この世界に残されてのレビュー・感想・評価
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さりげなくも秀逸なラストシーンが深い余韻を残す
初めて触れる感触の映画だった。舞台は1948年、ハンガリー。ホロコーストの記憶を作品全体に漂わせながらも、本作は登場人物の心に刻まれた深い傷跡をフラッシュバックで呼び覚ますような真似はしない。本編時間は88分なので、これに過去の出来事を盛り込んで100分ほどの映画にすることもできたはず。だが、そうしなかった作り手の意志が、この映画を特別な存在へと高めているのは確実だ。時に「不在」とは「強い存在」を意味することがあるが、本作はこの「何を描くか」という線引きを大切にしながら丁寧に描写を重ねていく。描かれないからこそ我々は彼らの表情に何かを読み取り、相手の人生に寄り添いたいとこれほど必死に願い続けるのだろう。そうしているさなかも、あふれんばかりの陽光が差し、作品に透明感や静謐感をもたらし続ける。さりげなくも大切なことに気づかせるラストシーンが素晴らしい。その余韻が今なおずっと胸に響き続けている。
君は何を今、見つめているの?
2021.1.7
2021年初の映画鑑賞でUPLINK吉祥寺へ。
コロナ感染が拡大しているので家の前のバス停から吉祥寺駅へ、降車後何処にも寄らないで吉祥寺PARCO地下の劇場へ直行し、ハンガリー映画「この世界に残されて」を観る。
ハンガリーはユダヤ人が多く、ナチス・ドイツに殺された者が多い。その数56万人。そんな説明は無く映画は始まる。舞台は1948年のハンガリー、戦争を描くシーンは一切ない。主人公の独り身の42歳の婦人科医師アルドの腕に収容所で掘られたであろう囚人番号のタトゥーがあるのをさり気なく見せるカットがある位だ。映画が進むと彼の妻と二人の息子が亡くなっている事が判る。16歳の孤児クララも両親と妹を亡くしているが、彼女は両親の死を認めずアルドとの出会いを両親に手紙を書く。出す先の無いその手紙は引き出しにしまわれる。ナチスの迫害の記憶とソ連の弾圧下の生活の中で家族を失い傷ついた二人が寄り添う。クララは叔母の許しを得てアルドと同居を始めるのだが、・・。
静かに展開するストーリーと僅かに動くカメラ。時間の経過が明らかでないが、ある時から3年後、スターリンが亡くなった事がラジオで告げられる(1953年)。つまり、二人が出逢ってから5年が経過している。
アルドの悲しげな眼は何を見ていたのか。
そしてラスト、バスの中でのクララの笑顔で映画は終わる。クララの明るい眼は何を見ていたのだろうか。
2020ハンガリーアカデミー賞4部門受賞。2020米アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート候補。
何処にも寄らずに家に帰った。TVで今日の感染者が1591人であるのを告げていた。
ここにいない大切な人に
大戦後の生き残った人々、皆んな深い傷を持って生きている。生きていくだけで精一杯ではないけど、日々痛みを感じながら生きている。少女の言動には始め嫌な感じが漂う。うーん微妙なとこだなぁ。ハンガリーの歴史が分からないので、党とか話が出てきてまた物騒な流れになりあー辛い展開だー。その一線を超えては駄目よは守って終わったが、なかなか平和にはならなかったんだね。
静かな流れで
最後のシーンのアルドの表情の真意がはっきりわからず2回観た。
アルドとクララはとても相性が良かった。
男女のでもない親子のでもない、
人と人としての相性が時が過ぎるほどに
上手く深く噛み合っていた。
しかし、共産主義の動きに誤解され何をされるかわからない状況下では、離れるしか道は無かった。
お互い違うパートナーと暮らすしかなかった。
そこにスターリン亡き共産主義の予測される崩壊の兆し。
悔やむに悔やまれない、取り返しつかない、
アルドの苦悩の表情。
せっかくこの世に残されてしまった二人が、
元の家族に匹敵するぐらい馴染んで幸せに
暮らしていける道もあっただろうに、
先の事は予想できない故、
諦めてしまったアルドの後悔がひしひしと
伝わり、しかし、皆の前では笑顔。
また残された者同士での新たな家族がある。
❇️ほんの少しの仕草で二人の気持ちを表現している演出が凄い⭕️
この世界に残されて
1948年🇭🇺ハンガリー
※第二次世界大戦後
子供扱いされたくない思春期の女の子クララ。
クールな病院の先生アルドに興味を持ち、話しかけたり、押しかけてみたりしていた。
孤児院からクララを連れてきた母親が先生に父親代わりになって欲しいと頼む。
ひょんな事から母親と先生とクララで生活をしていく。
アルドに恋をして愛に変わっていくクララ。
色恋とはまた違う、親心?恋?愛?どれとも違う共鳴していく二人の物語。
◉72D点。
❇️ほんの少しの仕草で二人の気持ちを表現している演出が凄い⭕️
🟡見所!
