浅草キッドのレビュー・感想・評価
全27件中、1~20件目を表示
暗い展開の喜劇
「ビートたけし」ではなく、「タケちゃん」を描いた映画。
「人生を1度切った」ので、切る前の人生はほとんど描かれていない。大学を中退して、芸人になるってどれだけの覚悟がいるか、実際に大学に通いながらクリエイターに憧れる身として分かる。
あらすじはとばします。
展開は全体的に暗いです。経営難の舞台、テレビタレントを嫌悪する師匠の教えに背きながらテレビで名を上げてゆくツービート、師匠が工場に就職した時のを見ていて心が痛くなった。
それでも、芸人達がそれを喜劇にする。
師匠は、たけしがテレビの賞で得た賞金を断りたかったと思う。しかし、本当に金が無くて、「ボケて」貰うしか無かった。人情と切なさが、浅草の町と都市化のようでもあった。
有名人が死んだ時にお涙頂戴でやる下積みの頃のドラマを作られることはたけしに関してはこれでなくなって安心した。
素晴らしい映画だった。お笑い芸人を目指す人だけでなく、夢や目標を持つ人全員が見るべき映画。
柳楽優弥の演技が演技を超えてる
柳楽優弥の演技が演技を超えてる。
ビートたけし憑依したような演技に終始見惚れた。時折見せるまばたき、方の動きが自然で違和感なし。一歩間違えればモノマネに見えちゃったかもしれない。柳楽優弥がどのように役作りしたのか気になる。
深見千三郎の人柄がカッコイイ。
最初は怒鳴ってだけの怖い人かと思いきや、実は誰よりもタケシの事を思っている。そんなツンデレギャップに萌えた。身なりや立ち振る舞いがいかにもお金持ちなのに、貧乏なギャップに驚いた。金は無いけど服には金をかける。その心意気は私も見習わないと。
深見が偶然を装ってタケシを飯に誘うシーンが好き。金ないくせに後輩に奢るの素敵。もし自分だったら生活費を削ってまでそんな事できない。
「舞台に立ってるアンタがカッコイイ」
職に就いた深見に言ったマリの台詞が好き。お金はなくてもやりたい事をやってる。そんな夫を応援できる人はそう居ないだろう。こんな奥さんなら欲しい。
鈴木保奈美の色気にムンムンした。55歳とは思えないほどのスタイルと顔立ち。歳上好きの私にはたまらない。
柳楽優弥〜!
柳楽優弥目当てで見た。
結構面白かったのに、レビューし忘れてて内容忘れてしまった。
半年以上前に見たから覚えていない、、。
ラストは、柳楽優弥がビートたけしメイクをしていたが、あそこは本人が演じればよかったのでは?と思ってしまった。
これを見たあと、浅草キッド(曲の方)めちゃくちゃ聞いてた。いい歌!
ちょっと憧れる。
どこまで実話か分からないけど、ビートたけしという人物の魅力と、彼の半生そのものが面白いので、映画やドラマになりやすいのだろうと思います。
大泉洋は本当に何を演っても良いですね。とっても素敵な師匠でした。師匠が良くないとビートたけしの良さが半減するし、師匠が出過ぎるとバランス悪くなる。適度な存在感で丁度良かったです。
柳楽優弥が現在のたけしを特殊メイクで演じていると知ったのは、作品を見終わった後で、かなり驚きました。いや〜本当に凄いです。若者が特殊メイクで老けた役をやると、姿勢や動きや声は若いままなので違和感あるパターンが大半ですが、それは感じませんでした。柳楽優弥はずんぐりむっくりで、背格好含めビートたけしに似せるには都合良いかもしれませんが、ビートたけしは皆んながよく知っている実在の人物なので難しい役だったと思います。
全体的に演出過多、泣かせよう感動させようとしている感が強く、フラグも分かりやすくて先が読める。キレイな話にまとめ過ぎ。何よりビートたけし本人の歌がバックで流れる度に興醒めしてしまい…せっかく気持ちが盛り上がっても歌で台無し。本人が自分のサクセスストーリーに下手な歌付けるのって、なんか間が抜けてませんか。滑稽に感じてしまって、個人的にはあまり涙腺には来ませんでした。
が、エピソードの一つ一つは良く、哀しみや喜び、切なさ、ハラハラドキドキ、ヒリヒリ、十分楽しめます。
作中、弟子のたけしが、師匠の大泉洋の指を「食っちゃったんですか」とボケるシーンがあります。周囲は一瞬凍りつきますが、それに師匠が応えるところが、私はとても好きです。懐にヒュッと入って、熱い血飛沫が出るような。憧れます。
初めてテレビに抜擢されて、出場直前で「元々のネタでやる」と決める場面も良かったです。この選択がその後の人生を分ける大勝負、チャンスはこの一度きりという感じがビンビン伝わってきて、話の展開は分かっていても妙に高揚しました。
芸は見る者の価値観で決まる。幾ら『芸』があっても『鯨』では分からない。
温故知新って事だろうが、いつ頃の事だろうか?兎に角、『バーレスク』の将来と『フランス座』の未来は違う。
ガキの頃、何回か祖父につれられて、浅草へは行ったが、まさか、小屋へは入っていない。多分、落語だと思うが。その他に何かの演劇も見たのを思い出す。『お侍さん』が切られて、血まみれになる場面だったと記憶する。
この浅草の芸能の伝統は、この頃から定着して、今も余り変わらないと思うが。
コント5○号のギャグだ。彼は萩○欽一さんの後輩なんだ。私は彼の芸は毒蝮○太夫さんをリスペクトていると思う。まぁ、老人ネタは無責任に色々継承されているが『PLAN75』もその一つだろう。この映画の時代から何年も経っただろうか『高齢化社会』はどうにもなっていない。
本当に芸のある芸人は、現在、テレビを捨てて、配信サービスに走っていると思う。昔、浅草を捨てて芸人がテレビに走った様に。
コメディーに人情入れる演出は日本の定番になってるが、正にアナクロ過ぎる。落ちも分かる。
追記
フランス座の建物脇に
『古今亭志ん朝』『柳家小さん』『柳家小三治』の登りが立つ。テレビの犠牲になった落語の大家と思う。この大家たちの演ずる演目に対して、テレビは『下品な下ネタ以上」に対応できなかった。現在は配信番組で落語が百花繚乱。はてはて、芸はよくなったろうか?
