この世界に残されてのレビュー・感想・評価
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わたしたちは塩素か?
3ヵ国語を使いこなすほど頭のいい少女クララ。しかし、学校ではそれが災いして落第する可能性もある。婦人科の医師アルドと知り合い、やがて父のような存在に変化して、最初は突き返そうとするアルドにも人と一緒じゃなければ生きていけないと感じるようになる。
ナチによるホロコーストや、戦後旧ソ連による鬱屈した様子はほとんど描かれないが、クララとアルドの表情や行間の意味を反芻することで心の痛みが伝わってくる。特に診察を受けていた頃のクララの目の下のクマ、アルドが次第に笑みを浮かべるようになっていく顔の変化が絶妙だった。また、おばさんのところに帰りなさいと言いつつも小さなベッドで寄り添う二人の光景が印象に残る。
「ひとりが怖いと娼婦なの?」などと、家族を失った少女の気持ち。16歳の少女と42歳の男なのだから男女の仲になってもおかしくない、そんな微妙な揺れもどこかにあったに違いない。抱擁、膝枕など、他人の目からはいかがわしく思われるのだ。そしてクララにとってはダンスパーティで知り合った青年ペペの存在、アルドにとっての美しい患者の存在も彼らの微妙な心に影響を与えていく・・・
彼らが塩素なら家族は水素。そして奪っていった者が酸素・・・そう思っていたけど、新たなパートナーが酸素だったのか?あっという間の3年後という結末はちょっと拍子抜けしてしまい、普通にそれぞれの新しい家族を築いていくことなんだろうけど、もう少しヤマ場があれば訴えてくるものがあったのになぁ。。
傷ついた者同士が育む信頼関係は男女の愛になりえるのか
第二次世界大戦後のハンガリーが舞台。ナチスに虐殺されたハンガリーのユダヤ人もたくさんいるという状況を知っておかないと。そしてその後スターリンのソ連の影響下に入るということも。で、本作は生理不順で診察に来た少女と婦人科医師の物語。
共同生活をすることになった2人が、絆を深めていくのだが、その関係性がとっても危うい。周りが怪しむ気持ちもわからないではない。そしてお互いにとってかけがえのない存在になっていくという流れ。2人が一線を越えることはない。アルドは再婚相手を探し、クララは自分を好いてくれる若者を選んでいく。
あー、結局そうなったんだなと思ってたら、最後スターリンが死んだというニュースを聞いた2人の態度!共産党の厳しい監視から逃れるためにお互い違う相手とくっついた的な雰囲気を醸し出しながら穏やかに終わっていく。なんて終わり方。地味に美しい愛を描いていながらなかなか強烈な終わり方を見せてくれた。
ただし話に大きな展開がないので若干退屈なのは否めない。
え、これで終わり?少し唐突感があります。この後に起きる歴史上の不幸な事件の前日譚と思えばいいのでしょうか。
1948~50年、53年の東欧ハンガリーを舞台とした作品です。
見終わったあとの感想としては、正直これで映画を終わるの?という印象です。
ナチスドイツのホロコーストを生き残った42歳の中年男性医師と16歳の少女が出会い、惹かれあい、一緒に暮らしていくが、ソ連の影響が身に迫って・・・というお話。
色々な方向に話を導くことができる素材ではありますが、映画の中では結末は大したこと起こらず家族構成に変化はありますが、ごくありふれた平和な姿で終わります。
旧ソ連の影響力が強くなっていくなかで人々の暮らしを淡々と描いた作品なのでしょうか?
歴史において、1953年に旧ソ連のスターリンが死んだあと、1956年にハンガリー動乱と呼ばれる反ソ連運動が起きますが、武力鎮圧されています。
反ソ連の家族の描写もありましたが、この不幸な事件の前日譚と思えばよいのしょうか?
