「独立アーティストの悲哀」フィールズ・グッド・マン Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
独立アーティストの悲哀
一連の経緯を、時系列に沿ってスッキリ整理していて、分かりやすい作品だった。
単に事実を語るのではなく、「実写 & アニメ」の形式で「エモーショナルに真実を伝える、ユニークなスタイルのドキュメンタリー」を意図して制作したらしい。
アメリカ国内のディープな背景や、「オルト・ライト」の実態をよく知らない自分には、本作品の真偽や価値判断はできない。語られたまま受け取るのみである。
2ちゃんねる(「4 Chan」)と非リア充やニート、ネトウヨや極右などなど、「ふーん、アメリカもそうなんだ。現象面では日本と共通点も多いな」が、一番の感想だった。
終映後のマット・フューリーや監督を交えたトークで気づかされたのは、この問題の根底にあるのは、マットが独立アーティストということだ。
ミッキー・マウスその他、有名になるキャラは、大会社によって権利が管理されている。
ところが、この“カエル”は権利で守られておらず、マット自身も表現者の一人として、二次創作を制限したくないという気持ちが働いていたことが、“初動対応”を間違えた原因のようだ。
だが、「4 Chan」の“不幸で惨めなカエル”にとどまっているうちは、まだ良かったのだ。
マットも、どんな形であれ“カエル”が有名になることには、まんざらでもなかったかもしれない。
しかし、トークではさかんに「reinvent」という言葉が使われていたと記憶するが、この“カエル”は2005年頃からずっと存在していたのに、約10年経って急に“ヘイト”のシンボルに再考案されてしまったので、マットも使用の差し止めの訴訟を起こさざるを得なくなった。
「インターネット・ミーム」という存在については、自分は初めて知った。
同じ“カエル”が、アメリカでは極右のシンボルとなり、逆に、香港では民主化運動のシンボルともなる。その発展は、迅速で自在である。
今のところ日本には、この種の影響力をもつ“画像ミーム”は存在しないと思う。
しかし、“ゆるキャラ”が好きな日本人である。政治の世界にも、“画像ミーム”が登場するのは、時間の問題かもしれない。
国会答弁での「鬼滅の刃」使用について、作者はどう思っていたのか、知りたいところである。