「笑われる」のではなく、「笑わせる」
新年1発目にふさわしい、人情味あふれるヒューマンドラマだった。
舞台は、昭和40年代の浅草。浅草フランス座のエレベーターボーイをしていた主人公のタケシが、師匠・深見と出会うことから始まる。深見に芸の神髄を叩き込まれながら、笑いに磨きをかけていくタケシ。しかし、テレビの普及とともに、フランス座の経営が悪化。タケシも深見の反対を押し切ってフランス座から去り、テレビの世界で人気を獲得していく。
ステージにしがみつく師匠と、テレビで人気を得るタケシの対比が面白い。人を笑わせるという点では、同じ方向を向いているのに。特に、タケシの葛藤は痛いほどに伝わる。フランス座では、笑いや歌は二の次で、客のメインは踊り子のパフォーマンス。歌手志望の踊り子・千春が歌っている途中で、下品な歓声があったことに、タケシは違和感を持ったと思う。自分がやりたい芸の見せ場は、果たしてここなのか?と。だけど、師匠についていきたいという思いもあった。この一連の葛藤は、とても見応えがあった。
テレビで人気者になるタケシに対して、深見は落ちぶれた様子だった。しまいには、工場の同僚(まさかCreepy Nutsが出るとは!)に笑われる始末である。テレビでの芸に否定的な深見だが、弟子のタケシが漫才をやっている姿は自分の目で見ていた。深見はずっと、タケシのことを可愛がっていたし、気にかけていたのだ。再会した時の会話は、師匠と弟子の関係を表すテンポの良さだった。それだけに、深見の最期があまりにもあっけなくて、寂しいものだった。
柳楽優弥の演技力に拍手。動きから発声まで、めっちゃビートたけしだった。モノマネではなく、もはやコピーに近い。序盤に登場した現代のタケシは、一瞬本人かと見間違うほどだった。また、全体的に心情描写が上手い作品だった。人々の人情や葛藤を丁寧に描かれていたし、なによりも芸人リスペクトが強かった。本業が芸人である劇団ひとりが手掛けたというのもあるかもしれない。人に笑われるのではなく、人を笑わせる。それが、エンターテイメントの真髄といえるだろう。
いい映画だったが最後がやや間延びか
なんか泣いてしまった。いい映画だった。墓参りシーンでいったん終わらせて、回想シーンはたけしの歌BGMでたけしを登場させずにたけし目線カメラでエンディングロールに重ねた方が余韻があったかも。
ラストで号泣
ずっと気になってた作品。
最後の浅草キッドで、なんかよく分からんけど号泣
ラストの一曲への流れが完璧だった。
なんかよく言語化出来ないけど、すごい揺さぶられる作品だった。
劇団ひとり、すごいなぁ。
92/100
素晴らしい映画だったからちょっとだけ思った「監督・劇団ひとり考」
原作未読。気遣い漏れあったらすみません。
全体として本当に丁寧に作られており、浅草芸人の「粋(いき)」をしっかりと表現した作品で、熱意もあった。ストーリーもわかりやすく、スッと入ってきて理解しやすかった。
一方で、どこかで「できの良い再現ドラマ」を見ている感覚にもなり、没頭感に少し欠けたのも事実。最後の北野武(現在)があの頃のフランス座に入っていくモノローグみたいなシーンは、泣きたかったなぁ。でも泣けなかったなぁ。
劇団ひとり監督作品は「青天の霹靂」以来2作目。青天の霹靂も良い作品で、これもまた同じ浅草芸人がテーマ。「浅草キッド」を見てしまうと、これの準備段階としての映画だったんじゃないかと思うくらい(笑)。主演も大泉洋だしね。
で、2作に共通して思ったのは「丁寧で、真面目な作品」。一方で、見ているうちに「プロットの匂い」がしてしまう作品、でもあった。
