ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
全786件中、641~660件目を表示
ひきこまれる
原作を知らない状態で観に行きました。
音の魅力にひきこまれながら、淡々と吐く台詞が心地良く
耳に残りました。
そりゃそうなんですけど、愛の形は様々です。
何が正解なんてないですからね
自分が選択した事が全て何だと思います。
家福は音を失いなくないから現実から目を反らしていた。
音は家福を愛しながらも他の男性とも関係があった
きっと音は何かに満たされてなかったのかも……。
家福はみさきと出会い、徐々に吐き出し
お互い吐き出し、これから生きて行かなきゃいけないんだと……。
ラストはハッピーエンドなのかなと勝手に解釈してます。
きっと韓国公演の真っ只中なんですよね♡
今日も素晴らしい作品に出会えた事に感謝致します。
この長尺でも消化しきれない、膨大な要素が詰め込まれた作品世界の濃度に圧倒される一作。
同名の村上春樹の短編を濱口竜介監督が映像化。三時間という昨今の日本映画としてはかなりの長尺ですが、それでも収まりきらないほどの膨大な要素が詰め込まれており、鑑賞中はほとんど時間が気にならないほどでした。主人公の家福が広島に行くきっかけとなった出来事など、いくつかの場面を除くと大きな起伏がない状況が物語の大半を占めるにも関わらず、このテンションの保ち方はすごい。それだけでなく、いくつかの場面ではまるで劇中の人物が観客に語りかけているような、あるいは観客が劇の中に入ったような感覚に陥ることがしばしばありました。これは劇中劇の素晴らしさもありますが、俳優達の演技の凄まじいまでの完成度ゆえであることは間違いないでしょう。
冒頭の一幕、そして劇中劇の内容から明らかなことは、本作が「ことばを巡る物語」であるということです。ある者は言葉の意味を過剰に深掘りし、ある者は発した途端消えてしまう言葉を何とかつなぎ止めようと奮闘し、ある者は言葉を発することを恐れて押し黙っています。「ことばに囚われた人々」を描いている、と言い換えることもできそうです。
このことを非常に良く表現している(と思えた)のは、家福と渡利が訪れるある場所です。本筋とはあまり関係なさそうに見える「そこ」では、日常にまんべんなく行き渡っているけどある時点で「見えなく」させられたものを、もう一度可視化することができるのです。この当たり前すぎて見えなくなってしまったものの存在を今一度意識するようになる、という過程は、本作全体の流れを凝縮しており、実際後半の展開はまさにこの場面が示した通りの展開となります。
劇中劇と共に物語が進行するという手法は、濱口監督の代表作の一つ、『ハッピーアワー』(2015)でも用いられているとのこと。本作は村上春樹の作品を底本にしつつ、濱口作品として生まれ変わらせるという、(良い意味での)換骨奪胎となっています。
パンフレットもまた作品同様情報密度が濃くて、読み応えがあります。なんと広島の観光案内としても使える!
ハッピーアワーの魔法を見てしまうと
前提として、濱口竜介のファンなのですが、この作品も良かったけれど、食い足りない。スター俳優だと、かえって演技の鮮度というか、演出で引き出される魅力は限定的なのかも知れない。私は今年に上映する短編集の方がキャストも気心の知れたPASSIONのメンツなのでそちらに期待している。村上春樹の短編小説は楽しく読んでら「木野」で悲しめない男の虚しさに感動した。仕方ないけれど、さすがに行為が鏡に映って見えてしまっているなら、怒鳴るなり表現するのではないか。演劇ということもあり「親密さ」と合わせて語る方が有意義かもしれない。「親密さ」はどうも楽しめなかったがそれと同じかもしれない。時間を溶かすような良い意味での長さはこれまでの濱口の映画を観ていれば驚くほどではない。濱口の本で明かされていた本読みのメソッドをそのまま映像に写しても、面白いとは思えなかった。稽古シーンとしては「王国」に圧倒されたこともあり、そこを越えることはなかった。「あなたはふさわしい」を観たこともあり、脚本の高橋の存在はハッピーアワーでも大きかったのかもしれない。コロナもあり、思うように撮影できなかったのかもしれない。良い映画だが、あの濱口なのだから、もっとすごいはずだ。もう一度劇場で観て評価が変わることもありうるけれど、それでも初見の感想を残しておこう。
