ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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濱口監督の心地よいハンドルさばき
村上春樹の持つ言葉の引力。
シンプルなのに沁みるようにスッと入ってくる。
冒頭から全てが美しい。
みさきの運転のように心地よい濱口監督の演出。
次々と目に飛び込む美しい景色。
目で追ってしまう魅力的な女性たち。
そんな時、アクセルを強く踏まれ感じる重力。
深い闇を照らすヘッドライト。
明確な感情を捉えることが出来なかった
失ったパートナーや家族に対する想いが
ライトの光で浮かび上がる瞬間。
こんなに清々しいドライブは久しぶりです。
喪失と後悔と真実を観ること
映画が始まってすぐに、この映画🎬は、絶対面白いな。と、確信できて、最後まで裏切らない映画でした。
大切な誰かを亡くした時に、
なんとか出来たのに、それが出来なかった、、
という場合は、、やはり後悔が、しつこくて、深い。
そうしたことを乗り越えて生きたい、すべての方に
オススメな映画です
そして、声、言語、音、セリフ、コミュニケーション
って、なんなのか。。ということが、伝わってくる映画でもあります。。
カンヌの脚本賞✨を受賞したことに
深く納得が行きました
こころが、ほんとうに静かに満たされました。。。
見る前に「ワーニャおじさん」は読んでおこう
映画普段全然見ません。
村上さんの作品はほぼ全て読破しています。
今まで村上さんの作品の映画化は、いまいちピンと来ませんでした。
そのため今回もがっかりするのでは、、。と思いましたが、映画を見付けない人にも楽しく見ることができました。
本作は「村上さんの作品を監督はこう解釈した」と真正面から向かっている姿勢がとても良いと思いました。
原作を読んだ者としては、鏡の使い方が上手いなあ、と思いました。
村上さんの作品では鏡はとても重要なモチーフだから。
性描写がありすぎて途中で気持ち悪くなって席を立ちそうになりました。ディープキスの音などいたたまれなかったです。これは不要かと。
「シエェラザード」との組み合わせはいらない気がします。
妻は話の中だけの存在としているだけで十分なので実在の音役は映像としていらないと思いました。テープの声だけの方が想像が膨らみます。「女のいなくなった男たち」でなく、「女のいない男たち」なので。
原作でも、妻は既に亡き存在として、他者からただ語られるだけの不確かな存在です。
できればサーブは黄色であってほしかった。村上さんの作品では色は必ず意味があるから。原作への敬意として。
十二滝村のシーンは、どこかで羊男が出てこないか注意深く見ていたが気づきませんでした。残念。
最後10分急に陳腐になりました。抱きしめあっちゃダメでしょ。「音を怒ってやりたかった。」とセリフで言わせてはダメだと思います。言葉でなくてそこは映画なので、映像とか音楽でなんとかしてほしいです。そのセリフは見る人に想像させてほしいです。
最後明るい話になって大団円だったので原作至上主義者には違和感は感じつつ見終わった後は明るい気持ちになったので良かった気もします。
高槻役の岡田さんは、秘めた挑発性がこの展開につながったのかと後半でしっくりきました。
でも、高槻という存在と家福との関係を丁寧に描き切らないままキメの台詞が来たので、いまいちのることができませんでした。
家福が高槻の懐に入り込んでこそ、あの台詞が家福の心に深く降りてくるのではないかと思います。あのキメ台詞を引き立たせたいのなら、関係性をしっかりと映画内で描き切ってほしいとも思いました。
西島さんが目薬さすシーンが、時々あってそれがよかったです。
なによりも、一番光っていたのは、韓国語の通訳スタッフとして出ていた俳優さんです。あの方の地に足のついた演技で浮世離れの話でなくなった気がします。彼の存在だけでこの作品は★4つ。
追記:考えてみると、物語と映像には、一貫して死がまとわりついています。妻の死、みさきの母の死、抑揚のないセリフの練習。広島のゴミ処理場で出てくる原爆ドームを繋ぐ吹き抜け、北海道の雪景色の白。
だからあの芸術祭の担当の女の人はあんな無表情な話し方をするんだろうなと思いました。あの物語自体が異界の物語なのでは。ロードムービー仕立てになったことでお遍路さんを想起させます。その中を巡る赤いサーブは血の色ですね。それを生の象徴ととるか死の象徴ととるか。
連絡船で真っ黒な夜を越えて行くふたり
