ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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村上春樹っていう感じはした。
たんたんと進む感じが、村上春樹の感じでよかった。
ストーリーも途中まではよかったけど、北海道のあたりが描写は雑だし、なんだかなあという感じ。
お芝居のことがよくわからないので暗喩とか見落としてるかもね。
ネガティブはいいの?
原作や『叔父さん』読んでないので、映画観ただけの感想です。
まあ、長すぎた。北海道に向かうまでは、まあなんとか。2時間前後に出来るよ。日本の監督は切れないのばかり。
しかし、前半は謎ありそうで観入ってました。呉の宿やホテル場面などはフランス映画を思わせ、広島のことも勉強になり、この監督さん、やってるねー。
そしてなにより、シーンが比較的短くセリフも絞られおり、外国映画なみにいい映画を観てると感じてました。それと、多言語舞台劇面白そう。
韓国夫婦の自宅で食事以降あれっ?と思い始めたのは、福家女房の死という冒頭からのミステリーに収束しないのでは、と感じてから。だって広島や韓国人や運転手がそのミステリーにからみ、またはヒント、もっと言えば原因となってたら、つくりとして一本筋がとおってるじゃないですか。監督の意図とは違うてしても。
幾つかの短編をミックスし、他にも足したとのことで、3時間がバラバラにならざるをえなかったのか。エピソード毎は切れ味あっても、トータルで観ると‥。
韓国夫婦ねエピソードは別の映画にしたらよさそうだな。福家夫婦に(浮気無くても)ほんとの愛情無かっただろうし、そのぶん韓国夫婦には深く感じるものあったろうな。運転手もね。あの家での場面だけカラーが違うように感じた。
期待していたミステリーだめだめだし、なんか幾つかの短編観た気分で、期待していただけに評価低いす。もしかしてそれが監督の思惑?
運転手がサーブと犬引き継いだ必然性分からないが、何かクリントの『グラントリノ』みたいだなーはサプライズ。
ネガティブな感想は少ないと思い投稿しましたが、私の見当違いあるかもしりれず、どうか意見して下さい。
とても良かったことはわかるけど、まだうまく整理できない。単なる感動...
とても良かったことはわかるけど、まだうまく整理できない。単なる感動ヒューマンドラマではなかったし、構図や動きが素晴らしい以上の何かがあった。人や建物、景色といった被写体の美しさも申し分ない。そして何らかのメッセージ性もある。だけどその足し算ではまだ足りない。
とにかく観てちょうだい、的な?
----- 2022/3/12 追記 -----
日本アカデミー賞受賞を知って。つぶやき。
作品賞、監督賞、新人俳優賞、脚本賞、撮影賞、照明賞の受賞、おめでとうございます。ただ、主演男優賞だけは自分にはピンときませんでした。この映画に西島さんがピッタリだったことは、自分も全く違和感ありません。それは見事なものでした。
ただ、それは西島さんのいつものあえて言えばワンパターンな演技にこの映画の雰囲気がピッタリだったと自分は感じる。いわば「配役の妙」だと。だから、もしこの賞が、俳優の力を評価する賞であるなら違和感あるなぁと思った次第。俺の勝手な感想です。
まあ、(俺が大好きな)ありのままの演技の黒島さんも、「カツベン」で新人賞もらってるし、俳優賞は、俺が考えるような基準じゃないのかもしれないなあ。
----- 2022/2/21 追記 -----
これから観る方へ
本作を観る上で、劇中劇である「ワーニャ伯父さん」のあらすじを知っておくと、そこはかとなくお得です。
