時間15分ほどの小品なれど、ケリー・ライカートの評価を高めた作品というのも頷ける一作でした。
ルーシー!
たまたまウェンディ&ルーシーという映画を見た直後にこの映画を見ました。その映画と同じく犬の名前がルーシー。アメリカではポチみたいな犬によく付ける名前なのかなと思ったけど映画の雰囲気、音楽どうもウェンディ&ルーシーにあまりに似てる。おまけに出てきた犬はあのルーシーそっくり!あーこれは同じ監督でこの犬はこの監督の犬なのね、とスッキリ。そしてあのルーシーのその後を見れたようでとても嬉しかったです。そしてこの映画。ゆるゆるもやもや、あ、これはもしかして何も起こらないタイプのやつか?と斜に見てたけどいやはやなんとも、何も起こらないけど何?と言わんばかり、まあこの監督すごいわ。温泉に向かうところで映る友だちのピンクの短パン姿。ゲイかよと思ったけど、あ?ん?何だ?このマッサージのシーンとそのあとの自然描写、絶頂?帰りの車の中でピンクの短パンを着替える友人。んーやっぱゲイなのか?ということは冒頭の奥さんの不機嫌な態度はもしやこの二人の関係を知ってた?うーん分かるところとわからないところがちょうどいい。ギリギリ嫌いになりそうだけど結果とても好きなところに落ち着きました。
70分 2日 80年
この映画の長さが70分、映画の中での時間は2日、だけどこの映画が描いている登場人物たちの時間はその人生の長さそのものだった。
仕草、動き、目線、言葉、それらでこの人たちがどう生きてこれからどう生きていくのかを描ききっていた。
これが映画の力と呼ばずしてなんと呼ぶか。
かつてフィッシュマンズが「宇宙 日本 世田谷」で東京と宇宙を接続してみせたように、たったの70分の映画で人生を描ききっていた。
社会に組み込まれる寂しさと社会に弾かれた寂しさを対比して描き我々の物語になっているところも見事でした。
美しい森の風景とそこに捨てられたゴミのある空き地で一夜を過ごす。
いろんな矛盾が、デタラメが、いびつさがただそこにある。
これがエンタメと結びついたらどんな映画になるのか!と早くこの監督の他の作品も観てみたいと思いました。
いやー素晴らしかった!
あまり共感できず…
馴染みの親友カートが街に戻ってきて、マークはキャンプに行かないかって誘われる。妻に打診するけれど、「どうせ行くんでしょ」って辺り、身につまされた。流れゆく風景、空、山、川をじっくり映し出す。ラジオは、政治や社会の情勢を伝えている。カートが以前に行ったことがある目的地は、なかなか見つからず付近で野営する。カートの孤独、以前の二人の友情を懐かしむ気持ちが少し痛かった。もっと伝えたいのだけれど、控え目に終わらせる。マークは、夫としての役割を果たすことにプレッシャーを感じている。翌朝、ドライブインで朝食を取り、目的地への地図を手に入れ一安心。マークは、妻にしょっちゅう電話をかけなければならないシーンが、カートとマークの距離を表していた。そうなんだよね。既婚者と独身者の違いは。
目的地は、木製の鄙びた露天の温泉だった。カートは落ち着かず、一度上がったり、マークをマッサージしたり。孤独を埋めるために、もっと触れていたいのだけれどって表情に見えた。マークは、日頃の疲れを癒すのに浸っているように見えた。ここも距離感。その後は、街に戻って別れる。カートは、物足りない感じで、店の前に立っている男に小銭を渡して、夜の街を物色している。
等身大の男性2人の日常を、そのまま切り取ったような映画。日常って、こんなものだよねっていう印象が強い。カートみたいにナイーブな男性は、アメリカの女性と上手く接することができず、孤独からゲイにっていう人も多いのかもしれない。以前は、友人だったのに。そんなテーマ性を感じたが、共感できなかった。
こいつ、、、
こいつぜったいアレだな、、、ヤバいやつだな。