浅草の居酒屋での「バカヤロウ。こういうときはあっち(ハイヒール)出すんだよ。そんで俺が『あれっ、ちょっと背高くなったかな、ってバカヤロウ』みたいにいうんだ。芸人だったらいつでもボケろ。」(大意)のくだり、それこそ、劇場で「なんだてめーは」とくだを巻く客に言った「芸人だよ!」のくだりなんかもそうで、「あ、どこかでもう一回来るな」と、僕は思ってしまったんですね。野暮なんですけどすごく。ああ、こういうストーリーの映画なんですね、はいはい。という風に、理屈で納得させられている部分があった気は、ちょっとしています。
これが、右脳で「うわぁ浅草の絵カッコいい!町並みめっちゃ粋だね!大泉渋いね!門脇麦エロいね!」と思っていたらいつの間にか泣いていた、位の映画であったとしたら、俺号泣してたかな?いや、まぁそれはそれでどうだったかな?など、少し思いました。ベタに言っちゃえば、BTTFでヒルバレーの町並みを見てワクワクしてたらいつの間にかプロットの仕掛けに載せられていた、みたいな。
僕はアラフォーなのでテレビでも劇団ひとりをしっかり見ている世代でもあるんですが、芸人・劇団ひとりって、破天荒で、メチャメチャで、だからこそ天才、っていう芸人だと思うんですね(それも真面目の裏返しなんでしょうけど)。この映画を見て、監督・劇団ひとりってこういうモードなんだ、と思って。結果、深見のお師匠の「芸人だったらいつでもボケろ」を、ちょっとだけ思い出しちゃった、というのが素直な感想でもあります。川島さんもっと不真面目でいいっすよ!(とはいえ、監督二作目でこれほどまでの作品を作ってしまうその手腕には、もう脱帽してもしきれません。素晴らしい映画だったからこその、ちょっとした思索と思っていただけると幸いです。)
芸人だよ、バカ野郎ー!
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年初投稿はこの作品にしようと思ってました。
浅草芸能の雰囲気が、正月に見るのにぴったりな気がしたからです。
であると同時に、話題のNetflix邦画。
題材は、ビートたけし誕生秘話。
映画ファン、お笑いファン、エンタメファンなら興味引かずにはいられない。
今や芸能界の“ビッグボス”となったビートたけし。
勿論ビートたけしの事は知らぬ訳無いが、自分が知るビートたけしはほんの一表情。
まだまだ若い素人の頃、浅草のストリップ劇場“フランス座”でエレベーター・ボーイをしていたたけし。
そんな彼はある芸人に憧れていた。
その芸人とは、深見千三郎。
たけしは勿論、東八郎や萩本欽一の師匠であるという浅草芸人。
にも関わらず、全く知らなかった。
当然かもしれない。
世代の事もあるし、それにTV出演は全くと言っていいほど無く、舞台に立って笑わせる事にこだわり続け、浅草界隈でしかその名や存在が知られなかった“幻の浅草芸人”。
が、芸人たちへの影響力は多大なもので、彼を師と仰ぐ芸人は先に挙げた人たち以外にも。
たけしは深見の“最後の弟子”。
たけしにとって深見は“敬愛する師匠”。
若きたけしの青春の日々、師匠と弟子の物語…。
深見に弟子入りを志願。
今は何でもマルチに才能を発揮するたけしだが、この頃は芸の一つも出来やしない。
「バカ野郎!」…と、いきなり大目玉。
芸の一つも出来ないどころか、深見の前では子犬のように萎縮するたけしの姿が信じられない。今、名だけ売れてる第7世代だったら第一声だけでKOされるだろう。
そんなたけしにタップダンスを教え込む深見。
あれ、これって…。
見てたら本当に、“ビートたけし”の礎を築いたのは深見千三郎であるとつくづく思った。
タップダンスと言えば、『座頭市』。
とにかく口が悪い深見。口を開けば、「バカ野郎!」「この野郎!」。我々もTVで知るたけしの口調と言えば、これ。
Wikipediaなんかによると、深見とたけしの両名を知る人は、たけしは深見の“完コピ”ってくらいらしい。
たけしが深見から頂いた言葉の一つ。
「笑われるんじゃねぇ、笑わせろ」
売れてても売れてなくても、生きざまやプライドを感じた。
芸人だよ、バカ野郎!