劇中劇という言葉がピッタリ。本編と重なりあってます。主人公とドライバーが最後にたどり着く気持ちと、劇中劇の主人公ワーニャと姪のソーニャがたどり着く気持ちは、重層しあってます。ぜひあらすじを知っておいて得した気になってみてください。
<登場人物>
ワーニャ:"教授" の前妻の兄。ソーニャの伯父さん。妹の結婚相手の "教授" の才能を認め、妹が亡くなった後も、"教授" の財産である領地を維持管理することで、彼の才能を支える一端を担ってきたと自負している中年男性。"教授" の若き後妻エレーナに心惹かれている。
"教授" 年老いた大学教授。ワーニャの妹の夫だが妻と死別した後、若き後妻エレーナと再婚している。
エレーナ:教授の若き後妻。
ソーニャ:教授の娘(前妻との子)。伯父のワーニャと一緒に教授の領地家屋を守っている。
アーストロフ:エレーナに心惹かれている医者。
<あらすじ>
ソーニャ、アーストロフ、人妻エレーナの三角関係に年齢が離れているワーニャまで絡んで、恋愛感情を中心に話が進む。
ただし、ワーニャが、「"教授" には才能があると信じたからこそ自分の人生を捧げてきた」と思い続けてきた "教授" に不信感を抱いた結果、起きる最後の事件が中心。
街に住んでいた "教授" 夫妻が、教授の退職で戻ってきた領地の家が舞台。
ワーニャがエレーナにつれなくされ部屋を出て行ったり、ソーニャがエレーナを通じてアーストロフ医師への思いを打ち明けてふられたり、アーストロフがエレーナに「ずるい」と詰めよってキスをしたり、そこへワーニャが現れたりしている。
そんな中で、"教授" はこの領地を売り払いうことを提案する。ワーニャは長い間汗水垂らして "教授" を支えてきた自分とソーニャを蔑ろにするものと激昂し、怒りを募らせて部屋を出ていく。教授はワーニャと和解するべく彼の後を追う。部屋に残ったソーニャにピストルの銃声が聞こえる。教授を追ってきたワーニャはピストルを撃つが、弾は当たらない。絶望したワーニャはピストルを床に投げ捨てて椅子にへたり込む。
最終幕では、教授とワーニャが和解の言葉を語り、教授夫妻は新たな移住先に旅立ち、みなもそれぞれ帰る。残ったワーニャとソーニャはたまっていた仕事に取り掛かる。つらい胸のうちを訴えるワーニャにソーニャが優しく語りかける。「仕方ないわ。生きていかなくちゃ。長い長い昼と夜を。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ」
(Wikipedia から抜粋引用)
----- ここまで、2022/2/21 追記 -----
俳優で演出家の主人公が、幸せに暮らしていた妻が急死した喪失感とある疑念を抱えたまま、広島での演劇で演出を担当する。そこで出会った、厳しい過去を抱えた女性運転手と少しずつ交流していく話。
なんとも不思議な感じ。179分ある本作を観終わると、ほんとうに心に残っている。それなのに、どこがどう、と言うのをうまく言えない。主人公と妻の関係、主人公と運転手の関係、それをじっと観ていく映画って言えばいいのかな。それが、とにかく心に残る。
妻の表面的な事象は主人公が考えていたとおり。しかし、妻が語った奇妙な、空き巣の話。そして、主人公が演出するチェーホフの劇の主演男優から聞いた、空き巣の話のその後。それを聞いて、主人公は妻の内面、考えていたことを感じ取る。それを観ている自分たちも感じる。不思議な雰囲気の中で、主人公といっしょに気づいていく。
