「見る前に「ワーニャおじさん」は読んでおこう」ドライブ・マイ・カー があこさんの映画レビュー(感想・評価)
見る前に「ワーニャおじさん」は読んでおこう
映画普段全然見ません。
村上さんの作品はほぼ全て読破しています。
今まで村上さんの作品の映画化は、いまいちピンと来ませんでした。
そのため今回もがっかりするのでは、、。と思いましたが、映画を見付けない人にも楽しく見ることができました。
本作は「村上さんの作品を監督はこう解釈した」と真正面から向かっている姿勢がとても良いと思いました。
原作を読んだ者としては、鏡の使い方が上手いなあ、と思いました。
村上さんの作品では鏡はとても重要なモチーフだから。
性描写がありすぎて途中で気持ち悪くなって席を立ちそうになりました。ディープキスの音などいたたまれなかったです。これは不要かと。
「シエェラザード」との組み合わせはいらない気がします。
妻は話の中だけの存在としているだけで十分なので実在の音役は映像としていらないと思いました。テープの声だけの方が想像が膨らみます。「女のいなくなった男たち」でなく、「女のいない男たち」なので。
原作でも、妻は既に亡き存在として、他者からただ語られるだけの不確かな存在です。
できればサーブは黄色であってほしかった。村上さんの作品では色は必ず意味があるから。原作への敬意として。
十二滝村のシーンは、どこかで羊男が出てこないか注意深く見ていたが気づきませんでした。残念。
最後10分急に陳腐になりました。抱きしめあっちゃダメでしょ。「音を怒ってやりたかった。」とセリフで言わせてはダメだと思います。言葉でなくてそこは映画なので、映像とか音楽でなんとかしてほしいです。そのセリフは見る人に想像させてほしいです。
最後明るい話になって大団円だったので原作至上主義者には違和感は感じつつ見終わった後は明るい気持ちになったので良かった気もします。
高槻役の岡田さんは、秘めた挑発性がこの展開につながったのかと後半でしっくりきました。
でも、高槻という存在と家福との関係を丁寧に描き切らないままキメの台詞が来たので、いまいちのることができませんでした。
家福が高槻の懐に入り込んでこそ、あの台詞が家福の心に深く降りてくるのではないかと思います。あのキメ台詞を引き立たせたいのなら、関係性をしっかりと映画内で描き切ってほしいとも思いました。
西島さんが目薬さすシーンが、時々あってそれがよかったです。
なによりも、一番光っていたのは、韓国語の通訳スタッフとして出ていた俳優さんです。あの方の地に足のついた演技で浮世離れの話でなくなった気がします。彼の存在だけでこの作品は★4つ。
追記:考えてみると、物語と映像には、一貫して死がまとわりついています。妻の死、みさきの母の死、抑揚のないセリフの練習。広島のゴミ処理場で出てくる原爆ドームを繋ぐ吹き抜け、北海道の雪景色の白。
だからあの芸術祭の担当の女の人はあんな無表情な話し方をするんだろうなと思いました。あの物語自体が異界の物語なのでは。ロードムービー仕立てになったことでお遍路さんを想起させます。その中を巡る赤いサーブは血の色ですね。それを生の象徴ととるか死の象徴ととるか。
SAABは原作通り黄色であるべきなんですね。都心から広島、北海道と走る赤い車体を美しいと感じてしまいました。勉強になります。ワーニャ伯父さんも読んでないから失格オレ。