声優夫婦の甘くない生活のレビュー・感想・評価
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ヴィクトルとラヤ、二人それぞれの望み
ソ連崩壊直前にイスラエルへ移住してきた。ソ連での生活は、想像でしかないが自由が制限されたものであったろうと思う。
自由がないとは、選べる選択肢が少ないことだ。
逆に言えば、移住により自由を得たならば、自分で好きなことを選べるようになったということだ。
しかし、言葉の壁や情勢が不安定なことにより思ったようにうまくいかないコメディが第一の物語だ。
そして第二の物語として、ヴィクトルとラヤが秘める叶えたい想いがある。
ヴィクトルは、ラヤに主役の吹き替えを演じさせたいと願っている。だから声優の仕事にこだわるのだ。
自分が声優の仕事を続けていれば、いつか女性が主人公の作品がきたときにラヤに演じさせることができると。
一方ラヤは、主役を演じてみたいという願いはあるものの、それは、尊厳ある個を求める本当の想いの延長でしかない。
なので、声優業にこだわることなく、やりたいことをやろうとする。
偶然得た「香水売りの仕事」は、自分の望みを叶えているように感じたのかもしれない。
ラヤは自分を見てほしいと願っていたのだが、電話の相手であるゲラは、ラヤが作り出したマルゲリータ(名前違うかも?)しか見ていなかった。
面と向かって話しても、ラヤがマルゲリータだと気付かない。
ラヤが望んでいたことは全く叶えられていなかったといえる。
それと対になるように、電話越しに少し話しただけでラヤだと気付いたヴィクトル。
皮肉なことに、ラヤに別人を演じさせようと躍起になっていたのだが、それは、ラヤ本人を見てラヤ本人を愛していたからなのだ。
ヴィクトルは常にラヤのことしか考えていなかった。
ラヤの、輝きたいという望みは「君の声が好きだから」と結婚したソ連時代に既に叶っていた。少なくともヴィクトルの中では。
二人がそれに気付けたかどうかわからないが、なんだかんだ愛し愛されうまくやっていけるように見えた。
一周回って元通り!
クスッと笑える要素があり、楽しく鑑賞できたが、ソ連が崩壊して、ベルリンの壁が壊されて、これくらいのシニア達が一番困窮したのではないだろうか。
念願の自由を手に入れ、新しいチャンスを掴もうと試みるのだが…現実は想像以上に厳しかった。
60過ぎとあれば、まだ気力も体力も衰え切っている訳ではない。希望に胸を膨らませ新しい世界に飛び込んでみたくなるだろう。
どん詰りの状況下で妻がやっとこさ見つけた仕事(テレホンセックス)を通して夫婦関係の綻びが浮かび上がって来るのがまたなんとも。
ガスマスクなどの物騒な小物も登場して、中東の緊迫感を感じつつも、でもそれが妻の存在を再認識させる大事な役割を果たすのであるが…、やっぱり最後はこうなるよね、一緒に添い遂げるしかないよね、もうここまできたらね、と納得の結末だった。
ガスマスクを外した接吻はやはりスイート
ロシアからイスラエルに移住してきた声優同士の老夫婦。まともな仕事は見つからず、妻はテレフォンセックス、夫は違法ビデオの吹き替えの職を得る。
夫は妻の仕事が許せず、妻も積年の不満が爆発して家を出る。
しかしお互いを思い遣る気持ちが、また二人を結び付けていく。そして映画への愛がそこにあった。
互いに思って
いるのに、長年連れ添っているから意地になってしまう。夫は違法ビデオのアフレコや、チラシ貼りをするが続かない。妻はそれを見かねてテレホンSEXの相手を始める。それが夫にバレて一度は別居するが‥。
世界共通なのか、不器用な夫
ロシアからの移民夫婦の再出発という設定だけれども、これって日本的にいえば、定年退職後に元の役職にしがみつく夫と、心機一転第二の人生を歩もうとする妻の確執みたいな?
何だか、よその国の話とは思えない、熟年夫婦のあるあるな話に見えてしまったのは、私だけ?
しかし、男ってやつは何とも不器用よね。
妻の写真を撮りまくるくせに、妻には直接気持ちを伝えない。
自分はヱロ電話したくせに、妻の仕事は認めない。
妻の安否が心配ならば、大事にすればいいのに。
妻も妻とて、我慢はいつか爆発する。
その代償に、他の男を求めてもうまく行くはずもなく。
やっぱり元のサヤに収まるのか?
