ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
全786件中、741~760件目を表示
原作主義者と言われても…
舞台俳優であり、演出家の家福悠介。彼は、脚本家の妻・音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、妻はある秘密を残したまま突然この世からいなくなってしまう――。2年後、演劇祭で演出を任されることになった家福は、愛車のサーブで広島へと向かう。そこで出会ったのは、寡黙な専属ドライバーみさきだった、というストーリー。
原作を読んでいなければおそらく手放しで褒められるような作品であったように思う。3時間という長さ自体は全く気にならない。退屈なシーンにも必要性を常に感じ、冗長に感じさせない。
多言語の舞台を作り上げる過程で主人公は様々なものと向き合い、自分に欠けたものを見つける。みさきや高槻、そして家福の人間性がしっかりと描かれ、それぞれの結末が訪れる。家福と高槻の車内のシーンは熱演であったと思う。
ただ、原作の無駄なものを削ぎ落としたシンプルな美しさに様々な情報を付け足してきたことについてはがっかりしている。特にみさきの過去についてベラベラと聞かれてもないのに喋り出す点については一気に興が醒める。
原作と違うから評価が低い、ではなく観客を呼ぶネームバリューとして利用してる部分が一番納得のできない部分なのである。
そして最後にはどこかで聞いたようなメッセージを分かりやすく貼り付ける。それをしないのが文学であり、映像化はその一端を担うべきではないだろうか。
村上春樹の作品を持ってこなくてもこの表現はできたように思う。家福の淡々とした性格や何も聞かず答えないみさき。家福には理解できなかった妻、それにとらわれる高槻。
この関係性を崩すなら『ドライブ・マイ・カー』をなぜ原作としたのかと思わざるを得ない。同書の『シェエラザード』『木野』と組み合わせるのも個人的にはあまり好みではない。
自分でも愚かだとわかっているが、いい加減映像化に対する過度な期待をやめるべきだと再認識した。
少なくとも邦画では。
3時間の長編を繊細に丁寧に
3時間の長編だったが、飽きることなくあっという間だった。西島秀俊さんのセリフ回しは圧巻。見事に計算づくされている。三浦透子さんの表情も説明セリフなしでも、すっと物語に入れて素晴らしい。孤独感や後悔を感じれた。
そして、ラストはわたしのお気に入り。
3時間と長い作品だけど観終わったらその理由が解った感じ。
飽きることも無く長いとも感じなかった。
人間ドラマが満載。
主要キャストの人達の過去のストーリーがかなり濃い目。
原作を読んでから鑑賞した方が良かったかもしれません。
西島秀俊さん。
安定した演技で言うこと無し。
岡田将生さん。
イマイチな感じだったけど車の中での「空巣」のトークが圧巻。
今までの彼のイメージが変わった感じ。
三浦透子さん。
一切笑わないキャラでおとなしめだけど存在感が凄かった。
煙草を吸うシーンがかっこ良いけど車内で吸うシーンが微笑ましい(笑)
彼女が演じるドライバーの「みさき」。
中学生の時から母親の都合で車を運転してたらしいけど自分が小学生の時、北海道にホームスティした先の中学生も平気で車を運転していた事を思い出す(爆)
劇中劇は今一つだったけど、その劇のセリフが映画のストーリーと被っている感じで引き込まれる。
作品のタイトルからロードームービー的な感じがしたけど全然違ってたんだけど車内の会話が多め。
まさかの長距離ドライブからの展開に引き込まれた印象。
ラストのスーパーから車に乗るシーンが素敵でした。
赤いSAABの車が欲しくなりました( ´∀`)
夫婦の変化に
夫婦という関係の変化に耐えられなかった夫の行動、そして妻の死からも目を逸らし生活をしてきた男の物語です。
2人の関係を淡々と描き、妻を亡くして2年後物語が流れていきます。
東京を離れ広島という地方都市、自分のテリトリーにスッと入ってきたドライバーとの関係、そこで起こる出来事により自身が妻との関係を見つめ直します。
この描写をドライブで流れる様に進む景色とゆっくりと進む車内の対比で描くのですが、そのゆっくりとした時間を楽しめる方にはお勧めなのですが、私にはちょっと長く感じました。