村上春樹の短編小説が原作。濱口監督の脚本。韓国の俳優たちを含めた多言語の舞台芸術場面に没入できないもどかしさを感じつつも、3時間の上映時間に長さを感じることはなかったのは、原作をかなり変えた脚本と西島秀俊と三浦透子を含めたキャストのためと思われた。
俳優で演出家でもある家福悠介(西島秀俊)は広島での芸術祭の期間中の約2ヶ月、愛車のSAAbの運転を任せることになった左頬に切り傷のある寡黙な蔭のある若い女みさき(三浦透子)は韓国出身の主催者の家に招かれ食事をともにすることをきっかけに話をすることが多くなったり、ふたりとも喫煙者なので話すことが多くなり、ゆっくり距離を縮めてゆく。悠介は3年前に妻の音(霧島)をくも膜下出血で亡くしていた。みさきは北海道の辺鄙な村(上十二滝町)の出身で、裏山の崖崩れで母子家庭のひとり親を亡くしていた。ふたりとも親しい者の死に際して、誰にも言えない愛憎と罪悪感の入り雑じった苦しみを伴う秘密を胸に生きていた。
芸術祭参加演劇に応募してきた俳優の高槻は女にも喧嘩にも手が早く、公演初日の数日前に傷害殺人罪で逮捕されてしまい、悠介は主催者側から公演中止か悠介が主役の代役を勤めるかを数日中に決めることを求められる。悠介が自ら主役を演じたくなかったのは、劇の主人公を演じると妻のことを色々思い出して辛いからなのだろう。
悠介はみさきに故郷の村をみせてほしいと言う。広島から北海道に車で向かうのだ。運転を代わろうかと申し出る悠介を拒むみさき。中学生の時から運転していたみさきのプロ根性(暴走族ではない)。青函連絡船(青函トンネルが出来以来、運航しなくなったのでは?)で仮眠をとって、故郷の雪に覆われた廃屋を前にして、抱き合い、涙するふたり。確か、連絡船のデッキから悠介は子供モノの防寒服を海に捨てたようなシーンがあり、仮眠するみさきに女性モノの防寒コートをかけてあげていた。悠介がこれまで大切にしていた思い出に一区切りつける決心をしたんだと思った。悠介には4歳でひとり娘を肺炎で亡くしている過去があった。生きていればみさきと同い年らしい。夫婦はその後、子供をもうけないことに決めて、妻もドラマの脚本家として活躍していた。夫婦がベッドでかわすピロートークはオーガズムに達した妻がうわごとのように言うことを悠介が翌日妻に口述するかたちで紡いでゆくドラマの脚本だった。思いを寄せる男子生徒の家に昼間忍び込み、タンポンや下着を置いて来て、自分の気配を残すという奇行を繰り返す女子高校生の話し。ここらへんは村上春樹っぽいのかなぁ???初期の村上春樹しか読んでないけど、こういうエロはちょっと春樹らしくない気がする。
霧島れいかはけっこうご年配なのにきれいなお背中でした。ありがとうございました🙏
脚本では原作での舞台の東京を広島に移し、撮影は主に釜山を使ったらしいので、青函連絡船は釜山の連絡船だったのだろう。
最後!悠介は芸術祭の舞台に立っていた👏乗り越えたのだ。
ラストはみさきがSAAbを運転する韓国の広い道路や量販店の駐車場で終わる。主催者の家にいた犬も一緒だった。左頬の傷もきれいに消えかかっていた。実に清々しい終わりかただった。みさきに赤いSAABをあげた悠介。車のナンバーは多摩503つ3982だったのが韓国のナンバーに変わっていた。犬はくれって言ったのかな?
サスペンス映画だったら、みさきが悠介と主催者夫婦を殺して、韓国に高飛びしたってことになるんでしょうけど。
#70 ラスト近くまではほぼ完璧
普通の映画ならなんでやんねんってツッコミたくなるところがいっぱいあるけど、この映画はラスト近くまでどんなことが起きようともツッコミどころがなくてほぼ完璧に私の心を鷲掴み❣️
仲良さそうな夫婦に実はドロドロした側面があっても、一つの舞台で色んな言語が飛び交っても、若い女の子がドライバーさんやろうとも、全てこの自然な流れですんなり受け入れられる。
他の男と寝ててもダンナのことを愛してる奥さんの気持ちも、それを見て見ぬふりをするダンナさんの気持ちもわかる。
でも、でも、主人公達がドライバーの故郷に向かうあたりから、だんだん理解不能なことが起きてきた。
ゆっくり下道の国道8号線通って2日間で北海道に行って帰って来れるのか不安になってきたが、なんとか目をつぶって物語に入り込む。
こんなに夜暗くなってもフェリーにチェックインできるのか?ってところもなんとかスルーできた。
しかし北海道到着後スタッドレスタイヤ無しで雪道走るのはどうしても納得行きませんでした。
いや、途中のオートバックスでタイヤ履き替えたのかもしれんけど。それとも多摩ナンバーだから元々スタッドレス持ってた?
