この世界に残されてのレビュー・感想・評価
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君は何を今、見つめているの?
2021.1.7
2021年初の映画鑑賞でUPLINK吉祥寺へ。
コロナ感染が拡大しているので家の前のバス停から吉祥寺駅へ、降車後何処にも寄らないで吉祥寺PARCO地下の劇場へ直行し、ハンガリー映画「この世界に残されて」を観る。
ハンガリーはユダヤ人が多く、ナチス・ドイツに殺された者が多い。その数56万人。そんな説明は無く映画は始まる。舞台は1948年のハンガリー、戦争を描くシーンは一切ない。主人公の独り身の42歳の婦人科医師アルドの腕に収容所で掘られたであろう囚人番号のタトゥーがあるのをさり気なく見せるカットがある位だ。映画が進むと彼の妻と二人の息子が亡くなっている事が判る。16歳の孤児クララも両親と妹を亡くしているが、彼女は両親の死を認めずアルドとの出会いを両親に手紙を書く。出す先の無いその手紙は引き出しにしまわれる。ナチスの迫害の記憶とソ連の弾圧下の生活の中で家族を失い傷ついた二人が寄り添う。クララは叔母の許しを得てアルドと同居を始めるのだが、・・。
静かに展開するストーリーと僅かに動くカメラ。時間の経過が明らかでないが、ある時から3年後、スターリンが亡くなった事がラジオで告げられる(1953年)。つまり、二人が出逢ってから5年が経過している。
アルドの悲しげな眼は何を見ていたのか。
そしてラスト、バスの中でのクララの笑顔で映画は終わる。クララの明るい眼は何を見ていたのだろうか。
2020ハンガリーアカデミー賞4部門受賞。2020米アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート候補。
何処にも寄らずに家に帰った。TVで今日の感染者が1591人であるのを告げていた。
ここにいない大切な人に
大戦後の生き残った人々、皆んな深い傷を持って生きている。生きていくだけで精一杯ではないけど、日々痛みを感じながら生きている。少女の言動には始め嫌な感じが漂う。うーん微妙なとこだなぁ。ハンガリーの歴史が分からないので、党とか話が出てきてまた物騒な流れになりあー辛い展開だー。その一線を超えては駄目よは守って終わったが、なかなか平和にはならなかったんだね。
静かな流れで
最後のシーンのアルドの表情の真意がはっきりわからず2回観た。
アルドとクララはとても相性が良かった。
男女のでもない親子のでもない、
人と人としての相性が時が過ぎるほどに
上手く深く噛み合っていた。
しかし、共産主義の動きに誤解され何をされるかわからない状況下では、離れるしか道は無かった。
お互い違うパートナーと暮らすしかなかった。
そこにスターリン亡き共産主義の予測される崩壊の兆し。
悔やむに悔やまれない、取り返しつかない、
アルドの苦悩の表情。
せっかくこの世に残されてしまった二人が、
元の家族に匹敵するぐらい馴染んで幸せに
暮らしていける道もあっただろうに、
先の事は予想できない故、
諦めてしまったアルドの後悔がひしひしと
伝わり、しかし、皆の前では笑顔。
また残された者同士での新たな家族がある。
人は独りでは生きていけない
42歳の寡黙な医師アルドの下に、16歳の少女クララが生理不順のため診察に訪れる。
伯母と二人暮らしの彼女はホロコーストの生き残りであり、父と母は今も強制収容所で生き延びているのだと信じようとしている。
妹を救うことの出来なかった罪悪感に苛まれる彼女は、他人と距離を置き、心を閉ざしているように見える。
しかし彼女はある日、アルドの部屋を自ら訪ねていく。
彼女の意図が分からぬまま部屋に招き入れるアルドに、ひとしきり今の境遇に対する不満を述べて彼の気を引こうとするクララ。
そして彼女は抱き締めて欲しいとアルドにせがむ。
クララは最初アルドの中に自分の父親の面影を求めていた。
そしてアルドもまたクララに対して特別な感情を抱くようになる。
