ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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原作の、その先の物語。
原作に他の短編のテクスチャを絡ませ、原作短編に奥行きを加えている。
短編『ドライブ・マイ・カー』の映画化ではなく
収録されている短編集『女のいない男たち』の映画化といったほうがしっくりくるかもしれない。
相手の心の奥に届く誠実な会話劇
妻への依存を愛情と疑わない夫、夫を愛し共に生きる為に裏切る妻。
妻を亡くし、血を流し続ける心と向き合い再生していく。
分身のような愛車で共に時間を過ごすうち魂が共鳴していくドライバー。
彼と同じ痛みを抱え、とてつもなく深い孤独の中にいる彼女。
エンディングで頬の傷が消えて瞳に光が宿って、とても綺麗でした。
自分を救うことが出来るのは自分自身なんでしょう。けれど寄り添ってくれる人が、手を差し伸べてくれる人が、力をくれるのです。
妻の心の内が見えない。
仲良い夫婦。ベッドの中で妻の話から始まる。何? 異様な感じを受けた。脚本家の妻 舞台演出家の夫。あり得るのかこのような夫婦。
全体的に台詞が感情なしに話すのでちょっと馴染めなかった。また無駄な台詞はないけど決めつける様なところが全く心に響かなかった。大きく感動するところはなかった。
唯一。良かったのは舞台。情熱的な人たちで中国語、韓国語、英語、日本語とまた手話とバラエティにとんだ舞台が素晴らしかった。韓国語が柔らかな印象を感じた。妻が障害を持ちつつもお互いを思いやる韓国の夫婦が幸せに思えた。(奥さんの明るい笑顔に癒される)舞台で手話での演技。(感動)
女性ドライバーと関わったことで妻の心の内を知りたい。もっと妻と話したかった。生きてて欲しがったと後悔する。静かで見守る夫で理想とするところがあったが最後に自分の本当の気持ちに正直に話す。
よかった。自分の気持ちが知ることが出来て。
最後はドライバーの女性が韓国で買い物している。赤い車を運転し(韓国の夫婦で飼っていた犬もいたので)男性と共に韓国で暮らしているのかと思った。
この映画は凄く丁寧に作られていると感じた。劇中で出演者の名前が出てきた時。またエンドロールでも出演者 キャスト 関わった人達の名前が分かりやすく見やすかった。制作者たちの愛を感じる。
人生は劇中劇か
50ページ足らずの原作の短編をモチーフに、ここまで拡大鏡であぶりだしたのかと、まずは脚本に関心した。チェーホフの舞台のセリフと主人公の過去・現在・未来が呼応していく。まるで緻密なジャガード織りを目で追うかのようだった。
「台本を体に染み込ませるためにあえて平板に読む本読みリハーサル」と、「相手に自分の本心を見せまいとするがゆえに平板な会話」の区別がわからなくなる。まさに人生は劇、人は皆俳優だった。
都内のロケが難しいという技術的背景もあるのかもしれないけど、広島から北海道に至るロードムービーに仕上げてくれたのは、旅行もままならない昨今のフラストレーションを多少なりともとばしてくれてありがたかった。
西島秀俊の声が好き。エキストラになって舞台のセリフ聞いてみたかった。チェーホフも手に取ってみたくなった。
タバコ吸いたくなりました
何の前情報もなしに鑑賞。
著者の作品自体一切見たことない。
あっという間の179分。
ほとんどが会話で構成されてる作品でした。
ドライバーとの対話のシーンはジャームッシュのナイトオンザプラネットを思い出した。
車内でのコミュニケーションって特別なものになり得る。タクシーの運転手さんとの会話とか自分の経験を勝手に重ねてしまった。本作とは程遠い記憶だけど...