こんなイケズなことばっかり考えちゃってごめんなさい🙇♀️
それをさらにスルーしてメガマートで買い物する彼女の顔を見たら、終わりはめでたしめでたしで一安心。左ハンドルで良かったね。
欲を言えば空き巣の女の子の話、好きな男の子のお家がどうなったのかもっと知りたかったなあ。
詳しい事は分かりませんが良い映画でした
何の予備知識もなく原作も読まず、ただ友達が西島さんのファンの為、観に行きました。
最初は激しい性の描写に驚きましたが、最初だけでした。
運転が心地よいと聞かされると、上映中多くある、車に乗っている場面は不思議と心地よく感じました。長距離のドライブをすることは最近めっきりありませんが、昔のドライブを思い出し、自分も乗っているような錯覚をしました。
広島の美しい景色を交えながら国際的な演出の舞台を作る様はとても素敵でした。愛人の1人であった岡田将生への対応もとても冷静で、判断を誤らない大人の男性を演じられていました。反面こんな素敵な男性でも、過去の失敗を省みて正直に言葉にすることが出来た所は素晴らしいし、膿を出し切った後進んで行くことも可能であると、悩む時間を交えながら、ごくごく自然な形で投げかけている、良い映画だったと思います。
残念だったことは、ラストのシーンは必要だったのかがよく分かりせんでした。
賞を受賞された素晴らしい作品との事で納得出来ますが、個人的には11月公開のあの作品を心待ちにしています。
カンヌって感じの映画だなと思います
この手の映画が好きな人は面白いのかも
しれむせん
邦画の波の無い映画というか…
受け手側で思いを汲んで下さいみたいな感じです
無音に近い所が多くIMAXやド派手に音を鳴らしている
作品どぶつかると最悪の映画かもしれません
何となく女々しい話しだなと感じでしまうし
色々どうなんだろう? という所あり
相性かもしれませんね
ごみ収集車はサイズ的には普通免許な雰囲気は
ありますが、大型免許は必要なんですよね
郵便局の配達カブが50なのに原付ではダメな様に…
と尺が長いく勢いで見る作品ではないので
色々と気になってしまいます
正直、エンドロール後は何の為に?
と思ってしまいます
犬が居るからあの夫婦に着いて行ったんですかね?
車は貰ったのか? 2人で行ったのか?
兎に角 尺が長いのでお腹には何か入れて
おく方が良いです
そして、疲れている時もやめた方が良いです
あとポップコーンみたいなものも音が気になるかも
最近はcocoaのためにマナーモードで鑑賞下さいですが
バイブの音が気になる作品です
大きなスクリーンは必要ないので配信で見るのが
ベストな気がします
好き嫌い はっきりわかれるかなー うん いかにも カンヌうけしそう...
好き嫌い はっきりわかれるかなー
うん いかにも カンヌうけしそうだなとは思いました いやいやいい意味でね
前半があるから 後半が より生きてくるのかなー
とは思うけど 三時間て長い
少し 前半(奥さまが生きていた頃のところ)短くならなかったかなー
そしたら後半 より 集中してみれるなーと思いました
西島さんて あんなに 弱々しくもなれるんだーと感心
ドライバーの女の子すごくよかったし
手話の女性 あの演技でぎゅーっと高まるなー
上質な映画だなーと思いました
ぜひとも映画館で
ただ奥様 なんかなぞの人物で終わったのが
自分的には 唯一↓
文学的な趣ある作品
舞台俳優の家福悠介(西島秀俊)は、脚本家の妻・音(霧島れいか)と表面上は幸せに暮らしていたが、音が脳梗塞で突如他界してしまった。2年後、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かった。そこで出会った女性の専属ドライバー・みさき(三浦透子)と接する中で、それまで避けていた事に気付かされていくという話。
脚本賞を取っただけあって、3時間と長めの作品なのに長さを感じなかった。
各々の登場人物の過去が徐々に明らかになるのも興味深く観れた。
最後みさきが家福のサーブで韓国に居るのがよくわからなかった。韓国人夫婦に付いて行ったのかな?