あと舞台の練習シーンが多く描かれるのだけど淡々としたシーンの意図は何となく分かるんだけどこちらも長く感じられました。舞台がこの物語で必須なことはわかるんだけど。
ドライバーとの旅の行方
1 家族を亡くし失意の演劇俳優が、地方での演劇公演をきっかけに、自己再生を図るまでを描いた人間ドラマ。
2 映画は、全編を通じ主人公と周囲の人との関係性が面白い。
先ずは脚本家の妻との関係性。変わった方法で互いの仕事を手助けする良きパ−トナ−。その一方で不貞する妻、主人公は妻の背信を知っても夫婦の破綻を恐れ素知らぬ顔。妻もバレたことがわかっている。そんな奇妙な関係。そして、妻は話があると言ったその日に急逝。主人公には失意と謎が残る。
二年後、主人公は地方公演で、演出を担う。アジア人による演劇。オ−ディションから始める長期間の遠征。そこでは、演劇の主役に抜擢した若者との関係性がスリリング。また、公演を主催する韓国人夫妻の純愛ぶりが清々しい。
3 そして、主人公専属の寡黙な女性運転手との関係が重要となる。二人が言葉を交わし、互いに身の上の一端を知る。彼女の不幸な生い立ちと運転を覚えた悲惨な経緯。彼の妻との生活や亡くした娘のこと。そして、運転手が亡き娘と同じ歳だと判り、両者の心が同調し合う。公演の実施に危機を迎えたとき、二人はある場所を目指す。そこで覆い隠していた秘密や想いをさらけ出し、二人は囚われていたこれまでの呪縛から解き放たれる。
映画は失意の淵から立ち上がり公演で熱演する主人公を写し暗転する。直後、主人公の車に乗る女性運転手の晴れやかな顔のアップで終わる。主人公と彼女が自己再生し、疑似家族としての繋がりを感じた。
4 濱口の演出は終始緩むことがない。多言語と手話による演劇の制作過程を中心に据え、主人公と周囲の人との人間関係を巧みに配置しながら、終局までの起承転結が絶妙であった。また、西島の抑えた演技と声のト−ンが作品に安定感をもたらした。
タフな3時間
カンヌで脚本賞を獲った今作。
村上春樹の短編小説の映画化ということで、少し不安なところもありながらの鑑賞。
というのも、村上春樹作品は私的嗜好に全く合わず、これまで読破出来た作品はゼロ…
まあ別に村上春樹が監督という訳ではないので、全く彼の所為ではないのだけれど、映像化されたとて、やっぱり合わなかったなぁ…
あのテンポで3時間はちと厳しい。
家福の演出手法に合わせるように、彼自身も彼と交流する運転手のみさきも、殆ど感情の起伏を出さないので、観る側は常に登場人物の心情を推し量り続けなければならず、かなり疲れた…苦笑
(スマホで残り時間を確認したいという衝動を抑えるのに苦労したのは内緒 苦笑)
それにしても、日本語、韓国語、英語、手話で会話する舞台劇って観ていて面白いのかな?
心のハードル
大切な人と向き合わないことでやり過ごし、そのうちにその人が病気や事故で亡くなったら、向き合わなかった自分が許せなくなり、後悔と喪失感に溺れて上手く息が出来なくなる。
そんな大人たちの破滅と再生とを描いている作品でした。
キャラに自分の過去~対話せず目を背けて逃げてきた相手(例えば妻や親など)の存在を重ね合わせられるならば、画面に写る美しい景色とともに没入感を得られるだろうとも思います。
見せ方が映画というより、ドキュメンタリーの手法に近い。
感情を明示するセリフが極端に少なく、長回しで「感じ取らせる」技法を多用している。
だから主人公・家福(西島秀俊)が抱える亡き妻・音への後悔、怒り、悲しみを掘り下げるという意味で、尺の長さや、風景描写、他者との関わり、ヒロインみさきや、高槻との会話が必要なのも理解はできます。
ただ、その後悔の記憶に、性行為が関わってくる話なのが心のハードルとなりました。
昨夜食べた食事の内容を話すように、妻や恋人とのセックスで何を喋り、何をしたかを他人にこと細かに語るという行為が、どうにも馴染めない。
(賞賛されたフランスでは、抵抗ないのかもしれないが)
役者兼演出家の夫と、脚本家の妻という組み合わせも、おしゃれすぎて、東京と広島の話なのに、海外での出来事に近い絵空事のようにも感じてしまった。