少なくとも言えることがひとつある。演劇の演出家で俳優でもある主人公が作る演劇は、すべての出演者が台本通りに話すことを徹底的に強要する。本読みの時間を長々と続け、ある段階までいかないと立ち稽古に入らない。なんて偏屈なスタイルなんだと、最初は感じた。しかし、進むうちに登場人物の俳優たちと同じ感覚で、このスタイルの価値について気づいていく。それはまさに疑似体験だった。
運転手と少しずつ交流していく、と書いたが恋愛ではない。ストーリーの中心に妻の浮気疑惑が置かれているのに、観終わった感じは、なんとも透明感があるものだ。たしかに、みんなに観てほしい。
この映画の凄いところは、上記のように、観ているこちらが本当に映画の中に入り込むところじゃないか。「観た」というだけでなく「体験した」という感じが強かった。その中で、愛する人との関係はどうあるべきか、どう生きるべきか、みたいなことを深いところで伝えてくれた気がする。
う~む。やはりうまく書けないけれど、自分はこの映画にずいぶん心酔しているのだ。
おまけ
時間的にちょうど真ん中位に入ってくる、キャスト・スタッフの紹介ロール。これは新鮮だった。劇場の中には「え、これで終わり?」と勘違いした人もひとりくらいいたんじゃないかな。振り返ってみれば、あそこが第1部、第2部のちょうど境目といったところだったんだなあ。
----------- ここから後は振り返りと印象に残ったセリフなのでネタバレです。ご注意ください。 -----------
妻の音が話そうと決意した言葉を聞こうとしなかった(聞くのが怖くて帰れなかった)主人公。一方、地滑りで潰れた家から自分だけ這い出し、母を救わなかったドライバーみさき。
「音さんはすべてあなたに見せている。それを(気づかなかったフリをせずに)そのまま受け入れられませんか」と問うみさき。音の行為を知って激しく傷ついたためにありのままを受け入れられなかった自分だったことに気づく主人公。
それは主人公にとってのエンディングであり、かつ再び歩き出すスタートでもあった。
ワーニャ役を演じることを、「チェーホフ(が書いた戯曲)は怖い。それを演じることは自分をテキスト(=脚本に)差し出すこと。僕は自分を差し出すことができなくなったから、もう演じられない」と頑なに断っていたそれを受け入れ、代役として演じることが、再び歩き出した主人公の第一歩だった…
ドライブマイカー。自分の人生を運転していく。自分だけの人生を大切に生きていく。自分に正直になるということを、さりげなく語る映画。
「沈黙は金です。官女の言葉を知りたくて手話を学びました。私以外、誰も彼女を支えられないと思いました」
「伝わらないのは普通のこと。でも、見ることも聞くこともできます。この稽古で大切なことは、そっちでは?チェーホフのテキスト(脚本)が私の中に入ってきて、私を動かしてくれる」
「本当に他人を見たいと思っている?自分自身をまっすぐに俯瞰し、見つめることしかないんです」
「帰れなかった、帰ったらもう前の俺たちに戻れないと思った。(しかし)もしもう少し早く帰っていたら、とそう考えない日はない」
「君は母を殺し、僕は妻を殺した。でも君のせいじゃない、君は何も悪くない」
「僕は正しく気づくべきだった。本当をやりすごしてしまった。だからぼくは妻を失ってしまった、永遠に。いま、それがわかった。(妻に)謝りたい、僕が耳を傾けなかったことを。もう一度だけ話がしたい」
「生き残った者は辛いんだ。死んだ者のことを考え続ける」
「生きていくしかないの。生きていきましょう」
「僕や君は、そうやって、長い長い日々を生きていかなくちゃいけない」
「真実はそれほど恐ろしくない。一番恐ろしいのは、それをしないでいること」
ショーペンハウアー 夏目漱石・・・・違うか?