今まで大切にして来たもの、簡単に他人に運転させるのに嫌悪感を抱くのは非常に共感できる。でも思った以上の扱いをしてくれると段々と心が溶けて打ち解ける感覚も見覚えある。両手が離せない状態でも、自分で決めたルールを破ってでもタバコを咥えさせて火をつけてあげたくなる。
そうやって段々と自分を取り繕ってるものがきっと誰にでもある。話せる相手がいないのならそういった感情は誰にも見せなくてもいいかもしれない。車内でのルーティンを守る。そうやって自分でも過去とどう向き合いたいのかわからなくなる。
それでも生き抜く選択を。後悔と思うことも過ちと思うことも、生きている人は一生思い続ける。苦しかったことは最後に空で伝えるんだ、私は苦しみましたって。そしたらゆっくり休みましょう。
舞台のラストシーンを好きになりました。
色んな国の言葉が飛び交うなか、手話を言語と認識できたのは今作の最後のシーンのおかげです。ほんとうにあっという間に時間が過ぎました。ただ、そこまで長く生きてない自分には簡単に理解できない部分が多々ありました。分かる日が来ては欲しくないですが...
ちなみに禁煙して数年経ちますが久々にここまでタバコを吸いたくなりました。。
感動ともに押し寄せる尿意
昨日、鑑賞した『孤狼の血 LEVEL2』にハンマーパンチをもらったばかりなのに、『ドライブ・マイ・カー』から繰り出されるボディブローを何発も喰らってフラフラになってしまった。
音が創作したテキストとチェーホフの戯曲、そして家福とみさきの過去の物語が、うねりにうねって一つの着地点に収斂する。時間の長さは、物語の濃度を薄めるどころか、観客に自分自身と向き合う時間を与え、より長く続く感動を与えてくれる。
音が創作して家福に話して聞かせるテキスト。好きな男の子の家に忍び込む女子高生の話なんだけど、家福バージョンでもすごいストーリーなんだけど、高槻が車中で語った高槻バージョンのラストには度肝抜かれた。
さらにここから弱い自分と向き合わされるんだからたまったもんじゃない。家福やみさきとは比べものにならないんだけど、自分が持っている心の傷をグリグリされしまって、誰かにハグされたい。
この作品のただ一つの欠点は、感動とともに押し寄せる尿意だね。
チェーホフの事知らなくても充分楽しめる分厚い構造。
あらすじ説明すると長くなるからしない。
原作も読んでない。
死んだ奥さんが素敵、魅力的。
モテるだろうな、、私は旦那の判断は正しかったと思う。愛があってお互いを必要としてるなら許す、黙認する。
それでも辛くなるのは理解出来るけどね。
しかもコロッと死んじゃうと残された人のモヤモヤMAXだ。まあ、だから話は面白くなるのだけど。
芝居の台詞が嫌がらせのように各シーン、主人公に寄り添ってくるのは面白かった。知識なくても大丈夫。
他言語の芝居は意味が有ったのか少し疑問だが手話は効果的だった、優しく包み込むように見えた。
女優さんも素敵。
絵が月並みだったのが残念。
もっと凝った絵作り、または逆にドキュメント風だと私好みなんだが、、、。
最後の方にチラッと似てるなぁ、、と思った刑事さんはやはり吉田大八さんでした。
(-_-)おしっこ漏れそうでした。
おしっこ漏れそうでした。持ってきた水筒に、、、、、いやダメだそんな事しちゃ。
そんなトラウマ的なことをして誰が私を認めてくれるというんだ、、。
それにどう折り合いをつければいいんだよ、、、、!!うっ、、、。
この映画そんな映画です。
村上春樹の本、、、過去に何回も買っては途中で読むのをやめて放置。
本は嫌いではないのですが読みづらいしくどい。映画にしていただいて何となく意味がわかった様な気がします。
過去に起きた悲しいこと、辛いことにどう折り合いをつけていくのか?
