ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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わたしとは、だれか。
村上春樹の小説を読み終えた後に、つい反芻しながら咀嚼する時のような時間を味わいました。
短編がなぜこの長さになるんだ…と思わなくはないですが、だからこそ伝わる後半の「向き合い」があるのだろうとも感じます。長い分だけ、西島さんと三浦さんで良かったと思いました。
自分の気持ちを真っ直ぐに受け止め表現することは、自身の傷つきを受け入れること。その一方で、傷つくことへの恐れは、目の前の(どこか偽物の)心安さに簡単にかき消されるのだと知りました。
そして自分と向き合うことがこんなにも難しいのだから、他者を正しく知るなんてことはより難しく、「そのまま」受け容れるしかないのだと教えてくれた映画でした。
劇中劇と並走させることで狙いたかった効果をどのくらい感じられたかわかりませんが、多様な言語や手話、淡々としたセリフまわしの醸し出す世界観は、自分で意味を付けて補いながら観るような、不思議な感覚でした。
狭い車内、広い大地、そして舞台。
人は誰もが役者で、セリフや言葉を通じて、自分と向き合い、その過程で自分を知るのかもしれない。
数年後に見て、その時の自分とまた向き合ってみたいと思いました。
轍は続いてゆく。
村上春樹原作。カンヌで4冠。西島秀俊を主演に迎えたロードムービー。なんかすでに華やか。
演出家の悠介とその妻で脚本家の音。若手俳優で音の不倫相手高槻。そして音の死後、仕事先の広島で紹介された寡黙な若き女性ドライバーみさき。
初恋相手の自宅に忍び込む女子高生。まるで幻影のような幸せの形。妻に対する後悔と自戒の念。大切な人を失った喪失感。芽生える嫉妬心。自分自身と向き合わなければならない覚悟。赤い車が辿り着いた先。点と点が線になりやがてその線が轍となって道が繋がってゆく。そんな旅物語でした。全体的に丁寧に描かれています。ちょっと丁寧過ぎなくらいです。
ラストシーンはどうとでも解釈も考察もできるんですけど、めちゃくちゃ分かりにくい。これがさては村上ワールドなんだろうか。文学的な表現も多用されていてやっぱり179分は私は長く感じてしまった。
岡田将生は最近一癖ある役が多い印象。でも合ってました。三浦透子の淡々とした雰囲気も良かったです。西島さんはいつもの西島さんでした。
脚本賞は納得
よく分からんなりにいい感じのドライブ
相手の心の奥に届く誠実な会話劇
妻の心の内が見えない。
仲良い夫婦。ベッドの中で妻の話から始まる。何? 異様な感じを受けた。脚本家の妻 舞台演出家の夫。あり得るのかこのような夫婦。
全体的に台詞が感情なしに話すのでちょっと馴染めなかった。また無駄な台詞はないけど決めつける様なところが全く心に響かなかった。大きく感動するところはなかった。
唯一。良かったのは舞台。情熱的な人たちで中国語、韓国語、英語、日本語とまた手話とバラエティにとんだ舞台が素晴らしかった。韓国語が柔らかな印象を感じた。妻が障害を持ちつつもお互いを思いやる韓国の夫婦が幸せに思えた。(奥さんの明るい笑顔に癒される)舞台で手話での演技。(感動)
女性ドライバーと関わったことで妻の心の内を知りたい。もっと妻と話したかった。生きてて欲しがったと後悔する。静かで見守る夫で理想とするところがあったが最後に自分の本当の気持ちに正直に話す。
よかった。自分の気持ちが知ることが出来て。
最後はドライバーの女性が韓国で買い物している。赤い車を運転し(韓国の夫婦で飼っていた犬もいたので)男性と共に韓国で暮らしているのかと思った。
この映画は凄く丁寧に作られていると感じた。劇中で出演者の名前が出てきた時。またエンドロールでも出演者 キャスト 関わった人達の名前が分かりやすく見やすかった。制作者たちの愛を感じる。
人生は劇中劇か
50ページ足らずの原作の短編をモチーフに、ここまで拡大鏡であぶりだしたのかと、まずは脚本に関心した。チェーホフの舞台のセリフと主人公の過去・現在・未来が呼応していく。まるで緻密なジャガード織りを目で追うかのようだった。
「台本を体に染み込ませるためにあえて平板に読む本読みリハーサル」と、「相手に自分の本心を見せまいとするがゆえに平板な会話」の区別がわからなくなる。まさに人生は劇、人は皆俳優だった。
都内のロケが難しいという技術的背景もあるのかもしれないけど、広島から北海道に至るロードムービーに仕上げてくれたのは、旅行もままならない昨今のフラストレーションを多少なりともとばしてくれてありがたかった。
西島秀俊の声が好き。エキストラになって舞台のセリフ聞いてみたかった。チェーホフも手に取ってみたくなった。
タバコ吸いたくなりました
何の前情報もなしに鑑賞。
著者の作品自体一切見たことない。
あっという間の179分。
ほとんどが会話で構成されてる作品でした。
ドライバーとの対話のシーンはジャームッシュのナイトオンザプラネットを思い出した。
車内でのコミュニケーションって特別なものになり得る。タクシーの運転手さんとの会話とか自分の経験を勝手に重ねてしまった。本作とは程遠い記憶だけど...