10月31日にもう一回観たけれど、それほど感想変わらず。男優の魅力があまりない。男が観て、圧倒される男じゃないのかもしれない。そんなんちゃんと口に出せばいいじゃない、向き合えば良いじゃないと思ってしまう。公園での演技は確かに、素晴らしかった。男優で一番よかったのは、韓国のマネジメントの人かもしれない。あと、安部聡子さんも凄い不思議で楽しい。身も蓋もないことを言うと大して西島に惹かれないことが理由かもしれない。
カッコつけて「僕は正しく傷つくべきだった」とありますが、ゲスく言い換えれば「なんでキレられなかったんだろう」な訳でキレるという方法で傷を表現したっていいのになぁと思ってしまった。キレるなんて幼稚な表現ができているうちはまだまだ人生イージーなのかもしれない。さらに具体的にどうキレるか考えると、もし私も西島のような状態になったらまずパンツを脱いでからキレに行くのが正解なのではないかと思う。
更に考えるとセコい発想だが、夫人と問題が表面化する前に死んだので問題から逃げ切れたとも言える。死なれるとあまりに大きな悲しみの為に不倫されていた傷がショボくなり、不倫についてはうやむやに出来てしまう。そんな自己保身をしてしまう自分に嫌気が差すという話だけれど、他人から観ると上手く修羅場から逃げ切れてキレイな思い出のまま死なれて揉めなくてよかったねとも言えるかもしれない。問いただしたり、キレた後に死なれたりしたら、もっと悲惨になっていたように思うのでこの主人公は処世術に長けているとも思える。
不思議な余韻が残る…
なんか不思議と心に残ってるんですよね。。。。
村上春樹原作なので、ちょっとセリフが説明臭いし文学的な言い回しだったりと、好き嫌いは別れるかもしれないし、私も特別 村上春樹が好きというわけでもないのですが。
なんなのでしょう、この余韻・・・
特別に感動したわけでもなく、観て何週間も経つというのに、実はまた観たくなっている不思議。
俳優兼 舞台演出家である西島秀俊と、運転代行ドライバーの若い女の子の物語。
舞台配役のオーディションの様子とか、本読みと呼ばれる脚本読み合わせ、立ち稽古…
あぁ、こうして舞台というものは作り上げられていくんだな、と興味深いくだりもあり、各俳優陣の個性、とりわけ岡田くん演じる若手新鋭俳優の立居振る舞いが気になる。そして彼の秘密も。
ストーリーは西島さんとドライバーの車中の会話が軸です。
静かな中にも少しずつ芽生える2人の信頼関係、お互いの過去の大きな傷。それがキー。
なんかうまく言えないんですけど💦
3時間が長く感じない!
泣いたりもないんだけど、なんか心に残る!
やっぱりもう一回観よ😃
岡田くんが車中で西島さんに言う長セリフがとても良かったんです、どうしても思い出せなくて。
懊悩し溢れる慟哭の後に
バラバラに散漫としながら進んでいくストーリー。どこか上の空で、そんな散漫とした世界を漂う登場人物達。それでも何時しか集束していき雲となり、其々の思いがフワフワと降り積もる雪の様に、シンシンと世界を白く染めた頃に痛みと共に訪れる一条の光。救い、等とは言えないが、各々の答え、ではあったのだと思う。そんなお話し。
何とも言えない空気感とそれを演じる役者陣、長時間(三時間)とは言え心地好く過ごせました。心地好い話ではないのだけれども(苦笑)。ただ、画面がTVドラマっぽいのだけが残念でならなかったなぁ。うまくは説明出来ないのだけれども、自分の中ではそんな感じでした。
ドライブした道のりをハショッても3時間…。
冒頭から、オナ○○…ネタで始まり、あらら、村上春樹だ…と思っていたら、アレヤコレヤと事があり、中盤にさしかかるところで、ドライブ・マイ・カーと表題が出てきて、オイオイ、今からかよ…と思いつつ、また、アレヤコレヤとあり、終盤に事件があり、舞台を中止にするか、主人公の家福悠介が事件を起こした俳優の代わりに舞台に出るか、決断を迫られ、猶予は2日という段になり、悠介が、ドライバー“みさき“の故郷を見たいと言い出し、広島から青森へ車を走らせ、フェリーで北海道へ渡り、みさきの故郷を訪ねる。
これは、どんな距離感と、何を言いたいストーリーなのだろう?