起きたことに関係なく人間は生きていかなければならず、そのままでまともに生きれるのか?折り合いをつける、正しく傷つき受け止める必要があり、他者の力が不可欠なのでしょう。自分の事について話す、、、、晒す事は重要で何か精神療法の様な気がします。
主人公とそのドライバーはお互い受け止められない死に出会い、気持ちに折り合いがつかずにずにいたのですが、互いの事を晒していくうちにその死を受け止められる様になります。
美しい話です。美しいですね。
しかしながらアフガニスタンでタリバンに殺された一般ピープル、中国で拷問にあって死んだウィグル人達やその家族はどう折り合いをつけるんだろうか?とふと考えてしまいます。そんなのテロルに走るだろうが!!村上春樹はこの連鎖を止めるためにこんなこと考えているのだろうか、、、、、。
無茶だ、、、、無理であろう、、、、だけど問題を提起してくれるのはありがたい。
なぜなら提起してくれる間はオシッコと世界の不都合な死を結びつける愚かな私が存在できるからだ。
PS:聾唖者の俳優と主人公が舞台で演技をするシーンは良かった!あの無音シーンに何を感じるのか!それと主人公とドライバーが雪の中お互いをわかりあい抱擁するシーンは感動です。
名作になるには上映時間が長すぎる、残念。
先日、カンヌ映画祭脚本賞の村上春樹原作「ドライブ・マイ・カー」をTOHOシネマズ日本橋で鑑賞。カンヌの受賞作は大概あてにならないが、本作品は、観ている間よりも、観終わってしばらくたってから、じんわりと味が出る映画であり、時間が経ってからの方が評価が高くなってきた印象。
瀬戸内海の橋を車で渡る場面を上空から俯瞰して撮るカメラワークなど、日本映画離れしたような映像表現があり、前評判の高いのもわかるのだが、何せ、上映時間3時間は長すぎる。ストーリー、俳優の演技、流麗なカメラワークなど、いくつか見どころはあるので、眠くはならないのだが。
時代や場面が大きく移り変わるような、「戦争と平和」「風と共に去りぬ」「アラビアのロレンス」などスケールの大きい大河ドラマならともかく、地域の演劇祭を舞台にしたこじんまりした物語にしては長すぎるので、感興が途切れてときどき時計を見てしまう羽目に陥るのが残念。村上春樹の原作は元々短編(集)でもあるし、2時間弱くらいに編集で刈り込むような表現力が欲しい。ところどころ、いい場面があるので珠玉の作品になるポテンシャルはあると思うが。
さて、本編は村上春樹の短編集「女のいない男たち」の中の一篇、「ドライブ・マイ・カー」を中核に、「シェエラザード」「木野」のエッセンスをブレンドした映画化作品だが、村上春樹の醸し出す雰囲気を微妙ながら映像化できているように見えつつ、根っこには、彼の文章の行間にあるような、渇いた、というか、登場人物の間の独特な距離感とは異なる空気が漂っていて、もしかしたら村上氏自身は自分の作品とはちょっと違うと感じるのではないか。あと、「Wの悲劇」の映画化のように作中劇の形式をとっており、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」がカギとなっている。もしかしたら、村上春樹原作より、むしろこちらを読んでおいた方がいいかもしれない。役者では、主演の西島秀俊は好演。三浦透子は、台詞回しの棒読み調が気になる(監督の演出かもしれない)が、十分健闘していたと思う。残念なのは、主人公の妻役で、この役は村上春樹原作によく出てくる、特徴のある女性のタイプであり、演じるにはある意味、すべてを曝け出す覚悟がいる、演じ甲斐のある役のはずだが、残念ながらこの映画では、覚悟が足りない気がして(監督の演出の所為かもしれないが)、本作が村上春樹原作の映像化作品として、物足りない点の一つだと思う。この女優さんは、「ノルウェイの森」の映画化でも、ストーリーのカギであり、重要な役であるレイコを演じていたが、これも爪痕を残すには至っていなかった。もったいないなあ、とおもう。
それ以外にも、岡田将生の演じた青年のストーリー上の処理の仕方や、賛否両論(?)のラストなど、私の好みでないところもあって、星4つにはちょっと及ばず、星3.5か。ところどころ、邦画というより、ポーランドの亡き名匠、キェシロフスキの映画を思わせるようなタッチなど、卓越したところもいくつかあるだけに、惜しい。「パラサイト」のボン・ジュノのような演出力、編集力があれば。。。
村上春樹ではないけど
前日に、短編小説を読んで、納得行かないなぁ、、、って感想のまま、短編小説がどうやって3時間近くにもなるんだ?と言う疑問も持ちつつ、見に行きました。
とりあえず、サーブは黄色のコンバーチブルではなく、赤のオープントップ、、、は見映え的な物で変えたのかな?
