劇場公開日 2021年1月22日

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「今から40年前ごろに起きたお隣の国のできごと。日本も考えないと。」KCIA 南山の部長たち yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0今から40年前ごろに起きたお隣の国のできごと。日本も考えないと。

2021年1月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 今年13本目(合計80本目)。

 事件自体は事実ですが、その動機が色々謎であることから真相解明という観点には程遠く、この事件自体は去年(2020年)に本国韓国でも高い評価を受けたように、「事件は事件として扱い、一方で不明な点はできるだけ両者(被害者・加害者側)にフェアになるように書く」というようになったようです。そのため、韓国でも大きなトラブルは起きなかったようです。

 さて、この映画自体で扱われている事件「それ自体」は史実です。ただ、射殺に至る動機がよくわからないとされているのです。
またこれに輪をかけたのは、射殺に成功すれば当然本人は逮捕されますが、そのあとの軍法会議での絞首刑の言い渡し、執行が1980年5月と、事実上7か月ほどしかなく、この手の事件では「主要な共犯者がいる場合、その共犯者の全ての裁判を終わらせないと死刑にしない」というルールが必ずしも厳格に適用されていなかったようです(それよりも、新しい大統領での再出発を早く優先したかった模様)。このため、いわゆる取り調べ等の証拠も不十分であるようで(軍法裁判所であったことから)、さらに「期間が短すぎる」状況から、収監後、本1冊も書かずに処刑されており、思想を窺い知ることもできなくなってしまっている、という状況がこの問題を複雑にしています。

 要は他の方も書かれていたことですが、「政治は部屋の中ではやってはいけない」(=そこは政治をする場所ではない)こと、さらに付け加えるなら、「将来の自国の歴史に刻まれるようなできごとであるなら、短時間でものを決めてはいけない」ということでしょう。

 あまりにも早く収束させてしまったため(大統領の交代に変わって、前のことは前のこと、でさっさと終わらせなかったという意図は不明)、もう今となっては「こういう説もある」というようなものしか今は出せないのだそうです(その中でも、一つこういう説がある、というのが今回の例で、「まぁそれならありって言われたらあり?」というので韓国ではどちらのサイドからもあまり批判は起きなかった)。

 確かに日本においても、天使ともに許さない極悪非道な事件も起きますが、それも適正な刑事手続き、適正な裁判(正しい審級の利用、攻撃・防御権の利用等含む)を経た事件であれば、そこから「どうしてこのような事件が起きてしまったのか」ということを後から検証することができます。
日本でもときどき、オウム真理教レベルの事件ほどはいかないにせよ、日本を震撼とするような大きな犯罪が起きることがありますが、そのときもこの原則なのです。それを「極悪義堂だから裁判権なんてやる必要はない」とか、「弁護士が被告をかばうのは許せない」とか言い始めると、こういう震撼とさせた事件…(日本では、今回のように大統領の交代を招いたという事件とは「比較の対象規模」という観点では到底くらべものになりませんが、例えば、京アニの事件であるなどは理解されやすい)については、一時の感情だけで「さっさと死刑にすりゃいいでしょ」という人も確かに多いのですが、そうすると「あとからの調査」は事実上できなくなってしまいます。死人は話さないからですね。
このあたり、日本も「加害者側の最低限の人権も意識しない」風潮がしばしば見られるだけに、今回の映画では「援護射撃」的な関係にはなりましたが、韓国におけるさらなる発展をねがんでもやまないところろです。

 減点対象は特にないので、5.0のままとしました。
まぁ、あえて言えば、この事件「そのもの」は事実なので、前日ないし、最悪、見に行く当日に百科事典や国語辞典などで調べておくと良いのかな、とは思いました(理解度が多少変わってきます)。

yukispica