ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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すっごいすき
思い出したり、悩んだり、悔やんだり、迷ったり、頭の中でいろいろな事が起きていたとしても、それをセリフとして発するわけでなく映画で表現するのは難しが、この映画ではこれはドライブ/車を運転するという行為で表されている。同じく何をしているわけでもないのに運転していない時は思考をしていない、止めているし、自動車事故は言わずもがな。
しかしそんな説明がなくても観客はそれがわかるし、ドライブの様子を見ていることで登場人物のざわざわする心を動きを鑑賞することになる。多くの人が時間を感じないと言っているのは、その心の動きが激しくて追いかけているとあっという間だから。
この映画、唯一困るのは、レビューで何を言ってもなんか野暮になってしまって、人に勧めるのが難しい。
評判の割には
うーん、批評家が絶賛するよりかは思っていたのと違うというか、しっとりした映画なんだけど、感動とか興奮するとかそんな感じの映画ではなかった。なんかそういうことを拒否してるというか熱演に見えない演技でそれが全編当たり前に続くので慣れればいいのだけど、あまり好感を持てなかった。
アカデミー賞取るかもしれないけど、それほどでもないなと思いました。村上春樹の映画化で面白かったこと一度もない。
語るための装置・儀式
先日アッバス・キアロスタミの『桜桃の味』を鑑賞して、改めてイラン映画のナラティブの力強さに驚いた。誰もが語るべき何かを持っているし、それを誰かに語ることを厭わない。
こういう傾向は私の好きなラテンアメリカ文学の中にも往々にみられる。ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』なんかはまるで親戚のオッサンが酒の席で披露する長い長い昔話みたいで、素気なく聞き流そうとしていたはずがいつの間にか聞き入っている。ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』なんかもよかったな。
『ドライブ・マイ・カー』を観て思ったのは、日本人はナラティブに強い躊躇があるということだ。語るべきことはたくさんあるのに、それを語る術を持たない。それゆえ他者とのすれ違い、断絶、そして死。
だから語るための装置や儀式が要る。それらを介してナラティブを始動する。本作では車や演劇がそれに該当するのだと思う。そして紡ぎ出されたナラティブは人と人を繋いでいく。
この構造は村上春樹の小説の中でも頻出する。超現実的な媒体を経由した関係性の接続。井戸、入り口の石、祠。
私も人に何かを直接語ることが苦手だ。フォーマルな自己紹介から始まった人間関係が持続した試しがない。それより飲み会の方が好き。飲み会は本当のことを語ることを強要されないから、どうでもいい話を介して本当のことを語ることができる。今いる友達なんかだいたいよくわからん飲み会で出会ったなそういえば。
日本人は奥ゆかしいとか大人しいとか言われがちだけど、それは語るべきものを持っていないということではない。ただ、どう語ればいいのかわからないだけ。
他者を大切に思う気持ちと、適切な媒体さえあれば、誰もが何かを語り出すことができるに違いない。イラン人だろうが、コロンビア人だろうが、日本人だろうが。
ちなみに、本作を観に行くために何か予習をしておきたいとしたら、村上春樹の原作よりもチェーホフ『ワーニャ叔父さん』を読んでおいたほうがいいと思う。かなりダイレクトに関わってくるので。
日本での、毎度お馴染み、TV局、新聞、出版社やらのメディア、広告代...
日本での、毎度お馴染み、TV局、新聞、出版社やらのメディア、広告代理店が連なって、内容はともかく儲けましょ「制作委員会」の制作じゃないので、こういう映画が創れたのでしょうね。
以前、村上春樹さんの映画化された「ノルウエーの森」で酷くがっかりしたので・・これもどうなんだろ・・とちょっとハスに構えて観ましたが・・。村上春樹ワールドでした♪
気になったのが・・サーブのエンジン音。ちょっと低速のギヤ比の時の音じゃないのかなぁ・・。なんだか、走行中のエンジン音だけ聞くと、ゆっくりが走ってる感覚になっかシフトアップしたくなるの、でも、画面は速く走っているので・・ちょっと違和感・・。
サーブってあんな感じの排気音だったっけ?
