林檎とポラロイドのレビュー・感想・評価
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現実逃避
でいいと思います。愛する妻に旅立たれて主人公は生きるのがしんどくなっちゃったんですよね。几帳面な性格してそうですし、壁にゴツゴツ頭打ち付けるぐらいヤバい状態ですから逃げればいいんです。無理押して死んじゃったら目も当てられませんから。できればその状態になる前に何とかしてほしかったですが、でもギリギリOK間に合いました良かったです。で、彼は回復プログラムという一見何の意味のなさそうなミッションを課せられ、それをこなしていくうちに何故か再び生きる力が戻ってきます。思うに人生で起こる事象に意味を与えているのは人間だけで、まあ自分が後付けでグリコのおまけみたいに(今はアソビグリコというみたいですねw)付けっちゃてるんですよね。事象事態に意味はないわけです。何が起こってもそこに執着せず、目の前を通り過ぎる風のようなものだと思えればいいのですが。もちろん奥さんが亡くなったことはとても辛く悲しいことですが、そこに過剰にマイナスの意味付けを行うと明日への一歩が出なくなるのかもしれません。回復プログラムには誰も無駄な意味付けを行わないから、純粋にそのミッションを楽しめるというのがミソなのかも。人生も同様でそのほうが生きやすいし楽しいんじゃないかと思いました。何が起こっても目の前を通り過ぎる風のようなもの。
物静かで地味なギリシャ映画
ケイト・ブランシェットが絶賛した映画ということで鑑賞。
ケイト・ブランシェットがヴェネチア国際映画祭の審査員長をしていた時にたまたま他の会場で観た本作に惚れ込んだようだ、クリストス・ニク監督はギリシャの女性監督でケイト・ブランシェットとも意気投合したようで彼女主演での映画作りにも乗り気の様ですと。
テーマは自分探しでしょうかね、コロナほどのパンデミックではないが突然記憶を失う奇病が蔓延、中年男性のアリスはアパートで独り暮らし、妻を亡くしたようだ。記憶を亡くして施設でリハビリに努めるが身よりはおらず手掛かりはつかめないまま、仕方なく医師団の指示通り自転車に乗ったりホラー映画を観たり仮装パーティに出席など繰り返す。タイトルのリンゴは主人公の大好物、いつも食べています、原題のMilaもギリシャ語でリンゴのこと、ポラロイドは体験学習の証拠として医師から撮るように言われただけ、あまりタイトルとしての意味はありませんね。
もし自分が彼の立場に陥ったらどうするだろうかの興味が無い訳ではないが延々、記憶探しの長旅に付き合わされるので退屈、こんな課題クリアで記憶は戻るのかと大いに疑問でしたが葬儀に参加したことで妻の墓参りの帰路に記憶喪失になったことを思い出したので効果はあったようです。まあ、物静かで地味なギリシャ映画でした。
現実逃避
認知症から外を徘徊して行方不明になる老人のドキュメンタリーを何となく、今現在に都合の悪い人とかこんなの記憶喪失詐欺が横行してしまうのでワ?と思いながら観ていたらそんな方向性で、最後はプログラムという名のミッションに嫌気が差したか?