140分くらいに絞りつつ、みさきの持つ過去の方がリアリティあったので、こちらを軸にした物語で観たかった気もした。
罪と絶望の向こうに
予告から興味があった一作
自分はとりわけハルキストなどではありませんが
西島秀俊は昔からいい俳優だなあと思って
いましたがなかなかおっとり系の印象で
代表作っていうとなかなか強烈に思い浮かばず
最近の「サイレント・トーキョー」や
「奥様は取扱注意」でも映画全体の出来の悪さも
あって持ち味が出てない感じでした
そこへくると今作はかなり良かったです
主人公の家福悠介は舞台役者
チェホフの戯曲を感情を抜いた言葉として頭に入れ
そのセリフの流れを自分のパート以外を妻・音の肉声
のテープで車内で流し頭に入れるのが習慣
淡々としつつ音とは強く結ばれていました
音とは娘を4歳で子供を亡くし
失意の妻を支えるうちセックスの時に語る
架空の物語をしたためて脚本にすると
妻は脚本家として社会復帰を果たしていく
など献身的な良い夫です
ところが妻は脚本家としてドラマ化などが
あるたびにその主演俳優などと寝ていた模様で
悠介は(早い段階で)気が付いていたようですが
事を荒立てることなく淡々と気づかないふりを
していたようです
そうすることが夫婦にとってベストと
思っていたようです
そんな悠介にある日音は仕事から帰ったら
話があると言いますがその日帰るとくも膜下出血
で倒れ生きて帰らぬ人となってしまいます
その葬儀の場で涙を流さない
悠介の姿がありました
2年後チェホフの舞台企画で役者の選定から
行う役を任され広島へ向かう悠介ですが
そこでみさきという不愛想な女性の運転手を
付けられます
音のテープでセリフを頭に入れる関係で
当初は拒否しますがしぶしぶ運転を任せると
非常にスムーズな運転で感心し母の仕事の
送迎を中学の頃からしていた
揺れると殴られるからこの運転を必死で覚えた
などの話を聞き徐々に打ち解けていきます
みさきも悠介のサーブを気に入り
どうも雇い主の韓国人の家の犬には
打ち解けているようです
その舞台のオーディションには生前の音と
寝ていた俳優・高槻がやって来ます
高槻は悠介と真反対の欲望に任せて
すぐ誰とでも寝る欲望の塊みたいな男
この2年で新進気鋭のポジションから
スキャンダルで転落してしまったようで
悠介は偶然音とまぐわう姿を
実際目撃していますが
悠介は高槻をワーニャ役で起用します
高槻は妙に悠介に絡んできて
音の事を無神経に色々聞こうとしますが
その中で音から悠介が聞いていた物語の
続きを高槻は知っていると言い出します
そして高槻は音がしていた事の本当の意味を
少しずつ知ることになります
妻がセックスの後に語る物語
それは音を徹底して肯定する献身的な夫に
愛され愛する立場から可能な限り比喩された
「本音」だったのかもしれないのです
高槻はなぜそんな話をし始めたのかと
思っていると執拗に写真を撮る男を
殺害した罪で高槻は逮捕されてしまいます
自分の運命を悟ったのでしょう
舞台は出演者の逮捕となり妻の死後避けてきた
チェホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」の主役
ワーニャの役をやるか舞台を中止するかに
迫られみさきの故郷の北海道の村まで
広島から向かうようお願いします
「ワーニャ伯父さん」という戯曲は
後から調べましたが簡単に言うと
長年尽くしてきた教授に裏切られ
教授の後妻への恋も破れ
激高して教授の殺害を試みるも
ピストルの弾は外れ絶望に打ちひしがれた
ところを教授の前妻との娘ソーニャに
たしなめられるという悲しいお話
この話にどんどん悠介がワーニャの立場に
収まっていくストーリーなのですね
そんなワーニャ役に高槻を据えたのも
悠介なりの復讐も入り混じったものだった
のでしょうが結局高槻はワーニャではなくなり
自分にその役が回ってきてしまったわけです
ところが今はソーニャもいます
みさきは娘が生きていれば同じ23歳
暴力もふるい時には優しかった母を
土砂崩れの中から救い出すのが遅れ母は死亡
あてを失い残ったクルマで走り出しクルマが壊れた
場所が広島だったと
母は時に優しかった時に人格がもうひとつあり
その優しい人格をあやすのが好きだったと
みさきは振り返ります
でもその好きなような嫌いなような母を