日々師匠にボロカス怒鳴られっ放しのたけし。
が、初舞台に立ったり、タップダンスは上達していく。
次第に深見の目に留まる。ひょっとしたら、ひょっとするかも。
深見は妻・麻里と住むアパートの空き部屋をたけしに提供。
毒舌家だけど、下町人情人らしい面倒見の良さ。
自分たちの生活も苦しいだろうに、弟子の飯や部屋の家賃はこっち持ち。師匠が弟子に奢るのは当たり前。
たけしも軍団に慕われ、面倒見のいいのは聞いた事がある。
芸風だけじゃなく、この辺のプライベートの性格まで深見の影響を受けているのが見て取れる。
深見に厳しく鍛えられ、麻里やフランス座の面々に見守られ、踊り子の千春と交流しながら、芸人として成長していくたけし。
いつの間にかフランス座の“顔”になる。
そんなフランス座だが、経営は火の車。客足はとっくに遠退き、来るのはストリップ目当て。
折しもTVが普及し、漫才ブーム。
が、深見はTVや漫才を嫌い、先にも述べたが舞台やコントにこだわり続けた。
そんなある日たけしは、フランス座を辞めた先輩芸人のきよしから、一緒に漫才をやらないかと誘われる。
悩みに悩む。
フランス座の外で、自分の芸を試す機会。
が、それはフランス座や深見と決別するという事…。
悩みに悩んだ挙げ句、出した答えは…
外の世界での勝負。
それも苦難多いだろうが、同じくらい苦渋なのは、伝えなければならないこの一言。
「辞めます」
勿論師匠は大激怒。
しかし、この時ばかりはたけしも反論する。
いつまでもこんな所で燻って、何になる? のたれ死ねというのか…?
世話になったフランス座を後にするたけし。
そんなたけしの背中に、破門を言い渡す師匠の怒号が悲しく響く。
「バカ野郎!」
たけしを演じたのは、柳楽優弥。
あの独特の首を捻る所作、身体の仕草、口調まで、さすが同世代屈指の演技技巧者! タップダンスも披露。
圧巻だったのは、時折現在のたけしも挿入。特殊メイクを施して、柳楽自身が熱演。一瞬、ご本人かと思った…。
また、たけしの所作指導や現在の声当ては松村邦洋。やっぱこの人、たけしのモノマネならピカイチ!
そして、深見役で存在感を放つ大泉洋。
毒舌でクールぶってる所は探偵“俺”、元々バラエティー出身なので笑いの勘、人情深さは本人のよう。またまたハマり役。喜怒哀楽の熱演。
二人の掛け合い、やり取りも時に笑わせ、しんみりさせ、見事。この二人だもん、当然か。
周りのキャストでは、鈴木保奈美がいい姉さんっぷり、ナイツ土屋の好相方、門脇麦はヤらせてくれなかったけど華を添えてくれた。
きよしと組んで漫才デビュー。
やっと我々も知っている。
勿論その名は…
松鶴家たけしきよし!
…あれ? ツービートじゃないの?
改名前。全く売れず、鳴かず飛ばず、客と喧嘩し、劇場の支配人から追い出される事も…。
フランス座に帰ろうか…なんて考えが過る。
…いや、ダメだ。何の為に師匠と決別してまでフランス座を出て行ったんだ。
やってやる。何がなんでも。
芸名やネタもガラリと変える。
芸名“ツービート”。
ネタはかなり過激なジョークの連発。
しかし、これがウケた。
賛否両論だけど、全く新しい笑い。
ツービートが劇場に立つと、芸人も見に行くまで。
快進撃は遂にTVの場へ。
が、リハの時、過激なネタがNGとなる。
何をやればいい? 過激なネタで笑わせてこそ、ツービート。
生放送TV出演直前。未だ悩むたけしの脳裏に、師匠の言葉が聞こえる。
「客に媚びるな」
「笑われるんじゃねぇ、笑わせろ」
ツービートが披露したネタは…
だからこそ、今の地位がある。
ビートたけし誕生の瞬間。
一方のフランス座。
たけしが去った後、経営はますます悪化。
かつての弟子・東八郎はある誘いをしてくるが、大激怒。
麻里は芸者をして生計を支え、借金をしてまでフランス座の経営を続ける。
まばらで入った客が寝てても、舞台に立ち続ける事にこだわる深見。断固としてTVに背を向けて。
時代遅れ、頑固者、化石、古臭い石頭…。
どうとでも言いたいだけ言え。
だけど、世の中に一人でも、そういう人が居てもいいじゃないか。
時代や人々が新しいものに目移りする中、自分の“誇り”にしがみ続ける。
劇中で、それを貶す台詞があった。
そんな貶される事か…!?
劇場で客の前に立つのは、どんな芸人にとっても登竜門。売れても舞台に出てネタを披露する芸人は非常に多い。彼らの“本職”なのだ。
深見にとって舞台は“誇り”でもあり、全ての劇場や笑いの“護り人”。
が、そんな彼も遂に限界が…。
フランス座を手放し、芸人を引退。東八郎からの誘い、東の弟子が経営する工場で働く事に…。
天才を育てた天才。なのに…
こうでもしないと食っていけないとは言え、切ない。切なかった…。
麻里と二人三脚の貧しい暮らし。
だけど、まだどん底に落ちちゃあいない。麻里が応援してくれている。舞台に立つ俺が見たいってよ。何てったって、俺は“浅草の深見”!
