「連絡船で真っ黒な夜を越えて行くふたり」ドライブ・マイ・カー カールⅢ世さんの映画レビュー(感想・評価)
連絡船で真っ黒な夜を越えて行くふたり
村上春樹の短編小説が原作。濱口監督の脚本。韓国の俳優たちを含めた多言語の舞台芸術場面に没入できないもどかしさを感じつつも、3時間の上映時間に長さを感じることはなかったのは、原作をかなり変えた脚本と西島秀俊と三浦透子を含めたキャストのためと思われた。
俳優で演出家でもある家福悠介(西島秀俊)は広島での芸術祭の期間中の約2ヶ月、愛車のSAAbの運転を任せることになった左頬に切り傷のある寡黙な蔭のある若い女みさき(三浦透子)は韓国出身の主催者の家に招かれ食事をともにすることをきっかけに話をすることが多くなったり、ふたりとも喫煙者なので話すことが多くなり、ゆっくり距離を縮めてゆく。悠介は3年前に妻の音(霧島)をくも膜下出血で亡くしていた。みさきは北海道の辺鄙な村(上十二滝町)の出身で、裏山の崖崩れで母子家庭のひとり親を亡くしていた。ふたりとも親しい者の死に際して、誰にも言えない愛憎と罪悪感の入り雑じった苦しみを伴う秘密を胸に生きていた。
芸術祭参加演劇に応募してきた俳優の高槻は女にも喧嘩にも手が早く、公演初日の数日前に傷害殺人罪で逮捕されてしまい、悠介は主催者側から公演中止か悠介が主役の代役を勤めるかを数日中に決めることを求められる。悠介が自ら主役を演じたくなかったのは、劇の主人公を演じると妻のことを色々思い出して辛いからなのだろう。
悠介はみさきに故郷の村をみせてほしいと言う。広島から北海道に車で向かうのだ。運転を代わろうかと申し出る悠介を拒むみさき。中学生の時から運転していたみさきのプロ根性(暴走族ではない)。青函連絡船(青函トンネルが出来以来、運航しなくなったのでは?)で仮眠をとって、故郷の雪に覆われた廃屋を前にして、抱き合い、涙するふたり。確か、連絡船のデッキから悠介は子供モノの防寒服を海に捨てたようなシーンがあり、仮眠するみさきに女性モノの防寒コートをかけてあげていた。悠介がこれまで大切にしていた思い出に一区切りつける決心をしたんだと思った。悠介には4歳でひとり娘を肺炎で亡くしている過去があった。生きていればみさきと同い年らしい。夫婦はその後、子供をもうけないことに決めて、妻もドラマの脚本家として活躍していた。夫婦がベッドでかわすピロートークはオーガズムに達した妻がうわごとのように言うことを悠介が翌日妻に口述するかたちで紡いでゆくドラマの脚本だった。思いを寄せる男子生徒の家に昼間忍び込み、タンポンや下着を置いて来て、自分の気配を残すという奇行を繰り返す女子高校生の話し。ここらへんは村上春樹っぽいのかなぁ???初期の村上春樹しか読んでないけど、こういうエロはちょっと春樹らしくない気がする。
霧島れいかはけっこうご年配なのにきれいなお背中でした。ありがとうございました🙏
脚本では原作での舞台の東京を広島に移し、撮影は主に釜山を使ったらしいので、青函連絡船は釜山の連絡船だったのだろう。
最後!悠介は芸術祭の舞台に立っていた👏乗り越えたのだ。
ラストはみさきがSAAbを運転する韓国の広い道路や量販店の駐車場で終わる。主催者の家にいた犬も一緒だった。左頬の傷もきれいに消えかかっていた。実に清々しい終わりかただった。みさきに赤いSAABをあげた悠介。車のナンバーは多摩503つ3982だったのが韓国のナンバーに変わっていた。犬はくれって言ったのかな?
サスペンス映画だったら、みさきが悠介と主催者夫婦を殺して、韓国に高飛びしたってことになるんでしょうけど。
カールさんコメントありがとうございます。と言うより私の長い長いレビューを読んで頂けるだけで多謝です。
多分ですが、この映画って長尺ですがまだ、余白があるんですね。いくらでも想像できる。登場人物がこのあとどうなったんだと思わせる。いい映画の条件です。
それでも村上春樹が取るかもしれませんよ。
カールⅢ世さんのレビュー&要約、すごくわかりやすい!感動です。北陸側からだと北海道へフェリーあるのかな、わんちゃんとみさきが韓国に居るのはいいが赤のサーブ…うーん?と考えてましたが、もういいやと思考放棄してたんですが、ありがとうございます!