自分は土砂崩れの時にすぐ救い出そうとせず
殺してしまったと独白します
すると悠介もあの話があると言われた日
怖くてすぐ帰らなかった事でくも膜下出血で
倒れた音と救えなかったと吐露
結局音の気持ちにどこか気づいていたのに
棒読みするセリフのように流れを気にして
すべきことをしなかった自分を公開しつつ
それでも生きていかなければいけないと
みさきと抱き合い覚悟を決め
ワーニャを演じることで物語は終わっていきます
エンディングでみさきがサーブと犬を手にして
韓国の道を走っているのは新天地で自分に必要な
ものを手にして前向きに生きていく描写なのでしょうか
物事は様々な要素様々な事情が絡みあい
正義や悪では判断が付かない事ばかりだと思います
最近は自分で考えず人に乗っかって叩くなじる
を炎上炎上と騒ぎ立てるニュースが日々流れ
ウンザリしますがもっと人間はややこしく難しく
思慮深い生き物なのだと思わせてくれる作品だと
思いました
180分もの長尺でいざ感想を書くとこんなんに
なってしまいますが長さはまるで感じず
むしろ観ながら登場人物の気持ちを考える時間を
たっぷり持ちながら観ていける感覚でした
西島秀俊も押しが弱くふんぎりがつかない
感情を表に出せずしまい込む難しい役を
見事に演じており個人的には最高傑作
じゃないかと思ってしまいました
長いし派手な映画ではないですからおすすめする
わけにもいきませんが後々配信でも
じっくり見てもらうと完成度の高さ出来の良さを
感じることができると思います
今年一番の邦画になりそう
原作は30分もあれば読み切ってしまう短編小説。これをどうしたら3時間もの尺の映画にするんだろう。そんな疑問がありましたが、長さを感じさせない秀逸な物語でした。
原作部分は全体の一割もなく、ほとんどが監督オリジナルのストーリー展開。
心と言葉、言葉と身体、身体と心。人とのつながりや、喪う事の喪失感。どうしようもない、行き場のない感情。残された人々が、それでも日々を生きていく。
せつなくて、最後の方は目がウルウルしてしまいました。
美しい海、高速道路
3時間に迫る長尺に躊躇しつつも、海外受賞の邦画への自分の評価が最近どんどん合わなくなってきているので、そこの興味もあって挑戦してみた。見て良かった、迷ったら見た方がいいよ、と思う。
美しい映像と興味を引き続ける舞台設定・登場人物たちに、結果として3時間は全く長く感じず、筋次第ではもう少し見ても良かったかな、配信のミニシリーズでもいいかな、という感覚。短く刻もうと思えば刻めるシーンも多々あったと思うが、確信犯で残しているな、と理解。
役者としては、台湾出身の女性と韓国の手話を操る女性の二人が器用で印象に残った。屋外で二人で行うリハーサルのシーンは、そこにある木も葉も取り込んで、景色も筋の上でもとても美しいものになっていた。また音さん役の霧島れいかは顔を覚えていなかったのだが、男を連れ込みながらも夫を愛している姿に、もちろんそういう設定ではあるが無理がなく、何より美しかった。
しかし、岡田退場後の二人の会話にいろいろと納得をしつつも、いくつかの事情で、芯から乗り切れない感情が、結局ラストまでつながってしまった。
まずは、岡田将生の役柄がわかりづらかった。軽はずみで直情的な行動で立場を失っていく役柄と描かれながら、一方では主人公夫妻の脚本・演出に深い理解を示し、またサーブの後部座席では人間をわかりきっているような上からのコメントを残す。特に再登場後に軽さが協調された後だけに、中間で少し深みを見せておいてほしかった。
もう一か所は、広島→北海道(しかも札幌近郊まで)のロングドライブ。どれだけ遠いのか。海外では距離感をつかめないと思うが、二日間考える時間がある、という中で車とフェリーで行こうとする距離ではない。タイヤは大丈夫か、とかも気になるし、帰れないと思う。 こうしたちょっとしたところで冷めてしまうので自分ながら面倒だな、と思うが、最近の「竜そば」の四国からの上京もそうだが、もっと無理がない距離感での舞台設定は可能なはず。今作では広島にこだわるなら長野あたりにするか、北海道にこだわるなら仙台あたりにするとか、誰も意見しなかったのだろうか。
言葉にならない感動と奇抜さによる驚きが!