広島の平和公園から、一時間で行ける瀬戸内海の島に、悠介の宿を取ったということだったが、これも距離感は大丈夫なのだろうか?
村上春樹の原作は知らない。元は短編なので、かなり原作から変わっているところはあるのだろう。
最後に、みさきは韓国で赤いSAABに乗っていた。輸出したのだろうか?
メッセージ不明…、これは村上春樹と同じ方向性と言えるかもしれない。
カンヌの脚本賞、おめでとうございます。
出来た男の自制と恰好付けが招く苦悩
村上春樹の短編にはすぐれた作品が多いけど、本作は読んだことなかった。でも十分に村上春樹の筆を感じさせてくれる素晴らしい出来だった。 思うようにいかぬ人間の気質や性(さが)、その不条理を見事に描いている。 出来た男の自制と恰好付けが、結局は重い苦悩と葛藤を呼ぶことになる。 いい妻が、あることを境に肉欲に勝てぬ妻になってしまったり、演技力抜群の俳優は、抑えの効かぬ激情を抱き合わせにしていたりする。 だがドライバー役の女性が抑えの効いたいいムード。 タバコ、また吸ってみたくなって困ったよん。 笑
静かで不思議な作品だった
いかにも村上春樹さんらしい「喪失と再生」の物語だった。
役者の配役上手いなと思う。
明るい作品ではないけど、映し出される風景に目を奪われ癒された。
都内のなんとなく見覚えのあるような風景、広島の紅葉の頃の広い街の様子、北海道の真っ白な綺麗な雪景色、北海道に行くまでに通るひたすらの田園風景。新潟なのか、福島なのか、どこかの東北なのか。懐かしい郷愁を感じる染み入る風景に癒された。
手話の美しさと車窓の流れる風
とくに 期待少なく、カンヌで賞をとった作品… と ミーハーな興味で映画館へ。登場人物たちは少ない日常会話で、飽きるかなぁと思っていたけど、いつのまにか作品の中に一緒にいるようでした。また、手話での美しい手指の動きと、主人公愛車の車窓から流れる外の風景は、車中での会話をより印象深いものにしてくれました。チェーホフは、私にはシキイが高く、作品の中の多国語劇になじみはないものでしたが、この作品のストーリーと重ねられ、心地好い余韻が残りました。
179分
179分という長尺に「覚悟」を決めて挑んだ序盤、まだアバンにもかかわらずその謎めいた不思議さに引き込まれる。ちなみに私、このオープニングへの入り方大好き。
そこから淡々と進む展開も無駄なく、179分を削る余地は見当たらない。
ただ一つ、演劇門外漢な私には劇中劇に使われるチェーホフが、要素として何をもたらすのか(この時点で)今一つ掴み切れない。
中盤、車の中で交わされる会話から、アバンにおける伏線が回収され始めると展開ががらりと変わり一気に終盤へ。
コミュニケーションと距離感、身近な者の死と、他者への肯定。そして、幕が開いた舞台『ワーニャ伯父さん』のセリフが、この物語とリンクしていく。
179分。終わってみれば「もう一度観たい」と思える。非常によかった。傑作と思います。
岡田将生さん、パク・ユリムさん、素晴らしかったです。
終わり方が良かった。 日常的に日本語を使わない韓国で、言語を媒体と...
終わり方が良かった。
日常的に日本語を使わない韓国で、言語を媒体としないコミュニケーションをとる犬を相棒としつつ、赤のサーブを運転するみさきはこれまでの人生を否定することなく自分の一部として受け入れてこれからも生きて行くのであり、とても素敵だった。
受賞に納得
あっと言う間の3時間でした。
この映画を良いねと言う人と、友達で居たいと思わせる、余韻の深い作品でした。
岡田将生は、高槻を見事に演じていた。しかしどうしても、「本当の岡田君はあんな社会人失格者じゃない」感が邪魔もしました。
もし、高槻が伊藤健太郎だったら、ピタリとハマったのに。何も考えてなくて空っぽで、学も無くて行動が軽率で、でも演劇に必要な感性はある。
自分を律する事が難しく、衝動的な行動が元でキャリアを崩し、それでも自分を変えられなくて遂に逮捕されて主役降板。
伊藤健太郎だったらリアリティーあったな。
一緒に車に乗っているかのような映画
受賞されている映画なので鑑賞✨
内容が実にシンプルで
淡々としている
裏があるのかと思いきや
そうゆう展開でもない
奥さんを亡くした夫が、喪失をどう癒すか、生きていくか
そんな映画でした。
奥さん亡くした夫、映画なら、永い言い訳の方が好きかなぁ
以下ネタバレ
家福さんと渡利さんが韓国人夫妻のところで料理をご馳走され、渡利さんが褒められるシーンで、犬を可愛がりながら、照れている表情が良かった😊
吉田大八監督が出てた笑
警察役で本当に少し笑
なんで最後、ドライバー渡利さん韓国にいるのー?
