「オスカーおめでとうございます」ドライブ・マイ・カー かぴ腹さんの映画レビュー(感想・評価)
オスカーおめでとうございます
久々の映画館、で血圧が高いのか、頭痛がしてきましたが、3時間と後で知って驚き、それだけ見られたということはいい映画だったんだと思います。それなりに絵も楽しめましたし。
ただ、なんで、カミさんの浮気を黙殺したことにそんなに苦しむのか?と、身も蓋もないことを感じてしまうのが私にとっての村上春樹で、テーマの核心がなんか作り物の感がある。それをなんだか周りで話を勝手に盛り上げている感じ。ドキュメンタリーでないにしろ、えぐるように迫るものが映画でも文学でも表現できると思うのですが。
と、普通なら言い切るところですが、「きっと私の感性が未熟なんでしょう」と言わざるを得ないのが村上春樹様々なところです。( ノ_ _)ノ
最も難解なのは最後の場面。なんで韓国(北朝鮮かもしれないけれど)に?ということで、みなさんのレビューを読ませていただいたり、原作を読みましたが、はっきりしたことはわかりませんでした。汚れた心のせいか、賞とりのために韓国ロビーの協力を募っているのか?という勘ぐりが頭をもたげました。
いろんな国からその国の言葉、手話で演劇をしつつ「世界に通ずる普遍性を描く」ということでした。とてもおもしろいし、韓国の女優さん、きれいだな〜と楽しめたのですが、なんだか東アジアで日本が忖度を続けている姿が重なりました。東京の電車やバスで、日本語、英語のみならず、韓国語、中国語の表示が映し出され、日本語の表示を待ち続けているような。こんなこと書くと政治的にかたよった人と誤解されそうですが、「日本、日本」と叫ぶより日本を意識してしまいました。
それでいて、いわゆる「心の傷」にさいなまれているのは日本人だけで、そのへんが”普遍性”になっていない。ちょっとだけ韓国人通訳の話もあるけれど、村上春樹が作り上げた心のひだを紡ぐのは日本人だけ、みたいな結果になっている。それを考慮すると、「外国語映画」ではあるけれど、「国際映画」にはなっていないと、賞の名前が昔から変わったところと整合しないと思いました。
短編小説をよくここまで肉付けした、と他のレビューでありましたが、3時間まで肉付けするのはやり過ぎでしょう。(^_^;)原作となった短編集、「女のいない男たち」のなかの他の短編のエピソードを織り込んだようです。あらかた寝取られ関係の話(という身も蓋もないまとめ方は正しい解釈ではないのでしょうけれど)が主だったような短編集でしたが、なかでも、ヤツメウナギの話、いるかな〜?と思っていました。ヤツメウナギは実家の地方の名産で、子供の頃は貝焼きという、魚醬で煮込んだ、汁が少なめの鍋物でよく食卓に上がりました。その姿と、食感がとてもグロテスクで味をあまり楽しめませんでした。小説ならまあ、文字なのでありかもしれませんが、あの画像はちょっときれいすぎて、それでいて説明的すぎていてちょっと伝わらないので?と思いました。
なぜ前世がヤツメウナギ?獰猛で顎のないグロテスクな姿、寄生した魚の肉を少しずつ食べる、それが肉欲を表すとすれば、なぜ自分は寄生することなく川底の石にかじりついたまま消えていくのか?自身の肉欲への嫌悪?そんなに盛り込まなくてはいけないのかな?と思いました。
肉欲、男女の愛憎、カセットテープ、SAAB、オーディオ、バー、演劇、そして日本映画界お決まりのタバコ(原作でも登場するけれど)、そう、すべてが古い。
こんなにタバコが出てくる風景、今の日本にはない。昭和のゴリゴリ演出家ならまだしも、おかえりモネそのままの現代受けする西島さんがタバコ吸うのは大きく矛楯する。外車やマニアックなオーディオなど、バブルの残骸、村上春樹の趣味はもう現代では空疎で、その頃の残像を追いかけている人か、現代の日本を知らない人にしか受け入れられないでしょう。
演劇が原作にない、この映画オリジナルの脚色ですが、「自分が消耗するのでのその役を演じられない」というのも素人には難しい。それがなぜ克服できるようになったのか?北海道で三浦さんと心の痛みを分かち合ったから?( -_-)映画とはいえ、ちょっとご都合主義ではないのかな?
をしてもう一つのオリジナル脚本が北海道旅行。「2日でできるか?」、「タイヤはどうした?」と多数ツッコミがありましたが、私も見ていて同感でした。('-'*)フェリーでのテレビで岡田君の余罪がニュースになっていましたが、それ、いるかな〜?なんだか霧島さんの秘密の語り部のようなひとなのに、あれでは「ただのクズ」になってしまって、これまでの話の信憑性が吹っ飛んでしまうのでは?
あと、緑内障の話をしておくと、事故の原因となるくらいまで悪化している人は稀です。逆に言うと、事故を起こしたくらいの緑内障が初期であるというのは考えにくいです。これが緑内障患者へのおかしな差別にならないか、気がかりでした。
ちなみに、原作に見えない部分を「ブラインド・スポット(盲点)」と書いて、心理的な盲点を匂わせる伏線にしていましたが、ブラインド・スポット(blind spot)、盲点は健常者でも、だれでもある、視野で見えない部分です。緑内障で起きる視野の異常は「暗点(scotoma)」と言います。それくらい村上春樹は目の異常の知識がないまま、ただ小説の題材にしただけなので、疾病差別につながらないようにしていただきたいです。
唯一、印象的だったのは北海道への道中。三浦さんは母親を起こさないように運転の技術を磨いた人。その車中で西島さんが眠りから覚める。それがなにを意味するのか、ただ意味もない、ただのシーンなのかわかりませんが、なにか縛呪が解かれたような不思議な感覚を覚えました。