自分ではクララの心の傷を癒せないと判断した彼女の伯母は、クララがアルドの部屋に泊まり込むのを許可する。
次第に二人の関係は他者から見れば危ういものに写るようになるのだが。
説明的な台詞や描写の少ない作品だが、とても繊細なタッチで物語は進んでいく。
アルドが孤児院に玩具を寄贈する場面があるが、それは彼がホロコーストで最愛の妻と子供たちを失ったことと関係しているらしい。
アルドのアルバムを見て、彼の境遇が自分と同じであることを知り、涙を流すクララの姿が印象に残る。
再婚はしないと語るアルドだが、おそらくクララに対しては年齢を越えた愛情を感じていたのだろう。
そしてクララもまたアルドを父親の代わり以上に想っていたのだろう。
しかし二人が結ばれることはない。
ロシアの支配下にあり、共産党が力を振るっている戦後のハンガリーでは、目立った行動を取れば逮捕される危険がある。
アルドが彼女を自然と遠ざけるように仕向けたのは、彼女を守るためだった。
アルドは新しい恋人を作り、またクララも同世代のボーイフレンドに惹かれるようになる。
時は過ぎ、お互いのパートナーと家庭を持つことになったアルドとクララは久しぶりに顔を合わせる。
するとラジオからはスターリンの死亡を知らせるニュースが流れる。
これで自由にどこへでも行けると喜ぶクララ。
しかし一瞬だけ苦悩の表情を浮かべるアルド。
もしかしたら彼の脳裏にはクララと自分が結ばれる未来が浮かんだのかもしれない。ロシアの支配さえなければ。
饒舌なクララに対して、アルドはほとんど表情を表には出さない。
それだけに彼の想いが最後に伝わってきて切ない気持ちになる。
直接的なホロコーストの描写はないものの、ホロコーストが人の心に残した傷の大きさを感じずにはいられない。
大きな起伏はなく淡々とドラマは進んでいくが、想像力を掻き立てられる場面が多く、観る人によって様々な形に受け取られる映画だと思った。
『シュベールの日曜日』をリスペクト
『独りが怖くとも娼婦じゃない。私も同じだ』
と言いながら、横に添い寝をする。
この言葉には深い意味があると思う。つまり、相手を娼婦にしてしまうのは、男の心にもそう言った気持ちがあるから。と語っている。弁解ではなく、毅然とした態度で添い寝している。その姿が正に純愛にみえる。
ぺぺと過ごす湖の辺りの森の中、
『シュベールの日曜日』をリスペクトしているんじゃないかなぁ。
そう思うと、三年後か。
ネタバレだよー。
アルドは偏向した。たから『ぺぺを怒らないで』そして、最後の言葉にそれは、かかっている。そして、同時に
その会話を聞けば、二人の本当の気持ちが分かる。
いささか、男目線な所はあるが、傑作だ。
トーマス・マンの『魔の山』は面白い。
愛のかたちは、本当にそれぞれ。
この映画は、所属する映画合評会の1月の課題映画だったのですが、思わぬ拾い物(…というと作品に失礼なのですが、実際、本当にそう思った)の一本でした。
時間が経っても鮮やかに心に広がる、映画で描かれた「愛の深さ」をこれからDVDやブルーレイ、配信などで見る人にも伝えたいと思い、時間差ですがレビューを残します。
主人公の二人は、10代の女性と40代の男性です。普通にある男女の恋愛感情だけでなく、親子のような慈愛、人間愛、同志愛、戦争による悲しい体験を分かち合うシンパシー、そのどれもを含む、簡単には形容し難い関係性で結ばれています。
そんな複雑極まる関係性を、抑制の効いた演出で、作り手の深い思いを満ちあふれさせて描いているところに、質の高い職人的手腕をひしひし感じます。
それ故、その思いは見る人の心にいろいろな角度と深度で刺さるのです。このような多層的な心の世界を描きながら、それでいて一本筋の通った、エモーショナルな感覚に溢れるという、独特な高いクオリティを持つ作品でした。
愛について饒舌な語り口を持つこの映画ですが、究極「愛のかたちは、本当にそれぞれ」。そして、その愛を語るこの映画を見た後は「言葉にするのがなかなか難しく、でも感じるところはたくさんある」。