霧島れいかが美しかった。
夫婦の変化に
夫婦という関係の変化に耐えられなかった夫の行動、そして妻の死からも目を逸らし生活をしてきた男の物語です。
2人の関係を淡々と描き、妻を亡くして2年後物語が流れていきます。
東京を離れ広島という地方都市、自分のテリトリーにスッと入ってきたドライバーとの関係、そこで起こる出来事により自身が妻との関係を見つめ直します。
この描写をドライブで流れる様に進む景色とゆっくりと進む車内の対比で描くのですが、そのゆっくりとした時間を楽しめる方にはお勧めなのですが、私にはちょっと長く感じました。
あと舞台の練習シーンが多く描かれるのだけど淡々としたシーンの意図は何となく分かるんだけどこちらも長く感じられました。舞台がこの物語で必須なことはわかるんだけど。
罪と絶望の向こうに
予告から興味があった一作
自分はとりわけハルキストなどではありませんが
西島秀俊は昔からいい俳優だなあと思って
いましたがなかなかおっとり系の印象で
代表作っていうとなかなか強烈に思い浮かばず
最近の「サイレント・トーキョー」や
「奥様は取扱注意」でも映画全体の出来の悪さも
あって持ち味が出てない感じでした
そこへくると今作はかなり良かったです
主人公の家福悠介は舞台役者
チェホフの戯曲を感情を抜いた言葉として頭に入れ
そのセリフの流れを自分のパート以外を妻・音の肉声
のテープで車内で流し頭に入れるのが習慣
淡々としつつ音とは強く結ばれていました
音とは娘を4歳で子供を亡くし
失意の妻を支えるうちセックスの時に語る
架空の物語をしたためて脚本にすると
妻は脚本家として社会復帰を果たしていく
など献身的な良い夫です
ところが妻は脚本家としてドラマ化などが
あるたびにその主演俳優などと寝ていた模様で
悠介は(早い段階で)気が付いていたようですが
事を荒立てることなく淡々と気づかないふりを
していたようです
そうすることが夫婦にとってベストと
思っていたようです
そんな悠介にある日音は仕事から帰ったら
話があると言いますがその日帰るとくも膜下出血
で倒れ生きて帰らぬ人となってしまいます
その葬儀の場で涙を流さない
悠介の姿がありました
2年後チェホフの舞台企画で役者の選定から
行う役を任され広島へ向かう悠介ですが
そこでみさきという不愛想な女性の運転手を
付けられます
音のテープでセリフを頭に入れる関係で
当初は拒否しますがしぶしぶ運転を任せると
非常にスムーズな運転で感心し母の仕事の
送迎を中学の頃からしていた
揺れると殴られるからこの運転を必死で覚えた
などの話を聞き徐々に打ち解けていきます
みさきも悠介のサーブを気に入り
どうも雇い主の韓国人の家の犬には
打ち解けているようです
その舞台のオーディションには生前の音と
寝ていた俳優・高槻がやって来ます
高槻は悠介と真反対の欲望に任せて
すぐ誰とでも寝る欲望の塊みたいな男
この2年で新進気鋭のポジションから
スキャンダルで転落してしまったようで
悠介は偶然音とまぐわう姿を
実際目撃していますが
悠介は高槻をワーニャ役で起用します
高槻は妙に悠介に絡んできて
音の事を無神経に色々聞こうとしますが
その中で音から悠介が聞いていた物語の
続きを高槻は知っていると言い出します
そして高槻は音がしていた事の本当の意味を
少しずつ知ることになります
妻がセックスの後に語る物語
それは音を徹底して肯定する献身的な夫に
愛され愛する立場から可能な限り比喩された
「本音」だったのかもしれないのです
高槻はなぜそんな話をし始めたのかと
思っていると執拗に写真を撮る男を
殺害した罪で高槻は逮捕されてしまいます
自分の運命を悟ったのでしょう
舞台は出演者の逮捕となり妻の死後避けてきた
チェホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」の主役
ワーニャの役をやるか舞台を中止するかに
迫られみさきの故郷の北海道の村まで
広島から向かうようお願いします
「ワーニャ伯父さん」という戯曲は
後から調べましたが簡単に言うと
長年尽くしてきた教授に裏切られ
教授の後妻への恋も破れ
激高して教授の殺害を試みるも
ピストルの弾は外れ絶望に打ちひしがれた
ところを教授の前妻との娘ソーニャに
たしなめられるという悲しいお話
この話にどんどん悠介がワーニャの立場に
収まっていくストーリーなのですね
そんなワーニャ役に高槻を据えたのも
悠介なりの復讐も入り混じったものだった
のでしょうが結局高槻はワーニャではなくなり