(自分は世界史でチョッとだけ習った程度で詳しくないので、作品の背景を理解しきれていない部分があると思いますが・・)
こんな映画が観たかった
こんな映画が観たかった。
好みの問題かもしれないけど、ずっと観ていたい、映画の世界に没入していたいと思わせる映画でした。
時代背景と、当時のハンガリーとソ連の関係など歴史の知識がないと少し理解できない部分もあるかもしれないけど、それでもよかった。
特に派手なシーンがあるわけではないけれど、産婦人科医アルド(カーロイ・ハイデュク)の渋い演技、クララ(アビゲール・セーケ)が後半になるほど美しくなっていく。
この二人の愛は親子の感情?異性としての愛情?
抱擁するシーン 膝枕のシーン
この心の揺らぎは切なさだと思う。
卓越した心理描写、俳優さんの何気ない演技、丁寧に作られた作品だとつくづく思う。
もう一度観てみたいと思える数少ない映画でした。 映画館で観れて幸せでした。
傷ついた者同士がより添い、より良き未来を探す姿がゆるやかに描かれます。この世界の片隅 in ハンガリーの物語。
ユダヤ人がテーマのハンガリー映画。これは
たぶん観た記憶がないな~と思い鑑賞。
アルド。42才。ユダヤ人迫害で家族を失った男性医師。
クララ。16才。同じく両親と妹を失い大叔母と暮らす女性。
二人の出会いは、医師と患者。
アルドに感じた孤独の匂い。それが
自分と同じ匂いだと、共感が深まっていくクララ。
二人の関係を、最初は危ぶむ大叔母。
自分では埋められない父親の役割をアルドに託す。
アルドもまた、自分が役に立てるのならばと
共同の保護者役を引き受ける。
そして
年齢差を超えた愛憎劇の始まりか …と思いきや
そのような展開とはなりませんでした。 残念。 あ、いや…(汗)
◇
仮初めの家族から始まり
クララもアルドも、互いに人生のパートナーを見つけます。
そして、それぞれの相手を含めた家族の輪が、
次第に大きくなっていく。
そのステップをゆるやかに描いた物語です。
観終わって、どこかすっきりとした気分になれたかも
そんな気分になるお話でした。
◇
ハンガリー
名前は知っているけれど、 「どんな国?」 となると
実はあんまり知っておりません。
この作品の時代が1948年ということは
第二次世界大戦後。
ナチスによる支配の後に自由な国になったかというと
どうやらそういう訳でもなく、
次にハンガリーを支配したのがソビエト。 う~む
一難去ってまた一難…。 なのでしょうね
この国の歴史をもっと知ってから
この作品を観ると、理解がもっと深くなる
そんな気がしました。
あ、ハンガリーといえば
「ハンガリー舞曲」
この曲は聞いたことあるかも。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
【”婦人科の先生はお父さんと同じ匂いがした・・” 孤独な心を抱えた男と少女の関係性の変遷を、静謐で抑制したトーンで描いた作品。二人の表情が、徐々に変化していく様に魅入られた作品でもある。】
ー劇中、舞台は明確に説明されないが、ナチスドイツは滅び、代わりにスターリン率いるソビエト連邦が支配していた、ハンガリーである事は、容易に分かる・・。-
■印象的なシーン
1.クララが、父母と妹を亡くし、(彼女は父母は収容所にいる・・、と信じているが・・)トラウマ故に、学校でも、預けられたオルギおばさんにも、反抗的な態度を取っている序盤のシーン。
16歳になっても初潮が来ないクララを心配したオルギおばさんが、無表情な中年の婦人科の医師アルド(カーロイ・ハイデュク)に診療を受けさせるシーン。
- 画面では、描かれないがクララがそれまで、過酷な人生を送って来た事が仄かに分かる。それは、アルドも同じであるようだ・・。
それまで、反抗的な態度を取って来たクララが、”別人のように”アルドの腰に抱き着き、暫く目を閉じているシーン。アルドも、その行為を黙って受け入れる・・。
二人が、深い哀しみを抱えている事が分かる。少し、涙する・・。-