今まで大切にして来たもの、簡単に他人に運転させるのに嫌悪感を抱くのは非常に共感できる。でも思った以上の扱いをしてくれると段々と心が溶けて打ち解ける感覚も見覚えある。両手が離せない状態でも、自分で決めたルールを破ってでもタバコを咥えさせて火をつけてあげたくなる。
そうやって段々と自分を取り繕ってるものがきっと誰にでもある。話せる相手がいないのならそういった感情は誰にも見せなくてもいいかもしれない。車内でのルーティンを守る。そうやって自分でも過去とどう向き合いたいのかわからなくなる。
それでも生き抜く選択を。後悔と思うことも過ちと思うことも、生きている人は一生思い続ける。苦しかったことは最後に空で伝えるんだ、私は苦しみましたって。そしたらゆっくり休みましょう。
舞台のラストシーンを好きになりました。
色んな国の言葉が飛び交うなか、手話を言語と認識できたのは今作の最後のシーンのおかげです。ほんとうにあっという間に時間が過ぎました。ただ、そこまで長く生きてない自分には簡単に理解できない部分が多々ありました。分かる日が来ては欲しくないですが...
ちなみに禁煙して数年経ちますが久々にここまでタバコを吸いたくなりました。。
感動ともに押し寄せる尿意
昨日、鑑賞した『孤狼の血 LEVEL2』にハンマーパンチをもらったばかりなのに、『ドライブ・マイ・カー』から繰り出されるボディブローを何発も喰らってフラフラになってしまった。
音が創作したテキストとチェーホフの戯曲、そして家福とみさきの過去の物語が、うねりにうねって一つの着地点に収斂する。時間の長さは、物語の濃度を薄めるどころか、観客に自分自身と向き合う時間を与え、より長く続く感動を与えてくれる。
音が創作して家福に話して聞かせるテキスト。好きな男の子の家に忍び込む女子高生の話なんだけど、家福バージョンでもすごいストーリーなんだけど、高槻が車中で語った高槻バージョンのラストには度肝抜かれた。
さらにここから弱い自分と向き合わされるんだからたまったもんじゃない。家福やみさきとは比べものにならないんだけど、自分が持っている心の傷をグリグリされしまって、誰かにハグされたい。
この作品のただ一つの欠点は、感動とともに押し寄せる尿意だね。
チェーホフの事知らなくても充分楽しめる分厚い構造。
あらすじ説明すると長くなるからしない。
原作も読んでない。
死んだ奥さんが素敵、魅力的。
モテるだろうな、、私は旦那の判断は正しかったと思う。愛があってお互いを必要としてるなら許す、黙認する。
それでも辛くなるのは理解出来るけどね。
しかもコロッと死んじゃうと残された人のモヤモヤMAXだ。まあ、だから話は面白くなるのだけど。
芝居の台詞が嫌がらせのように各シーン、主人公に寄り添ってくるのは面白かった。知識なくても大丈夫。
他言語の芝居は意味が有ったのか少し疑問だが手話は効果的だった、優しく包み込むように見えた。
女優さんも素敵。
絵が月並みだったのが残念。
もっと凝った絵作り、または逆にドキュメント風だと私好みなんだが、、、。
最後の方にチラッと似てるなぁ、、と思った刑事さんはやはり吉田大八さんでした。
(-_-)おしっこ漏れそうでした。
おしっこ漏れそうでした。持ってきた水筒に、、、、、いやダメだそんな事しちゃ。
そんなトラウマ的なことをして誰が私を認めてくれるというんだ、、。
それにどう折り合いをつければいいんだよ、、、、!!うっ、、、。
この映画そんな映画です。
村上春樹の本、、、過去に何回も買っては途中で読むのをやめて放置。
本は嫌いではないのですが読みづらいしくどい。映画にしていただいて何となく意味がわかった様な気がします。
過去に起きた悲しいこと、辛いことにどう折り合いをつけていくのか?