ちょっと今まで観たことのない映画
3時間とあって、なかなか踏み切れずにいたが、近所で再上映とあって観に行ってみた。
3時間は、思ったほど長く感じられなかった。
場面展開が激しいわけでもなく、1シーンがめちゃくちゃ長い。
情報量が詰め込まれているわけでもなく、時間にしてはシンプル。
なので、決して疲れた、とか飽きた、は全然なく鑑賞できた。
この映画はちょっとこれまで私が観てきた日本映画の中では異質であった。
まず、セリフ回し。戯曲の舞台が本作の主題だけあって、セリフが日常会話とは違う。
通常日本語は文法のように『~です』『~なんだ』のような形で終わらず、『~ですし』『~ですよ』とか『~なんだよね』『~だから』みたいな語尾が多く使われていると思うが、この映画はほぼ文法通りのセリフ。台本と言うより、やはり戯曲的だと思う(実際台本読みのシーンがあるがそこも面白い)。
また、上に挙げたように、1シーンが長い(1カットではないが)。本当、舞台のようにかなりセリフを詰め込まなければならなかっただろうな、と思うほど長い。
以上のようになかなかこういった手法の映画を見たことがないので、ちょっと驚く。
そういった意味では、この映画は新たな体験として凄く良かった。
ただ、のめり込むかとか、気持ちが入るかと言われるとそうでもない。
私を原作を読んでいないから大それたことは言えないが、正直40代の夫婦の性愛を芸術的に語ることにやや嫌悪感を感じる。性や愛を、あまりに芸術的視点で捉えていたので、ここは私の文化偏差値では付いていけなかった。
あとはラストシーンが意味不明であった。何を言いたかったのか正直わからなかった。
カンヌで高評価を受けたが、監督自身、おそらくそこは狙って作ったような作品だった。
あまり詳しくないが、フランス映画っぽい感じもしたので。
もう一回見れるか、というとちょっと厳しいかな。
三浦透子のほぼ表情の変わらぬ演技は素晴らしかった。
好み分かれるかなぁ
静かな、ゆったりとした作品。
長回しの長台詞のシーンが多くて
(役者さん大変そう)
「演技を見せる」というよりも
「セリフを聞かせる」という感じ。
たんたんと、とまでは言わないけど
引き込まれる感じがあんまりなくて
ハッキリした山場もないので、
飽きちゃう(寝ちゃう)人、多そう。
テーマも[深い]というか、
悪く言うと[こむずかしい]感じだし。
でも自分は、結構好きなタイプ。
ただ、
誰にでもオススメ、
って作品ではないかなぁ。
ラストシーンは、
「ナゼそうなった?」って感じ。
けど、あえてそうしてるのかな。
色々想像させる感じ、にはなってるから、
[説明するのは野暮]ってとこかな。
とりあえず見てみて。損はしないと思う。
手話のシーン
最近見た[コーダ]思い出した。
赤い車が印象的!
原作は昔読んでいたけど、もう記憶になかった。
カンヌで受賞したニュースを聞き、鑑賞。
春樹の筆致をすごく感じた。私にとって、独特のあの書き方と世界観がそのまま映像化されたみたい。これはノルウェイの森とかでは感じなかった。
春樹の小説で登場人物は、淡々と知的で少し包容力がある喋り方をするけど映画の俳優もそう。やはり現実にこんな喋り方する人がいたら、素敵すぎて近寄り難いな…って西島さんだからか。
三浦透子さんはよく合っていた。
素敵な言葉が沢山あったので、また原作を読み返してみようと思う。
じんわりと心に響く作品でした。 派手さは無い3時間の長尺ですので、...
じんわりと心に響く作品でした。
派手さは無い3時間の長尺ですので、映画館で没入して鑑賞しないと良さは伝わらない気がします。
ラストは韓国のナンバープレートに変わってたので、移住したって事でしょうか。なんで?
韓国は旅行なら日本のプレートのまま走れるそうですので。
SAABが好きで若い頃SAABに乗ってた事ありますが、故障ばかりでした。15年間故障知らずとはかなり幸運です笑
喪失感、後悔…自分自身の感情と向き合い、折り合いをつけて生きていく
西島秀俊さん、三浦透子さん、岡田将生さんの演技が素晴らしいです。長い映画だし、多言語の劇中劇があるのですが、劇中劇はなかなか良かったです。
車内のシーンはセリフも動きも少ないのに、感情の移ろいが伝わってきて退屈では無かったです。
印象的なシーンも幾つかありましたが、全体としては私は感動する程では無かったです。
多言語の舞台と言うのは実験としては面白かったけど、家福が以前からそういう演出をするのだとしたら、それにこだわるのはなぜなのかと思いました。高槻は結局何がしたかったのか良く分からなかったです。
「彼女は高貴なヤツメウナギだったから、他のヤツメウナギのように寄生したりせずに、ただ石にへばりついてゆらゆらと揺れていた」というのはつまり、ヤツメウナギは浅ましく、人間は高貴である、と言っているわけですよね。
夫を深く愛しているのに夫だけでは満足できない、という人は居るのかもしれませんが、その妻を深く愛せる夫の気持ちは解らないです。
音は元女優の設定なのに、録音のセリフは感情を込めないというより何だか暗くて、駄目出ししなくて良かったんでしょうか。
共感する夫婦間
長い映画
仕事をしてある程度ボジションが出来た夫婦
には理解出来るような。
ふと、私が居なくなった時に夫は悔恨の情に陥るかを考えた。全てを理解し合う事は夫婦でも人でも難しい。ドライブの中で分かり合う家福とみさき。その過程がゆっくりとした時間の中で紐解かれて、彼女の心の溶け具合が心に残る。フランス映画のように叙情的でもあり、現実感があり、楽しめた映画でした。
