ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
全585件中、421~440件目を表示
原作をしりませんが…。
映像、小説、哲学、演劇、さまざまな要素が混在となり一つの劇場映画となってます。
劇中舞台のセリフが、それぞれの配役の葛藤や感情を表現して複雑な伏線や心理を表現しているとともに、演技に国境は無いと思うところがしばしば見られます。
個人的に感慨深い映画で点数つけましたが、エンタメ性は…!?
赦される喪失痕
舞台演出家の家福悠介と妻で元女優・脚本家の音は、贅沢ながらも慎ましく穏やかで満ち足りた生活を送っていた。悠介はある日、音から「今夜、話がある」と伝えられていたが、帰宅すると音はくも膜下出血で他界していた。喪失感を抱えながら2年が過ぎたある日、悠介は芸術祭で演出を担当する広島で長期滞在をすることになり、そこで専属ドライバーのみさきにと出会う。原作は村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー」。
本作は、幾重にも編み込まれた入れ子構造がベースで、かつ、ロードムービー的要素、チェーホフの劇中劇、音の紡ぐ物語などなど、異化効果がふんだんに散りばめられた作品なので、鑑賞者の数だけ感じ入るポイントが存在するであろう、映画らしい映画といえる。たくさんの文脈が折り重なるなかで、わたし自身は「喪失痕」に関心を寄せた。
生きていくうえで何かを失うことはたくさんあるが、わたしたちが人生で遭遇しうる最大の喪失は誰かの「死」である。遺された者は「あの時、ああしていれば」という後悔に苛まれる。逝ってしまった人が大事であればあるほど、自責は募る。芸術の多くはそうした喪失の先の、「克服」や「再生」の美しさに光を当て、賛美を送ったが、本作は、傷痕が癒えることも何を創造することもなく、ただそれを抱えたまま生きていく群像を淡々と描く。だがしかし、淡々とした中にも、彼らが傷痕の存在を認めた後の得も言われぬ“抜けた”感じは、ある種のカタルシスを覚えさせ、鑑賞者であるわたしたちひとりひとりが誰しも隠し持っている「喪失痕」が赦された感覚に捉われる。
準主役に「赤のSaaB900」と「紙たばこと100円ライター」をチョイスしているのが渋い。長くこだわりぬいて乗るのにふさわしい北欧車で、一筋縄ではいかない家福悠介を投影するモチーフとしても最適だが、そのこだわりを捨てて、高槻のように分別をなくしたくなる刹那、「車内でたばこを吸わない」というルールをかなぐり捨てる、わけでもなく、やはりどこまでも分別が捨てられず、サンルーフから煙だけは吐き出すシーンが印象に残る。また清掃工場を一通り見学した後、川辺で一服するふたりがハイアングルで映し出される場面で、クライアントである悠介と一ドライバーのみさきが、実は同種の「喪失痕」であったという邂逅も素敵な場面だ。そして二人とも、携帯灰皿で吸殻を持ち帰るシーンをきちんと本編に入れ込むあたり、監督の徹底した演出が光る。トリリンガルのコーディネーターを演じたジン・デヨンや、迫真の演技を見せたパク・ユリムも好感が持てた。
一度の鑑賞では掴みきれない奥深さがあった。例えば、北海道に着いたあたりの、割と長尺の無音の場面などは、もう一度、ゆっくり観たい場面。更には、観賞後、村上春樹の原作や、劇中劇で脚本となっているチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」へ興味をそそられるあたりも良作と呼ぶにふさわしい出来だ。
スペシャルな時間を堪能致しました。
脚本、カメラワーク、撮影、役者どれもかもスペシャルなものでした。
3時間という長編作品であるが、没入して時間を忘れました。
久々にもう一度映画館で鑑賞したい作品と出会えました。
濱口監督サンキュー&コングラチュレーション
巧みな脚本と演出の作品だが、気になる点あり
巧みに作られた物語の構造、そして確かな演出力には関心したし、音楽の使い方のセンスも素晴らしい。3時間の長丁場だが、中だるみするような所もなく、映画を鑑賞できた。最初の40分ほどで何が主人公に起こったか、その状況を見せてからのオープニング、車で妻の声のテープを聴き台詞を言う役者の主人公の行為が、事件前と事件後で意味合いが変わる事や、舞台の台詞と実人生が繰り返し微妙に重なり合うという設定も面白いと思った。韓国通訳の方の家での食事のシーンは心温まる場面だったし、エンディング近くで主人公の人生と演劇が重なり合う場面も美しく見事だったと思う。濱口監督の作品は初めてだったが、確かな力量を持つ素晴らしい作家だと思った。