と思ったけど、西を目指して広島に来たと言っているのを思い出した。
日本を超えて西へ行ったのかな?
あの車貰ったのかなぁー
そして犬可愛い🐕💕
人との出逢い、交わり、変容
「スパイの妻」濱口竜介監督の作品であり、ロケ地が広島なので鑑賞。「人との出逢い、交わり」がテーマだと思う、人は出逢い、交わり、変容してゆくのだ。「家福悠介:西島秀俊、家福音:霧島れいか」夫婦、「家福悠介:西島秀俊、高槻耕史:岡田将生」演出家と役者、「家福悠介:西島秀俊、渡利みさき:三浦透子」演出家と担当ドライバー、家福悠介の愛車SAAB900(この映画での存在感が凄い)に同乗した二人の関係が変容する様は見どころ。「家福悠介と渡利みさき」が渡利の故郷を訪ねるシーンは胸を打つ。「パク・ユリム:イ・ユナ(聾啞者)、ジン・デヨン:コン・ユンス」夫婦の暖かさが胸に沁みる。オーディションや稽古シーンには舞台芸術の凄みを感じた。ロケ地では、しまなみ海道【来島海峡大橋(今治からレンタルサイクリングした)、御手洗(高校時代の親友と訪れた)】に想い出が蘇った。約3時間の長編映画だが、そんなことを感じさせない秀作。
戸惑い・・・
まずこの映画の中で演じられる劇中劇だが、複数の言語やコミュニケーション手段を持つものがその言語のまま一つの劇を演じるというのをこの映画で初めて知ったのだが、実際に演劇の世界ではポピュラーな演出なのだろうか?それともこの映画におけるオリジナルなアイデアなのか?それとも原作に既にこう言った内容で表現されているのだろうか?
もし村上の原作に既にこういった内容でテーマ化されているのであればそこには2007年公開の映画『バベル』の影響を感じずには居れなかった。勿論異なるコミュニケーション手段をとった劇を映像の中に埋め込むという手法はとても高いオリジナリティを感じたが、後半のロードムービーが急にリアリティをなくす設定なのが前半かなりドキュメンタリックなのに対して逆説的に目立って気になった。正直2日間しか猶予がない中で、思い付きであの中古のサーブで冬の北海道へ1日でしかも北陸道経由で行くことのリアリティの無さは塗油距離運転したことのある人間えはあり得ない設定である。ロードムービーは現実の風景の中を現実の時間を掛けて移動するからこそリアリティがあり詩情が生まれる。ここは見終わってからじわじわと不満に感じてくるので正直評価をその分落とさざる得ない。この後に『グリーン・ブック』と言うアメリカのロードムービーを見るとそういった破綻がないのが素晴らしい。とは言え、この作品の持つ総合的な高い芸術性はそれで損なわれるものではない。各演者の迫力がスクリーンを突き破って胸に突き刺さる。
静かな3時間・・☆
原作を読んでいて、あの短編小説をどうやったら 3時間の映画に出来るのか?と
いうのが最初に感じた印象だった。
だが、鑑賞前の雑誌等のレヴューを読んで、かなり多角的に肉付けされた作品に
なっていることを知り、むしろ期待して見にいくことになった。
冒頭の妻役・霧島れいかが主人公の西島秀俊演じる夫の家福に語り出す物語は、
村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」が収録されている「女のいない男たち」の中に
ある「シェエラザード」の中で、女性が語る物語に酷似しているし、途中で登場する
バーのシーンも「木野」という作品へのオマージュのようだった。
しかし、全編を通じて一番印象深かったのは静けさだった。
昨今の邦画にありがちな過剰なまでのBGMがなく、各シーンそれぞれが淡々と
繋がれていく。
そうしているうちに、西島秀俊とドライバー役の三浦透子演ずる渡利みさきと
一緒に過ごしているように思えてくる。
三浦透子が秀逸で、あの無表情の中であらゆる感情が表現される気がする。
多言語の演劇や岡田将生、ラストの北海道へのドライブなど印象的なシーンは