村上春樹さん作品にはよくある 本編には関係ない”こだわり”=ザ・ビートルズ
原作は読んでいないし、劇中劇である戯曲「ワーニャ伯父さん」も知らないが、
本作は村上春樹さんの小説を1字1句残さず、セリフの間さえも的確に描写している"ザ・村上文芸作品"の匂いがした。
キャスティングもイメージどおり。
2時間程度の短絡的な作品が多い現代映画界である甲子園にプロのピッチャーが投げてしまった映画。
原作・脚本力はピカ一だ。
人と人は「言葉に関係なく、うまくコミュニケーション=和をもつことができる」という表現目的である多言語演劇の
劇中劇では舞台頭上に長々と字幕が出る。
これは形だけの説明であり、こんな長文をいちいち読んでいては 劇を真剣にみることはできない。
あくまで多言語演劇を観るには予習が必要で、
その予習を確認しながら この劇を観る事を 演出家は期待している。
同じように、変化を嫌い 繰り返しを好む主人公は 車の中で元妻のカセットを何度も繰り返して聞く事で、いつも安堵する。
舞台練習に対しても、机に座った本読みばかりを行い、セリフを繰り返し繰り返す事で、言葉を体に沁み込ませる手法をとる。
これは予測されている事を確実にこなす事を重視するのであって、予期しない変化は断じて認めない事でもある。
だから主人公は妻の不貞=変化も観て見ぬふりをし続け、役者として気づかない演技をし続けてしまった。
この映画は長い。重要なのは 時間だけではない
これを理解できないと この映画は苦痛になってしまうかもしれない。
途中であきたのか? 隣のおじさんが 途中「あーーー、うーーーー」と煩かった。
情熱的な色をした車は主人公の妻=音(おと)であり、
それは主人公だけのもの
主人公 家福(かふく)は自分でその車を運転する事にこだわるが、
演劇主催者により、運転席の座は強引に取り上げられてしまった。
最初は車と主人公の間に入ってきた運転手である"みさき"との間に壁を作っていた主人公も、
ある日、心を落ち着かせる為に、いつもより長くカセットを聞きたかっただけのドライブをとおして、副産物として、みさき を理解出来るようになり、同化さえしていく みさき に車を託して、共有する気になる。
それは2年という単なる時間の消費だけでは解決できなかった想いを
ただ時間をかけるだけでなく、
相手を理解する事の大切さを知る事。
故に車で座る席も、傍観者的であった後部座席から、助手席に代わり、主人を待つ間にもその席に座る事を許す事になる。
自分の車は自分だけが、運転するものではなく、「他の誰かにも運転させる」 そう言うもの そう理解する。
同時に舞台では、自分の立場に近かった役を演じられないとしていたが、
妻との間に入ってきた男を理解することで、
同じように妻を理解でき、その役も演じる事ができるようになった。
そして妻の象徴でもあった車さえ、最後は みさき に完全に託す事ができるようになる。
呪縛から解放されたのである
なぜ みさき の故郷が北海道なのか、監督に聞いてみたい。
広島ならば、距離的には新潟あたりがよいのではないだろうか?
それ以上に 家福さんが住んでいた 東京の手前で高速を曲がるような場所である 山梨とかの方が、主人公の心の整理と葛藤を裏表現できて、的確なのではないだろうか?
答えを求めていた恋敵である高槻は現実と似た役柄である"妹の元旦那”を求めていたのに、
主人公は現実には自分と似た立場である"妹の兄(叔父)"をやらせたのだろうか? 脚本家に聞いて確認してみたい。
帰り際によく見ると、隣の席ははおばさんだった。
この映画を観たら「ノルウェイの森」を やはり観る冪なのだろう。
また、文芸作品としては何度も映画化されている「伊豆の踊子(1974年他)」もそれぞれ比べてみると良いと思う。
世界観にゆっくり浸るのにオススメ
あの短編小説を、どうやって3時間の長編に??と思いましたが‥
チェーホフの『ワーニャおじさん』の演劇製作と並行しながらの、ストーリー展開には引き込まれました。
劇中劇の対話、家福とみさき、高槻との対話、音から紡ぎ出される語り。
印象的だったのは、高槻が、「他人の心をそっくり覗き込むことはどんなに愛している人でも無理。でも、自分の心はしっかり覗き込むことができる」とゆうところ。それから、みさきが、夫以外の男性と関係を持っていた音のことについて、「謎ではない、ただそういう人だった」みたいにゆうところ。なんか、ちょっと、救われるような気持ちになったんだけど、なんでかしら。
ちなみに、岡田将生演じる高槻が追突事故を起こしているシーンでは、どうしてもアクサダイレクトのCMが頭をよぎりました‥
正直、つまらなかった。
映画を観終わってすぐに村上春樹の原作も読みましたが、正直、私にはどちらもつまらなかった。
長尺の作品の割に、終始単調なストーリーで、感動や驚きが乏しい。
チェーホフだかなんだか知らないが話を小難しくする味付けとしか思えないし、男女のベッド上での会話も、本能的な行為にカッコ付けて理屈を付けて、気障で嫌味な感じがした。
主人公とドライバーが「お互い人殺しだよね」と共感し合うシーンにも私は全く共感できなかった。
ラストの韓国ロケシーンも私にとっては全く意味不明で、未だにモヤモヤしている。意味の分かる人がいたら是非解説して欲しいです。
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