記憶喪失が奇病として蔓延した世界の混乱を中心に描いた物語ではないと思うので主人公に興味が持てないと淡々と進む感じに飽きてしまうような、馬鹿正直に観たら途中で記憶が戻ったのか?もしれないし辛い現実から逃れる為の不正かもしれないし、そこは隠さなくて良いから順調だった過去も描きながら物語があれば。。。
「林檎」も「ポラロイド」も記憶の保持だ
記憶をなくしてしまうことと記憶をなくしてしまいたいと願うことは当然ながら全く違う。
愛する人を失い喪失感を拭うための方法として忘れようとする、もしくは、忘れてしまった状態を体験することは何のためにもならないだろう。
なぜなら忘れることなどできないのだから。
必死に過去と今の自分を失おうと足掻く主人公は実に滑稽に映る。
大好きな林檎を、記憶保持に効果があると言われ買うのをやめるシーンなどは実に面白い。
それと対を成すように、エンディングでは、主人公が林檎を食べるシーンで終わる。忘れることをやめたのだと明白に分かるし、彼は失っただけでも、一歩前進したのだとポジティブな感動もある。
メインテーマの忘れたいほどの喪失感とは別に、プログラムについてちょっと思うところがある。
主人公が受けていたプログラムの指令は、なかなかに面倒だったり、嫌なことだったりする。
プログラムの真の目的とは、主人公のように記憶を失ったフリをしているものをあぶり出すために行っているのではないかと想像する。
音を上げて記憶喪失のフリをやめさせようとしていると。
「指令通りスズキを釣っているな」というセリフが出るが、本当に記憶を失っているならばスズキを認識できないはずだ。
例えば自転車を知っていたりするので、どこまで覚えていられるのか判断できないことや、スズキはどの魚か誰かに聞いた可能性もあるので、主人公がスズキを釣れるわけないとは言えないけれど、指示する側のこのセリフの不穏さや、指令の難題さ、不可解さは、先に書いたように「あぶり出し」の可能性のほうがしっくりくる。
もっと深読みするならば、記憶を失ってしまう現象そのものが実は存在していないのではないかと思うのだ。
つまり、主人公のように記憶を失ってしまいたいと願う人が大量に発生して、それを実践しているだけなのだ。
過去をもったまま生きることの辛さに溢れた世界なのかもしれない。ギリシャだからね。その可能性はある。
忘れてしまう、忘れたい、忘れたくない
個人的にものすごく刺さり、エンディングのあとしばらく自分でも驚くほど涙が溢れて止まりませんでした。
静かで奇妙でシュールで寂しくて、優しい映画です。
人間はどうしても(忘れたくないことも忘れていいことも)忘れてしまうし、逆に忘れたいことを忘れられない。忘れてしまうということは辛く苦しく、「忘れていってしまう」苦しみの只中にいるくらいならいっそ全てをすっぱり忘れられれば良いのに人間の記憶はそう都合良くはない。そうした苦しみの中で、しかし忘れたくないと想うことの美しさ・ひたむきさを描いた映画だと受け取りました。
全体的に肝心な言葉が少なく、観ている側はこれってどういうことなんだろう?これってもしかして……?と探り探り理解を深めていく作品です。だからこそ、色々と繋がった時に濁流のように主人公の苦しみ、悲しみ、愛が押し寄せ、心がぐちゃぐちゃになりました。
そしてこうした人間の記憶のままならなさ、みたいな話を、写真などの外部デバイスによる記憶の保存は本当の意味では記憶の保存たりえないのでは?ということに繋げているのは見事な構成だと思います。シュールな治療を通じて、体験そのものより写真を撮影してその体験を記録しようとすることが大事になってしまうばかばかしさがあらわになる問題提示の仕方、好きです。
パンフレットに載っていたCINEUROPAの評で、チャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリー、スパイク・ジョーンズなどの世界観を彷彿とさせるとありましたが、チャーリー・カウフマンとスパイク・ジョーンズの大ファンである自分に刺さったのも道理かもしれません。しかもクリストス・ニク監督は自分が大大大好きなヨルゴス・ランティモスの助監督をやられていたということで……。映画館でなんとなく見かけてなんの前情報もなく観たのですが、ある種刺さるべくして刺さった映画でした。
シュールなジョークを後から振り返るとそれが効いてくる、みたいな仕掛けが好きな人間には刺さる。