たくさんあるが、それでも静かな映画というのが見終わったあと最初に感じた
ことだった。
村上春樹のファンとか関係なく、映画の好きな人には観る価値がある作品
と思えた。
いつまでも心に残る
手話をふくむ多言語の演劇ってこう観せるのか。
田舎住まいなのであまり舞台を鑑賞することもなく興味もなかったのですが、機会があれば観てみたいと思いました。
西島秀俊、岡田将生の他は知らない俳優さんばかりで、村上春樹原作の三時間の長編。体調も万全でなかったので途中で寝てしまわないか、心配でしたが杞憂でした。
途中で時計見て、あ、もうこんなに経ってるって思ったくらい見入ってしまいました。
どなたかが書かれていましたが、この映画の持つ吸引力。台詞のひとつひとつが大事に作られて発せられている。走行するサーブ。広島市内をはじめ、瀬戸内と北海道の風景。亡くした妻と亡くなった母への想い、罪悪感。助けられなかった、助けなかった後悔。
見終わって何日か経っているが、ラストのドライバーの明るい表情、終盤の舞台のシーン、手話、主人公の涙、いろんなシーンが蘇り、胸を打つ、心が震える。
いつまでもいつまでも心に残る作品。
原作長編をダイジェスト化するより、短編小説を膨らませた方が面白いって、書いてたの和田誠さんだったかな。
約3時間の車の旅
妻を亡くした舞台俳優兼演出家の家福が演劇祭の稽古のため広島へ来る。そこで出会った運転手のみさきと交流する中で自分と向き合う話。
.
素晴らしかったです。素晴らしいのはわかる。けれど私のチンケな感性じゃこの映画の1/3の良さもわかってないんだと思う。大絶賛のレビューが多い中分からないものを分からないと言って良いんだということを伝えるために分からなかったとここに書いておく(笑).
.
妻の語る新しいドラマのストーリーに、『ゴトーを待ちながら』『ワーニャ伯父さん』が本作の登場人物達の感情とリンクしていて、さらにみさきの語る過去の話、高槻の語る家福の妻との話、色んな作品内物語が倒錯していって段々とフワフワしてくる。
.
このフワフワ感何となく記憶にあるなと思って見ていたら思い出す、家族旅行に行った時、車の中で窓の外を見てぼーっとしてた感じ。みさきの運転の安定感がそのままこの映画の心地良さに繋がる。(私が見た回は近くに4DXのスクリーンがあったから床が結構揺れて本当に車に乗ってるみたいだった)3時間あるけど終わった後そこまで疲れた感じはなく、あ、もう家に着いちゃったんだって感じ。
.
あとはディスコミュニケーションの話でもある。家福の演出は役者がそれぞれ母国語を話すので、役者同士相手が何を言っているのか分からない。さらに、家福とみさきはもう亡くなってしまった人と話すことが出来ないことに少なからずわだかまりを抱えている。
.
最終的に家福は、コミュニケーションをするためにはまず自分の言葉に耳を傾けるべきだと気づく。(これを聞くと「テキストに自分を差し出す」って意味も分かるような分からないような)そこで私も同時に、この映画が分からないならまずは自分と対話せよってことなのかなと腑に落ちました。
.
美しく重層的
濱口竜介監督のこれまでの作品から感じていた、人間の深さと複雑さと不可解さ、様々な事柄が重層的に表現される映画の奥深さを、本作では予想をはるかに超える厚みで感じた。こんなに素晴らしい映画を創ることができる監督の力に心底驚いた。
絶望と隔たりががあるからこそ希望のかけらを信じようとする人間の姿は、あまりにも美しい。同監督の2015年の『ハッピーアワー』も5時間越えのわりに時間を感じなかったが、本作はさらにというか全く、3時間があっという間だった。観終わってすぐにもう一度観たくなったし、何度も観に行きたい映画。観るたびに気づくことがまだまだありそうだ。本作を同時代に新作として観られたことに感謝したい。映画というもののすばらしさにも改めて気づかされた。それほどまでに凄い映画。
全786件中、641~660件目を表示