「私も 同じ 話し方に なります」ドライブ・マイ・カー talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
私も 同じ 話し方に なります
無音、沈黙の場面と情景が美しかった。演劇パートでは稽古も本番の舞台も手話によるユナの台詞が一番心に沁みた。
みさき(ドライバー)も皆(演劇祭関係者)も言葉が少なく話す速度もゆっくりでそもそも平板アクセントの日本語がもっと平板になっている。だから違和感があった。そのせいでアクセントを気にしないよう努力しなくてはならず、その結果言葉の内容に普段以上に意識を向けざるを得ない。これほど言葉の一つ一つを全身で掬おうと思って見た映画、あったかな(皮肉というかあまりいい意味では言ってません)。カンヌではこの映画のメイン言語の日本語も字幕なのだろうが、その話し方がかなり独特であることを日本語母語話者以外の観客は理解しているのだろうか?
家福は後部座席に座っていて高槻が語る(この場面の岡田将生、とても良かった)時も二人並んで後部座席。その後高槻は彼の車に乗ることはもうないが家福は助手席に座るようになる。みさきと家福が共に車内で煙草を吸う場面はいい。音楽と脚本と映像、良かった。原作未読。村上春樹作品、女性が本当によく死にます。
自分が一番抵抗を感じた点の一つは、音と家福という夫婦は妻の脚本作りの為にセックスしてたのか?です。妻はオーガズムを得てそして語り始めるのだと家福は言っていた。本当にそうだったのかなあ。夫はそう思うことにしてただけなんじゃないかな。だからそういう鈍感というかわかってない男の左目(緑内障にかかってる方の目)を刺すんじゃないか。妻も逃げていて、その内容は夫でなく高槻に語る。語った内容を妻は翌日は都合よく「忘れる」しなあ。
なんだかめんどくさい。こういう言い方は失礼なのかなあ。相手と普通に話せばいいのに。喧嘩になるかも知れないし沈黙するかも知れない。よくわからないけれどそういう会話ができない人たちを見てるのがめんどうだった。それを見せる、感じてもらうのがこの映画なのかもしれないことはちょっとはわかる。フィクションということで理解すればいいのかな。
でもこの映画のおかげで色んなこと考えてチェーホフまで久しぶりに読んだ。「ワーニャ伯父さん」は面白い!ありがとう💐
> 読み返した
まず、その点に尊敬! です。
俺はこの映画のためにwikiであらすじは追ったけれども当然読んではいません。ロシア文学ってかったるそうで。偏見というか、無知。食わず嫌い。
> 村上春樹
俺も「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」以外は、読み始めてもすぐ頓挫、です。なんででしょうね。
ワーニャ伯父さんのテーマは苦しんでも、生きて行く事だと思っています。
この映画もその点に絞り込めば良かったとは鑑賞当時感じました。
僕の数少ない友人で図書館司書をやっている方が言ってました。
『子ども達に読み聞かせしてあげる時は感情を入れては駄目だ。』って。そして『この映画はそれだ』それで勧めらて、この映画を見た次第です。
貴殿のレビューを読ませていただき、改めて、この映画見ました。ワーニャ伯父さんも我が青春を形成してくれた一冊であったので、『ワーニャ』のテーマを思い出し、最後の場面は泣ける位素晴らしいと感じました。
顔のキズのひっかかりも理解しました。
再生だと僕は勝手に解釈してます。
>相手と普通に話せばいいのに。喧嘩になるかも知れないし沈黙するかも知れない。よくわからないけれどそういう会話ができない人たちを見てるのがめんどうだった。それを見せる、感じてもらうのがこの映画なのかもしれないことはちょっとはわかる。
ここめちゃ共感しました。
おっしゃる通りだと思います。
やはり、世間がいいというものは問答無用でいいと言うべきみたいな風潮ありますからね。贔屓や無批判はせず、公平な目で見ることが映画ファンとしてあるべき姿じゃないですかね笑 ちょっと説教臭くなってしまいました、すいません。
はじめまして。コメントありがとうございます。
純粋に「もう一回会って文句言いたい」ってそれまで冷静だった男が吐露するだけで十分なんですよね。それ以上は「めんどうくさい」という感想がすごくしっくりきてます!
今晩は。
普通は、
・本を読んでいる⇒映画化される⇒映画観る
で終わるのですが、今作は非常に面白く
・本を読んでいる⇒映画化される⇒映画観る⇒又、本を読み返す
という滅多にないサイクルになりました。
これは、テッド・チャン原作の『メッセージ』鑑賞以来です。
あと、村上さんの本『女のいない男たち』収録の「ドライブ・マイ・カー」では、「ワーニャ伯父さん」ではなく、「ワーニャ伯父」になっていたのと(覚えていなかった・・)「木野」は矢張り凄い作品だなあ‥、と思った事でした。
では。
緑内障って、そういう回収のされ方だったのですね!
気づきませんでした。
あと、それがらみだと、目の薬としてヤツメウナギはあるので、なんらかの韻を踏んでいるのかも…
違う話の方に反応しますが、アレって、やっぱり、チャレンジし過ぎて滑った感、ありますよねw
次は、素直に一回で感動できるノーラン作品が見たいです。
こんにちは。コメントありがとうございます。もし。音が亡くなる前に音の心の内を聞いていたとしても後悔はあったと思います。どちらにしても。高槻もふたりに巻き込まれた一人ですね。
コメントありがとうございました。青函連絡船なくなっても、フェリーはありました。勘違い恥ずかしい。新潟や秋田から小樽行きのフェリーもありますが、時間がかかり過ぎますね。広島と北海道のとんぼ返りはまあ、無理でしょうね。とくに、北陸経由では。ヤツメウナギはグロかったですね。食いちぎられそう。昔、屋台のうなぎ屋があって、ヤツメウナギでした。一杯ひっかけてヤリましたなぁ。
私の場合は、逆に原作に囚われ過ぎて、映画製作者の意図や作品自体が製作者の意図を離れて語り出す内容を見落としがちな面もあります。
だから、映画はやっぱりやめられないし、皆さまのレビューもとても楽しみなんです。
こんなこと言うと身も蓋もないのですが、高校生の男の子の家に空き巣に入るとかヤツメウナギの話は、別の短編〝シェエラザード〟からなんです。千夜一夜ですから次もまた聞きたくて仕方ないほど面白いんです。だから、監督は何としても映画に採用したかった、でもそれで少し無理のある設定になってしまった、と私は踏んでるのですが。夫を愛してるのに他の男とセックスすることについては、みさきの言葉から読み手が想像するしかありません。
今晩は。
”家福は後部座席に座っていて高槻が語る(この場面の岡田将生、とても良かった)”
全く、同感です。
私的感想ですが、今作は良かったなあ・・。
今だに余韻に浸ってます。では。