何かと設定が変わりつつ、家福の抱えてる問題が短編だと単純なのに、複雑化して難しく考えてしまうし、理解しようと思っても理解出来ず、やはり納得行かない展開。
まぁまぁまぁまぁ、、小説通りで良いのか。。と思ったら、最後の最後!
胸の中につかえてた何かが、洗い流されるかよのうな、優しさに包まれる。
色々、付け加えられてはいるが、その最後のシーンの為の設定だったのか!?と納得。
たが、村上春樹にハッピーエンドもなく、最後に種明かしや、説明っぽい物はなく、分かる人だけ分かれば良いスタンスなので、映画としては良いが、村上春樹らしくはないね、
しかし、心にしこりがあったり、トラウマに苦しんでる人は、何かスッキリするかもしれない。
良い映画でした!
煙草の煙の中でモヤる感じ
1台の車を長く愛して乗り続ける人は恋愛にも一途でその人と何らかの理由で別れてもずーっと長く吹っ切れないタイプの人だと思う。
特に車検の関係上、重量税が高くなる13年が目安だと思う。
それ以上乗り続ける人(私も18年を超えた!)は、別れたのでは無くましてや愛する人が亡くなったりしたら生涯うじうじ悔やみ続けるのだ。
車を廃車にもしなくないから、自分が手放す決意をしてもまだどこか異国の韓国ででもいいから、誰かに乗って欲しいのだ。
しかも出来れば知らない人ではなく信頼出来るその車を大切にしてくれる人に乗って欲しいのだ。
それがあのラストシーンにも現れていると思われる。
世の中には同時に何台もの車に乗り、しょっちゅう車を乗り換える人も多いのだから。
サーブ900ターボの赤が広島や北海道を走るシーンは美しい。
原作では黄色のようだが、黄色と赤では随分映画ではイメージが変わるところだ。
でも、赤もなかなかよかったと思うし、運転手に車の中では暖を取るのは良いが、煙草を吸うなと言っていたのに、心通じて一緒にルーフを開けて2本の煙草を天に向けるシーンは最高に素敵だ。
運転手が北海道の、亡き虐待母に手向ける線香替わりの煙草も印象的だ。
花は買ったのだから線香も買えたはず。
惜しむらくは、妻の死因が子宮癌という設定が映画では伝わらなかったこと。
ここ大事だと思うんだけど。
話したいことがあると言ったのが病状の事で本人に癌の自覚があったということなら理解しやすかった。
妻が自らの病気を知っていたが故に自分が死んだ後のことを考えて の浮気だったらどうだったのだろう。
夫が自分を嫌いになって次の人生を前向きに歩めるようにという夫への愛情から、複数人の愛してもいない男との情事を繰り広げていたという可能性が感じられるシーンはなかった。
夫、西島秀俊が知らない情事の後の寝物語の続編を間男、岡田将生が知っているというのは胸が傷んだ。
だからこそ妻が夫を愛していたことをもっと描いてほしかった。
妻も間男もちょっと嫌な奴に感じてしまったけど、やってるやな行動の裏面をもう少し感じさせて欲しかった気もする。
それと、雪道を走り、たどり着いた運転手の故郷でうら若き女性運転手を抱きしめる主人公は西島秀俊だったから許されるのよ。
その辺の小汚いアラフォーオヤジだったら許されないからね!
演劇のオーディションから、ホン読み、立ち稽古、舞台稽古、本番と流れていく中で、言葉が通じることは意味がさほど強くないことに気がつく。
言葉って無力だな。
語るな!感じろ!