1️⃣16歳と42歳の繊細な心の拠所を描く。
★彡戦争で家族を失った二人の心が表情や仕草で共鳴していく!
2️⃣クララがほんの少しづつ綺麗に成長していく!
★彡生意気さかりのクララだったが大人の女性になっていく様が⭕️
3️⃣自然に湧き出る感情や共鳴していく2人
★彡ちょっとした仕草で気持ちがわかるシーンが切ない。魂の深いところで共鳴している様が凄かった。
人は独りでは生きていけない
42歳の寡黙な医師アルドの下に、16歳の少女クララが生理不順のため診察に訪れる。
伯母と二人暮らしの彼女はホロコーストの生き残りであり、父と母は今も強制収容所で生き延びているのだと信じようとしている。
妹を救うことの出来なかった罪悪感に苛まれる彼女は、他人と距離を置き、心を閉ざしているように見える。
しかし彼女はある日、アルドの部屋を自ら訪ねていく。
彼女の意図が分からぬまま部屋に招き入れるアルドに、ひとしきり今の境遇に対する不満を述べて彼の気を引こうとするクララ。
そして彼女は抱き締めて欲しいとアルドにせがむ。
クララは最初アルドの中に自分の父親の面影を求めていた。
そしてアルドもまたクララに対して特別な感情を抱くようになる。
自分ではクララの心の傷を癒せないと判断した彼女の伯母は、クララがアルドの部屋に泊まり込むのを許可する。
次第に二人の関係は他者から見れば危ういものに写るようになるのだが。
説明的な台詞や描写の少ない作品だが、とても繊細なタッチで物語は進んでいく。
アルドが孤児院に玩具を寄贈する場面があるが、それは彼がホロコーストで最愛の妻と子供たちを失ったことと関係しているらしい。
アルドのアルバムを見て、彼の境遇が自分と同じであることを知り、涙を流すクララの姿が印象に残る。
再婚はしないと語るアルドだが、おそらくクララに対しては年齢を越えた愛情を感じていたのだろう。
そしてクララもまたアルドを父親の代わり以上に想っていたのだろう。
しかし二人が結ばれることはない。
ロシアの支配下にあり、共産党が力を振るっている戦後のハンガリーでは、目立った行動を取れば逮捕される危険がある。
アルドが彼女を自然と遠ざけるように仕向けたのは、彼女を守るためだった。
アルドは新しい恋人を作り、またクララも同世代のボーイフレンドに惹かれるようになる。
時は過ぎ、お互いのパートナーと家庭を持つことになったアルドとクララは久しぶりに顔を合わせる。
するとラジオからはスターリンの死亡を知らせるニュースが流れる。
これで自由にどこへでも行けると喜ぶクララ。
しかし一瞬だけ苦悩の表情を浮かべるアルド。
もしかしたら彼の脳裏にはクララと自分が結ばれる未来が浮かんだのかもしれない。ロシアの支配さえなければ。
饒舌なクララに対して、アルドはほとんど表情を表には出さない。
それだけに彼の想いが最後に伝わってきて切ない気持ちになる。
直接的なホロコーストの描写はないものの、ホロコーストが人の心に残した傷の大きさを感じずにはいられない。
大きな起伏はなく淡々とドラマは進んでいくが、想像力を掻き立てられる場面が多く、観る人によって様々な形に受け取られる映画だと思った。
『シュベールの日曜日』をリスペクト
『独りが怖くとも娼婦じゃない。私も同じだ』
と言いながら、横に添い寝をする。
この言葉には深い意味があると思う。つまり、相手を娼婦にしてしまうのは、男の心にもそう言った気持ちがあるから。と語っている。弁解ではなく、毅然とした態度で添い寝している。その姿が正に純愛にみえる。
ぺぺと過ごす湖の辺りの森の中、
『シュベールの日曜日』をリスペクトしているんじゃないかなぁ。
そう思うと、三年後か。
ネタバレだよー。
アルドは偏向した。たから『ぺぺを怒らないで』そして、最後の言葉にそれは、かかっている。そして、同時に
その会話を聞けば、二人の本当の気持ちが分かる。
いささか、男目線な所はあるが、傑作だ。
トーマス・マンの『魔の山』は面白い。
丁寧な映画