ところがその麻里も…。
弟子の活躍ぶりは凄まじく、TVで見ない日は無いくらい。
それをたまたまTVで見た深見。何とも言えぬ表情。やはり、凝りがあるのか…?
食堂の客が気を利かせ、チャンネルを変え、たけしの悪口を言う。すると…
大激怒。「素人のテメェに何が分かる!? 俺の弟子だぞ!」
芸の栄えある賞を獲ったたけし。
たまたま近くに寄った事もあり、久々に訪ねる。師匠の元を。
張り詰めたような空気…。気まずい…。訪ねるべきじゃなかったのか…?
小遣いと賞金を深見に渡すたけし。
不機嫌になっていく深見。
昔のたけしならここで、場負けしていただろう。
が、深見がとある行動をし、それに対したけしが鋭いツッコミをし、一気に場の空気が和んだ。
そのままかつてのように飲みに。
深見もバッチリとキメて。しょぼくれ落ちぶれが嘘のように、飲み屋の客を散々笑わせる。“浅草の深見”、まだまだ健在なり!
たけしも応戦。
そういや劇中で二人の笑いの合戦は、このシーンが初めて。このシーンの為にあったのだ!
お開きの際の、かつては怒られた“ハイヒール・ボケ”。あれをしっかりと覚えていて、師匠の為にお膳立てる。
本当に本作は、師弟愛の物語。
もし、体力も精神もMAXだった時の深見だったら、弟子の小遣いなんてブチギレていただろう。
しかし今はもう、そんな気力もない。相変わらず口だけは悪いが。
別の意味もあるかもしれない。
とっくに芸人も辞め、落ちぶれた。それでも、師匠と呼び、慕ってくれる。
「バカ野郎」
それが嬉しかった。
(実際二人は、これを機に再び親交を取り戻したという)
ビートたけしの自伝小説に基づく。
なので、深見の最期も。
悲劇…。
見終わった後、深見千三郎についてWikipediaで詳しく検索してしまったほど。
TV出演が無かった彼が、唯一と言っていいくらいTVで報道でされた最初で最期らしい。
訃報を聞いたたけしが師匠へ捧げた毒舌哀悼が胸に染みた。
また、深見がフランス座を守り続けたもう一つの理由。こんなにも愛されていたんだ。
…いや、ひょっとしたらひょっとしやがった。
大まかな話はエンタメ世界のオーソドックス。
無名の存在。才能を見込まれる。独立。挫折を味わうも、再起。快進撃や地位を築いていく。その心中にあり続けるのは…。
ある大物。若い才能を見抜く。決別。時代に取り残され、アルコールに溺れ…。その心中にあり続けるのは…。
これらをヘンに色を出すのではなく、笑い、人情、ハートフル、感動を織り交ぜ、誰もが見れる好編に仕上げた劇団ひとりの演出に好感。
ファンタスティックなラストが良かった。
現在のフランス座を訪れた現在のたけし。
中に入ると、そこはかつての風景。懐かしい面々が「タケちゃん!」と迎えてくれる。
バックに流れる名曲“浅草キッド”。
何だか自分もたかだか2時間だけなのに、タイムスリップして、ノスタルジックな雰囲気に浸れた。
ラストシーンは深見と舞台に立つ現在のたけし。
あのシーン。あの台詞。
毒舌だけど、生きざま溢れる。
しっかり脈々と、師匠から受け継ぐ。
「芸人だよ、バカ野郎!」
たけしを尊敬するひとり。
深見を師とするたけし。
一見、ひとりがこの二人に捧げたラブレターだが、全ての芸人、全ての芸に万感の思いと笑いを込めて。
2022年の初笑いと初感動。
芸人
あったかい話だった。
柳楽氏と大泉氏がとにかく絶品。
監督のストリーテリングと相まって珠玉の作品になっていたのではと思う。
特に柳楽氏はとんでもない偉業を成し遂げたと言わざるを得ない。日本人なら誰でも知ってる「ビートたけし」それを演じる。
記憶にあるビートたけしではない。リアルタイムでビートたけしっぷりの答え合わせが出来てしまうのだ。
…見事だった。
口調、仕草、歩き方さえ、本人そのものだった。
所作指導に松村氏を起用した監督のビジョンも卓越したものだったと思われる。
こういう話に俺は弱い。
「火花」を観た時とは違う、芸人の裏側が見えて…その生き様というか習性というか、流石なのである。
作中には金言が溢れてる。
「笑われんじゃねえぞ、笑わせんだよ」
この言葉を聞いた時の衝撃は凄まじかった。
多分、俺が中学の頃だったと思うけど。
その台詞を言ってのけた大泉氏の背骨に惚れた。
話は逸れるけど、明石家さんまさんにも鬼気迫る一言がある。あの御仁は絶対泣かないらしい。
その理由が「お客さんが気兼ねなく笑えなくなるから」なんだとか。