ってね。
全編そういうことなのかな。妻も語らず夫に真意を感じて欲しかったのかもな。
いいシーンも随所にあるので、描ききれていない感じや、モヤモヤした気持ちが残らなければもっとよい点数が付けられたのかもしれない。
尺が長すぎ
3時間の映画はやはり長すぎる。
カットできる部分も多々あったし、抑揚のないストーリーだけに睡魔に襲われたらアウトだ。
海外の賞を幾つか受賞したとのことだか、海外で人気が高い村上春樹人気によるところが大きいと思う。
娯楽性より芸術性や文学性を重視したい人にはお勧め。
海外映画賞はたくさん獲って欲しい。革新的な映画
上映時間3時間というのが心地よいか長く感じるかでかなり印象は変わる作品です。
村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー」を原作にした最初から最後まで淡々とした空気感は濱口竜介監督の個性だと思いますがかなり革新的な作品に感じました。延々と続く舞台劇の練習風景と女性ドライバーと主人公の関係も心地よく何故か映画を終わらせたくないという気持ちになる不思議な作品でした。ドキュメンタリー作品のようで実は計算された映画として完成度は高い作品。
村上春樹、舞台演劇、西島秀俊ファンは必見。海外映画賞の高評価も頷けます。
【この作品が、画期的で重要だと考えたことについて語りたいこと】
映画「トニー滝谷」が、村上春樹作品の短編の持つ雰囲気をよく伝えているとすると、この映画「ドライブ・マイ・カー」は、短編の余白を最大限利用して、物語に肉付けし展開して、更に、画期的な試みも施した、いろんな意味で非常に興味深い作品だった。
村上春樹春樹作品の本質に迫ろうとしたというより、村上春樹作品の短編を読んだ時の読者の感覚に迫ろうとした感じがするのだ。
ご存知の通り、村上春樹さんの小説の文章には、敢えて、この表現を使いたいのだが、”起伏”が少ない。抑揚とは異なるものだ。
だが、読む側は想像力を膨らませて、感情の揺らぎは確実に感じている。
それが、この作品のチェーホフの戯曲の稽古の感情を排した読み合わせと、その結果として、溢れ出る感情を載せた演者の演技として表されているのだ。
これは、ありきたりな予定調和とは異なるものだ。
そして、もう一つの画期的な試みは、チェーホフを取り上げ、チェーホフを演じる役者が多国籍で、演技もそれぞれの言語でなされることと、手話のものもいることだ。
多様性を肯定しているように思えるこの演出は、チェーホフ同様、村上春樹さんの作品が世界中で親しまれていることを示唆しているように思えるし、ノーベル賞の季節になると現れる、村上春樹さんは日本人をターゲットにしない作家だと揶揄するバカモノを皮肉るようでもある。
だが、重要なのは、僕達は、外国人の言葉を理解しなくても、彼等の感情の有無は分かるし、もし、そうであれば、起伏が少しでもあれば、人は、相手の気持ちを感じ取ることが出来るのではないかと言っているように思えることだ。
家福の、亡くなった妻・音に対する、何を考えていたのだろうかという疑問に、自ら皆に課したチェーホフの稽古をもってして、振り返ってみろと促しているようでもある。
途中、家福が、渡利みさきの運転について、加速・減速が感じられないほどスムーズな運転だと称える場面があるが、僕は、この場面、家福の気持ちが非常に込められているように感じられて、胸が熱くなると同時に、家福夫婦に欠けていたのは、これだったのではないかと思うようになった。
みさきのスムーズだが確実に速度が変わる運転のように、人知れず変化していた音の感情。
感情を排したカセットテープが夫婦生活であったのだ。
定期的なセックスもあり、愛情もあると信じていたが、何かが足りてなかった。
だから、音は、他に男を求めていたのではないか。
変わり目はいつだったのか。
家福の頭の中に様々な想いがよぎる。
だが、明確な答えはなく、あっても想像でしかない。
そして、短編小説の中では、客観的な存在であった渡利みさきにも、家福同様、思い悩む人間としてのストーリーが与えられている。
村上春樹さんの長編は、たまに旅だなと思うことがある。
だから、原作は都内のみの話だったのに、この映画では壮大な旅が用意されたのかとも考えたりした。
そして、最後に示唆されるのが、受け入れることだ。
これは、村上春樹作品の最も重要な部分でもある。