ハンガリーの歴史を知ってるわけじゃないので、薄ぼんやりとナチスが去ってソ連が来た、結局国民はいつも大変という認識だけで見たけど、人々の心情を丁寧に描いた映画なので困ることなく見れました。最初のころのクララの不機嫌な態度が不快で最後まで見れないかもと思ったけど、アルドに抱きついたところからどんどんかわいくなっていくのね。アルドの見ようによっては不気味な笑顔でちょっとロリータ的な展開があるのかしらと不安だったけど、アルド側からはそれがなくてホントに良かった。クララ役の女の子、すべてに不満のある思春期の少女から幸せな大人の女性まで見事な演技でした。
家族を奪われた絶望が2人の心を脆くうつろなものに
1948年ハンガリー。ともにナチスによって家族を奪われたユダヤ人の少女と中年医師。2人は寄り添って暮らすようになる。家族を奪われた絶望が2人の心を脆くうつろなものにしている。2人は親子のような恋人のような絆で結ばれていく。東欧には共産主義化の波がひたひたと迫っている。
大人である医師も心が弱いところを垣間見せるところや、少女が医師に対してエレクトラコンプレックスを感じるような淡い恋心など、2人とそれを取り巻く人たちが丁寧に描かれている、傑作です。
ここにも2人だけの愛のカタチ
この映画も、他者には理解され難い2人だけの愛の世界。
ホロコーストにより家族を亡くしたクララと医師のアルド。お互いに心の隙間を埋めるように寄り添う。クララの性格には共感はしづらいし、姪がたとえ信頼する医師とはいえ、他人の男性の家に寝泊まりすることを許すおばさんの感覚も理解しかねる。
とはいえ、3人の間にはこのシステムがぴったりなようで、本人たちがよければそれでいいのだが🥴
クララがダンスパーティーに行く時などはまさに父親が娘を心配する様がほのぼのして、
終盤の3年後には、アルドにも新しいパートナーができ、クララもダンスパーティーの時の彼と結婚する様子で、お互いに新しい家族を築いていく中で親戚のような関係が続いていくんだろうな。で終わる,そこそこ円満なお話。
愛のカタチはいろいろあるということですね。
42歳の男性医師と16歳の少女の出会い。 男性は少女に対し、父親の...
42歳の男性医師と16歳の少女の出会い。
男性は少女に対し、父親のように振舞おうとするが、少女が同世代の少年と会っていると嫉妬するなどかわいい一面もある。
一方、少女の方は男性に対し「愛」に近い感情があったように見えた。
結局は2人とも年齢相応の相手を見つけ、結果的にそれでよかったと思うが、男性の本心はどうだったのか微妙なところ。
戦後間もない時代を舞台としているので、年の離れた2人が一緒になることは極めて困難だったのかもしれない。
物語自体は淡々と進むが、何とも切ない気分になった。
体温と肉感~~
ホロコーストによって家族を奪われ心に大きな穴が空いた2人が
心を寄せ合い、悲しみを癒し、やがて新しい生き方を始めようと
動き出すまでを描いた映画!
そう書くと良い話っぽいのだけど、どうも私は気持ち悪い。
何故なら主人公が42歳のおじさんと
16歳のちょっと大柄な女子校生だから~~
最初の方、無理に大人びた口を利いて背伸びしている少女が
アルド(その問題のおじさん)に幼子の様にまとわりつき、
1人になる事を極度に恐れる様子は可愛くもあり、哀しくもある。
アルドがシェービングフォームで髭を剃っているのを
狭い洗面スペースの端っこに座り込みじっと見つめるクララ。
二コリと笑って頬のシェービングフォームを
指でクララの鼻先にチョンと乗せるアルド。
そんなシーンは親子の様で心和む。
アルドもかつて妻と子供を奪われ生きる気力を無くしかけていた。
人目も気にせず纏わりついてくるクララの存在に
戸惑いながらも狭いベッドで背中合わせに眠るクララの体温を
守り育てる事で生きる意欲を見出す。
体温と肉感~~
実は数年前に精神的に落ち込んだ時に
誰でも良いからハグして欲しい~~みたいな
そんな時期があったので、体温と肉感~~
その癒しの力は解るんだけど
どうしてもちょっと気持ち悪い!