※元々ネタバレ注意にはしていますが、以下は映画の核心部分に触れるので改めて注意です。初見は絶対にネタバレのない状態で観てほしい映画なので……。
自分は薄々大切な人を亡くしたのかな……?と思いながら観つつ、お墓のシーンで愛する人の死を確信して以降もうすでに号泣していたのですが、最後林檎を食べるシーンで……タイトルや話やら、全てが押し寄せて滂沱の涙……。
薄々気づいてはいたが改めて突きつけられるとびっくりするほど泣いてしまった、というのだと(完全に個人的な感想でしかないんですが)シックス・センスを初めて観た時のことを思い出しました。個人的には一番観た後の感覚が近いのはシックス・センスです。
林檎は記憶力保持に良い、ということを元に、忘れたい、忘れたくないという苦しみをここまで素晴らしいシーンとして仕立てたのは見事としか言いようがありません。
とにかく林檎を買うのを急いでやめてオレンジを買うシーンからのラスト林檎を齧るシーンの流れがたまらない、大好きです。
また、主人公はどの段階から記憶が戻っていたのか?または最初からそもそも記憶を失っていなかったのでは?ということについては、監督はあえてそこを色々な解釈ができる形で描いているのかな?と自分は思いました。これはもう何周か観たら変わるかもしれない意見ですが……。
今の自分は最初から記憶を失ってはいなかったが、苦しみによる抑圧(ないし防衛本能)で記憶や自我を失っていると言って良い状態ではあったまま揺れ動いていた、という感じかなと思っています。自分を制御できていないような印象を受けるシーンがままあったので。
なんであれ忘れたまま(本当は忘れていないにせよ)でも、これは嫌だったんだな、とか後から振り返ると全てのシーンが立ち上がってくる構成は本当に素晴らしいです。
追記:
DVDにて二度目の鑑賞(2022/11/26)
二度目で分かった状態で観てみると、やはり初めから全く記憶を失っていなかった、という解釈で良いのではという気がしました。
どういう内容なのかが気になって観たのですが…。私の理解が及ばない作品でした。観る人を選ぶ作品なのかもしれません。
ポスターや予告映像を観て
気になったので鑑賞したのですが…
困りました。
普通、観た作品に対して涌いてくる
何らかの感情。 たとえば
楽しい とか
哀しい とか
面白い とか
怖いよ とか
そういったものが、何も頭に
浮かんでこないのです。 う~ん …。
前衛的な作品の場合、鑑賞者の
感性に合うか合わないか、があると思うのですが
この作品に関しては何とも。。
ときおり
この作品を思い出しつつ、2週間経過。
本当に何もなかったか、記憶に残らなかったのか
と、さらに自己探求。
う~ん。 … うん?
ひげ男 ?
あぁ。
主人公のカオ ですか。
う~ん確かに。
やたらとアップの場面が多くて
目立ってました。
主人公だけでなく
登場人物(男)にやたら 「あごひげ」 のキャラが
多かった気もします。
というわけでこの作品は、
「ひげ男を満喫する作品」 だったと言うことで。
(…では無いと思いマス)
…
ともあれ
何とも言いようの無い作品でした。
これから他の方のレビューを見て回ろうと思っています。
何か重要なコトを見落としていたりするのかも。。
最後に
もう一つ思い出しました。
主人公のひげ男さん。
病人の口元にスープのスプーンを持っていくスピード
「速すぎ」
あれでは、飲み込む時間が…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
哲学的。ただ、それだけ。
罰ゲームだがな、こりゃ全く。
あー、忘れたい、忘れたい、忘れたい。
リンゴ食うの止めよ。
やっぱヤメタ。
忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない。
リンゴ食おう。
と言う、男の葛藤しない葛藤の、物語らない物語り。
多国籍合作に名作無し。のワタクシ的法則通りの眠たい映画だった。と言うか、寝た。かなり。
ポラロイドというと
《メメント》思い出すのね。記憶も絡んでるし、ポラロイド使うから。
記憶を無くした人にやらせることがエグいよね。なんの意味があるのか。
治療方針に則ってやってるだけと割り切ってるのに、気持ちは残ってしまうとかいいね。
主人公は記憶なくしてないね、これ。
なくした振りをがんばってやってるけど、所々で、記憶を持ってる痕跡が出てしまう。
林檎は意外と長持ちする
記憶喪失が蔓延する世界という設定でありながらオカルトやSFでないのは面白い。