拒んでいた家福が受け入れるワーニャの役。
家福は、音のことも全て受け入れたのだ。
エンディングのソーニャが手話で語りかけるセリフは、戯曲「ワーニャ伯父さん」の最終幕の最後のセリフでもある。
僕達は、仮に、はっきりとした答えが無くても、受け入れて生きていくのだ。
そうするしかないのだ。
チェーホフは、その作品において、主人公という概念を取り払った劇作家として知られている。
考えてみると、映画も小説もそうだが、何を感じるかは、その人の経験に影響されるところが大きい。
つまり、誰もが、家福であり、音であり、みさきにもなりえるのだ。
僕は、チェーホフは、他には「桜の園」と「かもめ」しか知らないけれど、もし機会があったら、皆さんも観てみたらどうかと思う。
この「ドライブ・マイ・カー」は思考を要求する本当に印象に残る素晴らしい作品だった。
仕事しなければ・・・
後半ロードムービーになる所で北陸自動車道の親不知(おやしらず)の辺りが描かれるのですが、高速道路なのに40キロ制限のところがあるくらい断崖絶壁が連なる難所。正式名称は親不知・子不知というのですが、作品のテーマとしてもピッタリくるところでした。ついでに言えば、妻不知も追加できそうです。
チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」が物語の半分くらいを占め、妻を亡くした家福悠介と主人公ワーニャ、専属ドライバーである渡利みさきと優しく慰めるソーニャをそれぞれ対比させるような形で描いてありました。
夫婦のセックスにおいてオリジナル脚本を発想する妻が口頭で夫に伝えるものの翌日には忘れるため、夫が書き起こすという共同作業によって妻もTVドラマの脚本家として成功する。悠介は妻が浮気をしていることを知りつつも黙認。共依存のような、仮面夫婦のような、微妙な関係ながらも愛はたしかにあった。しかも、4歳の娘を亡くしたという互いの傷を舐め合うようなギリギリの夫婦だったように思えた。
広島での演劇祭では以前妻が紹介してくれた俳優・高槻がオーディションに応募してくる。彼の採用に当たっての真意は計り知れないが、結局はかき乱されたり、妻の残した秘密を知るきっかけにもなるのです。家福音がもたらした宿命?高槻との情事をも目撃しながら、そっと家を出る光景には苛立ちも覚えますが、そこで暴力沙汰にでもなろうものなら高槻の粗暴さと同じになったことであろう。幸せだった事実を噛みしめながら、ストイックなまでにチェーホフの演劇に打ち込む姿も痛々しいところがあった。これも妻の語ったヤツメウナギの生まれ変わりという女子高生に投影したためであろうか・・・妻なりのルールを尊重して。
劇のリハーサル、ほぼ本読みの部分でしたが、この棒読み感がすごい。車の中での妻のナレーションによるテープもそうだったけど、この単調さが俳優同士の感情の引き出し、そして自分自身を差し出すことに繋がっている。家福悠介独特の演出らしいのだ。そうした単調さが同乗者に苦痛を与えない、車に乗っていることも忘れさせる。ドライバーみさきの運転テクニックや気持ちも伝わってくるのです。
最も印象的なのは多言語演劇という手法。言葉、人種の多様性や文化の違い、寛容な心。他人の生き方を否定しない悠介のポリシーそのものだ。英語、韓国語、北京語のほかに手話を駆使するユナ(パク・ユリム)の存在が大きい。彼女の表情にうっとりしてしまうが、最後にはまるで日本語で語りかけてきた印象も残ってしまった。
妻のひみつという部分では、女子高生の空き巣が家人が帰ってきたと思わせておいて、その続きを高槻が知っていたことの衝撃。そしていきなりの主役欠員・・・喪失感から前に進まなければならないとき、ドライバーみさきの経験した告白とともに自分を見つめる旅に出るのだ。
空き巣のストーリーではキム・ギドクの『うつせみ』を思い出してしまったし、ロードムービーでは『幸福の黄色いハンカチ』かな。頬の傷を消したくないと言ってたみさきだったけど、韓国では傷を消していたし、犬も連れていた。同じSAABだったし・・・鬱屈しているだけじゃダメ!ちょっとだけ前向きになれる作品でした。個人的には運転手の鑑だとも思った。ただし、全体的に不要な部分もあり、冗長だったためちょっと減点。サンルーフから手を伸ばしてタバコを吸ってたシーンのイメージが消え去りそうなくらい長かったです。
