「バチカンにも通ずる小児性愛問題。」無聲 The Silent Forest caduceusさんの映画レビュー(感想・評価)
バチカンにも通ずる小児性愛問題。
耳の聴こえない子供たちは、人を呼ぶとき、目の前で上下に手を振る。
すべての日常は、耳の聴こえる者とは違うものとなる。
閉鎖された密室では、不正が温存される。この映画は、近親相姦や教会での小児性愛のような犯罪の加害者と被害者の心理をよく描写している。
大人たちは保身にはしり、事実を隠蔽する。
子供たちは助けを求めるが、大人たちは都合よく聞き流し、やがて、子供たちは助けを求めることさえもあきらめ、絶望の中で自らを檻の中に閉じ込めていく。
絶望は恨みへと変わるが、その矛先は、自分と同じように抵抗できないものへと向けられていく。
「なぜ、いやがらない」「なぜ抵抗しない」…、力のない者へ、大人からの容赦のない追求がなされる。
自分の身の安全は捨てがたい。自分を捨て、人の安全を守るのは、英雄であり偉人だ。
この世には、凡人があふれ、自分の安泰のみを願い、昆虫のように群れをなして生きている。
ベイベイは転校しろと祖父に言われても、転校しないと抵抗した。性的に犯されながらも、その学校へ通うという。
外の世界の孤独さよりも、密室の中で自分が我慢して生きた方がいいという、この複雑な心理こそが、この映画の主題と言えるだろう。
映像ははかなくも、美しく撮られている。そして、声はない…。
ぜひ、劇場で声なき声を見届けてほしい。
こんにちは。フォローありがとうございました。昨日、かばを視聴して、この映画の違和感の正体がはっきりわかったように思います。
ズバリ、周囲の大人の立ち位置です。
かばに出てくる先生たちは、子どもらを追っかけ回し、ドヤしあげもしますが、根底に寄り添いがあり、そのコミュニティの中にどんどん飛び込んでいきます。
それに対して、無聲では、唯一と言っていい、いじめに気づき全てを解明しようとする教師も出てきますが、彼とて、子どもたちのコミュニティの中には飛び込んでいきません。
この違いは、監督の立ち位置の違いなんだろうと思いました。
いくつかのレビューを拝読し、なるほどと思う部分が多くありました。私もフォローさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。
今晩は。
素晴らしきレビューですね。感服致しました。
今作を観て、バチカンの神父たちによる、幼き子供たちへの長年の愚かしき行為と隠蔽を描いたフランソワ・オゾン監督の「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」を思い出しました。
これからも宜しくお願い致します。