TVという媒体で仕事をしてきた芸人さんらしい考え方だと思う。笑える環境に「同情」とかの不純物は一切いらないのだ。
劇中、師匠の指をいじる件がある。
そんなもので一笑いできれば儲け物なのだ。
師匠が当てた万馬券を全部使うのもそうだろう。そのリアルな感情を笑いえと変換する。
24時間、貪欲なのだ。
浅草フランス座。
たけしさんのベースにはソレがずっとあるような展開になってた。
最後の1カット長回しは見事だった。
大賞の賞金をそのまま師匠に小遣いだと持っていく件とか、その後の居酒屋のやり取りとか、師弟しかも芸人の師弟って関係が素敵だった。
落ちぶれたコメディアン。
超売れっ子の漫才師。
社会的な地位は逆転するけれど、弟子はいつまで経っても弟子なのだ。
その帰り道、2人は嬉しそうに「ウケたなあ」と笑い合う。恐ろしい程にシンプルな共通項が垣間見える。
ノスタルジックな終幕ではあったけれど、きっとそのノスタルジックにならざるを得ない状況が業界にはあるのだろう。
名声を手にした時に動く金は桁が違う。
それゆえのプレッシャーも付いてまわる。
原点を振り返っても、その時のままではいけない事だって当然出てくる。
そんな想いを長回しの背中に見てたような気がする。
柳楽氏のタップダンスは絶品だった。
大泉氏の粋な台詞回しが絶品だった。
何よりこの作品を撮った劇団ひとり監督は素晴らしかった。「浅草キッド」は名曲でまた泣かされた。
そして、おそらく明石家さんまさんにも、同じくらいかそれ以上のドラマがあるのだろうけれど、全く想像出来ないし、ご存命の内にその自伝を観る事はないのだろうと思った。
観客として芸人達へのリスペクトはいらない。
ただ、彼等が色んなものを削って抱えて、僕らの前に立つ時に、面白ければ笑えばいいのだと思う。
その為に、彼等は舞台に上がるのだから。
哀愁…命懸けで今日も生きてるんだよ
Netflixで鑑賞(Netflixオリジナル映画)。
原作は未読です。
ビートたけしの誕生秘話を、彼の師匠である幻の浅草芸人・深見千三郎との関係を軸に描き出した感動作。
開始間も無くで目を見張りました。柳楽優弥がたけしにしか見えなかったからです。左目の瞬きや首の動きなど、完全トレース。それはまさに「ボヘミアン・ラプソディ」のラミ・マレックが如く。演技指導が松村邦洋と知ってびっくり!
深見千三郎役の大泉洋も素晴らしい演技でした。
序盤のたけしを教え導く「バカヤロー」。中盤でのフランス座から出て行くことを決めたたけし―師匠から旅立とうとしている弟子を送った「バカヤロー」。終盤の弟子の活躍を誇らしく思う「バカヤロー」。状況によって変わる「バカヤロー」の意味合いを表現する繊細な演技が心に沁みました。これからバカヤローって言葉聞くだけで涙腺緩んでしまうかも…
居酒屋でたけしと共に客をさんざん笑わせた後、タクシーで帰るたけしを見送るその佇まいには溢れんばかりの哀愁が漂っており、その後の結末も含めて涙を禁じ得ませんでした。
成功した者と、夢破れた者―
その対比に心揺さぶられました。
柳楽優弥がたけし?
って誰もが不思議に思うはず。
でも一目見たら誰しも似てると思うはず。
不思議だわ。
特殊メイクのたけしはともかく、素の(多少はメイクあるかもだけど)柳楽優弥がなんで似てるんだろう。
目の大きさとか全然違うのに。
仕草とか相当練習したんだろうね。
舞台裏では、腰の低いたけしさんってからかわれてたみたいだが、柳楽優弥はやっぱすごいわ。
スーパームービースターだよ!
あと笑ったのはナイツの土田。
どこかで見たような顔なのに思い出せなくて。
本人もメガネを外すと誰にも気づかれないと言っていたが、本当にそうで。
泣いたり笑ったり。良い作品だった!
タップもカッコよくてよかった。
あまり褒めると、大泉洋と劇団ひとりが調子に乗るかららこのくらいで。(笑)
先日映画館で、この作品の宣伝やってたから、劇場公開するの?!と思ったら違ったみたい。
ぜひ上映して欲しいなぁ。
面白い!
北野武の芸人になる前にいた浅草を舞台に芸人になるまで描いた作品。
まだ、芸人として活躍していない頃エレベーターボーイとして働いていた。その場所で知り合った深見千三郎さんとの出会いによって芸人にしての道が開き始める。
柳楽優弥さんが演じる北野武が見ているとだんだんそう見えてきてすごいなと感じた。
師匠と弟子の掛け合いも良かった!