起きたことに関係なく人間は生きていかなければならず、そのままでまともに生きれるのか?折り合いをつける、正しく傷つき受け止める必要があり、他者の力が不可欠なのでしょう。自分の事について話す、、、、晒す事は重要で何か精神療法の様な気がします。
主人公とそのドライバーはお互い受け止められない死に出会い、気持ちに折り合いがつかずにずにいたのですが、互いの事を晒していくうちにその死を受け止められる様になります。
美しい話です。美しいですね。
しかしながらアフガニスタンでタリバンに殺された一般ピープル、中国で拷問にあって死んだウィグル人達やその家族はどう折り合いをつけるんだろうか?とふと考えてしまいます。そんなのテロルに走るだろうが!!村上春樹はこの連鎖を止めるためにこんなこと考えているのだろうか、、、、、。
無茶だ、、、、無理であろう、、、、だけど問題を提起してくれるのはありがたい。
なぜなら提起してくれる間はオシッコと世界の不都合な死を結びつける愚かな私が存在できるからだ。
PS:聾唖者の俳優と主人公が舞台で演技をするシーンは良かった!あの無音シーンに何を感じるのか!それと主人公とドライバーが雪の中お互いをわかりあい抱擁するシーンは感動です。
名作になるには上映時間が長すぎる、残念。
先日、カンヌ映画祭脚本賞の村上春樹原作「ドライブ・マイ・カー」をTOHOシネマズ日本橋で鑑賞。カンヌの受賞作は大概あてにならないが、本作品は、観ている間よりも、観終わってしばらくたってから、じんわりと味が出る映画であり、時間が経ってからの方が評価が高くなってきた印象。
瀬戸内海の橋を車で渡る場面を上空から俯瞰して撮るカメラワークなど、日本映画離れしたような映像表現があり、前評判の高いのもわかるのだが、何せ、上映時間3時間は長すぎる。ストーリー、俳優の演技、流麗なカメラワークなど、いくつか見どころはあるので、眠くはならないのだが。
時代や場面が大きく移り変わるような、「戦争と平和」「風と共に去りぬ」「アラビアのロレンス」などスケールの大きい大河ドラマならともかく、地域の演劇祭を舞台にしたこじんまりした物語にしては長すぎるので、感興が途切れてときどき時計を見てしまう羽目に陥るのが残念。村上春樹の原作は元々短編(集)でもあるし、2時間弱くらいに編集で刈り込むような表現力が欲しい。ところどころ、いい場面があるので珠玉の作品になるポテンシャルはあると思うが。
さて、本編は村上春樹の短編集「女のいない男たち」の中の一篇、「ドライブ・マイ・カー」を中核に、「シェエラザード」「木野」のエッセンスをブレンドした映画化作品だが、村上春樹の醸し出す雰囲気を微妙ながら映像化できているように見えつつ、根っこには、彼の文章の行間にあるような、渇いた、というか、登場人物の間の独特な距離感とは異なる空気が漂っていて、もしかしたら村上氏自身は自分の作品とはちょっと違うと感じるのではないか。あと、「Wの悲劇」の映画化のように作中劇の形式をとっており、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」がカギとなっている。もしかしたら、村上春樹原作より、むしろこちらを読んでおいた方がいいかもしれない。役者では、主演の西島秀俊は好演。三浦透子は、台詞回しの棒読み調が気になる(監督の演出かもしれない)が、十分健闘していたと思う。残念なのは、主人公の妻役で、この役は村上春樹原作によく出てくる、特徴のある女性のタイプであり、演じるにはある意味、すべてを曝け出す覚悟がいる、演じ甲斐のある役のはずだが、残念ながらこの映画では、覚悟が足りない気がして(監督の演出の所為かもしれないが)、本作が村上春樹原作の映像化作品として、物足りない点の一つだと思う。この女優さんは、「ノルウェイの森」の映画化でも、ストーリーのカギであり、重要な役であるレイコを演じていたが、これも爪痕を残すには至っていなかった。もったいないなあ、とおもう。
それ以外にも、岡田将生の演じた青年のストーリー上の処理の仕方や、賛否両論(?)のラストなど、私の好みでないところもあって、星4つにはちょっと及ばず、星3.5か。ところどころ、邦画というより、ポーランドの亡き名匠、キェシロフスキの映画を思わせるようなタッチなど、卓越したところもいくつかあるだけに、惜しい。「パラサイト」のボン・ジュノのような演出力、編集力があれば。。。
村上春樹ではないけど
前日に、短編小説を読んで、納得行かないなぁ、、、って感想のまま、短編小説がどうやって3時間近くにもなるんだ?と言う疑問も持ちつつ、見に行きました。
とりあえず、サーブは黄色のコンバーチブルではなく、赤のオープントップ、、、は見映え的な物で変えたのかな?