2.その行為を見てしまった、オルギおばさんに怒られたと、クララが雨の日にアルドのアパートメントにやって来るシーン。
アルドは、彼女を追い返さずに、オルギおばさんに居所位は知らせようと電話をする。
そして、クララに風呂に入るように勧める。クララは”おばさんはお風呂なんて、贅沢だと言っていたけれど・・”と言いながらも、嬉しそうに湯舟に浸かる。幸せな気分の中、いつの間にか、一緒にニコニコ笑っている可愛らしい、妹も風呂に浸かっている・・。
そして、クララが、アルドの寝るベッドに、寄り添うように入って来るが、アルドは拒否することもなく、しかし、抱きしめる事もなく、眠る。
- この、二人の心持が、画面から伝わって来て、少し、涙する・・。-
3.クララは、アルドと住む中で、髭を剃るアルドが優しき父に見えたり、優しき母の姿も思い出す。
- クララ、漸く、心が休まる場を見つけたのだね。だから、今まで”封印していた優しき父母、妹の姿が自然と思い出されるようになれたのだね・・。-
4.アルドもある日、クララに”アルバムを見れば、私の事が分かるよ・・。私は、君みたいに勇気がないから見れないけれど・・。”と寂しそうに笑いながら、診療所に出掛ける。
そして、クララがアルドのアルバムをめくると、そこには彼が愛した美しき妻、可愛らしい子供たちと共に”笑顔”で映るアルドの姿があった・・。
クララの眼からは、大粒の涙が・・。
- このシーンは、参った。アルドが寂しげで、無表情である理由が直ぐに分かるし、クララも、アルドは自分と同じ”孤独な人なのだ。だから、私に優しいのだ‥”と言う事を涙と共に理解した事が分かるからだ。
5.ある日、アルドの診察 ー胸の触診ー を受けていた女性が、アルドの手に涙を一粒、落とすシーン。驚いたアルドに女性が言った一言。”久しぶりの感触だったから・・”
- このワンシーンも、印象に残った。この女性の哀しき過去が、直ぐに分かるショットである。-
6.アルドが、吹っ切れたように明るくなったクララが、学校のダンスパーティに出掛けるシーンで”口紅が濃すぎないか・・”と言ったり、迎えにいった時、クララにご執心だったぺぺに”あのチビが・・”と言ったり、すっかり、クララのお父さんのような態度になっている事も微笑ましい。
- けれど、クララはアルドへの想いが”微妙”に違うようだなあ・・。この辺りの抑制したトーンでの描き方が、とても良い。その後も、アルドの誕生日にケーキでお祝いをする、クララとオルギおばさん。二人を両脇に抱え、嬉しそうに笑う、アルド。
それまで、孤独を抱えていた三人の距離が近くなった事を示す、良いシーンである。-
7.アルドは、診察を受けた女性、エルジに電話をかけ、デートに誘う。二人は、且つてアルドがクララを連れて行った喫茶店にエルジを連れていき・・。
- この場面での、クララの時もそうだったが、笑顔を一切見せない、慇懃なウェイターが、絶妙にオカシイ。(あんた、若い娘からイロイロ連れてくるね・・、と思っているように見えてしまったのだよ)
楽しそうな、アルドとエルジの姿も良い。-
8.ある晩、アルドのアパートメントの前に車が止まり、男達の声が・・。アルドは、逃げる準備をするが、彼らは別の部屋の住人を・・。クララは、心配から喜びの余り、アルドの首筋に何度も、キスをする。アルドは、クララをソファに寝かせる・・。
そして、翌朝、クララに”今晩、女性を連れてくる・・”と告げる。泣きながら、オルギおばさんの家へ、戻るクララ。
- アルドが、クララと距離を置かなければ・・、と言う想いと、クララのアルドへの想い・・。ー
9.クララにご執心だったペペに対して、彼女が、徐々に心を開いていくシーン。
◆そして、3年が過ぎ・・
・クララは美しい女性に育ち、その脇にはペペが・・。アルドの脇には、笑っている、エルジがいる。少し老けたが、元気そうなオルギおばさんがいる。
その風景をじっと見ていた、アルドは・・。”いつものように”感情を隠すためにそっと、小部屋に入る。