う〜ん、このあたりは微妙かな。
ここまで我慢して、三行半を突きつけたなら、潔く捨てちゃえばいいのに。
そこが、やっぱり情なのかもね。
さて、この夫婦、この先うまくいくのかな。
【"最近、長年連れ添った相手の本音を聴いた事はあるかい?" 妻帯者には、身に染みた”アキ風味”溢れる不器用だが、温かい夫婦愛を描いた作品。】
-私が、家人の"本音"を聴いたのは、いつ以来だろう・・。-
◆ソビエト連邦崩壊後、多数のロシア系ユダヤ人達が新しい、より良き生活を求め、イスラエルに押し寄せた・・。
-冒頭の飛行機の中の彼らの不安と期待が、綯交ぜになっている顔、顔、顔が、印象的である。そして、今作品がアーティスティックな映画である事も何となく、分かる。-
◆60歳を越えたフレンケル夫妻も然り。旧ソビエトでは、映画の吹き替え声優だったが、新天地では、なかなか良い仕事がない。
妻のラヤは、夫のヴィクトルには"化粧品の電話販売"と言いながら、テレフォンセックスの仕事に付き、巧みな声色を武器に"マルガリータ"として、働き始める。
- マルガリータと話すと、"生きている実感が得られる"と言う吃音の男と、マルガリータが彼と三匹のイルカのモニュメントの下で会う約束を交わし、ラヤが男の姿を近くのカフェから見ているシーン。
そして、男がラヤがマルガリータと知らずに、楽しそうに話すシーンが印象的である。
相手の身元が分からないからこそ、気軽に話せるのであろう・・、この二人にとっては・・。
そして、男の車で仕事場近くまで送って貰ったラヤは、親愛を抱いた男に突然キスをするが、驚いてしまう男。
そしてラヤが男に低い声で"私がマルガリータだよ・・"と告げるシーン。
怖くて、悲しいシーンである。-
◆ヴィクトルにラヤの本当の仕事が、バレてしまい、二人は別々に暮らす事に。
- 仕方がないのかな?
ヴィクトルは妻に優しい言葉をかけられないのかな・・”僕の稼ぎが悪くてすまんな・・”とかさあ・・。-
◆フセインのガス爆弾が、イスラエルを襲うシーン。懸命にラヤを探すヴィクトルの姿。
ー やっぱり、ヴィクトルはラヤが大切なんだよね。
そして、ラヤもヴィクトルが関わったロシア語版「8 1/2」を観に、映画館に来ていたしね。-
<長年連れ添っている相手とは、つい本音を交わさなくなってしまう。それは、言わなくても、気持ちが通じるからだ。だが、たまにはキチンと声に出してお互いの本音を言いあう事の大切さに気付かせてくれた作品。>
100万本の薔薇🌹 マルガリータ(カクテル)は無言の愛
原題は Golden Voices でした。
1990年ソ連崩壊時にイスラエルに帰ってきた還暦過ぎた声優夫婦ヴィクトルとラヤの物語。
ソ連体制では公開できない西側の映画が結構たくさんあって、ヴィクトルがソ連の文化庁を説得して公開できたとされるフェデルコ・フェリーニ監督作品 8 1/2 の話しが、素人吹き替え違法ダビングビデオ店でなされます。クレイマー・クレイマーもヴィクトルがダスティン・ホフマンの吹替えをしていて、店に入るなり、ちょうどモニターに映るシーンにひとりワープし、気味悪がられるシーンなども。イスラエルには当時、ロシアから帰国した人々向けにいろんな商売があったんですね。テレホンセックスも本当にあったんですかね~ 店内の様子や女店主、とうとう店に電話してしまうヴィクトルなど、すごく丁寧に描かれていてよかったです。一度は「電話での香水販売」を断ったラナが新聞に隠してエロ雑誌を読んで参考にしようとしているシーンは還暦過ぎたオバサンの並々ならぬ決意を感じました。「マルガリータは駄目よ、ナターシャとかカターニャ、マリアとか、30歳にしなさい、うーん、22歳よ」とかっていうやり手の店長も、思い出の映画VHSをトンカチで叩き壊すヴィクトルからラナを自分の部屋に一時避難させてあげる。「イスラエル 親切なロシア風俗店」だった。 夫婦の馴れ初めはラヤが吹き替えしたフェデルコ・フェリーニの「カリビアの夜」の声にヴィクトルが惚れたのであった。あれから40年。マルガリータにぞっこんの吃音の男性とのシーンといい、ラナの魅力が溢れていました。まさに Golden Voices でした。テレフォンの仕事するうちになんだか、肌にも張りと艶が出てきたような気がしました。ガスマスクや空港から乗る車がベンツだったりと風刺的笑いもほどよく、切なさと優しさと絆の強さと愛。ベテランのふたりにものすごく癒されました。上質な映画でした。空襲警報のバイト代は貰えたのでしょうか?
