私は確信するのレビュー・感想・評価
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仮説、推論、発言力
2000年に妻が失踪し、殺害容疑で裁判を受けることとなった大学教授の夫の事実をもとにした法廷劇。
妻の失踪から9年後、一審で無罪となったものの、検察により控訴され、二審に向けて展開していくストーリー。
何一つ殺人の証拠がある訳でもなく、被害者の遺体すら見つかっていない中で、起訴された夫。
一審で無罪となったものの検察に控訴され、被告の無実を信じる娘の友人である主人公が、敏腕弁護士に仕事を依頼し巻き起こって行くストーリー。
依頼を受けて貰えたものの、人手が足りないと、250時間にも及ぶ関係者の通話記録の文字起こしを振られた主人公が、嘘や食い違いをみつけ、洗い、弁護のサポートをしていくけれど…結局それ一辺倒なんだよね。
確かにそこから色々と警察や検察の怠慢やこじつけと、証人の嘘を曝くことに繫がって行くし、それは良かったけれど。
当たり前といえば当たり前の結末とも思うけれど、それを言ったらそもそもが当たり前じゃないところから始まって行く話だし、結局のところ無罪を証明出来るものもない訳だけど、そんな中での最終弁論は熱があり、とても面白かった。
ノラの人物像はフィクションって、そりゃそうだわな。
いろいろ分かりづらい
冒頭に日本語だけの説明字幕が入ったのがもう嫌な予感。きっとフランスでは超有名な事件で説明するまでもないっていう描写がつづきそう。そのせいなのか、ただ映画の作りが下手なのか、なんか事件も映画自体もぼんやりしてて、ん?て感じ。自分の息子をそんなにほったらかしてまでのめり込むキッカケあった?弁護士もわざわざ頼みに行くほどの人だから超有能なんだろうけど、感情むき出しでいまいちどう弁護してんのか分かりづらいし、裁判の傍聴席で思わせぶりに映る人たち初めましてじゃない?家族なのかな?友達なのかな?何にしても説明なかったぞ。日本版だけ派手にカットされたのかもなといくら好意的に見ようとしてもムリです!あと、ポスターに書いてあったヒッチコックうんぬんってやつなんだろう?本編ではおくびにも出さなかったけど、また配給会社の詐欺的宣伝?題名も気持ちわるいし、こんなコロナ禍にわざわざ見に行かなくてよかった映画です。
フランス映画の中では異色?の法廷もの?
今年31本目(合計98本目)。
実在の事件を扱った内容であるため、結果は多くの方は知っている通りです(有名な事件でもありますし、ネットで調べると次々出ますね)。よって、結果を知った上で、「どうやってそのように持っていくのか」という弁護側の弁護のやり方などが見るところになってきます。
とはいえ、多くの方が書かれている通り、映画の大半は(盗聴した)録音テープの聞き取りやそれを文字に起こす作業などが大半です。そのため、前半はかなり地味に感じられるかもしれません。逆に言えば、あれだけの大きな事件で冤罪を争うのであれば、「CD250枚分」というほどのその通話記録を全部聞いて矛盾点を突きつけなきゃいけないのでしょうね…。
多くの方が書かれている通り、ラスト10分の「弁護士の最後の弁論」がこの映画の見どころになりますね。
「~と思う」「~に違いない」といったことは、誰が言ったか、どこで言ったか…などによって、信ぴょう度はある程度違います。しかし、事実は確率1.0で正しいことを述べますが、「~と思う」は信ぴょう性という観点では「事実」に比べると相当軽くなります。その上に「~に違いない」だの「きっとそうだ」という「~と思う系」証拠をいくら積み重ねても何もできないのです。無から無は生まれないからです。
この「~~と思う」と思うこと、それ自体は事実だけれども、それを裁判、それも人を裁くような刑事裁判で証拠採用にされたらたまったものではではないですね。日本ではそういう「~~と思う系」証拠は原則として採用されませんが、うっかり紛れ込んでしまうこともあります。