素敵な映画体験を是非どうぞ。
宝石みたいに大切にしたい映画
本みたいに物語が閉じ込められていると感じた。
特にアルドという医者の男性に魅かれた。瞳を覗くと深くまで沈んで行けそうなそんな人だった。クララへの接し方からクララを思いやる気持ちがいつも伝わってくる、そういう所も好きだった。
親子のようなアルドとクララが恋愛感情へと移行しないようにアルドが精一杯コントロールしているように私には見えた。ちょっと苦しいんだけど優しくて大きな愛に包まれている。この映画に対してそんな感想を持った。
家族になろう(ハンガリー編)
人に聞いた話では、ハンガリー料理は悶絶するほど不味いらしい。なんて言う先入観があったもんだから「塩が足りないって言うレベルじゃ無いんちゃう?」などと。一人ツッコミ入れてたのは私です。
東欧作品の時間感覚や会話の間。ゆったりとした歩く速さのカメラの動きや照明の暗さ。などなどが、結構好き。「小津的」、なんて今時言うのは野暮過ぎるでしょうけども。
家族を失ってしまった、残留ユダヤ人達が、家族を再生して行く物語は、42歳の男性と16歳の少女の同居生活と言う、倫理観を疑わせる関係性を軸に展開して行きます。
アルドに父親の姿を求めるクララ。死んだ様に生きる孤独なアルド。共にナチの迫害から大切な家族を喪くした過去を持っていますが、直接的な描写が無いところも、特に大きな事件があるじゃ無しで平坦なストーリーなところも、ありきたりなユダヤ人ものと違ってて、個人的には好印象でした。
製作のモニカ・メーチは、ちょっとビターな歳の差恋愛ものの「心と体を」も手掛けた人。恋愛ものに安易に行かなかったところも良かった。
良かった。好き、結構。
傷ついた者同士が育む信頼関係は男女の愛になりえるのか
第二次世界大戦後のハンガリーが舞台。ナチスに虐殺されたハンガリーのユダヤ人もたくさんいるという状況を知っておかないと。そしてその後スターリンのソ連の影響下に入るということも。で、本作は生理不順で診察に来た少女と婦人科医師の物語。
共同生活をすることになった2人が、絆を深めていくのだが、その関係性がとっても危うい。周りが怪しむ気持ちもわからないではない。そしてお互いにとってかけがえのない存在になっていくという流れ。2人が一線を越えることはない。アルドは再婚相手を探し、クララは自分を好いてくれる若者を選んでいく。
あー、結局そうなったんだなと思ってたら、最後スターリンが死んだというニュースを聞いた2人の態度!共産党の厳しい監視から逃れるためにお互い違う相手とくっついた的な雰囲気を醸し出しながら穏やかに終わっていく。なんて終わり方。地味に美しい愛を描いていながらなかなか強烈な終わり方を見せてくれた。
ただし話に大きな展開がないので若干退屈なのは否めない。
傷ついた者同士がより添い、より良き未来を探す姿がゆるやかに描かれます。この世界の片隅 in ハンガリーの物語。
ユダヤ人がテーマのハンガリー映画。これは
たぶん観た記憶がないな~と思い鑑賞。
アルド。42才。ユダヤ人迫害で家族を失った男性医師。
クララ。16才。同じく両親と妹を失い大叔母と暮らす女性。
二人の出会いは、医師と患者。
アルドに感じた孤独の匂い。それが
自分と同じ匂いだと、共感が深まっていくクララ。
二人の関係を、最初は危ぶむ大叔母。
自分では埋められない父親の役割をアルドに託す。
アルドもまた、自分が役に立てるのならばと
共同の保護者役を引き受ける。
そして
年齢差を超えた愛憎劇の始まりか …と思いきや
そのような展開とはなりませんでした。 残念。 あ、いや…(汗)
◇
仮初めの家族から始まり
クララもアルドも、互いに人生のパートナーを見つけます。
そして、それぞれの相手を含めた家族の輪が、
次第に大きくなっていく。
そのステップをゆるやかに描いた物語です。
観終わって、どこかすっきりとした気分になれたかも
そんな気分になるお話でした。
◇
ハンガリー
名前は知っているけれど、 「どんな国?」 となると
