「次から次へと ようやく目的地に辿り着くドライブ」ドライブ・マイ・カー レインオさんの映画レビュー(感想・評価)
次から次へと ようやく目的地に辿り着くドライブ
先に原作を読んだらどんな感想になるだろうという好奇心による原作既読。
30分で読める短篇がここまで、3時間の尺に発展させられるとは、一つの驚き。
村上の作った線画が、濱口の手によって色と背景を付けられ、具現化されたという喜びの発見だった。そしてその長い脚本に、無駄な力入れは一つもなかった。
映画は、小説と違って時間線に沿って物語を伸ばしていき、家福の視点から問題を投げ出し、またそれを解くドライブに観客を誘った。
後の工程は玉葱の皮剥きのように、芯までどんどん深まっていく。その鍵となる人物は、高槻とみさきだった。
家福と高槻の違いは、観客には分かりやすかった。高槻はたしかに自分のコントロールができなく、現実上、芝居と同様に人の深いところまで突き止める。家福はその反対。
高槻が車で言ったことは正直で、胸に響いた。小説で村上が書いたまんまだ。そして最後に警察に連れられたときまでも、彼の言ったように空っぽかもしれないけど偽りなかった。
そんな高槻の逮捕によって課題は家福に残された、家福は自分の問題に直面しなければならなかった。そしてオリジナルの北海道の旅は更なる救いで、もっと直接の答えになった。本当の自分と向き合えるのだ。そんな自分を持って人と向き合うのだ。演劇祭の人たちのように、言語がちがっていても。
最後の手話のシーンが良かった。声がでなくても、ちゃんと強く伝わったことがあるんだ、と思わせた、全編を収束した力強いシーンだった!
最後に言及しなければならない二つのメタファーは観客の助けにもなった。音のミツメウナギの話と劇中劇...前者は音にまつわる伏線、後者はストーリーを貫通する家福の心理劇....どっちも表現が素晴らしかった。
芸術性を追求する一方の分かりにくい映画より、このような誰にとっても大事な心得を誰でも分かるようで、また吟味させられて考えさせられるような面白い表現で伝えた方がずっとテクニカルだと思う。振り返って見ると、ちょっとの遠回りかもしれないが、いい景色だった。