- この時の、アルドの涙を必死に堪える”眼” ー
・それは、”皆が抱えていた哀しみが解放された事”に対するものなのか、
・笑顔の無かったクララが美しい女性に育ち、笑顔を浮かべている事に対する”父親”としての想いなのか、
・スターリン死亡のラジオ放送が流れ、喜ぶペペの姿なのか、それとも、スターリン亡き後のソビエト連邦が、自分が住むハンガリーに、どのように接してくるかという不安なのか・・
私は、彼のあの”眼”は、上記全てを包含した思いが去来した中での、涙を堪える目になったのであろう・・、と解釈した。
そして、オルギおばさんが口にした、”乾杯のセリフ”が、又、沁みた・・。
<人は、どんなに哀しい経験をして、愛する人を失っても、独りでは生きられない生き物なのだろう。
けれど、その哀しみを乗り越えるために、同じ哀しみを抱えた人たちが、不思議な糸で結ばれ、仄かな未来が見えてくるラストが、とても印象的な作品である。>
■蛇足
・クララを演じた、アビゲール・セーケと、アルドを演じたカーロイ・ハイデュクの抑制した演技が素晴しかった作品でもある。
(恥ずかしながら、お二人とも初見である・・・。)
・純粋なハンガリー映画は、「心と体と」以来であるが、ハンガリー映画は、私の嗜好に合うのであろうか・・。
ラブとライクの狭間
1948年のハンガリーを舞台に両親をホロコーストで亡くした16歳の少女と妻子をやはりホロコーストで失った42歳の婦人科医師の二人が、心を通わせながらお互いの痛みを癒していくプロセスを、ソ連による弾圧を背景に描いたヒューマンドラマ。
にしても主人公は16歳設定なのに、大人過ぎる。調べたら当時は21歳であったと思われる。もう少しなんとかならんかったものか。
内容的には脚本が悪いのか、どうも、ぼやけた感じというか、すっきりしない展開である。少女クララは性格的に難あり設定なので感情移入しにくいし、医師アルドは無感情。展開的にも単に何が起こるわけでもなく単なる日常を描いている。ラストは3年後を描いているのだが、ここもスッキリせずに終わる。期待値が高かっただけにイマイチ残念な作品であった。
ミニマムに、静謐に、機微を描く
一言で、いい映画を観たなという感想。88分という短い上映時間。余計な説明もなく、省略と時間経過のスキップで、静かに16歳の少女と42歳の産婦人科医の機微を描いている。トラウマを抱え込む二人の関係が、恋愛でも父と娘の関係でもない、微妙で繊細な依存関係であるところがいい。42歳の産婦人科医アルドを演じる主演男優カーロイ・ハイデュクの顔がいい。期待と不安の空気が描かれるエンディングも素晴らしい。ハンガリー映画の秀作。
ハンガリー事情に詳しくなくとも
少女の寂しさからくる強がりや、医師の辛い過去を匂わせる静寂。
些細なやりとりや、言葉の端々に感じる優しさで、心の内が充分に伝わってくる表現だった。
親子なのか親友なのか、学ぶ事を謳歌し楽しそうに過ごす少女を見守る医師、近すぎる距離感をコントロールしなければならない状況に胸が熱くなる。
少女の強かさと言うべきだろうか、結末は拍子抜けだったが、前向きで清々しい気分になった。
親と子から男と女へ
共にホロコーストで家族を失った少女クララと医師アルドが、支え合いながら新たな家族となっていく。
倍以上違う年齢差を超えて〝親と子〟から次第に〝男と女〟に変化していく様子が見て取れ、2人の心の葛藤やラストの物憂げな結末は何とも切ない。
台詞ではない、表情や仕草で語る抑え目な演出で、若干〝説明が足りない〟と捉える向きもあるかもしれないが、余韻たっぷりの良作だった。
複雑な距離感
6本目。
ドイツ映画?いや違う。
ロシア映画でもない、ハンガリーかあ。
ウサギがいつ出るんだろうと思ったら、そうだあれは別の作品。
結末が読めなかったけど収まる所に収まったとは思うけど2人の距離感を考えると何か複雑な気分になってしまう。
いやでも、それで良かったんだよと言い聞かせてる。
とは言え、いい作品であるのは間違いないと思う。