しかしながら、多分私の好みの問題かと思うが、二点ほど気になる点があった。
一つは主役の西島さんが、運転手の女性と本当に心を一つにする一番大事な場面で泣きの演技をするのだが、彼はそういう感情を吐露するような場面が得意でないと見え、あまり深く心に響くものが無かった。(ここはあくまで私の印象なので、そうは思わない人もいることだろう)
そして、もう一つ、一番気になった所が、あの高槻という若い役者のキャラクターだ。彼はこの物語の中で非常に重要な役割なのだが、劇中である過ちを犯している(というか何度も猿のように同じ過ちを繰り返す。)そして、それにも関わらず、主人公に好意的に近づき、挙句の果てには目を潤ませながら、主人公が他者と分かり合い、自分を見つめるきっかけになる言葉を与えようとする。恐らく彼が主人公に対して心を開き教訓めいた事を言うというのは、物語上感動的な場面なんだと思うが、ここが私は乗れなかった。
主人公が彼自身解決しなければならない問題を心の中に抱えているのは間違いない。それを見つめなければならない事も理解できる。だが、なんでそれを高槻から聞かされなければならないのだろうか?いや、だって主人公苦しんでるのこいつのせいじゃね?まず言うべき事言って、誤るとこ誤ってから腹割って話しろよ。しかも高槻はこの後にわざとなのか、意図せずなのか、主人公にまた迷惑をかける。そしてそれを誤ることもない。
小説を未読なので、確かではないが、この気持ち悪さは恐らく元々の小説の設定を上手く消化できていないところから来るのではないだろうか?なぜなら元の小説ではどうやら二人は長年の親友になった後、この話をしている。映画での関係はそこまでお互いが分かり合えているような状況ではなかった。そのため彼の台詞を聞いている主人公の顔が映るとき、分かり合えたというよりも、「こいつ何様のつもりで俺にこの話してるの?」というリアクションにしか見えない。その点が非常に気になり、残念ながら私は物語の深いところまで感情移入して入り込むことができなかった。
ちと長い
面白い。よく出来た作品だ。自然に物語にすっと入っていけた。上質のブランケットにくるまれるように、気がつくと僕はこの物語にそっとつつまれていた。こんなことは滅多にないことかもしれない。――そんなことを思いながら観ていた。中盤までは。
本作中、主人公がドライバーの運転技術を称賛する場面に「クルマに乗っていることを忘れている」というような台詞があるが、僕はいつの間にか自分が映画を観ていることを忘れてストーリーの中に、春樹&濱口ワールドの中に入り込んでいた。
物語がかなり進行してから(1時間くらい経ってからか)、クレジットが映し出されるという仕掛けも斬新であった。なるほど、こういうのもありだな。そうか、今まではイントロでここからがいよいよ本題か、とワクワクした。
その後も気持ちがダレることなく、物語の世界にひたることが出来た。
まるで自分も主人公たちとドライブしているような、スタッフとして演劇祭の制作に参加しているような、そんな擬似体験を味わうことができた。
とくに、韓国人夫妻の家での食卓のシーンは心温まる印象的なシーンで、観ているこちらもほっこりとなった。
(毒があり、スパイスも効いているが、)なかなか素敵な作品だな。こんな魅力的な作品をつくれるのは、春樹さんも、濱口監督も、きっと素敵な人だからなんだろうなぁ、と食卓のシーンのあとは、そんなことも思って観ていた。
が、でも、しかし、けれど、僕の集中が持続したのも、そのあたりまでだった。
それからあとが長かった。ちょっと長いな、と感じてしまった。
後半になって、僕の座席後方のおっさんがしきりにブッ、ブー!!と音立てて洟をかむので、少なからず身の危険を感じ早くこの場から脱出したいと考えたりして集中力を削がれたことも原因したのかもしれない。そんな鼻水ズルズルの体調で映画なんか観に来たらあかんで、おっちゃん。
話が脱線した。
そう、後半は集中力を欠いた。やっぱり3時間は、ちと長い。
よほどの作品でない限り、集中をキープするのはむずかしいのではないか。
そうなのだ、映画の途中から僕の感動は萎縮してしまった。