記憶の回復プログラムを遂行していく中でストリッパーや犬のシーンなど、ん?と思わせるヒントがあり、オレンジでかなり確信に変わり、そういえばあのシーンもと思い出す。
最後のミッションで喪失を受け入れる決心をしたラストは前向きで良い。
かなり好きな作品。
自分を作っている、「記憶」
突然記憶喪失になってしまう奇病が蔓延する世界。発症すると救急車で運ばれて「新しい自分」になるための様々なミッションをこなしてはポラロイドに撮ってアルバムに溜めていく…というギリシャ作品。「記憶と自己形成」ということを一緒に考えさせられる。淡々と静かな感じもすき。
記憶がまったくなくなると、クリスマスが何だかも、この食べ物を自分が好きかもわからない。それって「自分」なのか?自分のかなりの部分を記憶つまり経験が作ってるんだと気付かされるよね。そして、この主人公、もしかして何か辛いことでもあって発病したフリしてた?とも思った。そう考えると、冒頭で頭を打ち付けるような行動をしていたのもしっくりくる。忘れたい人、忘れたい記憶があるのかな。
最後に、記憶にいいと言われる林檎を食べているのも象徴的。
暗い気分に浸りたい人向け
時代が80年代のような感じで、カセットプレイヤー、オープンリール、ポラロイドカメラなどが使われる。今ならスマホで全部済む。記憶喪失が流行り病のようになっている。記憶を回復するためのプログラムがひどい。特に余命短い人と仲良くなって亡くなったら葬式に出るなど、あんまりだ。
楽しいところや好きなところが全然なく、とにかく暗い。暗い気分に浸りたい人向き。
ネタバレすると主人公は奥さんに先立たれて悲しみのあまり記憶喪失を偽装している。
リンゴの飯テロ
人々が記憶を失う謎の病が蔓延する世界でその病気を発症し、身寄りがない人のための新しい人生を生きるプログラムを受ける男の話。
まず、題名にもあるリンゴをとにかく主人公が大好きでずっと食べてるんだが、その食べ方が上品でめっちゃ美味しそうに見える。海外の人ってリンゴをそのまま電車の中とかでかじってたりするけど、この主人公はちゃんと適量ナイフで切ってそれをちょっとずつ頬張る。その食べ方したいけど、絶対自分の手切って終わる。
そして、リンゴと言えばやっぱり聖書の禁断の果実を連想するんだが、この物語ではリンゴを食べない人が記憶力低下しているとも言える(リンゴが記憶力低下を抑制させると市場のおじちゃんが言った後リンゴを食べるのを辞める主人公や最初隣のベットになった人がリンゴを食べない)ので、楽園追放と逆だなと思った。
でも主人公からしたら記憶を無くしたい(たぶん亡くなった妻の記憶があるのが辛すぎて忘れたい)と思ってるのにリンゴ食べてるから記憶全然無くならないという、確かに「楽園追放」だなと思った。聖書に詳しくないから、楽園追放の解釈間違ってたらごめんなさい。
何はともあれ、記憶なくしたふりしててもたまに隠しきれてない主人公が面白い。特に箱の中を答えるという記憶力テストで覚えてるのに間違ったものを答えようしてる姿が笑える。中身がサイコロをサッカーのミニチュア台って答えてるの、絶対サッカーボールにサイコロがちょっと似てるから連想したんだろうな(笑)
あとは新しい人生を生きるためのプログラムがパーティ行く、高いところから飛び込む、ホラー映画見る、事故起こすだとか意味あるのかないのかよく分からんと思ってたら、終盤慈善事業寄りになっていくのが上手く誘導してんなと思った。
過去の記憶とどのように向き合えばよいか。
私は主人公が記憶を失ったと思って物語を追っていました。
林檎は記憶を留める為の、カメラは新しい記憶を作る為のアイテム。奥さんを愛していたからこそワンナイトラブした後に林檎は食べられなかったし、写真も撮れなかった。ラストの無心に林檎を齧るシーンは奥さんとの記憶を蘇らせる為の行為。
ストーリーの追い方は様々あるだろうが、最後に行き着くところは皆同じであろう。それまでの道程には無駄がなく、一つ一つのシーンから主人公の人柄も伝わってくる(料理が上手だったり機械いじりもできるので細かいところまで目が届く職人気質だったのだろう。おまけに愛妻家)。仮装パーティやストリップのシーン等、要所で笑わせてくれる遊び心もナイス。ただ、記憶を忘れてる割には皆流暢に喋るし一般的な生活はできるんだなと違和感はありました。
劇場のPRポスターには写真家のコメントが寄せられており、その中に「写真は自分の経験を証明するもの」的な内容のものがありました。普段、写真を撮らない私には刺さるメッセージでした。
