川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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禍福は糾う縄の如し
生きていると悲しみの数が増えていく。と言うけれど、悲しみを経験したからこそ、誰かの心に寄り添える様になるのかもしれない。
登場人物がみんな誰かを欠いていて、寂しさを抱えながらどうにか日々を紛らわせて生きている。
タイトルの「ムコリッタ」は「牟呼栗多」と書く。
仏教の時間の単位で48分間のことを指す。
事象が変化する時の時間を示す言葉だそうな。
朝日が登る時間。日が暮れる時間。人が生まれるまでの時間。人が亡くなるまでの時間。
あっちとこっちを隔てる時間のことを示す言葉だそうな。
それを聞いて、ストンと納得がいく。
作品に登場する人物達はギリギリこちら側(生きている側)
にいるけど、彼岸をとても身近に感じて生活している。
俳優陣が演技で魅せてくれる「生きる」仕草や所作が素晴らしい。
松山ケンイチさんが生野菜にかぶりつく場面では本気でお腹が減る。劇場なのにお腹がぐーぐー鳴ってしまう。
自分の罪を後悔しても、帳消しにはならない。
満島ひかりさんの場面では涙が止まらなかった。
この世に留まらなくてはならない理由があるからと言って、哀しみが癒える日が来るとは限らない。
人は寂しいからさ、人と繋がってなんとか紛らわせて日々を粛々と生きていくしかないんだよ。と語っているムロツヨシさんが一番彼岸に渡りたがっている場面でも号泣してしまう。
吉岡秀隆さん親子が墓跡を売り歩いているのも、死の影が彷徨っている様に感じてしまう。
そんな寂しさと哀しさを抱えている人達が並んですき焼きを囲むのに、なぜかとても幸せでお腹も心もいっぱいになっていくんだから不思議だなぁ。
子ども達は河原で宇宙人と交信するし、リコーダーと鍵盤ハーモニカでの演奏会は心が和む演出だった。
生きることと対になる死を描く作品だと思っていたけれど、レビューをつらつら書いているうちにこの映画は「弔う」ことを描いた作品だったんだなと感じた。
各々「弔いの方法」は違えど、「生きるため」に誰かや自分の感情を弔っている。
死を身近に感じた時にこそ、「ムコリッタ」
自分の中の何かとの別れの時が近づいているのかもしれない。
食べることは生きること、そして幸せを感じること
ふんわり、ほっこりの荻上直子監督作品と思って観ましたが、本作はいささか雰囲気が違います
主要キャラクターが皆、人の死と向き合って生きていて、作品全体通して"死"というキーフレーズがまとわりついています
そして、その対局にある"生"の象徴として描かれるのが「食べる」こと
死にまとわりつかれた人々が生きるために食べる
松山ケンイチさんとムロツヨシさんが白飯をうまそうにかっ食らい、皆で楽しそうにすき焼きを食べ、満島ひかりさんは○○まで・・・
人はいろいろ苦しいことを背負って生きてるけど、"おいしいもの"を食べた時の様にささやかな幸せを感じる瞬間が一番「生きている」と実感できるし、心が満たされる
そして誰もがそんな幸せを感じる権利を持っている、例えどんな人生を送ってきたとしても、失った幸せを取り戻し、やり直す権利を持っている。。。
とても重厚で見応えがある良作です
そして、豪華キャストをチョイ役で贅沢に使っているのも印象的、全員わかるかな?
私は一人だけわからずエンドクレジットで名前を見て後で調べて納得しました
生と死の間
予告編だけで前知識全くなしで鑑賞したらまさかの仏教用語だった
松山ケンイチ演じる山田は生きる意味が見出せず最低限の活力しかない
ムロツヨシ演じる島田はそんな山田に図々しく生きる生き方、生きる力を教えてくれる
その中でも荻上監督作品と言えば飯島奈美さんの食事シーン
生きる事は食べる事といわんばかりに物語が進むにつれ食卓に色が添えられていく
また死者に対しての関わり方も人それぞれ、葬儀についても人それぞれ
残された人がその後を生きるために死者を弔うんだ
豪華キャストによるほっこりコメディ 宣伝でそんな印象を持ったが、そ...
豪華キャストによるほっこりコメディ
宣伝でそんな印象を持ったが、そんな単純な映画ではなかった。
川っペリは二重のメタファーで、一つは社会のどん詰まりの場所、もう一つはあの世とこの世の境界を指している。登場人物はみな亡くした誰かにとらわれていたり、死に関わる生業を持っていたりする。ムコリタ・・・仏教で昼夜を30分割した時間(すこしの間)そんな名前のアパートは名前は可愛くても腰を落ち着ける場所ではなかろう。そんな川っペリのムコリッタに流れ着いたように住む人々の滋味深いお話。
見終わったあと、メシが食いたくなること間違いなし!