自分にその役が回ってきてしまったわけです
ところが今はソーニャもいます
みさきは娘が生きていれば同じ23歳
暴力もふるい時には優しかった母を
土砂崩れの中から救い出すのが遅れ母は死亡
あてを失い残ったクルマで走り出しクルマが壊れた
場所が広島だったと
母は時に優しかった時に人格がもうひとつあり
その優しい人格をあやすのが好きだったと
みさきは振り返ります
でもその好きなような嫌いなような母を
自分は土砂崩れの時にすぐ救い出そうとせず
殺してしまったと独白します
すると悠介もあの話があると言われた日
怖くてすぐ帰らなかった事でくも膜下出血で
倒れた音と救えなかったと吐露
結局音の気持ちにどこか気づいていたのに
棒読みするセリフのように流れを気にして
すべきことをしなかった自分を公開しつつ
それでも生きていかなければいけないと
みさきと抱き合い覚悟を決め
ワーニャを演じることで物語は終わっていきます
エンディングでみさきがサーブと犬を手にして
韓国の道を走っているのは新天地で自分に必要な
ものを手にして前向きに生きていく描写なのでしょうか
物事は様々な要素様々な事情が絡みあい
正義や悪では判断が付かない事ばかりだと思います
最近は自分で考えず人に乗っかって叩くなじる
を炎上炎上と騒ぎ立てるニュースが日々流れ
ウンザリしますがもっと人間はややこしく難しく
思慮深い生き物なのだと思わせてくれる作品だと
思いました
180分もの長尺でいざ感想を書くとこんなんに
なってしまいますが長さはまるで感じず
むしろ観ながら登場人物の気持ちを考える時間を
たっぷり持ちながら観ていける感覚でした
西島秀俊も押しが弱くふんぎりがつかない
感情を表に出せずしまい込む難しい役を
見事に演じており個人的には最高傑作
じゃないかと思ってしまいました
長いし派手な映画ではないですからおすすめする
わけにもいきませんが後々配信でも
じっくり見てもらうと完成度の高さ出来の良さを
感じることができると思います
美しい海、高速道路
3時間に迫る長尺に躊躇しつつも、海外受賞の邦画への自分の評価が最近どんどん合わなくなってきているので、そこの興味もあって挑戦してみた。見て良かった、迷ったら見た方がいいよ、と思う。
美しい映像と興味を引き続ける舞台設定・登場人物たちに、結果として3時間は全く長く感じず、筋次第ではもう少し見ても良かったかな、配信のミニシリーズでもいいかな、という感覚。短く刻もうと思えば刻めるシーンも多々あったと思うが、確信犯で残しているな、と理解。
役者としては、台湾出身の女性と韓国の手話を操る女性の二人が器用で印象に残った。屋外で二人で行うリハーサルのシーンは、そこにある木も葉も取り込んで、景色も筋の上でもとても美しいものになっていた。また音さん役の霧島れいかは顔を覚えていなかったのだが、男を連れ込みながらも夫を愛している姿に、もちろんそういう設定ではあるが無理がなく、何より美しかった。
しかし、岡田退場後の二人の会話にいろいろと納得をしつつも、いくつかの事情で、芯から乗り切れない感情が、結局ラストまでつながってしまった。
まずは、岡田将生の役柄がわかりづらかった。軽はずみで直情的な行動で立場を失っていく役柄と描かれながら、一方では主人公夫妻の脚本・演出に深い理解を示し、またサーブの後部座席では人間をわかりきっているような上からのコメントを残す。特に再登場後に軽さが協調された後だけに、中間で少し深みを見せておいてほしかった。
もう一か所は、広島→北海道(しかも札幌近郊まで)のロングドライブ。どれだけ遠いのか。海外では距離感をつかめないと思うが、二日間考える時間がある、という中で車とフェリーで行こうとする距離ではない。タイヤは大丈夫か、とかも気になるし、帰れないと思う。 こうしたちょっとしたところで冷めてしまうので自分ながら面倒だな、と思うが、最近の「竜そば」の四国からの上京もそうだが、もっと無理がない距離感での舞台設定は可能なはず。今作では広島にこだわるなら長野あたりにするか、北海道にこだわるなら仙台あたりにするとか、誰も意見しなかったのだろうか。
静かにゆっくりと流れていくのに、退屈せずに引き込まれていく奥深い映画でした🈵
現実世界と劇中劇を交差させながら、登場人物に秘められた内面を探りだしていくヒューマン映画かなと感じました😊
いくつも観るべき視点があるので、なかなか一度の鑑賞では理解できないですが、わからないままにもどんどん引き込まれていくところが見事だなと思いました🙆
自分なりに感じた視点を挙げるとすると