そういう事か、と分かると、後からジワジワくる
記憶喪失を治療する、変なプログラムの数々。どんな意味があるのか分からないものが淡々と続き、正直、何回か落ちかけました。
最後も、見た時はよく理解できず(どうして記憶戻ったの⁉︎)、何か重要なシーンを見落としたのか、と思い、こちらのレビューを眺めていたところ、ようやくそういう事か、と分かりました。
あえて書くと〜
誰か大切な人を失い、記憶喪失者向けの「上書きプログラム」に期待して偽って参加したものの、喪失から逃れる事はできず、自分の痛みと向き合いながら生きていこうと思う…。
〜ということ。
そう思うと、あのシーンも、このシーンも味わいが深いように思われ、何度も思い出してしまう。
分かんなさの雰囲気を楽しむ映画なのかな、と思ってたら、低得点だけど、実はクリアな映画で、後からジワジワも、たぶん狙いすまされてる。やられたなぁ、という感じです。
スローテンボ
映画のテンポがとにかくスロー、セリフや説明描写も少なく、寝不足気味だったので睡魔との戦いだった
この映画の主人公、ある日突然バスの中で記憶喪失になり、過去の記憶を取り戻すのではなく、新しい経験を積んで新しい人生を生きようというプログラムに参加することになる
ただ、このプログラムの内容が怪しいものばかり、指示は毎日、カセットテープ、内容はやたら性的な内容ばかり、どんな新しい人生を歩ませようとしてるのかが、さっぱり分からない
プログラムの内容も人によって変更がなく同一、あのポラロイドで撮った写真のアルバムはなんの役に立つのかがいまいち意味不明、詐欺かなんかの加担者への洗脳プログラムと思ってしまった
ただ、この主人公、記憶喪失のはずなのに、記憶を無くす前に住んでいた近所の犬の名前覚えていたり、隣人のはずの犬の飼い主と会うのを避けたり、家の住所を聞かれて以前の家の住所を思わず答えたり、記憶喪失に効果があると言われたら林檎を買うのをやめたりと、明らかに記憶喪失の振りをしている描写がたくさん
この映画、最後のオチをどのように持っていくのかというが気になっていたが、最後まで鑑賞すると、元の生活で忘れてしまいたい悲しい出来事をこの怪しいプログラムで上書きできないか試してみたが、悲しい記憶を受け入れて生きていく決心をしているので、ある意味、人生の再生に成功している?
記憶喪失のふり
途中からこの主人公は妻を亡くした喪失感から、記憶喪失のふり、行方不明者のふりをしただけなのでは?と思いました。犬の件、林檎を食べると記憶力アップになると聞いて林檎を戻す件、複雑な料理ができる件等から。あのプログラムをばかばかしいと思い、先輩彼女に利用されて彼女を哀れに思い、日常の生活、妻を亡くした生活に向き合うことを主人公は選んだのでしょう。
バットマン
設定が面白そうだったので鑑賞。
事前に公式HPのストーリーやあらすじ読んどいて良かったなーと思ってしまうくらい説明はないです。色んな道があるはずなのにまっすぐにしか行かない映画です。
記憶を突然無くしてしまった奇病にかかってしまった男性を軸に物語は進んでいきますが、多くの登場人物が感情を表に出さないので若干不気味ではありますが、それが後半になるといい塩梅で効いてきてクスッと笑えるものになっていました。
無くしたい記憶と留めておきたい記憶の狭間で揺れながらも回復プログラムをこなしていく主人公と、映画館で面白いくらいビビっていた先輩の物語が中盤からは展開されていき、トイレに行ってセッ○スをしたのかしていないのか?なぜ車で木にぶつかって事故した際に写真を撮るのか?と、没入していたあまりにその回復プログラムの意図が分からず曖昧な感じで飲み込んでしまい、疑問に思いながら鑑賞を進めてしまいました。リンゴを食べた方が記憶力低下を防げるのになぜオレンジに変えたのかもピンとこず。
個人的ハイライトはコスプレをしている際にバットマンとキャットウーマンがいた事です。同日公開だから配給会社が合わせてきたのかな?と思わずニヤリ。
最終的にプログラムの違和感に気づきつつも、吹っ切れた様にリンゴを齧る姿を見て、少しばかり切ない気持ちになりました。中盤クスッと笑っていたのに…。
90分と短い映画ながら、考えさせられるテーマの映画でした。アート系映画に当てはまると思うので、大衆ウケはしないと思いますが自分はそこそこ楽しめました。
鑑賞日 3/15
鑑賞時間 11:20〜12:55
座席 D-10
本当は。。
昔の音楽が、良い感じで流れるがこれはわざと?なのか?