一番好きなシーンは、初めての舞台で緊張して上手くいってない所でお客に馬鹿にされたように笑われてそれに対して、客に怒る所が良かったな。
「笑われるんじゃない笑わしてるやってるんだ!」
それは、真剣に向き合っているからこそ気持ちが前に出てくるのかなって思えてとても好きなシーンでした。
全体的にもグッとくるエピソードがあって面白かったです!
劇団ひとりを認めざるを得ない
芸人の撮った映画とかと思いつつ観たが、
劇団ひとりの実力を認めざるを得ない作品だった。
ノスタルジック満載で昭和の下町の底辺の人々が
夢見たり訳ありだったりほんとに情緒ある話だった。
ビートたけしも大切であろう自分の物語を
劇団ひとりに任せたのはわかる気がした。
役者がすごい良かった。
柳楽優弥や大泉洋などメインの出演者の演技も最高で、
役者を選んだ制作側のセンスも抜群だった。
浅草の下町に生きる深見のコミカルな感じと江戸っ子気質が
バランス良く表現されてタケに対する愛情など、
大泉洋ならではの表現じゃないかと思う。
たけしの大学中退からスターにのし上がるまでの青春像と
たけしを取り囲む人々の下町情緒あふれる感じもよかった。
昭和のあの時代人は連絡手段を電話以外で持たなかったため、
出て行ってしまった人との音信不通になる状況は今の世の中では
感じられないものがあったと思う。
映画に中で千春が歌ってたジョニーへの伝言や、映画の歌ではないが
瀬戸の花嫁、喝采など昭和だからこそ描かれる、旅立っていく者の
覚悟と勇気はこの時代だからこそにある情緒なんだと思った。
非常に良い青春映画だった。
とてもよかった
ツービートの漫才を見たくて見たくて身もだえした記憶がある。『わっ毒ガスだ』という本も買った。欽ちゃんのテレビのコントが深見千三郎のそのままだったことに驚く。
今ではオレも弟子を持つ立場であり、しかも弟子の方がはるかに売れていて、貧困層レベルの収入しかないので深見千三郎に感情移入しすぎてつらい。
欽ちゃんとたけしの絡む場面は見た記憶がないのだけど、お互い意識していたのだろうか。
テレビに初めて出るときに、ディレクターの指示を無視していつものネタをやる。その場面の漫才はがっつり見たい。匂わせて済まさないで欲しい。今現在、ツービートの漫才はクライマックスとして見るに耐えないのだろうか。
今は無き者たちへ
この原作を一体何度読んだかわからない。
今でも浅草にはよく出かけるが、六区には既に一軒の映画館も無く、ストリップ小屋はロック座だけ、本作の主要な舞台であり、重要な意味を持つフランス座は既に東洋館という"色物"専門の演芸場となっている。
本作を観て、まず「なんて懐かしいんだろう」と思った。
実際の(かつての)六区は、現ROXの位置には巨大なテントの「蚤の市」があって、場外馬券場は開放的だったように、もっと薄汚れていて、怖かった雰囲気の場所だったが、セットで再現された演芸場とフランス座の建物だけでなく、周りの正に軒を連ねる映画館の数々や街灯は、とても懐かしく、愛おしさまで感じられた。
大泉洋は名演、柳楽優弥も大健闘していて、ナイツ土屋は助演賞モノだと思う。
他の役者さんたちも皆良く、東八郎役の尾上寛之も特筆しておくべき。
映画について、時々MV風になるのは監督のサービス精神と思うが、いくらでも泣かせ芝居にできるのに、筆致を抑えた演出は好感できたし、なによりも劇団ひとり のビートたけしへの愛情が溢れている。というより、この映画は、たけし一人に向けて作ったのではないか、とまで感じる。
筋書に一部触れるが、原作で書かれなかった、たけし が浅草を出てからの姿、亡くなるまでの師匠の姿も描いている。
一方で主題歌は、ビートきよし ではない時期の たけしの相方(映画には登場しない)を歌ったものだ。
本作は原作と歌の両方(と恐らくは過去量産された、たけし の自伝本「たけし!」や「みんなゴミだった」など)を底本として構成されていて、その結果、映画化にはフィットする内容となり、今の目にも共感を招く作品となった。
師匠や踊り子、小屋で働く人たち、浅草六区という場所、そして多分、昔の たけし自身も、全て今はもういない者たち。
この映画に通底するのは、今は無き、現代では生きにくい者たちへの稚気に富む愛情と憧憬、そして謙虚な感謝だ。
なお、原作に登場する居酒屋は(歌や映画に出てくる)店ではない、別の店だが、そちらは今も繁盛していて、私も多分、今週末に伺うつもりだ。店主は以前「たけし はこのところは、ゼーンゼン来ないわよ〜」と言っていたが(笑)、これは御愛嬌。
映画作りの基礎体力