まずは、現実世界と劇中劇の関係ですかね。
劇中劇の「ワーニャ伯父さん」というのが、断片的に出てきて、どういう話なのか良くわからないんですが、何となく現実世界と共通しているところが意味深ですね😅
劇中劇を理解すれば、もっと良くわかるんだろうな…と。
二つ目は、円満な夫婦でありながら、他の男性と関係を持つ妻とそれを知りながら見過ごす夫をどう理解するかですかね😋
ここは、見る人によって見解が分かれるでしょうが、私は知らない振りをして今の関係を続けようとする夫の気持ちは何となく理解できますが…😓
三つ目は、岡田将生演じる高槻ですね😅
彼もどういう人間なのかよくわからないですが、この映画のキーマンではありますよね😋
家福の妻がどういうつもりで高槻と関係を持っていたのか、高槻が家福の妻にどういう感情を抱いていたのか、高槻とは一体何者なのか、など気になりますね😨
四つ目は、三浦透子演じるみさきの過去と家福との関係ですね😅
無愛想だったみさきに対して、ドライブを通じて徐々に変化していく家福の感情、荒れ果てたみさきの生地を見に行ったときの家福の心情、死んだ娘と同い年のみさきをどんな風に感じていたんだろう⁉️
さらに、手話をしていた韓国人俳優(イ・ユナ)もとても魅力的でよかったですし、手話の場面はジワーと心に沁みました😢
いずれにせよ、いろいろ観るべき視点も多く、とても考えさせられる感慨深い映画かなと思います😋
これらの視点を理解するためにも、もう一度観てみたいですね‼️
1冊読了
原作があるので当たり前だが、他の原作映画以上に観賞後に一冊の小説を読み終えたような感じを覚える不思議な映画。
村上作品を意識してか、意図して文字を追っていくのと同じスピード・テンポでストーリーを進行させる演出と脚本が要因だとしたら、僭越だが相当な技術を持った監督だと思う。
物語は子供の病死からいつの間にか心底本音をぶつけて話し合う事を避けるようになり、妻の死に対し罪の意識と大きな喪失感を持った男が、生きていれば娘と同じ歳で同じように母親の死に後ろめたさを感じ続けて来た若い女性と遭い、お互いが嘘のない誠実さを認め合って行くうちにうっすらとした疑似親子のような関係性が出来上がり、心の内を露わにしていく事でそれぞれが今後の人生を前向きに考え歩んで行けるようになるという話。
主演の西島秀俊は表情の変化があまりない俳優だが本作ではそれが功を奏し、妻との関係を壊したくないが為に一切の詮索をせずに平常を保ったままでいる、ある種臆病な役柄を好演している。
妻役の霧島れいかは亡くなった妻や別れた元妻役を演じさせたら日本一だが、心を病み秘密ありげな雰囲気を上手に醸し出しており「妻は一体何が言いたかったのか」という物語の根幹部分を観ている側の頭の中にしっかりと残した。
運転手役の三浦透子は見た事があるという程度の女優さんだったが、登場時の地味な服装の寡黙な雰囲気から一転、物語終盤に自分の過去を雄弁に語り始め、ラストでは年齢相応の様子にガラリと変え、別人のように生き生きとした表情で前に進んで行くという姿勢を大きな落差を利用し観ている者に対し強く印象付けた。
運転でその人となりがわかると言うが、主人公家福がストレスのない運転をするみさきにプロ意識と人を気遣える誠実な性格を認め、みさきは年代物の車の状態などから家福のぶっきらぼうだが真面目で嘘のない性格を見抜き、お互いが徐々に距離を詰めて行く過程を時間をかけゆっくりと丁寧に描かれているのだが、今の時代にサーブ900という車の持つイメージ(赤じゃないかなとは思うが)と不思議と合っており、アクション映画以外で車が主役レベルの活躍を見せる稀有な作品だと思う。
(願わくばもっとインパネやトランクなど車内の映像が欲しかった。)
観終わった後に長距離ドライブに行きたくなってしまった。車内喫煙OKにして・・・。
村上春樹作品という事もあり観るものを選ぶ映画に入るとは思うが、大きなイベントがあるわけでもないが3時間が長く感じる事はなかったので、迷っている人には薦めたい映画である。
3時間は必要な尺でした
村上春樹の本は苦手です。でもこの映画は、3時間飽きることなく、ずっとこの世界観の中にいたかった。予告でもあった、2人で車の中でタバコを吸うシーン、素敵だった…。その前の高槻から聞かされる話からの流れでさらに印象深く感じ入った。劇中劇の読み合わせのシーンも、へぇ舞台はこんな感じで作り上げていくのかと感心したし、音のカセットテープでのセリフの言い回しがただの大根ではなかったことがわかって安心した。笑