いわゆる「推定無罪の原則」があることは日本もフランスもそうであり、この点をちゃんとしっかりすることができました。
特に気になる点はなかったので5.0としました。
こういう知的な映画は良いですね。
日本社会の〝やれやれだぜ〟なところを確信しました
集団としての結論を出す前に、個人として(推定無罪の原則に基づく〝正義〟に照らした)判断をしてください‼️
この言葉の重さを伝えるためだけだったとしても、この映画の価値はあると思います。
もとより、正義の定義は人それぞれですが、
自分以外の人間の尊厳を侵すことは決して許されない。
この映画においては、そういうことだと私は理解しました。
最近、私の周辺で起きたことを紹介します。
ある会社がグループ内の別の会社からボランティアの依頼を受けました。
ボランティアの内容は、一定の身体的精神的リスクを伴うもの(新型コロナではないですが、一種の感染症リスクあり)。なので、親密先からの依頼とはいえ、強制ではありません(そもそも強制だったらボランティアとは言わないか)。
頼む方も引き受ける方もこの方面の作業については素人集団だったので、先ずは安全性対策について、官庁などの定めたガイドラインなど専門的かつ科学的検証を経たマニュアルに基づき、不慣れな人間を送り出すことについての態勢確立の状況を判断すべきだと思います。
少なくとも、その検証を終えないうちは、参加可否の判断はくだせないはずなのに、お偉いさん同士で決めたらしい、ということで、いち早く参加者募集が始まる気配を感じたので、ある管理職に言いました。
「少なくとも、こんな大事なことを〝空気〟で決めるような状況にならないようにしましょうね。」
すると、「いやあ、それは無理、他が手を挙げたら、うちの部署だって出さんわけにはいかない。そういうもんだから」
一定の安全対策の実効性が確認されたうえであれば、参加可否を問われること、負担の偏りがないように役割を各部署間でシェアすることなどを受け入れることに異論はないのですが、物事の軽重とか、判断すべきことの優先順位を考えもしないで、安易に〝空気〟を優先して大事なことを判断すると公言して恥じない人が身近なところに、現にいるわけです。
確かに、難しいことを自分の頭で考えないで、空気に委ねて決めちゃうほうが楽な場合が多いことは事実です。ことによっては、個人的に負う罪悪感も少なくてすみます。
ボランティアの件だって、結果的には時間をかけた安全性確認がなされて、無事にみんなで役割を分かち合い、精神的な負荷も軽減され、めでたしめでたし、となるかもしれませんが、個々の判断への尊厳とか敬意という概念に無知でいられて、空気だけで何かを安易に決定できる管理職がいるという事実は、森さんの発言がその場で問題視されなかったことと通じてますね。
やれやれだぜ、と嘆きたくなります。
新しい裁判映画の傑作!
ラストの弁論シーンは圧巻!名優オリヴィエ・グルメの演技が素晴らしい。『私は確信する』登場人物それぞれが、それぞれの正義感に確信を持ってぶつかり合う。その危険性に考えさせられました。タイトル付の妙にもうなりました。
法廷場面、面白い!
裁判ものの面白さに最近目覚めています。国によって、裁判所、裁判官、弁護士、検察、見てる人(陪審員その他)の雰囲気が異なっていてすごく面白い。
この映画は実話が基になっているということだが、推定有罪って日本だけかと思っていたら、フランスもおんなじようなもんかね!とびっくりしました。唯一フィクションの存在のノラ、フィクションでなければあんなに頑張らないよな、と思いつつ、想像で勝手に作り上げられる有罪は有り得ない!という強い思いがひしひしと伝わりました。彼女と被害者の関係はそんなに近くない。息子の家庭教師をしてくれているお嬢ちゃんのパパ、というだけ。でもその熱量は半端ない!
彼女と弁護士の関係も良かった。特に弁護士は、自分の空間・時間を犠牲にしたくない、法律に素人の女が!という風情ながら、実は異なり、彼女をほぼアシスタントにしちゃうし、喧嘩しつつも、粋だねーと思いました。
ノラ、偉すぎ。息子も彼氏もよく耐えた!