🎵 夜中にいきなりさ 電話かけたくなって
(中略)
🎵 別にアレを求めてないけど 君の声を聞くと思い出す
ハラショ ハラショ&スパ シーバ
「香水」のせいだよ~
チュ チュ チュ チュ チュ チュ チュ チュ チュ チュ チュ チュ~
長年共にしてきたから生まれる深みのある愛
ソ連からイスラエルに移民してきた夫ヴィクトルと妻ラヤの熟年夫婦姿を描いた作品。
この夫婦はソ連で過ごしてきた時は国民的な声優として活躍していた。イスラエルでも映画の吹き替え声優業を希望していた2人だが、国内全体が娯楽に興味を抱き人が集まる事がないため当初は中々吹き替え声優業の職が見つからない。
ヴィクトルはチラシ貼りを始める。ラヤは情報不足で面接にいった職場で若々しい声を持っている事を評価されテレフォンセックスいわゆるテレクラ?みたいな仕事をヴィクトルに内緒で始める。
ヴィクトルは夫婦でまた声優として働けるよう、いろんな場所、人を必死にあたるがラヤは今の仕事で自分の声を評価し喜んでくれる人と出会う事で喜びを感じてしまう。
ラヤはその浮かれた気持ちでヴィクトルに接するが妻だけ働いて自分はきちんと働けてない状況に苛立ちや不安を抱えてる事もあってかラヤに優しく接する事ができない。
そんなヴィクトルも一時は映画盗撮で捕まりかけたが要約声優業の仕事が見つかり浮かれる。そんな矢先に新聞広告にあったテレクラに電話しラヤが働いてる事を知る。
そこから2人は一時的に別々に暮らし始める。ラヤはそして電話越して自分を愛してくれる客と出会う事になる。ただ客とあったラヤだがラヤの存在を理解しておらずあくまで声だけを評価し、若い女性であると勘違いしていたから評価されていた現実を改めて感じ大きく傷つく。
最後は緊張関係にあった隣国のリーダーフセインがミサイルを発射し国内がパニックに。別々にいたヴィクトルはラヤを必死に探しそしてキスをして仲直りしたところで話は終わる。
非常に心温まる熟年夫婦を描いたヒューマンドラマでありとても好きな作品となった。
特に好きなのはヴィクトルの姿。ラヤの事を愛しているのは伝わる。車で職場まで送りなにかあればすぐに飛びつき、仕事探しも共にし、彼女の事を常に考えてるのはとても伝わる。ただ愛情表現はおそらく昔のような情熱さは薄れていってるのだろう。言葉や行動で表すようなストレートな愛情表現はない。
一方ラヤはヴィクトルを立ててサポートしているのがわかる。彼に逆らう事なく常に彼の意見を尊重しているのが伝わる。
もちろん長年共に過ごせば不満はある。それも夫婦にはつきものであろう。ラヤはテレクラの仕事を始め、ストレートに愛情表現をしてくれる事に長年求めていた欲を刺激されヴィクトルにぶつかってしまったわけだ。
時には相手が持っていないものを持ってる他人に魅力を感じてしまう事もあるだろう。でも所詮他人は他人。ヴィクトルの最後の行動のように結局自分の事を誰よりも思っているのが妻であり、夫である。
ヴィクトルが最後は自然とラヤにキスをする事でラヤが長年求めていたストレートな愛情表現を得られる事ができ幸せそうな姿はこの作品の最も美しいところだ。
ヴィクトルがラヤのテレクラを知ったところや、ハンマーで思い出のビデオを壊すところ、ハンマーで暴れたのが原因で賃貸から追い出されるところとシュールな笑いもあり非常に楽しませてもらった。
ヴィクトルの容姿そして繊細で神経質な性格な所、そして愛情表現が不器用だが優しさに溢れてる姿が数年前に亡くなった祖父に似ている事もあってかとても心温まる大切な作品となった。
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