林檎とポラロイドのレビュー・感想・評価
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自分を作っているものは記憶の集積なのか?
ケイト・ブランシェットが惚れ込んだというギリシャ人監督のデビュー作。まるで疫病のように突然記憶喪失になる病が流行する世界。ひとりの男が保護され、身元不明の記憶喪失者として、自分の人生をやり直すプロジェクトに参加する。自転車に乗る、ハメを外して踊る、高いところから飛び降りる、などなど、次々と課せられるミッションは時に奇妙に映るが、人生なんて筋が通ったものではなく、果たして自分の人生はなにをもって定義されているんだろうかと、根源的な疑問が湧いてくる。しかし、次第にこの物語が描く本筋はそこではないと気付かされる語り口の鮮やかさ。思い返せばヒントはあちらこちらにあったのにと、気持ちよく作り手に転がされる。そして、それでもなお、自分に置き換えることのできる普遍的な悲しみを描いていたこの作品を、好きにならずにいられないのである。
ギリシアから届いた不思議な肌触りの物語
ギリシアから不思議な肌触りの映画が届いた。鑑賞中はどこか飄々としたトーンで物語が展開し、その語り口に思わず口元が緩んでしまう人も多いだろう。ただし、本作の描く状況は極めて特殊なものだ。舞台となるのは、記憶を失う奇病が蔓延する世界。日々多くの患者が身元不明となって保護され、記憶が戻らない人のために新たな生活をスタートさせるための訓練プログラムさえ用意されている。主人公のヒゲモジャな中年男性もまた突如として記憶喪失を発症し、このプログラムを受講することになるのだが・・・。序盤では、記憶を失った者たちが人との距離感や関係性の構築を学んでステップアップしていく姿に主軸が置かれているように思えるのだが、最後まで見通すと印象が大きく変わる。あまり説明的な描写がなく、サイレント映画のように動作だけで理解しうる場面が多いのも特徴的。これが長篇デビューとなるニク監督がいかにキャリアを築いていくのか楽しみだ。
リンゴを4、5個食べたら下痢も治る。の前にそんなに食べられない。
突然、記憶を失う奇病が流行る世界で
2022年4月19日(火)
新宿武蔵野館で「林檎とポラロイド」を。
第93回アカデミー賞ショートリスト入りのギリシア代表。国際長編映画賞ノミネートには入らなかったけれど、候補作になった「皮膚を売った男」よりも私の好みです。
突然、記憶を失う奇病が流行る世界で、記憶を失って治療のためのプログラムを受ける男。
彼は毎日送られてくるカセットテープに吹き込まれた内容をもとに、自転車に乗る、仮装パーティで友だちをつくる、ホラー映画を観るなど様々なミッションを「新しい自分」のためにこなしていく。
新しい自分のための様々なミッションをこなしてポラロイドに撮って行くのだが…?
オープンリールのデッキ、カセットテープ、ポラロイドカメラ。映画館でやっているホラーが「悪魔のいけにえ」。奇妙な世界で、ユーモアを混じえながら、いつも林檎を食べている男の治療再生生活を描いて行く。
一番笑ったのは仮装パーティーで奇病を発症し、呼ばれた救急隊の「バットマンのお知り合いの方は?」(発症した患者がバットマンの仮装で、そこにいたのが…!)
彼が自分が元住んでいた家に戻るラストはちょっと意味深で切ないけど、やはり人間は記憶に生きていると言う事か。
上書き保存できません
L知っているか、記憶喪失の男は林檎しか食べない
企画倒れ
ちょっと淡々としすぎてて集中して見ないと色々見落としてしまう話だっ...
スタイリッシュ
知恵の実
現実逃避
でいいと思います。愛する妻に旅立たれて主人公は生きるのがしんどくなっちゃったんですよね。几帳面な性格してそうですし、壁にゴツゴツ頭打ち付けるぐらいヤバい状態ですから逃げればいいんです。無理押して死んじゃったら目も当てられませんから。できればその状態になる前に何とかしてほしかったですが、でもギリギリOK間に合いました良かったです。で、彼は回復プログラムという一見何の意味のなさそうなミッションを課せられ、それをこなしていくうちに何故か再び生きる力が戻ってきます。思うに人生で起こる事象に意味を与えているのは人間だけで、まあ自分が後付けでグリコのおまけみたいに(今はアソビグリコというみたいですねw)付けっちゃてるんですよね。事象事態に意味はないわけです。何が起こってもそこに執着せず、目の前を通り過ぎる風のようなものだと思えればいいのですが。もちろん奥さんが亡くなったことはとても辛く悲しいことですが、そこに過剰にマイナスの意味付けを行うと明日への一歩が出なくなるのかもしれません。回復プログラムには誰も無駄な意味付けを行わないから、純粋にそのミッションを楽しめるというのがミソなのかも。人生も同様でそのほうが生きやすいし楽しいんじゃないかと思いました。何が起こっても目の前を通り過ぎる風のようなもの。
物静かで地味なギリシャ映画
ケイト・ブランシェットが絶賛した映画ということで鑑賞。
ケイト・ブランシェットがヴェネチア国際映画祭の審査員長をしていた時にたまたま他の会場で観た本作に惚れ込んだようだ、クリストス・ニク監督はギリシャの女性監督でケイト・ブランシェットとも意気投合したようで彼女主演での映画作りにも乗り気の様ですと。
テーマは自分探しでしょうかね、コロナほどのパンデミックではないが突然記憶を失う奇病が蔓延、中年男性のアリスはアパートで独り暮らし、妻を亡くしたようだ。記憶を亡くして施設でリハビリに努めるが身よりはおらず手掛かりはつかめないまま、仕方なく医師団の指示通り自転車に乗ったりホラー映画を観たり仮装パーティに出席など繰り返す。タイトルのリンゴは主人公の大好物、いつも食べています、原題のMilaもギリシャ語でリンゴのこと、ポラロイドは体験学習の証拠として医師から撮るように言われただけ、あまりタイトルとしての意味はありませんね。
もし自分が彼の立場に陥ったらどうするだろうかの興味が無い訳ではないが延々、記憶探しの長旅に付き合わされるので退屈、こんな課題クリアで記憶は戻るのかと大いに疑問でしたが葬儀に参加したことで妻の墓参りの帰路に記憶喪失になったことを思い出したので効果はあったようです。まあ、物静かで地味なギリシャ映画でした。
思考に浸れる映画。
現実逃避
認知症から外を徘徊して行方不明になる老人のドキュメンタリーを何となく、今現在に都合の悪い人とかこんなの記憶喪失詐欺が横行してしまうのでワ?と思いながら観ていたらそんな方向性で、最後はプログラムという名のミッションに嫌気が差したか?