言葉の力が生き生きとしている法廷場面、痺れます!
テンポの良い骨太法廷ドラマだが、少しばかり設定に難あり…
約20年前にフランスで実際にあった主婦失踪事件(ヴィギエ事件)で、妻殺害の疑惑をかけられた夫の控訴審を舞台に繰り広げられる法廷サスペンス。
被告側の弁護士モレッティと、彼を助けるノラが被告の無実と真犯人の存在を匂わせながら、非常にテンポ良くストーリーが展開していく為、法廷サスペンスらしい緊迫感が味わえる。
ただ残念ながらサスペンスと呼べるほどの〝謎〟や〝意外性〟はなく、掘り下げていくのは、膨大な通話記録のみ…
家族や仕事、全てを投げ打ってまで公判にのめり込んでいくノラの動機が、一審の陪審員であったことと、被告の娘がノラの息子の家庭教師だから…っていう無理筋なのは、事実をベースに無理やりノラの役割を作った弊害なのかなぁ…
〝事実は小説よりも奇なり〟とはいうけど、この手のジャンルは最後の終わり方次第ってのがよく分かる作品だったかな。
【”裁判では、推定無罪が大原則だろう!” "推定有罪"思想への激しい怒りを叩き付けた作品。 法廷劇としても見応えある作品でもある。】
◆フランス南西部トゥールーズで2010年に起きた、法学部教授ジャックの妻、スザンヌの失踪により、ジャックが殺害容疑で裁判にかきられた"ヴィギエ事件"を一部脚色して、ドキュメンタリータッチで、描いた作品。
今作品は10年後!(不思議に思ったので、調べたらフランス司法制度では、犯罪の多さなどの理由で、2002年に刑事訴訟法が改正されたとの事。知らなかった・・。)の、再審を舞台にして、描かれていく。
■印象
・一審で無罪になりながらも、世間からの誹謗中傷により、鬱になってしまったジャック。
-" 疑わしきは、被告人の利益に"の考えは、一般市民には、ないのか!
けれども、日本でも、そうであるなあ。 一度、容疑者になると、あらぬ偏見が降り注ぐ現実。 -
・初動での、サビー警視の"推定有罪"且つジャックの父への、威しとしか思えない電話。
- 誘導だろう!もしくは、強制司法取引か! -
・スザンヌの愛人、デュランデのジャックを貶める為の電話の数々。
- 男のクズである。彼の法廷での開き直った表情。-
・ノラ(マリーネ・フォイス)が、何故250時間にも及ぶ、盗聴電話の分析に執念で取り組んだのか、序盤はやや違和感を感じたが、ジャックが再審で、有罪"になった際の彼の娘、クレマンスを思っての行動であろう、と解釈する。
◆白眉のシーン
・ジャックの弁護をノラの嘆願に依り、引き受けたデュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)の、最終弁論での、"推定有罪"思想になっていた検察、警察、陪審員、そして裁判官への激しい怒りを述べるシーン。
- 流石の演技である。見応えがある。これぞ、法廷劇の醍醐味であろう。-
<今作品は、他人事ではすまない”現代社会の恐ろしさ:冤罪”を我々に突き付けて来る、法廷劇の秀作である。
だが、真相は未だ闇の中である事と、ラストに流れたテロップ ”フランスでは、年間の失踪人が・・” に戦慄した作品でもある。>
面白かった、久しぶりに見応えある裁判もの
主人公と同じ気持ちになって、どんどん事件の不可解さに、迷宮に入り込んだ気持ちになっていった。
裁判の傍聴席にいるみたいな臨場感で興奮した!
そして、最後の15分の最終弁論は圧巻、、、ただただ感動した。フランスにいる友人から、絶対に見逃すな、と言われたけど、まさにうなずける。私も絶対に見たほうがいいと言いたい。裁判サスペンスとしても一級品。
タイトルなし
2000年2月
大学教授ジャック·ヴィギエの妻が失踪
その後ジャックが妻殺害の容疑者として
裁判にかけられることになった
無実を確信するノラは
彼の弁護人となった敏腕弁護士デュポン
=モレッティのアシスタントとして
事件の真相を探る
ヒッチコック狂による“完全犯罪”と
世間を騒がせた
実際に起こった“ヴィギエ事件"を扱った
法廷劇
.