静かで優しい鎮魂歌と再生の哀しみ
ホロコーストでそれぞれの家族を失った中年医師と少女の奇妙な共同生活が、やがて互いを思いやり、やがてそれぞれの道を歩み始めるまでの数年間を、大げさな演出なしに細やかな感情の動きを静かに綴った大人向きの映画。二人がお互いを思いながら道を外れない生活に死者への敬意も感じられる。ヒトラー支配の後に共産主義に移っていく国家体制の影も、大事な話は盗聴されないように話すことなど生活のディテールで間接的に示される。過去の悲しみを越えた先にもまた哀しみがあることも語っているところが共感できる。
極限の世界を経験したからこそ
人と人ただいるだけで良い、という関係が二人の関係だ。
この二人には、周りの人が状況がリアルじゃないように写っている。特に最初の方。彼女は父と母のことを過去形で話すことを拒否する。まだ帰ってこないだけ…と。妹が目の前で死んでいったことより大事なことがないと、思っている。誰にも彼女のきずは見えない。
彼は喪失の大きさに圧倒され、意味なく毎日生き残ることを強いられているよう。
最後はほんの少し、明るく終わりほっとした。
・・にもかかわらず、人は生きることができる。
大切に思うからこその距離感
ひとの感情の移ろいやすさ
そして正しさとはなんなんだろうね
おそらくふたりの関係は尊敬にも似たような感情もあったのだろう
意外な思考能力を見せたことにより「数学の成績は?」と尋ねるアルド
そして周りのひとたちと違ったものをアルドに見出すクララ
娼婦ではない
倫理観はある
クララから感じるのはアルドに対する信頼
父性を見ているがそれ以上の感情があるのかは判らない
外部からの様々な視線や社会的な規律からくる抑圧などもあるが、アルドから感じるのは自分自身への正しさに対する問いかけ
最後の「嘘はずっとついている」、がこころに残る
誰しも生きていくうえで様々な仮面を被っているよね
ここにいない大切な人たちへ
毒舌を吐く16歳の少女の、傷ついた心にいち早く気付き、自身の傷と重ね合わせていく産婦人科医のアルド。
この映画を、年の離れた男女の恋ととらえることもできるだろうが、そんなに単純ではない。
なぜ、自分を追い求めるのか。
少女クララの心が解けていくに従い、アルドはクララに対してリスペクトすら感じるのだ。
守っているつもりの大人が、実は子どもに助けられている。
クララが変化するにつれ、周りの大人も変わっていく。
クララは感情を失くしたアルドの心に気づいていたから。
ほかの大人とは違う、何かを感じたに違いない。
ホロコーストを生き抜き、戦後になってもその傷が癒えない人たちが、新たに家族を作っていくストーリー。
もう一つの側面、アルドとクララの気持ちの揺れ。最後に大人の決断をしたアルドの心の強さが素晴らしい。
父の面影を重ねて、恋と勘違いをする年齢の少女を、心の友として大切に扱うことの難しさ。
心の機微が、アルドの視線、クララの言葉で切ないくらいに表れていて、秀作ですね。
年明け一番が、この映画でよかった。
26歳差は今では全然ありかと でも70年前だからね~
クララの成長に合わせた容姿の変化が秀逸で、本当に16歳から22歳になるまで待って撮ったのでは?と思ってしまいました。最後のほうは、とても美しかったです。最初のほうは体重を減らして、だんだん増やしたりしたのではと思います。
産婦人科医のアルドはふたりの息子と妻をホロコーストで失い、本当に無表情。ちょっと小日向文世をくそ真面目にした感じで、やらしさは全くなしでした。
クララは生理がこないのを心配した大叔母のオルギに連れて来られます。アルドが「お母さんも生理不順だったかな」というと、クララは「だった」に過剰反応し、「だった?お母さんは死んでない」と。クララは引きとった叔母や学校に馴染めない。というより、孤児であることを受け入れられないので、現実の生活にも自分から馴染もうとしない。頭がいいのですが、わざと反抗的な言動をとるので、おばさんは手をやき、学校では札付き扱い。読書が好きで、語学堪能。アルドにドイツ語の医学雑誌を翻訳してあげるほど。突っ張っているかとおもえば、人懐こいクララをもて余すアルドですが、寂しいもの同士、引き合ってゆきます。