中盤以降のストーリーに(食卓シーンのあとの展開に)、どうも真実味を感じることができなくなってしまった。胸に響いてこなかった。
何よりも、いちばんのキー・パーソンであるはずのドライバー、みさきの存在が、僕にはいまひとつ魅力的には見えなかったのだ(小池栄子に似ていることも気になった)。
彼女が放つ言葉、経歴や母との関係などを語るシーンにもリアリティーをあまり感じることができなかった。みさきの「言葉」ではなく、三浦透子の「台詞」のように聞こえてしまった。
ただ、ラストはよかった。本作に重層的な構造を与えているチェーホフの舞台のシーンだ。
魅力的なラスト・シーンだった〈私たちは苦しみました、泣きました……〉。
そんなわけで、全体を通して見ると、質の高い作品であることはわかったが、僕好みの映画ではなかった。
けっきょく、監督がなにを伝えたかったのか、またしても僕のボケた頭では、それをじゅうぶんに捉えることができなかった。なんだか消化不良であった。
でも、これだけクオリティーの高い、緊張感を湛えた長編作品を、(しかもこのコロナ禍で)撮りきった濱口監督の才能と熱情には大きな拍手を贈りたいと思います。
追記
僕は春樹さんのファンだけど、この原作は未読です。
原作を読んだあと、それをもとにした映画を観ると、原作の「ダイジェスト版」のようだなと思うことがよくあって、その度に「映画化」の意味を考えてしまいます。
だって、小説を読むのって、読み手がそれぞれの頭の中で「映像化」しているわけですからね。それをあえて映画にするというのであれば、ただ原作をなぞるだけでなく、原作にはない「映画作品としての何か」や「映画作品としての面白さ」がないとダメですよね。この作品はどうなのだろう? 是非、原作も読んでくらべてみたいです。
それから、予告編ではベートーヴェンのピアノ・ソナタ『テンペスト』が使われていて、その曲と映像が醸し出す雰囲気に誘われて僕は映画館に足を運んだのだけれど、本編ではいつまで経ってもテンペストは流れなかった。なんか騙されたような気がちょっとしました。不満です。まあ、たまにこういうことはありますけどね。
そうそう『ワーニャ伯父さん』も死ぬまでには読みたいなぁ。
僕のレビューも、ちと長い、ですね。すみません。
死者の分人
身近な人が亡くなったとき、その空白とどう向き合っていくのか、そんなことを考えさせられる作品だった。その人とどんなに親密な関係を築いていようと、自分が知っているのはあくまでその人の一面だけであり、それが全てではない。他の人に見せていた素顔、いわば他の分人を知り、それを受け入れられるか、非常に難しい問題だと感じた。
終盤では演劇を通して、身近な人の死があってもなお、1人の人間として生きていく使命を優しく説かれているようにも感じた。暴力で物事を解決しようとした高槻とは、対極の位置付けだ。
飽きさせない。
西島秀俊、岡田将生、霧島れいか
素晴らしい役者さんばかり、そして手話が美しいこと。。
劇中劇が完成されていく過程の細かさ、ドライバーとの距離感、過去。現在。
すべてが嘘がない。。
そしてすべてが嘘でもある。
と、ごまかしは嘘じゃないし、自分の心を溶かしていく、日常は裏切らないのだよね。
期待は裏切られるけど。
村上春樹作品をうまく実写化できたと思う。
村上春樹の作品は『いや、こんな無感動にリリカルなセリフを長々としゃべる人間いねーよ』と、若干不自然さを感じるところがあります。でも、淡々とならべられる奇麗な言葉をみてると心地よく、自分は彼の書く文章がある種の呪文のように感じています。
村上春樹原作の映画ではノルウェイの森を見たことがあるのですが、それほどおもしろくなく、彼の作品の映像化はやはり難しいと感じていました。
しかしドライブマイカーは彼の作品の雰囲気をうまく再現できてる気がしました。 余計なBGMや効果音をほとんど入れずに、演者たちのセリフに注目するようにとったのが良かったし、演者の演技もよかったと思います。
主演に声に魅力のある西島秀俊さんを起用したのもよかったと思います。
セリフが長いので上映時間が3時間とかなり長めになってしまいましたが、最初から最後まで退屈せず面白かったです。
映画とは邦画とは
を何かを考え直す日本以外でも戦える作品。幾重にもエピソードが絡まり無駄なくタペストリーを紡ぐように計算された脚本が後から後からじわりとくる。
なんでここまで韓国寄りにするのかと思ったら、最後の方にしなければならない理由がちゃんとあって、そこが映像的にも圧巻。