実はあんまり知っておりません。
この作品の時代が1948年ということは
第二次世界大戦後。
ナチスによる支配の後に自由な国になったかというと
どうやらそういう訳でもなく、
次にハンガリーを支配したのがソビエト。 う~む
一難去ってまた一難…。 なのでしょうね
この国の歴史をもっと知ってから
この作品を観ると、理解がもっと深くなる
そんな気がしました。
あ、ハンガリーといえば
「ハンガリー舞曲」
この曲は聞いたことあるかも。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
【”婦人科の先生はお父さんと同じ匂いがした・・” 孤独な心を抱えた男と少女の関係性の変遷を、静謐で抑制したトーンで描いた作品。二人の表情が、徐々に変化していく様に魅入られた作品でもある。】
ー劇中、舞台は明確に説明されないが、ナチスドイツは滅び、代わりにスターリン率いるソビエト連邦が支配していた、ハンガリーである事は、容易に分かる・・。-
■印象的なシーン
1.クララが、父母と妹を亡くし、(彼女は父母は収容所にいる・・、と信じているが・・)トラウマ故に、学校でも、預けられたオルギおばさんにも、反抗的な態度を取っている序盤のシーン。
16歳になっても初潮が来ないクララを心配したオルギおばさんが、無表情な中年の婦人科の医師アルド(カーロイ・ハイデュク)に診療を受けさせるシーン。
- 画面では、描かれないがクララがそれまで、過酷な人生を送って来た事が仄かに分かる。それは、アルドも同じであるようだ・・。
それまで、反抗的な態度を取って来たクララが、”別人のように”アルドの腰に抱き着き、暫く目を閉じているシーン。アルドも、その行為を黙って受け入れる・・。
二人が、深い哀しみを抱えている事が分かる。少し、涙する・・。-
2.その行為を見てしまった、オルギおばさんに怒られたと、クララが雨の日にアルドのアパートメントにやって来るシーン。
アルドは、彼女を追い返さずに、オルギおばさんに居所位は知らせようと電話をする。
そして、クララに風呂に入るように勧める。クララは”おばさんはお風呂なんて、贅沢だと言っていたけれど・・”と言いながらも、嬉しそうに湯舟に浸かる。幸せな気分の中、いつの間にか、一緒にニコニコ笑っている可愛らしい、妹も風呂に浸かっている・・。
そして、クララが、アルドの寝るベッドに、寄り添うように入って来るが、アルドは拒否することもなく、しかし、抱きしめる事もなく、眠る。
- この、二人の心持が、画面から伝わって来て、少し、涙する・・。-
3.クララは、アルドと住む中で、髭を剃るアルドが優しき父に見えたり、優しき母の姿も思い出す。
- クララ、漸く、心が休まる場を見つけたのだね。だから、今まで”封印していた優しき父母、妹の姿が自然と思い出されるようになれたのだね・・。-
4.アルドもある日、クララに”アルバムを見れば、私の事が分かるよ・・。私は、君みたいに勇気がないから見れないけれど・・。”と寂しそうに笑いながら、診療所に出掛ける。
そして、クララがアルドのアルバムをめくると、そこには彼が愛した美しき妻、可愛らしい子供たちと共に”笑顔”で映るアルドの姿があった・・。
クララの眼からは、大粒の涙が・・。
- このシーンは、参った。アルドが寂しげで、無表情である理由が直ぐに分かるし、クララも、アルドは自分と同じ”孤独な人なのだ。だから、私に優しいのだ‥”と言う事を涙と共に理解した事が分かるからだ。
5.ある日、アルドの診察 ー胸の触診ー を受けていた女性が、アルドの手に涙を一粒、落とすシーン。驚いたアルドに女性が言った一言。”久しぶりの感触だったから・・”
- このワンシーンも、印象に残った。この女性の哀しき過去が、直ぐに分かるショットである。-
6.アルドが、吹っ切れたように明るくなったクララが、学校のダンスパーティに出掛けるシーンで”口紅が濃すぎないか・・”と言ったり、迎えにいった時、クララにご執心だったぺぺに”あのチビが・・”と言ったり、すっかり、クララのお父さんのような態度になっている事も微笑ましい。