16歳のクララと42歳のアルドは叔母の許可のもと、同居生活をはじめます。
ある日、熱を出したクララの往診をアルドは知り合いの小児科医に頼むのですが、年頃のお嬢さんに気を使う小児科医が背中から聴診器を当てる際にも、「アルドはあっち向いてて」というクララ。子供っぽいセリフですが、完全にアルドだけ別扱いなのが、かわいい。
そんなこんなで、少女と独身医師は周りから怪しまれ、誤解されます。
ソビエトの支配下にあるハンガリー🇭🇺では当局に突然連れ去られる者もいて、事あるごとに、電話線を抜いたり、机の引き出しに電話を隠してして、当局が盗聴するのを警戒する場面が何回かあります。隣人や学校からの通報でアルドが捕まらないか?ヒヤヒヤします。アルドには再婚のお世話をする人もいたり、未亡人の患者と急接近したりするかと思わされたりして、クララもアルドは私がいるから再婚しないのとアイロンがけをしながら聞いたりします。もう立派な奥さん気取り。お年頃になったクララは度々、ダンスホールに入り浸り、若い恋人が出来ます。でも、アルドが未亡人の患者が今夜家に来ると言うと、すごく動揺し、ショックを受けて、今夜は叔母さんのいえに泊まると言い、支度して出て行きます。未亡人はアルドに相談があるだけなのに。アルドは心を打ち明けません。しかし、スターリンが死んだ日に、クララの叔母やクララの恋人、病院の看護師たちとクララの叔母の家でささやかなパーティーをするのですが、アルドがバスルームに行ってしばらく戻ってこない場面があります。クララと恋人のペペ?はアメリカに渡り、事業を起こして一山当てようと話したりしたあとです。
映画を見る前は26歳違いね。ちょうどいいかもなんて思っていたので、こちらもアルドと同じ気持ちになってしまいました。優しい、ゆったりした、繊細な映画で、とても良かったですよ。
寄り添い、慰め合い、明日へ。
戦争や虐殺などの悲しい出来事の生き残ってる方々のお話。
スターリンの圧政が続く中、生きた心地もしない上に、大事な家族を
奪われているという事実を抱えて生きていかねばならない。
経験はもちろんないですが、心を平穏にするためにはどれだけの苦労が
あったのか?と思います。
アルド然りですが、なんらかの経験を経て、平静(を装っている?)な日々を
過ごせるようになったのでしょう。
そして、里親の描写も出てきます。さらに子供を守るために自らの大切な物を
奪ったであろう「党側」に入るという選択をするという描写も。
当時の方々は毎日毎日心が千切れるような思いをしていたんだろうなぁと想像します。
その中、主人公2人アルドとクララが出会うわけです。
子供の成長には親は必要なんだなぁ、血の繋がり云々ではなく。。。と痛感。
アルドと時間をともにしていく中、クララに人間味・・・年相応の多感な女の子になっていく様
その彼女を心配だけど包み込むような眼差しで見守るアルド。
癒し、癒されお互いが失った時間を取り戻していくかのような描写を優しく優しく描いていきます。
どんどん、自分じゃない誰かを想う、案ずる、愛おしむ・・・そんな人間味を取り戻していく描写が
心にじぃぃぃんときます。
そして、あぁ、そうなるよな。致し方ないよな。
きっかけがあれば、そーなっちゃうよな。
この展開はみる人によって感想は変わると思います。
しかし僕はこれでよかったと思ってます。
外力でどーのこーのではなく、当人同士の判断でこうなったことががよかったと。
ラストは、3年後が描かれます。
皆幸せそう。よかったよかった。・・・・しかし。アルドの視線はなぜか寂しそうなんだよな。
心配とは違う、自身の選択を後悔しているかのような、未練のような。
そしてクララに「僕は嘘をつく」と言う。
なぜ?言ったのか?彼なりの知っておいてほしいと言う気持ちの表れか?