めぞん三分の二刻
好き。安定感抜群の面々が風変わりでどこか哀しげなキャラクター達を生き生きと演じている。中でも満島ひかりさんの途中での出来事にはドギマギした。コミュニティを得意としない人間たちが作り出す最小限のコミュニティの何とも柔らかく微笑ましい感じはいつまででも観ていられたし観ていたかった。
過不足ない人間賛歌
この物語の人々が清々しいのは、媚びる事をしないから。
どんな人にも、共感出来る部分もあれば、理解出来ない部分もある、それはお互い様。
白か黒かでニ分化しない、寛容な世界。
「言葉」に頼らない、絵本のような味わい。
幸せの価値観
昔、矢沢永吉さんがインタビューで「手取り20万の夫婦が細々と生活してて感じるハッピーと、矢沢が億万長者で感じるハッピーは何も変わらない。幸せの価値観は同じだ」と仰ってました。
正直、億万長者の方が幸せの価値観は上だろうと思いました(笑)
突然の満島ひかりさんの艶技にドキドキしました。あそこまで愛されると男も幸せだと思いました。
普段、明るい人ほど心の奥底に闇を抱えてるもんだと思います。
死ぬ時に「幸せで楽しい人生だったな」と言いたいもんです。
悲しいではなく、寂しい
ゆる〜く笑える再生物語かと思いきや、少し違いました。
個人的には、人間ドラマですらなく、登場人物を通して「身近な死との向き合い方」と「ささやかな幸せ」を描いた作品かと。
それぞれの過去を、台詞で軽く触れる程度で具体的に描かないのも、それ故でしょうか。
(個人的には描いてほしかった)
その中でも山田と島田のやりとりは微笑ましく、後半は温かい目で見守っていた。
塩辛の壺のシーンは、開ける前からニヤニヤ。
スピリチュアルな要素はやや浮いているが、多面性という面で意味はあったかな。
また、南さんのセックス(あれは自慰ではなくセックスだと思う)シーンも印象的。
向き合い方も接し方も、人それぞれ。
「自分が死んだときに寂しいと思ってくれる人が一人でもいれば」
ここが「悲しい」でなく「寂しい」なところが、この作品の本質のように感じました。
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以下、個人的なハナシ。
ちょうど今年、職場の方が亡くなって、親類が引き取りも委託も拒否するということがあった。
何十年も関わった会社でも、法律上葬儀をあげることすらできず、役所に掛け合ってなんとか(秘密裏に)火葬にだけ立ち会わせて頂いた。
そういった事情があり、無縁仏は他人事ではなく、非常に感慨深かった。
引き取られ、最終的に弔ってもらえた親父さんは幸せだ。
配役の妙
松山ケンイチ ムロツヨシ が見事な配役だなぁと観る前から思っていたが 脇をかためる満島ひかり 吉岡秀隆がほんま素晴らしかった。人の死を扱っているので観る人によって気持ち悪いと感じられる所は多々あると思うが自分としては配役の妙がそれを凌駕したように思う。
昔 俺たちの旅というドラマがあったがあの時も配役の妙が際立っていたが、今回の映画はそれと同じように感じられた。
ぜひとも同じような役者さんたちで何か映画また撮ってほしいなぁ
恐怖のイカ星人・・・NOPE!
配給会社が五輪汚職の目玉であるKADOKAWAなので観るのはやめようと思っていたのに、映画に罪はない!しかも北陸(富山)が舞台とあらば、観ざるを得なくなってしまった。そういえば今日9月27日はなんちゃらの国葬の日。人間の生と死にある時間について考えさせられる。ムコリッタとは仏教の時間の単位1/30日(48分)とのことだが、その生と死のわずかな時間の幸せを意味するらしい。などとボーッとしてたら、序盤から中盤にかけてはオカルトだったり、宗教を匂わす展開となっていた。まさかあの・・・
最初から惜しい!社長が「更生」という言葉を使うものだから、山田(松ケン)の過去がわかってしまった。もっと謎めいたものにしたほうが良かったのでは?と疑問符。しかもちょっとウザキャラのムロツヨシの登場となり、ちょっと醒めた目で見てしまった。
主要登場人物の皆が身内の死と向き合っている。故人との付き合い方、弔い方など、形式張ってちゃいけない。親戚などのしがらみもないのだから、遺族の自己満足でいいんだということ。高級仏壇なんて買う必要もないし、遺骨・遺灰をどう扱うかも自由なのだ。16億円かけようが花火で打ち上げようが自由・・・?
