「観ること自体に価値、そしてちゃんと面白い!! みんなで観よう!!」トゥルーノース CBさんの映画レビュー(感想・評価)
観ること自体に価値、そしてちゃんと面白い!! みんなで観よう!!
冒頭で流れる言葉。
「人民がすべてを決定する。主体思想に導かれれば、彼らに不可能はない」
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の独立を果たした、金日成の言葉だそうだ。
そう、国名にある「民主主義」 はおそらくウソではない。当初は上の文の冒頭に示された通り、人民がすべてを決定することをめざしたのだろう。しかし、「人々が主体思想に導かれる姿になるまでは指導しよう」 という思いが、固定化し暴走した結果が現在なのだろう。人民が決める "民主主義" をめざす道は、さまざまあるということなのだろうか。
オープニングは、有名な公開スピーチ番組 「TED」。講演する若者は、北からの亡命者として、北の収容所の実情を語る。その内容が、この映画だ。
そもそも収容所とはなにか。「北の思想」 にあわない人民とその家族を収容する場所だ。「南のラジオを聞いていたことが原因で収容された隣人を、どうにかして救えないか近所の人たちと相談していた」 これが、主人公の父親が行ったことのすべて。それだけで反体制の家族とされて、家族もろとも一生強制労働し続けるだけの収容所に放り込まれる。
本作は、主人公が放り込まれた少年時代から、脱走する青年時代までを描いたもの。最低限以下の住居と食事、強制労働、そして拷問... これらの(おそらくは)事実を、命がけで脱走してきた若者が我々に伝えてくれている。 「ヨハン、自由を楽しめ。そしてここで起きていることを世界に伝えろ」 我々の役割はなにか。耳を傾けることであり、目を向けることだ。そう、誰でもできることは、この映画を観ることだ。みんなで観よう。そして考えよう。
拷問を受ける人々の言葉を記憶しよう。 「国家ってなんだ? 人民って誰だ?」
そして、お母さんの言葉をかみしめよう。
「誰が正しいかじゃないの。誰になりたいかを考えなさい。いつも美しいものを探してね」
革命で国民が政権を獲得した国では、「軌道に乗るまで、革命を実現した我々が導かねばならない」という思いが強くなるのだろうか。最初はそれでよい感じになるのだが、どの国も、長期政権となって腐敗するというか圧政に移行していく。その時点では、国民が政権を変えられる民主主義に移行していないので、けっきょく、権威主義というか専制体制の悪い面が露出する。それを変えられないという致命的な欠点が、これらの体制には内在することを、俺たちは、歴史から知っておくべきなのだろう。そしてその際の圧政は、いかに基本的人権を無視した迫害になるのかということを、この映画で目の当たりにしておくべきなのだろう。
あわせて、「基本的人権の尊重」 をあらためて考えたい。 「個」 が大切であり、「集団」 はあくまで「個」 のための機能で、「集団」 のために 「個」 が基本的人権を奪われることは、決してあってはならないことなのだから。「集団のために個が基本的人権を奪われる姿」 を見せてくれているのが、この映画なのだということを忘れないようにしよう。
日本が民主主義である価値は、国民である俺たちが、「いまの政権与党は変だ」 と感じたら、選挙で政権与党を変えることができる、ということだということを、あらためて思い出しておきたい。
おまけ
俺の誕生日は、4月15日。そう、北朝鮮では、太陽節。金日成の誕生日といっしょなのだ。「だからなんだ」 なのだが。
こういう映画はなかなか観ようとされにくいですからね。
私は中学の時に「あぁ野麦峠」を文化祭か何かで体育館で一斉に観せられ、ああこんな時代があったんだ〜と衝撃的だった覚えがあります。
トゥルーノースは強制的にでも多くの人に見てもらいたいですね。
私もまず家族に観せよ!
今晩は
いつの世でも、女性は偉大ですね。(一部、除く・・。)
あと、”俺の誕生日は、4月15日。そう、北朝鮮では、太陽節・・”という言葉を目にしまして(失礼ながら、笑ってしまいました。スイマセン・・。)
彼の国の人民が、皆スリムなのに30代であの太りよう・・。(今作でも、上流階級と思しき愚かしき太った子供が描かれていましたが・・)
私は、彼の国が頭が上がらない国の太った子供が、この国で行儀が悪い行い(且つて、結構いました)をした際には、北京語でガツンと注意してましたね・・。(日本の若者は一部を除いて、”おじさんより”余程マナーを守っていると私は、思います。)では。