主人公の家福を観て最初に思い出したのは、夏目漱石の「こころ」でした。「こころ」の「先生」はどこか厭世的であり、その生き様を家福の出す雰囲気とか家福の夫婦関係に重ねていました。厭世的だから悪いとかは全くなく、むしろ何だか励まされました。ところで、劇中劇の台詞で”ショーペンハウアー”が出てきて、はたまた思い出したのは、確かこの哲学者さんは、厭世主義だったはずなので、この映画で厭世観を感じ取れたのは、大きな間違いでないと信じています。
もっとも印象に残ったシーンはやはり高槻の長台詞でした。趣旨は「他人は覗けないが、自分を見つめる努力は出来る。それを放棄していけない。」だったかな?表面的には自分の運転している人生でも、他人が運転してくれて意識化されるチャンスがある。仕事や結婚はあくまで自覚できる意識であり、自動車が無意識を暗喩しているんだと勝手に想像していました。
役者さんの凄さ
長いドライブシーン。その間繰り返される、役者である主人公の脚本暗唱。平淡なトーンで続く会話が妙に心地よくなる。でもどこか不安なまま。。
本編と劇中劇とのリンクはもちろんいいし、ああいう多国語劇のことは知らなかった。
改めて西島さんはじめ役者さんたちって凄いなと思い直しました。
久々にこんなつまらない映画を見ました
映画のはじめから違和感を覚え、舞台のセリフ読み、練習のシーンがだらだらと続き
それでも何か展開があるかと我慢してみていましたが、1時間くらいで前の席の人が出ていきました
前評判が良く期待して見たのに、3時間が無駄だったなと思い、入場料を返して!と思って
しまった映画でした
残念でした!
今年ワースト
鑑賞後に、劇団員をパワハラして不当解雇した上、スラップ訴訟まで起こしてる「地点」が取材協力としてクレジットされてたこと、それを指摘されてもスルーし続けてることを知って、今年観た・観る映画でワースト確定。
以下、それを知る前の感想やけど、私は作品と作り手は別みたいな寝ぼけたこと考えてないから、製作陣から何かしらまともな発信ない限り、評価以前の話やからワーストは変わらず。
同じ監督なら寝ても覚めてもの方が好きやった。
西島秀俊演じる舞台役者?が演劇指導してたけど、この映画の出演陣の演技はこれでいいのかな。西島秀俊含め。
あと、カンヌで脚本賞獲ったみたいやけど、そんなにいいんかな。
小説のセリフっぽくてしんどかった。
セリフ多いからこの上映時間な気もするし。
日本語話者じゃなければ気にならんのかな。
三浦透子の存在感がよかった。
妻の霧島れいかもよかったし、演劇祭の運営側の阿部聡子も変な感じでおもしろかったし、韓国語手話のパク・ユリムもソニア・ユアンもよくて、女性陣の演技が総じてよかった。
ハルキストでないと。
ハリウッドのドライブ物に近い物をを想像していたから最後まで違和感があった映画。村上春樹文学の映画化。百々のつもり、村上文学が嫌いな人や一回も読んだことがない人にはもどかしいのではないか?一つのテーマをねちっこく伝える、舞台での手話のラストシーンでやっと(やれやれ本題の感動シーンが出てきた)で安堵した。それにしてもドライブ物はやっぱりアメリカの風景がいい。明らかにあれ?実家近くじゃんとかこの関越道単調なんだよね~。とか余計なことを思う。日本のロードはドライブ物には向かないとハッキリ解った。俳優陣も良し、中身も良しなんだけど妙に疲れた映画でした。
私が…
枯れなかった涙も
一人では居られない辛さも
償いきれない罪悪感も
ずっとずっと深い奥底に漂うようになっていったのに
生涯そのことから逃れられはしないのだ
勇気の無さが間違った結末へと進めてしまった
変えようのない過去は受け止めるしかない
逃げてはいけない
乗り越えるのでもない
共に生きて生きて生き続けなければ申し訳ない
進む勇気を少しだけ、ほんの少しだけ
また明日が来ますように
上質なチョコを食べたような映画
面白くないと感じるひともいると思う。
それはその人の人生の内容によるから。
人は様々、あるべきだけを愛せる訳ではなく、自分がどうあるべきかなのだろう。
SAAB900の不恰好なのに妖艶なスタイル、ドアの軋む音、完調とは言えないエンジン音、なのに素晴らしい存在感
