僕たちは変わらない朝を迎えるのレビュー・感想・評価
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勘違い男の薄気味悪い下北沢の地雷映画。
「藤井くん、私な、結婚します。」
そう彼女が話す。二人の関係はどうでも良い。但し、ラインでの個人的なつながりがあると仮定する。
さて、貴方なら、そう告白する彼女にどんな台詞を返すだろうか?
藤井くんは
「ホンマに?」「うん」
「いつ?」と藤井くんは聞く。
すると彼女は「30歳の誕生日までにはしようと思っている」
なんなのさ?この会話。どちらも、相手の事、考えていないから、こんなチグハグな会話になる。それがすぐ分かる。つまり、作り話なのだから、鑑賞者をオレオレしているとどうしても感じる。
そして、
藤井くん何を落ち着いているんだ。
こう言った男が今は良い優しい人になるのか!?
男目線な出鱈目で、御ナニー行為。
「本音書かないと分からない!!!?」
何なの?このク◯映画。
才能は、絶対にこの演出家は無い。
結局、最後は飲み会で終わる。
下北沢映画だよー。
渋谷くんだりで、東日本出身の俳優さんに、大阪弁で下手くそな演技させるな!!
って締めくくる。
ハッキリ言うが、このウマシカ監督の考える男女関係は男目線なだけで「真の男の優しさ」じゃない。
ヒゲぐらいそれ!!!
これで2時間の映画作られたら、たまらないなぁ❢
【”理想で書くな。現実の中にある希望を書け!”今作は、最愛の人の突然の別れの告白を機に、自分自身を見つめ直す主人公を描いた作品である。】
ー ご存じの通り、オリジナル脚本で勝負する戸田彬弘監督は今作後、「市子」を作り上げ、その才能を多くの映画業界陣に認められた。
僥倖なることである。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・30歳を超え、映画監督として壁にぶつかっている藤井薫(高橋雄祐)。
ある日、薫は自身をずっと支えてきた女優・宮崎寧々(土村芳)から「私、結婚します」と突然の告白を受ける。
その早朝、彼女への想いをぶつけようと、必死に脚本を書く薫の耳にラジオ番組が流れて来る。
ー 何時でも傍にいる人から、突然別れを切り出された時に、どのように対応するのか。
今作では、藤井薫は動揺しつつも、寧々に対し、”おめでとう。”と答えるのである。-
<善行貯金。
今作は、大切な人の人生を尊重し、自身はどのように対応すれば良いのかを、静謐なタッチで描いた作品である。>
善行貯金する男
主人公、藤井薫は脚本家で映画監督、半ば同棲中の女優、宮崎寧々から飲み会の席で別の男との結婚を告げられる。薫に思い当たるしくじりや不倫でもあったのか、淡々と受け入れ、なんと祝いの言葉さえ口にする。
そのくせ仲睦まじい回想シーンの挿入など未練たっぷり、挙句にキャスティング中の女優を飲みに誘うなど本音がさっぱり伺えない。
薫の脚本「はなればなれ」を読んだプロデューサーから男女の別れ話を描きたいならもっと本音で語れと揶揄される。映画の展開自体がその脚本をなぞっているかのようなややこしい描き方、まさに観客の声を代弁するかのような指摘だが、映画はお構いなしに進んでゆく・・。
寧々も傷つけまいと気遣っているのか別れの本音を語らないからもどかしい。果たして二人の間に何があったのか謎は謎のまま。ロマンティックな悲恋というティストは名作「ラ・ラ・ランド」とも似ているがチャゼル監督との手腕の差は歴然。
冒頭、主人公が出勤途中に倒れている自転車を立て直すシーン、これだけで薫が公徳心の厚い善人であることが伝わりますので感情移入し易くなると優れた演出に脱帽しましたがほどなくそれが主人公の善行貯金の一環だったと明かされます、まったくつまらぬ蛇足を付けたものです。
挙句にその貯金を餞別代りに寧々のタクシー代に使っていました、なるほど、そういう子供じみた男だから見切りをつけたのかしら・・。それとも、薫は根の優しい善い人だから去る人を追わず責めもせず優しく見送りたかっただけという落ちかしら・・。
作家性の強い映画なので短編だから耐えられましたが、苦手な難解な映画でした。
タイトルなし(ネタバレ)
冒頭の藤井くんのメモ「はなればなれになった男女 別れのその先」という文章を映画の半券に書き込む。
藤井くんが手繰り寄せた特別な夜、よかった。寧々との夜は言わずもがな、村上さんとの夜も未来から見れば特別になってしまうのかもしれない。
変わらない朝を迎えるとしても、たった一言本音を言うことでその夜を特別にすることはできる。海で話したこの2人はたぶんこの先会わないだろうし、会うとしても藤井くんが言う“大丈夫になってから”だと思う。結婚しても他に特別な人いるんだね。
ある男の子に「✳︎✳︎✳︎さんは特別だから」とふんわり言われたのを思い出す。今となっては互いに恋人がいる。たまにというか頻繁に思い出しているけれど、特別だからもう会わないのだと思う。好きな作家の文章でこんなものがある。“いいおとなだから、わかっている。本当に失いたくないと思っていたら、さらりと手放すものだし、本当に愛していたら、一切連絡を遮断する” どうして好きだって思うのに会わない選択をわたしは選び続けているのだろう。何かのせいにして、会いに行けば楽になるのにと思っていたけれど、この文章を読んではっとする。そしてこの映画を見て、そんな感情や関係が存在するのだと確信した。
理想と希望の違いってなんだろと思ってみていた、、。理想ばかりで創り上げて仕舞えばそれは綺麗事になってしまう。少々不恰好でも、少々言葉足らずでも、着飾らずに本音で伝えるだけでいい。舞台監督である藤井くんが役者に求める「不器用な人」「愛情深い人」ってそういうことなんじゃないかな。自ずと舞台なり映画の創作物は作り手の実体験に基づくものだろうし。
秋だからか、こんな映画を見てしまった。人肌が恋しいんじゃなくて、君が恋しいんだよってのはいつかの私の日記です
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