- けれど、クララはアルドへの想いが”微妙”に違うようだなあ・・。この辺りの抑制したトーンでの描き方が、とても良い。その後も、アルドの誕生日にケーキでお祝いをする、クララとオルギおばさん。二人を両脇に抱え、嬉しそうに笑う、アルド。
それまで、孤独を抱えていた三人の距離が近くなった事を示す、良いシーンである。-
7.アルドは、診察を受けた女性、エルジに電話をかけ、デートに誘う。二人は、且つてアルドがクララを連れて行った喫茶店にエルジを連れていき・・。
- この場面での、クララの時もそうだったが、笑顔を一切見せない、慇懃なウェイターが、絶妙にオカシイ。(あんた、若い娘からイロイロ連れてくるね・・、と思っているように見えてしまったのだよ)
楽しそうな、アルドとエルジの姿も良い。-
8.ある晩、アルドのアパートメントの前に車が止まり、男達の声が・・。アルドは、逃げる準備をするが、彼らは別の部屋の住人を・・。クララは、心配から喜びの余り、アルドの首筋に何度も、キスをする。アルドは、クララをソファに寝かせる・・。
そして、翌朝、クララに”今晩、女性を連れてくる・・”と告げる。泣きながら、オルギおばさんの家へ、戻るクララ。
- アルドが、クララと距離を置かなければ・・、と言う想いと、クララのアルドへの想い・・。ー
9.クララにご執心だったペペに対して、彼女が、徐々に心を開いていくシーン。
◆そして、3年が過ぎ・・
・クララは美しい女性に育ち、その脇にはペペが・・。アルドの脇には、笑っている、エルジがいる。少し老けたが、元気そうなオルギおばさんがいる。
その風景をじっと見ていた、アルドは・・。”いつものように”感情を隠すためにそっと、小部屋に入る。
- この時の、アルドの涙を必死に堪える”眼” ー
・それは、”皆が抱えていた哀しみが解放された事”に対するものなのか、
・笑顔の無かったクララが美しい女性に育ち、笑顔を浮かべている事に対する”父親”としての想いなのか、
・スターリン死亡のラジオ放送が流れ、喜ぶペペの姿なのか、それとも、スターリン亡き後のソビエト連邦が、自分が住むハンガリーに、どのように接してくるかという不安なのか・・
私は、彼のあの”眼”は、上記全てを包含した思いが去来した中での、涙を堪える目になったのであろう・・、と解釈した。
そして、オルギおばさんが口にした、”乾杯のセリフ”が、又、沁みた・・。
<人は、どんなに哀しい経験をして、愛する人を失っても、独りでは生きられない生き物なのだろう。
けれど、その哀しみを乗り越えるために、同じ哀しみを抱えた人たちが、不思議な糸で結ばれ、仄かな未来が見えてくるラストが、とても印象的な作品である。>
■蛇足
・クララを演じた、アビゲール・セーケと、アルドを演じたカーロイ・ハイデュクの抑制した演技が素晴しかった作品でもある。
(恥ずかしながら、お二人とも初見である・・・。)
・純粋なハンガリー映画は、「心と体と」以来であるが、ハンガリー映画は、私の嗜好に合うのであろうか・・。
26歳差は今では全然ありかと でも70年前だからね~
クララの成長に合わせた容姿の変化が秀逸で、本当に16歳から22歳になるまで待って撮ったのでは?と思ってしまいました。最後のほうは、とても美しかったです。最初のほうは体重を減らして、だんだん増やしたりしたのではと思います。
産婦人科医のアルドはふたりの息子と妻をホロコーストで失い、本当に無表情。ちょっと小日向文世をくそ真面目にした感じで、やらしさは全くなしでした。
クララは生理がこないのを心配した大叔母のオルギに連れて来られます。アルドが「お母さんも生理不順だったかな」というと、クララは「だった」に過剰反応し、「だった?お母さんは死んでない」と。クララは引きとった叔母や学校に馴染めない。というより、孤児であることを受け入れられないので、現実の生活にも自分から馴染もうとしない。頭がいいのですが、わざと反抗的な言動をとるので、おばさんは手をやき、学校では札付き扱い。読書が好きで、語学堪能。アルドにドイツ語の医学雑誌を翻訳してあげるほど。突っ張っているかとおもえば、人懐こいクララをもて余すアルドですが、寂しいもの同士、引き合ってゆきます。