言語は時に便利だか、時にノイズ
心を伝えることとは違う 退屈な本読みのようなものだ。相手の言葉やキッカケを知り、自分を知る。
しかし、手話女優は素晴らしかった。
言葉は音ではない。
伝えること、伝わること
濃厚なチョコレートを食べたような気分だ。
演劇的
話題になっていたので鑑賞
わかってはいたけど長いなぁ、、、
序章でガッツリ1時間、そこからの展開は静かにただ確実に進んでいく感覚。
ほぼ出ずっぱりの西島さんの演技すごいなぁ
個人的には無音の使い方がめっちゃ好きだった、
北海道の無音と、ラストの手話で一言も発さず終わるところ。
手話を西島さんが目で追ってるビジュアルがめちゃくちゃ好きだった。
あとは、タバコを車の上の窓から掲げるシーンとかね
なんか、ワンシーンワンシーン感じることが多くてめちゃくちゃカロリー消費した感覚、、、
正直馬鹿だから内容の半分も理解できてないと思うし、集中切れた部分もあったけど、なんか喰らうものはあった感覚。
72/100
心とは
理屈で説明できるものではないし、一面から見てわかるものではありません。
だからこそ、村上春樹は輪郭を丁寧に描き、読者にそれを想像させようとしている……と思うので、私はその中を、さまざまな角度から覗き込み、少しでも深く理解しようとします。
子どもを失った喪失感から、近くにいる異性と行きずりの関係を持つ。
……そういったこともあるかもしれません。
夫に嫉妬してもらいたいから、見つかるような形で浮気をするというような女性もいるでしょう。
サマセット・モームなら、どうでもよい相手との、期間限定の関係だからこそ、魂を昇華させられるのだと語るかもしれません。
いろいろな可能性がある中、濱口竜介監督は、もっともベタで低俗で、つまらない理由を選び、長々と3時間も理窟っぽく説明してくださったなと感じます。
心って、そんなに安っぽく、薄っぺらいものですか?
高槻の行動も、突飛すぎて理解不能です。
ただ、ユナさんの所作の美しさが光っていました。
これが「日本の映画」として、海外で評価されるのか~……と思うと、いやだなと思います。
私はいつも添えもの
いかにも日本映画っぽい湿ったオープニングに、うー苦手かもと思った。長い序章が終わり広島に向かうと色調が変わる。
音はずっと理解できない、同一化できない他者として存在する。そんな都合よくいってたまるか。
稽古シーンで「私は添えもの」と女性たちが共感し、音を愛した男2人は理解できない。
後半、とにかく心情説明のセリフが多い。もう、全部話す。車の中では物語の続きだけを話せば良かったのでは?とか北海道での2人の語り全部いらないんじゃ?とか思うけど、たぶんわかっててやってそう。言葉にする、ということに意味があったのかな。
車の中の無感情のセリフ練習、稽古、劇中劇、現実、テクスト論、演劇論と、脚本の構成が巧み。
体位で浮気がバレてたことに気がつくのが生々しい。
韓国手話の劇シーンよかった。ダンサーらしい優雅さ。生きていかなくちゃ。
初!村上春樹
村上春樹さんの本は本作の原作もその他の本も一冊も読んだことが無い春樹初心者です(笑)
ストーリーも知らず西島秀俊さんが主演で賞をとられたことだけは存じ上げております状態で観に行きました(汗)
上映時間が長いことは覚悟していましたが、好きなタイプの話しではないため長く感じました。そのうえ空腹感と尿意に耐える3時間でした⏳
長くないかも
始まって小一時間たって、クレジットが出てくる。そこから話が展開しだすので、長さを感じさせないように、うまく作っているなと思う。舞台場面も車の中も劇中劇で、棒読みのようなセリフが逆に一言一句、心に響いてくる。特に車の中でのセリフ練習の場面は映画でならではの面白いシーンだと思う。ドライブマイカーという題名はこのセリフ練習のシーンのためにあると思った。小説が原作だが、映画ならではの面白さが際立つ。ただし、多言語劇をやるのであれば、車の中でも多言語のセリフに答える形で練習してほしかった。そうでなければ、多言語でなくてもよかったのではないか。手話は印象的だったが。
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