「ちと長い」ドライブ・マイ・カー pekeさんの映画レビュー(感想・評価)
ちと長い
面白い。よく出来た作品だ。自然に物語にすっと入っていけた。上質のブランケットにくるまれるように、気がつくと僕はこの物語にそっとつつまれていた。こんなことは滅多にないことかもしれない。――そんなことを思いながら観ていた。中盤までは。
本作中、主人公がドライバーの運転技術を称賛する場面に「クルマに乗っていることを忘れている」というような台詞があるが、僕はいつの間にか自分が映画を観ていることを忘れてストーリーの中に、春樹&濱口ワールドの中に入り込んでいた。
物語がかなり進行してから(1時間くらい経ってからか)、クレジットが映し出されるという仕掛けも斬新であった。なるほど、こういうのもありだな。そうか、今まではイントロでここからがいよいよ本題か、とワクワクした。
その後も気持ちがダレることなく、物語の世界にひたることが出来た。
まるで自分も主人公たちとドライブしているような、スタッフとして演劇祭の制作に参加しているような、そんな擬似体験を味わうことができた。
とくに、韓国人夫妻の家での食卓のシーンは心温まる印象的なシーンで、観ているこちらもほっこりとなった。
(毒があり、スパイスも効いているが、)なかなか素敵な作品だな。こんな魅力的な作品をつくれるのは、春樹さんも、濱口監督も、きっと素敵な人だからなんだろうなぁ、と食卓のシーンのあとは、そんなことも思って観ていた。
が、でも、しかし、けれど、僕の集中が持続したのも、そのあたりまでだった。
それからあとが長かった。ちょっと長いな、と感じてしまった。
後半になって、僕の座席後方のおっさんがしきりにブッ、ブー!!と音立てて洟をかむので、少なからず身の危険を感じ早くこの場から脱出したいと考えたりして集中力を削がれたことも原因したのかもしれない。そんな鼻水ズルズルの体調で映画なんか観に来たらあかんで、おっちゃん。
話が脱線した。
そう、後半は集中力を欠いた。やっぱり3時間は、ちと長い。
よほどの作品でない限り、集中をキープするのはむずかしいのではないか。
そうなのだ、映画の途中から僕の感動は萎縮してしまった。
中盤以降のストーリーに(食卓シーンのあとの展開に)、どうも真実味を感じることができなくなってしまった。胸に響いてこなかった。
何よりも、いちばんのキー・パーソンであるはずのドライバー、みさきの存在が、僕にはいまひとつ魅力的には見えなかったのだ(小池栄子に似ていることも気になった)。
彼女が放つ言葉、経歴や母との関係などを語るシーンにもリアリティーをあまり感じることができなかった。みさきの「言葉」ではなく、三浦透子の「台詞」のように聞こえてしまった。
ただ、ラストはよかった。本作に重層的な構造を与えているチェーホフの舞台のシーンだ。
魅力的なラスト・シーンだった〈私たちは苦しみました、泣きました……〉。
そんなわけで、全体を通して見ると、質の高い作品であることはわかったが、僕好みの映画ではなかった。
けっきょく、監督がなにを伝えたかったのか、またしても僕のボケた頭では、それをじゅうぶんに捉えることができなかった。なんだか消化不良であった。
でも、これだけクオリティーの高い、緊張感を湛えた長編作品を、(しかもこのコロナ禍で)撮りきった濱口監督の才能と熱情には大きな拍手を贈りたいと思います。
追記
僕は春樹さんのファンだけど、この原作は未読です。
原作を読んだあと、それをもとにした映画を観ると、原作の「ダイジェスト版」のようだなと思うことがよくあって、その度に「映画化」の意味を考えてしまいます。
だって、小説を読むのって、読み手がそれぞれの頭の中で「映像化」しているわけですからね。それをあえて映画にするというのであれば、ただ原作をなぞるだけでなく、原作にはない「映画作品としての何か」や「映画作品としての面白さ」がないとダメですよね。この作品はどうなのだろう? 是非、原作も読んでくらべてみたいです。
それから、予告編ではベートーヴェンのピアノ・ソナタ『テンペスト』が使われていて、その曲と映像が醸し出す雰囲気に誘われて僕は映画館に足を運んだのだけれど、本編ではいつまで経ってもテンペストは流れなかった。なんか騙されたような気がちょっとしました。不満です。まあ、たまにこういうことはありますけどね。
そうそう『ワーニャ伯父さん』も死ぬまでには読みたいなぁ。
僕のレビューも、ちと長い、ですね。すみません。