みたいな男友達と主人公の男2人+犬のキャンプ旅。行って帰ってくるだけ。
だけど誘ってきた友人が
そもそもパートナーが妊娠してるとゆうめちゃくちゃタイミング悪いときに誘ってくる、キャンプ行こうぜ、あ.お前の車で行っていい?、運転しない、道間違える、なんか共感できないイキったこと言ってくる、でもちょっと精神的にまいっている雰囲気もあるし悪いやつではないんだろうな、(そしてちょっと同性愛者的な問題も抱えてるのかも、主人公はその気なしとゆうか気にしてなさそう)前の日に道間違えたくせに辿りつけたらドヤってくる、犬には優しい。
とゆう危うさ満点な友達との男旅。観てるだけでこの旅のなんか胃にきそうな雰囲気にナーバス気持ちになっていく。
でも自然の中走る車や、森の中を歩く2人と1匹の姿は美しい。それなりに人生煮詰まった30代の男達の深くない語らいとゆうか、
そこまで仲良くないけど、まぁ会ったら楽しいかなぐらいの気持ちで行ったら微妙に楽しくなくって気まずい感じが映画に詰まってて非常に気まずい。主人公がまぁまぁ平気そうなのがすごい(こうゆう人いるよね)
でもオールド・ジョイの題名に関わる
今の悲しみは使い古された喜びってゆう言葉は、彼の切実な悲しさを表してて、彼に新しい喜びが訪れることを願ってしまう。でもお前とはもう旅には行きたくない。
ただ彼の抱える不安や不幸は、今のわたしたちにとって
リアルで切実なものな気がして。
”普通“であることになじめなかったり、いい大人になっているのに何も持っていないことの不安感、他人との比較や、このまま老いたらどうなってしまうのか。
考えると胸が苦しくなってくる。見終わったあとも何度も思い出してしまう。素晴らしい映画。
配信で鑑賞
孤独だがひとりではないことの大切さ
ケリーライカート監督の、空が好きだ
音楽はOther Musicに出てきたYo La Tango
ざらっとした街の風景も山もよい。
都会も山も同じ。都会に木を植え山にゴミを持ち込む。
悲しみは使い古した悦び。
政府は繁栄と言わず回復という言葉を使う。
互いに距離感をそれぞれに感じ、お互いに友情というかつてあった古い感情と、自分たちの現実に基づくストレスを感じながら、車で目的の温泉をさがす。
仕事もあり、地域貢献として、妻と生まれてくる子どももいる男マークと、ソレらを何も持たないが束縛されることを嫌う男カートの、たがいにそれぞれフラストレーションがあるなか、秘湯を探して小さな、二日間の旅に出る。
なかなか見つからない目的の温泉
広い山、森の中の、ゴミが投棄されたところにキャンプし夜をあかす。自分の世界観宇宙観物理を直感的に語るカート。危うい毎日をサバイブしているようだが、カートは、マークの車で行こうと言えるし、外に寝るのは慣れてて大丈夫なんだけど君のテントで寝てもいいかな、と言える。マークにリーチアウトすることができる。孤独だがひとりぼっちではない。カートは何も持たない自由があるが何も持たない社会的地位がないことでストレスと大きな不安、物理的な困窮を抱えている。
マークは問題ない人生を送っている、優しい、温厚な男だが夫、父親、コミュニティリーダーをやることに満足感責任感とともにストレスも感じているようだ。
16歳の頃の大昔のようだ、と言う。16歳の頃に戻ることはできない、2人の距離がはなれてしまっている。マークは温泉でカートにマッサージをされ、大きく戸惑いながらも、やがて癒される。ここがターニングポイント、というか、とても微妙で良いシーン。山の中の静寂、水の音、無心の2人の表情。
カートがマークのストレスをわずかに癒し父親になる勇気を与えただろうか、またカートが自分のかすかな存在を魂を込めて確かめるような、ぎりぎり、どきどきするシーンだった。マークはパートナーも居てやがて父親になる、共同体でもポジションがある、社会に居場所があるが孤独だ。