最後はちょっとどういうことか色々と想像できるような、はっきりとわからないけど、でも前向きな雰囲気で、心地よく観終わりました。
みさきの笑顔が見れてよかった😊
【”愛する人の全ての行いを受け入れ、自分自身も偽らない。”心理劇、劇中劇、ロードムービーを見事に融和させた作品。生きる辛さ、苦しさ、それでも前を向く大切さを描く。じわりと心に沁みる作品でもある。】
ー 久方振りに、鑑賞後も余韻に浸り、席に座っていた作品である・・。
本作の様な素晴らしき作品に出会うために、私は映画館に足を運ぶのである・・。ー
◆作品の印象
ー 出演役者さん達の抑制しながらも、ここぞという所では観る側の気持ちを掴み取る数多くの演技と、原作を大きく膨らました見事な脚本に支えられた、3時間という長さを全く感じさせない映画であった。ー
・序盤は、家福(西島秀俊)が、妻、音(霧島れいか)の性癖に気付きつつも、見て見ぬふりをしながら、妻を愛する複雑な心情が描かれる。
ー ”オーガズムを感じながら、物語を紡ぐ・・。”
そして、現実から逃げていた家福に起きた哀しき出来事、心に負った傷が、後半の展開に繋がっていくのである。巧い。ー
・家福の愛車”SAAB 900ターボ”の格好良い赤い車体が街中を走る姿を俯瞰で捉えるカメラアングル。
車内で交わされる家福と音との会話と、カセットテープに収められた”ワーニャ叔父さん”の音が吹き込んだ劇中台詞と家福が合わせて口に出す劇台詞の絶妙な、シンクロニシティ。
ー この、現実世界の出来事と、”ワーニャ叔父さん”の劇中台詞の連関は、ラストまで続くのである。見事である。ー
・2年後、舞台が広島に移り、家福が演劇作家として、広島で講演される”ワーニャ叔父さん”のキャスティングを決めるシーンや、その後の家福独特のワークショップのシーンもとても面白い。
ー 家福が”ワーニャ叔父さん”に任命したのは、音と情交を交わしていた高槻(岡田将生)だった。家福の復讐かと思ったが・・。ー
・劇団主催者が家福のために用意した、哀しき過去を持つドライバーみさきを演じる三浦透子が良い。最初は、無表情だが、”家福と同じ哀しき想いを抱えているのでは・・”と徐々に気づいて行く姿を絶妙に演じている。
ー みさきの加速、減速を感じさせない運転技術を身に着けざるを得なかった理由も、沁みる。ー
・”SAAB 900ターボ”に乗りながら、高槻が家福を凝視し、眼に涙を溜めながら言った言葉。
”他人を良く知るには、自分自身を偽りなく開示することではないですか・・”
高槻が下りた後、みさきが言った言葉。
”嘘ばかり聞いて来たから、分かります。あの言葉に嘘はないです・・。”
ー 見事な会話劇、心理劇であるなあ・・。車中のシーンの岡田将生さんの表情は、畢生の演技であった。ー
・”社会人としては不適格”と言われた高槻が起こしてしまった事。
そして、”ワーニャ叔父さん”を中止するかどうかを決めるために、家福がみさきと向かったのは、みさきの哀しき想い出が残る北海道であった。
ー ロードムービー要素が加わり、この物語に更に広がりを持たせている。
そして、漸く着いた雪の中の拉げた家の前で、みさきが言った言葉。
”母には、別人格があり、私を叩いた後にサチと言う5歳の娘になるんです・・。母に残った最後の良心だったかもしれません・・。”
そして、漸く心の痼をみさきに吐露する家福の真の叫び。
家福と音との間に生れ、夭逝した娘は生きていればみさきと同じ23歳であった。
同じ哀しみを抱きつつ生きて来た二人。
この瞬間に、みさきは家福の娘となり、家福は彼女を抱きしめるのである。みさきも又・・。
この作品の白眉のシーンであろう。ー
・ラスト、家福は高槻の代わりに”ワーニャ叔父さん”の舞台に立つ・・。
- そこで、韓国手話でソーニャが、ワーニャ叔父さんを演じる家福に語る言葉。
そして、みさきも赤い車体の”SAAB 900ターボ”を韓国で走らせる。
彼女の表情は穏やかだ・・。-
<生きている間には、辛い事が沢山ある。
それでも、絶望に陥ることなく、辛い事から目を背ける事なく、懸命に前を向いて生きていく大切さを”心理劇””ワーニャ叔父さんの劇中劇””ロードムービー”を絶妙にブレンドして描き出した作品である。>
<2021年8月20日 劇場にて鑑賞>
■今作を鑑賞後、
村上春樹さんの『蛍・納屋を焼く・その他の短編』と『女のいない男たち』収録の「ドライブ・マイ・カー」と「シェエラザード」と「木野」を再読。
濱口竜介監督の脚本構成力を再認識した。
村上映画って感じだろうか?