記憶喪失が奇病として蔓延した世界の混乱を中心に描いた物語ではないと思うので主人公に興味が持てないと淡々と進む感じに飽きてしまうような、馬鹿正直に観たら途中で記憶が戻ったのか?もしれないし辛い現実から逃れる為の不正かもしれないし、そこは隠さなくて良いから順調だった過去も描きながら物語があれば。。。
巧い。だがツマラン。
「林檎」も「ポラロイド」も記憶の保持だ
記憶をなくしてしまうことと記憶をなくしてしまいたいと願うことは当然ながら全く違う。
愛する人を失い喪失感を拭うための方法として忘れようとする、もしくは、忘れてしまった状態を体験することは何のためにもならないだろう。
なぜなら忘れることなどできないのだから。
必死に過去と今の自分を失おうと足掻く主人公は実に滑稽に映る。
大好きな林檎を、記憶保持に効果があると言われ買うのをやめるシーンなどは実に面白い。
それと対を成すように、エンディングでは、主人公が林檎を食べるシーンで終わる。忘れることをやめたのだと明白に分かるし、彼は失っただけでも、一歩前進したのだとポジティブな感動もある。
メインテーマの忘れたいほどの喪失感とは別に、プログラムについてちょっと思うところがある。
主人公が受けていたプログラムの指令は、なかなかに面倒だったり、嫌なことだったりする。
プログラムの真の目的とは、主人公のように記憶を失ったフリをしているものをあぶり出すために行っているのではないかと想像する。
音を上げて記憶喪失のフリをやめさせようとしていると。
「指令通りスズキを釣っているな」というセリフが出るが、本当に記憶を失っているならばスズキを認識できないはずだ。
例えば自転車を知っていたりするので、どこまで覚えていられるのか判断できないことや、スズキはどの魚か誰かに聞いた可能性もあるので、主人公がスズキを釣れるわけないとは言えないけれど、指示する側のこのセリフの不穏さや、指令の難題さ、不可解さは、先に書いたように「あぶり出し」の可能性のほうがしっくりくる。
もっと深読みするならば、記憶を失ってしまう現象そのものが実は存在していないのではないかと思うのだ。
つまり、主人公のように記憶を失ってしまいたいと願う人が大量に発生して、それを実践しているだけなのだ。
過去をもったまま生きることの辛さに溢れた世界なのかもしれない。ギリシャだからね。その可能性はある。
続出する記憶喪失者に新たな人生を作るプログラム。 おもしろいテーマ...
悲しみを受け入れるまでの物語
作品は、主人公が自分の頭を壁にごつごつとぶつける音で始まり、何があったのか分からないまま話は進んでいく。
舞台はどこか分からないが、スマホやパソコン等はなく、カセットテープやポラロイドカメラ、郵便等、アナログ主体の世界。記憶をなくす人が大量発生し、主人公も記憶喪失の身元不明者として入院する。しかし治療の成果はなく、記憶を取り戻すことを諦め、新たな人生を生きるためのプログラムを受ける。
まず気がつくのは、通常より横幅が狭い画面。中心に主体を置き、そこに向かって一点透視図法の線が入る印象深い構図。そして深い紺色を基調にした色調。この色調は、主人公の心境の変化に従って、赤みを帯び、最後は光を帯びた白になる。まるで朝へと変化する空の色。
主人公の考えていることは言葉にされることはなく、表情も乏しい。しかし、終盤に余命幾ばくのない老人と話し、彼の奥さんが記憶喪失になっていると聴いた主人公がいった言葉、「奥さんは、これ以上あなたを忘れることがなく幸せだ」。この言葉で、その後のシーンと、冒頭のシーンが全て腑に落ちた。
観終わった後の余韻がとても良い作品だった。
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