そんな中、最も印象に残ったのがアパート管理人である未亡人・満島ひかりが遺骨で身体を撫でるという艶めかしいシーン。骨を食べるより衝撃的だった。
北陸人としては、なぜか暗いイメージしか持てない風景(『ここは退屈迎えにきて』よりも暗い)や富山弁を一切使わないことにも違和感あり。まぁ実際は石川県の方が暗いからね。何たって平均日照時間が全国最下位。グダグダ文句を書き連ねたのもネクラの証し・・・後半は面白かったですよ。
死んだ後、魂はどこに行くんですか?
久しぶりに映画を観ながら何度か嗚咽を堪えた。静かで柔らかい時間が流れているのに、どこかで時折その時間は淀んでいた。それは、息苦しい世間の生きづらさなのか、この先の自分の人生の不安からなのか、なんなのか。
そして画面からは、そんな詰まってしまった流れを押し出してくれるような、なにかが、こちらの気持ちを洗ってくれる。例えば、美味そうな炊き立ての白米であったり、風呂上がりの一杯の牛乳であったり、取れたての野菜であったり。そうか、食は生きていく基本だものな、と気付かされる。
そんな一息をついたところに届いた、父の死亡通知。そこからの展開がまあ、揺さぶられた。それも、しっかりと食でこちらの心を満たしたあとっていう手順の手練れぶりには頭が下がる。しっかりとメッセージを聴く準備ができてから、じゃあ行くよ、って感じで重いものをどんどん投入してくるのだから。いのちの電話、喉ぼとけ、捨てられた家電の山、河原乞食、七の段のおまじない、隣のばあさん、墓石の訪問販売、空、雲、ナメクジ、、、、。意味なさげで意味ありげで。「はい、いのちの電話です」と聞かされた時の衝撃はこちらも同じだった。そして亡夫の遺骨。満島ひかりのあの性交は、稀にみる崇高な性交シーンだった。とても愛にあふれ、尊厳の気高さに圧倒され、僕は涙を流してしまっていた。そして、じんわりとしみこむしみこむ、おまじないような「せつな、たせつな、ろうばく、むこりった」。むこりったとはささやかな幸せという意味もあるらしいが、この映画にはそんなささやかな幸せを得て、生きていることを存分にかみしめている人たちがいる。この舞台が浄土真宗の根強い富山(おくりびとの原作もここ)っていうのもまた意味深い。仏教には「草木国土悉皆成仏」という教えがあるが、いつのまにかその言葉をかみしめていた。
「お弔いなんて、残された者の癒しの儀式。」という。そう、生きている者が勝手にケジメをつけたいだけなのかもしれない。だけど、そのケジメをしないと前に進めない者もいる。曇りがちだった人生を、晴れやかなるものにする準備のように。
と、こうして家でレヴューを書きながら、僕は塩辛でご飯を食べている。たまらなく美味い。生きているって感じている。
(ところで、エンドロールで見つけたが、薬師丸ひろ子はどこにいたんだ?)
役者が良い
「かもめ食堂」から雨後の筍のように"丁寧なライフスタイル"映画がボンボン公開されて、
果たしてこの監督がどれだけ関わってたのかも知らないが、もうお腹いっぱいになって見なくなりましたが、
今回、久々にていねい映画を。
言ってる事は当たり前の事で、描かれているのも割と当たり前の範疇だったのですが、嫌いになれない一本でした。それは、キャストがクセもの揃いだったからかもしれません。
狂気を孕んだ吉岡秀隆!
社長なのにマスクせずイカの上で喋りまくる緒方直人!
この二人は役を入れ替えても面白い作用があったと思う。
松山ケンイチの演技にも、もらい泣き。
江口のりこをたったあれだけのシーンで贅沢使いしてたり。
たま(さよなら人類)ぽい音楽はあからさまであまり好みではないけれど、良い時間を過ごせました。
「川っぺりムコリッタ」って、語感いいなぁ~。
ムロツヨシさん演じる嶋田のキャラが面白い。とてつもなく図々しいんだけど憎めない。
松山ケンイチさん、満島ひかりさん、吉岡秀隆さんもそれぞれ個性的で面白かった。
ご近所付き合いが希薄になった現代において、この感じは羨ましくもあります。すき焼きのシーンは笑えた。お葬式のシーンも好き。
誰もが様々な過去を抱えながら、それでもささやかな幸せを見つけながらなんとか一生懸命に生きている。
「ムコリッタ」って仏教の時間の単位らしいが、この独特な緩い感じの映画にピッタリの語感だなぁ~。
近い
お隣さんとの距離感が
50年前くらい
さかのぼってます。
いつから
知らない人とは
話さないように
なったんだろう。
すき焼きを
皆で
食べるシーンが好きです。
呼ばれてないのに
集まってくる…
虫が鳴くお堂で
坊さんと島田さんの
やりとりも
なんかいいです。
どうしてるかな。
あいつ。
薬師丸さん
どこにいたんだろう…
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