原作を観てないのだがこの映画観た最初の感想は
なんか村上春樹の小説を読んだような空気感だった
心地よいイメージと思考の海に漂うような感じで
原作への忠実性がどうかはともかく
作品として成功してるんじゃないかと思った
話としてはずっと妻を亡くした事からくる切なさ、やるせなさで引っ張っているが
なんていうかそれ以外にも色々な要素を提示していてそれがいい
失われた娘の話とかドライバーの母親の話とか話が落ち着きそうになると
その都度燃料が足されるような展開で観ていて飽きない
ただ、ちょっと最後の方長く感じたかな
なんとなく展開は読めていたので結論が早く観たくなる感じあった
人間は何かを信じたり、信じ込むことによって時には柔軟に事実を受け入れられなくなる
不義理な人間、上手くいかなかった関係について理由を考えたがるものだが
そこは考えなくていい、そうゆう人だったとして受け入れられないですか?
ってドライバーの娘の問いは鋭かったね
人間はお互いに何もしなくても影響を与えあっている
お互いに理解しようとするが理解なんてできない
でも、何か気持ちが通じる時がある
それは言語に関係なく、人間としての共通項なのだと思う
その事を言語の違う演劇という舞台を通じて描きたかったように感じた
そして同じような傷を背負った主人公とドライバーが
お互いに支え合うことで乗り越え進んで行く
そんな終わり方はありがちながらも、希望を抱く終わり方だった
結果、何かもう一度浸りたくなるようなそんな観心地の映画だった
濱口監督に感服
濱口メソッドと言われる演出法。
感情を入れず本読みする。キネマ旬報で読んでいたので知ってはいたが、映画でこの演出法が流れる。役者は日本人、韓国人、台湾人、手話で語る人、言語が様々。なかなかこういった演劇が実際存在するかは知らないがとても引き込まれた。霧島れいかさん演ずる音の語りの後半が岡田くん演ずる高槻によって核心をつく。
このシーンの岡田くんが素晴らしい。
運転手のみさきの母とのエピソード、みさきの生い立ち、一緒にみさきの家があった北海道まで車走らせ、西島秀俊演ずる家福の妻に対する思いを吐き出すシーン。
また観たいと思わせてくれる映画です。
木曜日の食卓からの西島秀俊ファンだが、濱口監督にお礼を申し上げたいです。
素晴らしい映画、脚本です。ありがとうございます。
黒沢清監督のコメントが非常に嬉しく、少し泣きました。
なんて美しき世界観!
静かで儚く美しい
原作未読ですが、脚本が素晴らしい。
次は?次は?と早く知りたい衝動に駆られて画面から目が離せない、離したくない。伏線からの回収も巧みなため、3時間の長編作品とはいえ全く退屈なく鑑賞できます。
本作の一番の魅力はストーリー、登場人物共に“ミステリアス”であること。
とくに音が色っぽく知的で魅惑的、女の私でさえも惹かれちゃう(理想的な大人の女性像だわ)。家福と音とのベッドシーンも美しい。
『どれだけ強い絆で結ばれていても、愛し合っていても、結局のところ他人の心はわからない。だからこそせめて自分自身と真っ直ぐ深く向き合う必要がある』高槻演じる岡田将生くんの言葉が刺さる。
自分に正直に生きていくこと、意外とできてなかったりするんだよね。また、愛する人を失った“喪失感”とどう折り合いをつけて生きていくか、残された者は哀しみ乗り越えて残りの人生を生きていくしかない。
東京、広島、北海道、韓国と舞台は変わっていくけど、瀬戸内海の景色、北海道の雪景色が印象的だった。雪道を車で走らせる時の無音のシーン、雪景色に溶け込んで素晴らしかった。そもそも本作はバックの音楽がほとんどなく静謐で、劇場内にもどことなく張り詰めたような柔らかな緊張感が迸っていた。
そして最後の韓国のシーンあれは観客に答えを委ねているのだろうけど、韓国での公演をしてたってことでいいのかしら?マスクしてたからコロナ禍だし…謎。ただ、みさきの表情が明らかに明るくなっていた。
最後に一つ、音が愛する夫が居ながらもいろんな男と寝ていたのは、心身共に満たされていなかったことに加えての単純に性欲が強過ぎただけじゃなくって?
久々に長い余韻に浸っている。
もう一度観たい、何度も観たい!
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