もしくは自分の気持ちに今更気づいたか????
クララの世代はスターリン後の新世代を生きる。
後悔、未練のように見えるスターリン時代のアルドの眼差しに対し
ラストのクララの眼差し、は未来を見る世代の象徴なのかもしれない。
忘れてはいけないのはクララの笑顔もこの眼差しも、アルドとの生活の上にあるもの。
あぁ・・・辛い涙。
もう独りにはなりたくない
第二次世界大戦後のハンガリーにて、ホロコーストを生き残った16歳の少女と、40歳過ぎの婦人科医の二人が、それぞれに傷を抱え寄り添う物語。
上映時間は80分強。状況説明等あまり多くは語られず、心に影がある二人の交流が初っ端から描かれていく。
あなたは噓つきか嘘つきでないかといった公務員試験問題みたいなやり取りの後、抱える孤独感を素直に表すクララ。言葉数は少なく、感情が読み取りにくいアルドだが、クララを終始優しく包み込んでいる。
亡くなった父親の姿をアルドに重ねるクララ。
パーティーからの帰りが遅くなるクララを心配するアルドはだんだんと本当の父親のように。
しかし、二人を襲うピンチに、ソファーに戻したのはやはり何かを察したからなのか。
後半、クララの流した涙は、また独りになると思ったからか。或いは…!?
最後のアルドとクララの会話…最初と同じやり取りにこちらも心が揺さぶられる。
その他、「そこらじゅうにいるから」のワードが印象に残った。
この2人の関係は勿論、孤児院に通い里親を見つける手伝いをするアルドにとっては、確かにそうなのかもしれませんね。
それと、どうでも良いけど「校長先生はデブじゃない」には少し笑ってしまった。デブって・・・
アルドのセリフなんだからもうちょい訳しようがあったでしょう。
比較的短い上映時間の中で、孤独や人を想う大切さや難しさ、社会主義に対する苦悩が良く描かれていた作品だった。
もう過去を振り返ることはない
ときどき頓珍漢な邦題をつける配給会社だが、本作品の「この世界に残されて」という邦題は秀逸だと思う。まさに戦争のあとに残された者たちの悲哀を描いた作品である。第二次大戦後の1948年からスターリンが死んだ1953年までのハンガリーの首都ブダペストが舞台となっている。
ホロコーストによって家族を失った16歳の少女クララと42歳の医師アルドが出逢い、寂しさのあまり同じ心の傷を持つアルドのところを訪れてきたクララに対し、父親代わりのような日々を送る。家族がいない境涯をなかなか受け入れられず、世の中に対して斜に構えているクララだが、アルド医師は決してそのことを否定したり説教したりしない。クララがみずから自立の道を歩み始めるのを待っているのだ。
ナチスドイツが去って平穏な日々が訪れたと思ったら今度はソ連だ。一元論の価値観を押し付けて人格を蹂躙するのはナチスと同じである。自分を持たない人は共産党に入党し、スターリニズムという全体主義を錦の御旗にして、共産党員でない人々を睨めつける。自分が虎の威を借る狐であることに気づかない。何度か登場する居丈高な女教師がその典型だ。アルドもクララもそんな連中を相手にしない。
しかしスターリンの弾圧はハンガリーにまで及んでくる。常に覚悟を決めているアルドは、いつ何時であっても即座に逃げ出す準備を怠らない。緊張感の続く日常に厭世的になってもおかしくない筈だが、クララもアルドも正気を保ち続ける。このアルド医師の落ち着いた精神性が物語を安定させている。クララは素晴らしい人に出逢ったのだ。
そして3年が過ぎて、クララは21歳になった。もう落ち着いた大人である。ラストシーンの森の中を走るバスの中では、窓に溢れる光がクララの表情を美しく照らし出す。その光の温かさは、今を生きていこうとするクララの心を優しくあたためているようだ。もう過去を振り返ることはない。
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