何かと設定が変わりつつ、家福の抱えてる問題が短編だと単純なのに、複雑化して難しく考えてしまうし、理解しようと思っても理解出来ず、やはり納得行かない展開。
まぁまぁまぁまぁ、、小説通りで良いのか。。と思ったら、最後の最後!
胸の中につかえてた何かが、洗い流されるかよのうな、優しさに包まれる。
色々、付け加えられてはいるが、その最後のシーンの為の設定だったのか!?と納得。
たが、村上春樹にハッピーエンドもなく、最後に種明かしや、説明っぽい物はなく、分かる人だけ分かれば良いスタンスなので、映画としては良いが、村上春樹らしくはないね、
しかし、心にしこりがあったり、トラウマに苦しんでる人は、何かスッキリするかもしれない。
良い映画でした!
煙草の煙の中でモヤる感じ
1台の車を長く愛して乗り続ける人は恋愛にも一途でその人と何らかの理由で別れてもずーっと長く吹っ切れないタイプの人だと思う。
特に車検の関係上、重量税が高くなる13年が目安だと思う。
それ以上乗り続ける人(私も18年を超えた!)は、別れたのでは無くましてや愛する人が亡くなったりしたら生涯うじうじ悔やみ続けるのだ。
車を廃車にもしなくないから、自分が手放す決意をしてもまだどこか異国の韓国ででもいいから、誰かに乗って欲しいのだ。
しかも出来れば知らない人ではなく信頼出来るその車を大切にしてくれる人に乗って欲しいのだ。
それがあのラストシーンにも現れていると思われる。
世の中には同時に何台もの車に乗り、しょっちゅう車を乗り換える人も多いのだから。
サーブ900ターボの赤が広島や北海道を走るシーンは美しい。
原作では黄色のようだが、黄色と赤では随分映画ではイメージが変わるところだ。
でも、赤もなかなかよかったと思うし、運転手に車の中では暖を取るのは良いが、煙草を吸うなと言っていたのに、心通じて一緒にルーフを開けて2本の煙草を天に向けるシーンは最高に素敵だ。
運転手が北海道の、亡き虐待母に手向ける線香替わりの煙草も印象的だ。
花は買ったのだから線香も買えたはず。
惜しむらくは、妻の死因が子宮癌という設定が映画では伝わらなかったこと。
ここ大事だと思うんだけど。
話したいことがあると言ったのが病状の事で本人に癌の自覚があったということなら理解しやすかった。
妻が自らの病気を知っていたが故に自分が死んだ後のことを考えて の浮気だったらどうだったのだろう。
夫が自分を嫌いになって次の人生を前向きに歩めるようにという夫への愛情から、複数人の愛してもいない男との情事を繰り広げていたという可能性が感じられるシーンはなかった。
夫、西島秀俊が知らない情事の後の寝物語の続編を間男、岡田将生が知っているというのは胸が傷んだ。
だからこそ妻が夫を愛していたことをもっと描いてほしかった。
妻も間男もちょっと嫌な奴に感じてしまったけど、やってるやな行動の裏面をもう少し感じさせて欲しかった気もする。
それと、雪道を走り、たどり着いた運転手の故郷でうら若き女性運転手を抱きしめる主人公は西島秀俊だったから許されるのよ。
その辺の小汚いアラフォーオヤジだったら許されないからね!
演劇のオーディションから、ホン読み、立ち稽古、舞台稽古、本番と流れていく中で、言葉が通じることは意味がさほど強くないことに気がつく。
言葉って無力だな。
語るな!感じろ!
ってね。
全編そういうことなのかな。妻も語らず夫に真意を感じて欲しかったのかもな。
いいシーンも随所にあるので、描ききれていない感じや、モヤモヤした気持ちが残らなければもっとよい点数が付けられたのかもしれない。
尺が長すぎ
海外映画賞はたくさん獲って欲しい。革新的な映画
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