誰が嘘をついているのか…
センセーショナルに報じるマスメディア
デマでも構わず扇動する
好奇心を煽り立てる
(日本でも問題になっていること)
正義感から
真相究明にのめり込み思い込む
""恐らく""そう思う"ばかりの
仮説のオンパレード
フランスの司法制度の問題点や
歪んだ正義の危うさも描く
上質なサスペンス映画
"免罪"
怖いです
プレゼントで鑑賞券が当たったので、観に行った
既に書き込んでいる人は、かなりの高評価だが、自分には、ちょっと難しい内容だった。フランス語に慣れてないのも理由の一つではあるが。
特に弁護士が、助けてもらってるくせに、主人公の女性に対して上からモノを言うのが腹立たしかった。
また、主人公の女性(フィクション)が、なぜ仕事や子供を犠牲にしてまで、裁判にのめりこむのかがよく理解できない。
そして主人公と弁護士が何度もぶつかるシーンがあって、なんかイライラした。
まぁ観ても損はせんかったけど、人に勧めるか、って言うと別の話。
確信の在り方
フランス映画祭2020横浜にて鑑賞。
非常に見応えがあり、鑑賞しながら確信の在り方を考えさせられるとても素晴らしい作品であった。
この作品は事実に着想を加えた作品だという。どこまでが着想の部分かは大きく説明はなかったが少なくとも主人公のノラの存在はフィクションだという。
この裁判は遺体も見つからず謎の失踪をとげたスザンヌという女性を巡って、夫ジャックが殺人罪の有無を問う裁判内容である。
主人公のノラは以前彼の裁判を陪審員をやっていた経験もある事から彼の無罪を確信し、今回の裁判は陪審員ではないにしろ無罪を勝ち取るために必死に動く。
ジャックの弁護人を担う事になったデュポンは当初はあまり積極的な姿勢ではなかったものの、ノラの必死なサポートやなによりこの裁判内容が、決定的な証拠がなく複数の仮説によりジャックの有罪を進められた裁判の存在に疑念を抱き時間を追うごとに必死に彼の弁護をする。
デュポンの最後の演説はまさに心打たれる。この作品は裁判が舞台なためいわゆる「推定無罪」の在り方を改めて認識させてくれるが、これは裁判以外にもいわゆる人々の「確信の在り方」に置き換える事ができる。
この裁判では何一つ決定的の証拠はなく、仮説のオンパレードなのだがなぜかジャックが犯人だと確信を持った者が多々いる。それも数が増えれば増えるほどその空気が支配する。
これは我々日常生活にもある事だ。事実がどうかはわからない事でも、仮説に惹きつけられる決定的な証拠もなくあたかもその仮説が真実かのように思い込んでしまうことはいくらでもある。いわゆる確信だ。
その確信も同じ一つの出来事でも全く逆の結果を確信するケースもあるだろう。
それらの全ては決定的な証拠がないのに結果だけを先走り求めるからなりえることだと思う。
この作品でいえばノラもまたジャックの無罪を願うことを必死になるが故にスザンヌの愛人が真犯人だと決めつけるシーンがある。
もちろんこの作品内ではスザンヌの愛人役は妙に怪しく、犯人と思いたくなる描写が目立つがこれもまた決定的な証拠は作中では描かれていない。
その為彼が犯人というのもまた誤った確信であり、この辺りは我々観客の確信の在り方を試されてるようにも思えた。
このようにこの作品は確信の在り方を非常に考えさせながら、そして鑑賞中も体験できるような作品でとても興味深い作品であった。
便利な情報社会に生きる今、色んな情報が溢れかえっている。
その情報の取捨選択するのは我々の自由であり同時に時には大きな責任も伴う。
何事においても結果だけを追い求めず、その過程を最大に考慮し、正しい確信へ導く必要性をこの作品で改めて感じさせてくれた。
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