村上春樹映画で初めて寝なかった作品
西島秀俊の丁寧語が好きで、この作品でも存分に聞けて良かったです。それが全てではないですが、じっと耐える男、というのが西島秀俊だったから成立していた気がします。三時間の長尺(オープニングクレジットが開始40分後!)でどうして彼はこんなに悟った感じなんだろう、と思っていたら最後に納得させられました。
取材の成果か、もしかして映画オリジナルの設定か分かりませんが、多言語を混在させての芝居、一回感情抜きでとことん本読みをしてからの稽古など、演劇の面からも、興味深い点が多く、最後の舞台のシーンでは泣いてしまいました。
ラストは4つの新情報でどうしてそうなったのか推測できるのが2つしかなく、んー?という感じでしたが、そういうのも含めて良かったと思います。
村上春樹ワールド沼にハマりました
約180分の長編、2作品観たような気がする
カンヌ4冠、脚本賞がなせる技
妻との2人の時間東京のシーンとひとりになり広島に場面を移したシーン、赤の車だけが変わらない
劇中の様々ない言語が飛び交う舞台のクオリティの高さにも驚かされた
落ち着いた大人を演じる西島秀俊、若さゆえに過ちを犯してしまう岡田将生の対比、配役がこれほどしっくりくる映画も珍しい
欲を言えば、流石に長過ぎ
ドライブが主役とはいえ、もう少しロードシーンを削って短くしてもらってもよかった
私信
原作未読
舞台俳優で演出家の男が2年前に突然亡くなったTVドラマの脚本家だった妻との間にあった互いに触れてこなかったことを見つめる話。
4歳の娘を肺炎で亡くした過去を持ちながら互いに必要とし愛し合っていた20年だったが…というストーリー。
序盤、目撃した後にみせられた妻の紡ぐヤツメウナギの脚本は自身を重ねた吐露にも感じて、それが頭に過りつつ観賞していた。
そして、広島国際演劇祭に纏わるオーディションからリハーサルに際しては、澱みのない素直さや本心から溢れ出るものの何たるかを感じ、そして2日間の猶予の慰めと赦しと…。
兎に角ひたすら丁寧に機微を積み重ね積み重ね積み重ね、正直クドくて冗長さを感じるところもあったけれど、対面する相手への言葉を通じ自身に語りかけると共に、相手からの言葉を受けて変化していく心情と開放と、というドラマがとても面白かった。
表情もそうだけど、左頬…。
スタイルの完成度高し
TOHOシネマズの日比谷のデカいスクリーンでかかるのが場違いな感じで爽快でした。原作未読。
『寝ても覚めても』がタイトというか窮屈なくらいに今回は原作あっても伸び伸びと(と言っていいのかわかりませんが)作っている気がする。わからないけど原作ベースに本当に私的な興味・関心ごとをぶちこめているのではないでしょうか。
日本人らしからぬディスカッション劇を演劇の稽古を挟むことで現実世界ではあり得ないフィクションを地続きで展開していって東京ではじまり広島に移して東北経由で北海道、果ては〇〇まで車で繋ぐ。移動していても演劇空間は持続したまま。
関係ないけどこのオープニングナイトまでの内側の話は全くテンションの違うカサベテスの映画を思った。
死んだ嫁さんの心の奥底にある闇に向かう主人公。無口なドライバーと響きあって心を開いていくまでのドラマ。とても面白かった。ただ、『PASSION』や『ハッピーアワー』にあるメソッドの先の予想できないグループみたいなのはなかった。ある意味完璧に制御されてる完成度は高いけど、そこが少し不満だったかも。
いいね
大作家先生原作の退ッ屈な御芸術映画
と思いきや、非常に丁寧で味わい深く、分かりやすい人間ドラマでした。
謎めいた過去の出来事に対して「分からない事は、分からない事として受け止めるしかないのだ」と言い切る力強さ。いいね。
不満は…やはり3時間は長過ぎる。
無駄なカットがあったとは思わないけど、各シーンをもう少しずつ削れば2時間チョイ程度には出来たはず。
前半40分の生活感皆無な東京パートはかなりキツかった。村上春樹の小説読んでるみたいにキツかった。★マイナス1。
それでも眠くならずに最後まで観られたのは、全編みなぎる緊張感のおかげですかね。
緊張から完全に解放されたラストシーンも素晴らしい。いいね。
運転手役とドラマトゥルク役の俳優がうま味出してます。いいね。
全585件中、521~540件目を表示