16歳のクララと42歳のアルドは叔母の許可のもと、同居生活をはじめます。
ある日、熱を出したクララの往診をアルドは知り合いの小児科医に頼むのですが、年頃のお嬢さんに気を使う小児科医が背中から聴診器を当てる際にも、「アルドはあっち向いてて」というクララ。子供っぽいセリフですが、完全にアルドだけ別扱いなのが、かわいい。
そんなこんなで、少女と独身医師は周りから怪しまれ、誤解されます。
ソビエトの支配下にあるハンガリー🇭🇺では当局に突然連れ去られる者もいて、事あるごとに、電話線を抜いたり、机の引き出しに電話を隠してして、当局が盗聴するのを警戒する場面が何回かあります。隣人や学校からの通報でアルドが捕まらないか?ヒヤヒヤします。アルドには再婚のお世話をする人もいたり、未亡人の患者と急接近したりするかと思わされたりして、クララもアルドは私がいるから再婚しないのとアイロンがけをしながら聞いたりします。もう立派な奥さん気取り。お年頃になったクララは度々、ダンスホールに入り浸り、若い恋人が出来ます。でも、アルドが未亡人の患者が今夜家に来ると言うと、すごく動揺し、ショックを受けて、今夜は叔母さんのいえに泊まると言い、支度して出て行きます。未亡人はアルドに相談があるだけなのに。アルドは心を打ち明けません。しかし、スターリンが死んだ日に、クララの叔母やクララの恋人、病院の看護師たちとクララの叔母の家でささやかなパーティーをするのですが、アルドがバスルームに行ってしばらく戻ってこない場面があります。クララと恋人のペペ?はアメリカに渡り、事業を起こして一山当てようと話したりしたあとです。
映画を見る前は26歳違いね。ちょうどいいかもなんて思っていたので、こちらもアルドと同じ気持ちになってしまいました。優しい、ゆったりした、繊細な映画で、とても良かったですよ。
繊細で切ない想い
その年頃の少女特有の少し拗ねたような言葉遣いや態度、ふと見せる大人びた表情や仕草、大人へと成長していく少女を、初々しく艶やかな魅力でアビゲール・セーケが主人公クララを演じていた。
医師アルド役をカーロイ・ハイデュクが、優しさ故揺れる二人の心情を、穏やかで繊細に演じていた。
美しく透明感溢れた映像と、ラストの頬を伝う涙がいい。
映画館での鑑賞
曖昧な境界線
クララとアルドとの間にある曖昧な境界線が、丁寧に描かれており、それが切なかった。親と子のように大切に思いながらも、同時にお互い異性としての感情が入り混じってしまう。機械のようにハッキリとは区別できない、人間味がある感情の揺れ動き。
アルドに「口紅が濃いんじゃないか?」と言われた後、家を出てからこっそり唇を拭うクララがとても印象的でした。
共鳴できず…
戦争孤児となった主人公の少女クララが、通院する婦人科の医師アルドに父親の存在と重ね想いを抱き親代わりとなっている叔母を通して生活を共にしていく。
アルドは寡黙でお堅い人のように見えたが生活を共にしていくうちにアルド自身も妻子を失いクララ同様心に大きな傷を負っていく事に気づき共鳴していく。
互いに大きな傷を負い互いに慰め合おうとするが年齢差から一線は越えられない関係にどうしても壁を感じ合う。
最終的にクララはアルドに恋をするが、アルドは最後まで壁を作り発展する事はなく、クララは最後は同級生と結婚し作品は終わる。
クララとアルドの心理描写がメインとなる作品でドラマチックな作品ではないため合わないと非常に眠気を誘われる。
個人的にはあまり2人の掛け合いに心奪われる事なく、共鳴できず淡々と作品を見る事しか出来なかった為退屈ではあった。
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