村上春樹の短編小説「ドライブ・マイ・カー」を濱口竜介による独特なエッセンスを加えて描いた作品。
2021年のカンヌ国際映画祭で脚本賞と独立賞を総なめにしたことでも話題になった本作。
主人公の喪失や葛藤を乗り越える話という一見王道でありふれた設定のストーリーを「多言語演劇」や小説じみた台詞の羅列等の要素で描ききった傑作でした。
この映画には2つの奇妙で奇抜な要素があります。
1つめは小説じみたストーリーを語る台詞の羅列です。
序盤で霧島れいか演じる主人公の妻が行為の後に原作のドライブ・マイ・カーとは全く関係ないオリジナルの物語を語りだします。
一見本編と関係ないストーリーなので観てる最中は違和感があるものの、後にそれが非常に重要なエッセンスになっていた事が判明するので驚かされます。
2つめは「多言語演劇」です。
チェーホフの「ワーニャ叔父さん」を韓国人や台湾人等と共に多言語で行うという奇抜な劇を主人公は演出しました。
その「何度も行って本読み」を行うことによって言語の違う人同士から言葉にはならない特別な感動が生まれるのだと思います。
それが、言葉が通じ合わない人や言葉がわからない人とでも、やり方を練れば通じあえるものがあると感じざるを得ませんでした。
そして、関係ないように感じる「ワーニャ叔父さん」の物語も劇中の主人公の抱えている問題や心の葛藤に上手くマッチングしていて、実在の演劇とオリジナルのストーリーのブレンドが非常に上手いと感心しました。
その「何度も行う本読み」ですが、監督の濱口竜介は、撮影入る前に棒読みのままひたすら本読みを行って台詞を体に染み込ませて現場で初めて感情を入れるという独特な演技指導術を行うそうです。
それを今回インタビューで初めて知りました。
そのメソッドが本作では直接映画シーンに入れていて、それが「ワーニャ叔父さん」の多言語劇だったり、役者陣の素晴らしい演技に映えていました。
岡田将生のあの車の中の演技ってまさにこれが無ければどんな名俳優でも出来ないことでしょう!
岡田将生の実力だけじゃなくて濱口竜介の凄さを思い知りました。
また、西島秀俊や三浦透子の演技は言うまでもなく、韓国手話で演技する女優を演じたパク・ユリムさんの演技も非常に引き込ました。
僕は時折、映画というのはストーリー、演技、演出、エッセンス、映像、音、それらが組み合わさることで初めて生まれる総合芸術だなと思うことがあります。
この映画を観て久々にそれを思い出させてくれた気がします。
映画の可能性は無限ですね。
そして、上映時間が179分という近年の100館規模以上の日本映画ではかなり異例の長さですが、西島秀俊演じる家福の心の葛藤を取り除くために必要な長さとして確実に必要だったと思います。
3時間という長旅でしたが、非常に有意義な3時間でした!
ストーリーが展開されていくたびにどんどん引き込まれて釘付けになったし、最後は涙もしてしまう作品です。
大傑作!必見です!
愛の奇跡
見応えがある3時間でした。
どうも冒頭からいきなりの似非ロマンポルノ風というか形而上的ポルノというかは、度肝を抜かれましたが見事なまでに主人公の心の空洞を表す展開でした。
濱口監督は脚本担当の映画はたくさん観ているのですが、本人監督作は多分初見です。新鮮味としてはオーディションの場面とか、舞台のけいこ風景等素人の好奇心をくすぐる丁寧な描き方で好感がもてました。
また映画の中の人物達がそれぞれに場面に命を吹き込んでいる躍動も感心しました。一人としておざなりの配役をしていないのは、一目瞭然で特に韓国の手話の女優さんのオーディションと舞台の最後のシーン。凝視している自分がいました(素晴らしい表現力!!)
運転手役の女優さんは、冒頭からなにか暗い背景を持っていることは想像していましたが、ラストこう来るかって演技で多分これから注目の方ですよね。
いずれにしても生きること、大事な人を喪っても残るこころの持って行き場のなさ。経験のある方にはこんな優しも厳しい表現は、これから生きる力になります。
濱口監督ありがとう。
蛇足:ところで吉田大八監督はどこの場面に出てましたか?知ってる方教えて下さい。
長くは感じず
なかなか難しい、妻を亡くした喪失感が表れてこない2時間ちょっと、ですがそんなに長さは感じず。
それぞれが思いを吐露するには相応の時間が必要ということでしょうか。
年代的にSAABが現役で走ってくれているのが嬉しかった!
西島さんはいい味出していました。
人生を考える
ちょっと長くて疲れたけど、いろいろ考えたいい映画でした。
最初妻の浮気に怒らないシーンに自分ならと思ったけど、最後にやはり辛かった男の本音が出て納得した。
人生残された人はただ生きて行かないととうのは本当にそうだ。50過ぎの人は心が動かずにいられない。
あと少し頑張らないとね。
全786件中、741~760件目を表示