電話をかけ人に会いリーチアウトする。なけなしの小銭を乞われるままに渡す。
彼は自分であり自分は彼である。
人は自分であり他者である。
そんなことを考えた。
仲良しでもない理解しあってもないし親友でもない、みんなひとりぼっち、友情とかなんとかそんなの糞食らえだと思うけどリーチアウトできるということはとても大切。
分離恐怖症。犬のルーシーのことではなくみんなそうだと思う。ルーシーが旅の間ずっとカートに寄り添うのも良い。
冒頭のマークの妻のイライラも、真実をついていて女性は共感すると思う。
とてもよい作品。
【”悲しみは、使い古した喜び・・。一時的に、様々な柵を忘れ、キャンプに行く二人の男の姿を描く。”ヨ・ラ・テンゴの音楽が、二人の男が抱える茫漠たる不安、寂しさ、僅かな喜びを彩っているロードムービー。】
■もうすぐ父親になるマークは、ヒッピーのような生活を続ける旧友・カートから久しぶりに連絡を受ける。それはキャンプへの誘いだった。
妻に一応、行っても良いかと聞くが、妻の答えはツレナイ。
”どうせ、行くんでしょ”
マークは、カートと一緒にゴーストタウンのような町を出て、古い温泉があるという山へ向かう。
◆感想
・これだけの話なのだが、何故か、良い映画であるなあ、と思ってしまう作品である。
旅に出る際に、カーラジオからは、民主党、共和党の政策に対するニュースが流れているが、車が山中に入ると、そんなニュースは、一切流れなくなる。
・道迷いし、途中の山道でキャンプをするシーンで、二人が交わす会話も、なんという事はない。
・翌日、店で朝食を取った後に、二人は漸く古い温泉に到着する。水で適温にし、一人用の古びた湯舟に浸かるマークとカート。マークの指の結婚指輪にフォーカスするキャメラ。
・そして、一泊二日の僅かな旅は終わり、町に戻る二人。カーラジオからは、経済に対する不安を伝えるニュースが流れている・・。
<日々、生きていると様々な柵が、身を纏う。
それは、家族であったり、会社での諸問題であったり、社会に対する茫漠たる不安であったり・・。
だが、時にはそういった柵を忘れ、古き友と旅をし(出来れば、テントを背負った山旅が良い。)身体に纏わりついた垢を落とす事は、必要であると思った作品である。>
とてもよかった
おじさんが二人で山に一泊旅行をして温泉につかって帰ってくるだけ。独身のおじさんは2回大麻でラリって話が止まらなくなる。その話がけっこう面白い。本当に大麻を吸って話しているのを撮っていたのではないだろうか。窮屈な幸福と寂しい自由が対比されている。お風呂につかる前に体を流さないのが気になるのだが、外国の人に日本の習慣を押し付けてもしかたがない。
擦り減った友情は元に戻せる?
ラジオから流れて来る時事は1972年頃と思われ。ウォーターゲートの前後であることは間違い無く。でもですね。その四角いVolvoのエステートワゴンは80年代後半から90年代にかけてのモデルですけど?
これは、どう解釈すれば良いのやら。まぁ、クルマの事は気にするな、って事か。
身重の妻を残し、友人カートとキャンプに出かけるマーク。カートの案内が頼りなく、目的地には辿り着けず不当投棄されたゴミの中で焚き火に当たる2人。マークの友情を失う事を恐れて泣き出すカート。翌日、山中の温泉でマークにマッサージするカート。最初は嫌がっていたが気持ちの良さに身を任せ始めるマーク。帰宅は夜になった2人。独り住まいのカートは、1人夜の街を徘徊する。
Old Joy とは、古びてしまった喜びの事。擦り減った友情にしがみつくカートと、新しい家族と共に過ごす時間を心待ちににするマーク。
暗に対比するドライブを映画にしただけの事でしか無く。
でですよ?
コレが何でまた、こんなに沁みる訳?