時代はいつなの?
等と思いながら引き込まれていく。
見終わって、この記憶障害って自己申告だよね?
中には、いまの生活が嫌になって、記憶障害を演じてるとか。。
犬の、名前を呼んだとき、記憶を取り戻したければミッションよりも大事な行動できるのでは。。
回復も自分で決められるようだし。
と、色々思ってしまった。。
とっても不思議な映画だけど、何だか好きだな。。
喪失と再生
突然記憶喪失になる病気が流行する世の中で、ある日突然記憶を無くした男の話。
昼間からお出かけし花を買い、夕刻バスに乗って居眠りしたら、ここはどこ?私はだ~れ?となり病院に連れて来られた男が、記憶回復をあきらめ新しい自分になる人生学習プログラムを受けることになり巻き起こるストーリー。
プログラムのミッションを繰り返しながら人生の再構築を始めるのか?と思いきや、一人暮らしを始めて早々の果物屋で、あれ!?そういうこと!?
なるほど、彼のメンタルはどこから来てどこを目指し、どうなっていくのかというのを観る作品ですね。
映画館で出会ったパイセンとの流れは何を期待したのか…トイレのヤツの真相を知ったとは言え、何で選ばれたのかまでは考えが及ばない主人公。
まさかのイジイジした恋愛物語?
そしてプログラムでも目の当たりにする人の死…。
これは最後は吹っ切れたと読むのでOK?諦めたのか悟ったのか?
淡々とした空気感ではあるもののちょっとコミカルで、欧州映画特有の面白さはあったけれど、最後はもう一声欲しかったかな。
大半の鑑賞者は見たことを後悔する映画だと私は思う。
高評価も多いが、私は鑑賞して観たことを後悔した。もう、二度と観ないだろう。テレビ放映で無料なら見るかも。聞き慣れない言語だと思ったが、ギリシャ語だった。
描かれるのは、孤独な中年男の身辺雑記である。突然、記憶喪失になる奇病が蔓延する。主人公にこの病気が発病し、病院で治療することになる。記憶を取り戻すことは困難で、人生を再教育するプログラムが始まる。
記憶喪失になれば、通常ならば自分が何者なのか必死に探し求めるだろう。ところがこの主人公、淡々と再教育プログラムをこなすだけである。感情をあらわにしない。昔、住んでいたアパートで飼われていた犬に偶然、街中で出会いその名を呼ぶのだ。全ての記憶を喪失したわけではないようだ。けれど、犬の飼い主を辿れば、自分の身元が判明するのにその場から逃げるのである。
同病の女性から好意を持たれて、誘われているのに応じようしない。どうやら、主人公は過去の出来事を受け入れることが出来ず、現実から逃避しているようだ。最後におそらく妻の墓を訪れたことから、妻の死を受け止められず、現実逃避する現代人の孤独な魂を描いた映画だとわかる。感情を喪失したのもそれが原因だろう。
オーブンリールのテープレコーダやカセットテープレコーダーが使われている。1970年代までは利用されていた。当時のギリシャは軍事独裁政権だっと思う。閉塞感から奇病が流行ったかもしれない。
とにかく、友人には勧めない映画だ。
全21件中、1~20件目を表示