「確信の在り方」私は確信する KZKさんの映画レビュー(感想・評価)
確信の在り方
フランス映画祭2020横浜にて鑑賞。
非常に見応えがあり、鑑賞しながら確信の在り方を考えさせられるとても素晴らしい作品であった。
この作品は事実に着想を加えた作品だという。どこまでが着想の部分かは大きく説明はなかったが少なくとも主人公のノラの存在はフィクションだという。
この裁判は遺体も見つからず謎の失踪をとげたスザンヌという女性を巡って、夫ジャックが殺人罪の有無を問う裁判内容である。
主人公のノラは以前彼の裁判を陪審員をやっていた経験もある事から彼の無罪を確信し、今回の裁判は陪審員ではないにしろ無罪を勝ち取るために必死に動く。
ジャックの弁護人を担う事になったデュポンは当初はあまり積極的な姿勢ではなかったものの、ノラの必死なサポートやなによりこの裁判内容が、決定的な証拠がなく複数の仮説によりジャックの有罪を進められた裁判の存在に疑念を抱き時間を追うごとに必死に彼の弁護をする。
デュポンの最後の演説はまさに心打たれる。この作品は裁判が舞台なためいわゆる「推定無罪」の在り方を改めて認識させてくれるが、これは裁判以外にもいわゆる人々の「確信の在り方」に置き換える事ができる。
この裁判では何一つ決定的の証拠はなく、仮説のオンパレードなのだがなぜかジャックが犯人だと確信を持った者が多々いる。それも数が増えれば増えるほどその空気が支配する。
これは我々日常生活にもある事だ。事実がどうかはわからない事でも、仮説に惹きつけられる決定的な証拠もなくあたかもその仮説が真実かのように思い込んでしまうことはいくらでもある。いわゆる確信だ。
その確信も同じ一つの出来事でも全く逆の結果を確信するケースもあるだろう。
それらの全ては決定的な証拠がないのに結果だけを先走り求めるからなりえることだと思う。
この作品でいえばノラもまたジャックの無罪を願うことを必死になるが故にスザンヌの愛人が真犯人だと決めつけるシーンがある。
もちろんこの作品内ではスザンヌの愛人役は妙に怪しく、犯人と思いたくなる描写が目立つがこれもまた決定的な証拠は作中では描かれていない。
その為彼が犯人というのもまた誤った確信であり、この辺りは我々観客の確信の在り方を試されてるようにも思えた。
このようにこの作品は確信の在り方を非常に考えさせながら、そして鑑賞中も体験できるような作品でとても興味深い作品であった。
便利な情報社会に生きる今、色んな情報が溢れかえっている。
その情報の取捨選択するのは我々の自由であり同時に時には大きな責任も伴う。
何事においても結果だけを追い求めず、その過程を最大に考慮し、正しい確信へ導く必要性をこの作品で改めて感じさせてくれた。