良質のロードムービーです。音さんがめちゃ色っぽい演技(主に声)で壷。
3時間は長くなかった
村上春樹の小説が原作だというので観に行きました。
私は初期の作品のフアンなので、後の作品はすべて読んでいるわけではないけど、この小説はたぶん読んでいないと思う。
なので、どこが原作でどこが演出なのか全く分からなかったです。
村上春樹が原作でなくてもとても興味深い映画でした。
ただいくつか説明的すぎるシーンが見られて、それゆえ3時間になったのか?とも感じたけど、3時間を感じさせない展開だったと思いますが、村上作品ならもう少し想像の余地を残しておいて欲しかったかな。
普遍的なテーマであり、現代の日本においてはさらに身近に感じるテーマであると。
初めから何度か刺激的なシーンが続き、どうなるのかな~と危惧していましたが、それは必要なシーンだと、後になって納得してみたり。
演劇と絡めた脚本は新鮮で面白かったです。
やっぱり名作って奥が深いな~とあらためて舞台を観に行きたくなりました。
西島さんと岡田君は相変わらずだったかな。
女優さんたちが、とても良かったです。
不自然を自然に見せていく3時間
不思議に見える人を、不自然に見える言動を、必然であり自然なことなんだと説明していく映画です。確かにこの尺が必要なんだと思えました。これは是非映画館で観る映画です。
祝 日本アカデミー賞8冠/米国アカデミー賞国際長編映画賞 受賞で追記 22/3/28
この映画が評価されるのはわかります。
外国語多文化を取り入れているし、
全く理解できない人や行動をだんだんわかっていく過程を丁寧に描いているところがとてもいい。
そして西島秀俊の演技が、彼のこれまでの経験が、滝口監督の演出によって最高レベルで家福を表現できたんだなと思う。
でも星の数は変えません。
今の自分には★3.5ですが10年くらいすると★4.5なるような気がします。そういう映画はめったにないです。それは名画のひとつの要素なのかもしれません。
鑑賞前にはトイレに行ってね!途中行くのはもったいない。
出だしから惹きつけられ、最後まで目が離せませんでした。
手話を含む多言語のチェーホフの舞台、実際に鑑賞したいなと思いました。
2人のタイプの違う韓国女優さんたち、それぞれ存在感がありました。
本当に大切な人だから、失うかもしれないと思うときちんと向き合えない。
本音を言えない。
そういう気持ち、分かります。
でも、かけがえのない相手ならなおさら、その人を信じて、踏み込んで、ちゃんとお互いに分かり合う努力をしなきゃと思いました。
そこでリスクを取らずに逃げ回って、結局関係が破綻したら、死ぬほど後悔するよね…。
失うかもしれないから近付けないと思うほど、好きな人なんて人生で一桁だと私は思います。
静かに、心にメッセージが届く映画です。
大好きな人に会って、ただ抱きしめたくなります~。
長い、長すぎ。
ここはサクラだらけ?ですか?
上映時間考えずに、多少の予備知識で見に行きました。
しかし、途中で早く終わらないか?と
思いながら見てました。
ホントに長い。
監督や役者が好きでないと耐えられない長さ。
セリフも入って来ない。
金を返せ、とは言わないが、
一回見たらもういいかな?
もとは短編と言うけれど。
上映時間3時間?!
出演している役者、作品の雰囲気と内容。色んな所が気になった。でも、一番気になったのは、なぜ長尺でなければならないのか。
その理由が知りたかった。
そして、実際に観終わってから納得した。内容を理解するには必要な時間だった。所々で出てくる、日常のありふれた音と風景だけの映像すらも。
少しでも気になるのならば見て損はないと思います。観終わった、帰りの車の運転はきっと安全運転なはず。 笑
あっという間の179分
静寂の中に圧倒されるような約3時間でした。最近の映画としては上映時間は長い作品ですが、最初から最後まで繊細に、大事な伏線がいくつもあるからこそ集中してしまいました。物悲しさと温かさの調和、背景の多くも東京ではなく洗練された中の情緒ある地方都市の風景もなんとも言えない美しさがあります。
原作はもちろん、監督、実力派の役者さんたちの創り出す世界は傑作でした。終盤のシーンは今の時代だからこそ考えさせられる言葉、所作の一つ一つが圧巻でした。
素晴らしい時間をありがとうございました。
全585件中、421~440件目を表示