Netflixの作品で思い知るのが美術やCGや撮影や編集など、映画作りの基礎体力がしっかりしているところ。ハリウッド映画や韓国映画に比較して、アニメ以外の日本映画に最も欠けているところ。Netflixの日本映画を見ると、多少作り物感を伴うものの、想像以上の映像にいつも驚かされる。本作はそうした豊かな画面を背景に大泉洋と柳楽優弥が力のこもった演技を見せてくれる。
原作を読んでいないので劇団ひとりの脚本のオリジナリティは判断できないが、きちんと練習されたタップの使い方やラストの回想シーン、小さな伏線、時制の往来など、満足度の高い映画だった。
確かにビートたけしを知っている我々に向けた作りではありますが、日本で知られていない偉人を題材にした外国映画でも我々は感動することができます。でかい外車で現在の成功も想像できます。あと北野武は海外でも有名ですしね。
あと、いきなり多国語字幕や多国語吹き替えで海外の観客に届けられるところ、これも配信のチカラ。評価を見てみたいです。
いい話だなぁ
シンプルにいい話だなぁって思いました。
師匠、口は悪いけど愛しかない。
なんか下町の昔ながらの人の暖かさを
感じる映画でした。
ビートたけしさんの昔のお話ということで
すごく興味があり見ました。
漫才とかお笑いの映画って、
漫才中の感じとかって本当に演技の上手い方が
やらないと、いつも笑えないのですが
大泉洋さんも、柳楽さんも、うまいです。
柳楽さんのビートたけしを真似している姿が
演技うま過ぎてびっくりします。
顔の特徴や、姿勢や、話し方。
全部似せてるのが、さすがでした。
やってる感じゃなくて自然にその人に見えます。
演技の上手い人たちが集まっていた作品のため
より内容が入ってきて、すごくいい話でした。
靴を、お前が履いたのなんか履けない
500円な!や
お遣いだよって賞金を渡すシーンや
靴を出すんじゃなくて、ヒールを出すんだとか。
笑われるんじゃなくて笑わすんだっていう姿勢。
めちゃくちゃかっこいい芸人さんでした。
なんかずっとかっこよかったです、師匠。
ビートたけしさんの『ばかやろう』って口癖
師匠からのだったんですね。
ダンカン馬鹿野郎って、それ聞くだけで
この映画見た後だと、なんかグッてなります。笑
いい映画でした。ありがとうございます。
断固として推す。観ないと大損!
悲しいじゃなく虚しいじゃなく、ただただ「愛おしい」が溢れて、イイ歳して雑巾絞るみたいに泣いた。
だのに読後感が爽快に過ぎる。やりきれない現世の澱が、芸人たちの純愛に触れて浄化される思いがする。ウイルスまみれの年末年始に断固として推す。
血の代わりに芸で繋がった大好きな父上に死なれて、遺影に向かい末っ子が必死の憎まれ口を叩いてるのに、滝涙しつつも耐えてたのに。
父上より15も老いた今のタケシが、師匠の墓石を大切そうに素手で撫でるように洗ってるのを観て、もはや観念してオイオイ泣いた。
◆
タップダンサー目指してるでもないタケシになんで芸事が要るのだろう? と考えるに、
ただ自分が楽しいで立つんじゃなく、客を笑わせる覚悟で舞台に上がるため、パフォーマーとしての地力というか自信の裏付けというか、努力を積み上げるものとしての芸事なのかもしれない。
◆
何サマだ!という客の罵倒に師匠、「見て貰ってるんじゃねえ、見せてやってるんだ」 確かに! 見て貰ってるんなら、芸人が客に金を払わないと。
とはいえ、罵倒した客も存分に笑わせて帰さないと舞台が成立しない。
「何が面白いかはお前が客に教えてやるんだ」 師匠は常に客と勝負する気迫で舞台に上がってるんだなぁ。だから裸を見に来た客相手でも、時流に遅れどれほど落ちぶれても、卑屈に陥ることなく、あんなにも恰好良いんだ。
◆
「やらせないよ」と突き放す千春の、ガールフレンドではない戦友感が潔くて大好き。
フランス座を去るタケシに、座を動けない師匠に替わって(みたいに思えた)叩き付けながら「帰って来ないで。絶対売れて」と手痛いエールを贈る千春が、フランス座そのものの擬人化に感じた。
◆
「俺いなくなったらフランス座はどうすんだ」
「ここ畳んだらタケはどうなるんだ」
鏡合わせみたいに互いを一番大切に思い合う師弟。
◆
「いくらでもいる、こんなの」で終わるか、観衆が喝采するエンターテナーに天に選ばれて上がるか。
夢見て志す者は終わりのない戦いを、ただ己が己に見切りをつけるまで、ひたすらに戦い続ける。
遂に見切りを付けた者たちの、戦い続ける者たちへの眼差しの優しさ温かさ。
どんな「いくらでもいる」者たちにも、憧れた人がいて、悔しく嫉みながらもやっぱり応援せずにいられない人がいて、倒れたら抱き取ってくれる人がいる。そんなことを思わせてくれる映画。
円盤化、してくれ~~~~~!
ネトフリ月額じゃ全っっ然課金できない! チケットや円盤で思うさま貢ぎたいんだ、頼む!
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