良かった。普通に。
ライカールト。と、発音してしまう人は無条件でサカヲタ認定w
マークとカートの対比
ちょっとしたところに2人の対比が表現されている。
温泉での服装、自動車を挟んで立ち位置が左右だったり前後だったり、おしゃべりしながらマリファナで和んでるカートに対して無言で温泉に浸って癒されるているマーク。
ずっと少しずつ、または大きく2人のズレを感じたが、カートがマークにマッサージを行うシーンで一瞬だが2人のつながりを感じました。
旧友二人の実にシリアスなロードムービー
名古屋シネマテークのケリー・ライカート監督特集からの第二弾。
これは「リバー・オブ・グラス」から12年のインターバルを置いた長編第2作。
妊娠中の妻と暮らすマーク。久々に再会した旧友カートと二人で山奥の温泉を目指した。
オレゴンの美しい景色と音楽に陶酔する、これぞロードムービーかと思いきや…
目的地を見失ないたどりつけない二人に、そして微妙に噛み合うことがない二人の会話にジリジリする。
ようやくたどり着いた温泉♨️
マークの肌に触れるカート。
ここは緊張した。
マークはストレートだもんなぁ。
一線を越えたら即ゲームオーバーだろう。
街に戻り別れた二人。
二人の間にできた距離を露にする残酷な旅だった。
カートはすぐに夜の街に出た。
静かに積み重ねるだけでアメリカも二人の関係性も表現する手腕に、底知...
静かに積み重ねるだけでアメリカも二人の関係性も表現する手腕に、底知れぬ器の大きさを感じる。オールドジョイとはカートにだけ響く言葉だろうか。マークも大切な事をゆっくりと失っている。傑作。
信頼性の欠ける
電話口での対応、奥さんの機嫌がどうやら悪い、まだ見ぬカートの姿に想像が出来てしまう何か。
車は出さない、運転もしない、金すら払わない、道に迷う、地図すら見ない、ソファーを占領、今のところ全く良い印象がないカート、見た目も悪い。
二人の関係性にゲイ的な要素がジワジワと醸し出される疑いが、でもそれを感じるのはカートにであってマークには無い、マークは至って平常心を装いながら終始変わらない態度、そこにイラついているようなカート。
優越を付けたがる嫉妬心を抱えながら誰に対してもそうなのだろうと思わせるカート、奥さんに対しても同じような態度を感じるマーク、この後に二人が再会することはないような??
アメリカと友情の消えてくさま
悲しみは使い古された喜び。車のラジオから流れる先行き不透明な政治情勢と重ねられる、友情の移ろいや消えゆく輝かしい日々のポートレート。結婚して父親になる主人公マークに対して、友人カートはバカやった昔懐かしいあの頃みたいにまた楽しく過ごせると信じている。けど、どこか違う。同じようにはいかないで、すれ違うかつての友人同士。
衣装において濃淡で表現された成熟度みたいなもの。例えばカートの水色の上に、レンガ色の半ズボンに対して、マークはそれらを濃くしたような濃紺と茶色。リュックサックにおいてもカートは赤色である一方、マークは落ち着いた印象を受ける青色という対比。犬ルーシーによく構い、面倒見が良いなんてところも少し少年のよう。それらは考えすぎかもしれないけど、カートがそうした歳月という世の中の流れにうまく適応(妥協?)できないでいるよう。
ジーザス・クライスト…スーパースター。話自体はキャンプに行くだけなのだけど歳を重ねるということ、昔に思いを馳せる。911テロに始まる暗い21世紀に、ブッシュが2期目に突入し泥沼化するイラク戦争。犬(ルーシー)と車、車内からのカット。帰還兵への風当たりの強さ。作家主義という言葉が思い浮かぶ作品を包むドキュメンタリータッチで淡々と静かな雰囲気、夢やぶれたようなどこか悲しげで虚しい空気。アメリカの田舎の風景、繁栄ではなく回復。だから静かなラストシーンがなんともグッとくる。刺さりすぎた。トロ・イ・モワの音楽、製作総指揮にはトッド・ヘインズの名前も(これ以降)ある。
For Terri and Andy
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