16歳の少女と42歳のおじさんとの暮らしは
どうしたって世間は誤解するし
ナチスドイツの圧政を逃れたものの
迫りくる旧ソ連の圧力と
大人になって次世代を生きてゆくクララを
自分に縛り付けては行けないという大人の判断で
徐々に関係を解消していこうとするアルド。
観ていてこのあたりで私はホッとしたわ~~
ホロコーストや旧ソ連の圧力など大きな悲劇を描きながら
人間の体温や肉感がいかに人を癒すのか
人間の根源的な映画でもある気がするわ。
愛のかたちは、本当にそれぞれ。
この映画は、所属する映画合評会の1月の課題映画だったのですが、思わぬ拾い物(…というと作品に失礼なのですが、実際、本当にそう思った)の一本でした。
時間が経っても鮮やかに心に広がる、映画で描かれた「愛の深さ」をこれからDVDやブルーレイ、配信などで見る人にも伝えたいと思い、時間差ですがレビューを残します。
主人公の二人は、10代の女性と40代の男性です。普通にある男女の恋愛感情だけでなく、親子のような慈愛、人間愛、同志愛、戦争による悲しい体験を分かち合うシンパシー、そのどれもを含む、簡単には形容し難い関係性で結ばれています。
そんな複雑極まる関係性を、抑制の効いた演出で、作り手の深い思いを満ちあふれさせて描いているところに、質の高い職人的手腕をひしひし感じます。
それ故、その思いは見る人の心にいろいろな角度と深度で刺さるのです。このような多層的な心の世界を描きながら、それでいて一本筋の通った、エモーショナルな感覚に溢れるという、独特な高いクオリティを持つ作品でした。
愛について饒舌な語り口を持つこの映画ですが、究極「愛のかたちは、本当にそれぞれ」。そして、その愛を語るこの映画を見た後は「言葉にするのがなかなか難しく、でも感じるところはたくさんある」。
素敵な映画体験を是非どうぞ。
宝石みたいに大切にしたい映画
本みたいに物語が閉じ込められていると感じた。
特にアルドという医者の男性に魅かれた。瞳を覗くと深くまで沈んで行けそうなそんな人だった。クララへの接し方からクララを思いやる気持ちがいつも伝わってくる、そういう所も好きだった。
親子のようなアルドとクララが恋愛感情へと移行しないようにアルドが精一杯コントロールしているように私には見えた。ちょっと苦しいんだけど優しくて大きな愛に包まれている。この映画に対してそんな感想を持った。
家族になろう(ハンガリー編)
人に聞いた話では、ハンガリー料理は悶絶するほど不味いらしい。なんて言う先入観があったもんだから「塩が足りないって言うレベルじゃ無いんちゃう?」などと。一人ツッコミ入れてたのは私です。
東欧作品の時間感覚や会話の間。ゆったりとした歩く速さのカメラの動きや照明の暗さ。などなどが、結構好き。「小津的」、なんて今時言うのは野暮過ぎるでしょうけども。
家族を失ってしまった、残留ユダヤ人達が、家族を再生して行く物語は、42歳の男性と16歳の少女の同居生活と言う、倫理観を疑わせる関係性を軸に展開して行きます。
アルドに父親の姿を求めるクララ。死んだ様に生きる孤独なアルド。共にナチの迫害から大切な家族を喪くした過去を持っていますが、直接的な描写が無いところも、特に大きな事件があるじゃ無しで平坦なストーリーなところも、ありきたりなユダヤ人ものと違ってて、個人的には好印象でした。
製作のモニカ・メーチは、ちょっとビターな歳の差恋愛ものの「心と体を」も手掛けた人。恋愛ものに安易に行かなかったところも良かった。
良かった。好き、結構。
42歳の医師と16歳の少女の関係は・・・
ナチスドイツにより、20万とも50万とも言われる多くのユダヤ人が虐殺されたハンガリーで、ホロコーストを逃れ生き延びたが心に深い傷を負った医師と少女の話。
1948年、両親含む家族を失った16歳の少女クララが婦人科の診察で42歳の医師アルドと出会う。クララは父を慕うように彼に親しみを覚え、アルドもクララを助ける。
年齢差の有る恋に発展するのかと思ったが違ってた。
ソ連のハンガリーへの影響なども描かれていて東側のハンガリーの不自由さも描かれている。
ナチスドイツの映画を観続けているような気がするが、本当に罪深い事をしたんだなぁ、と思う。
戦後の東欧諸国で前を向いて生きるということ
1948年のハンガリー、16歳の少女クララと42歳の医師アルドが出会い、一緒に暮らし始めた。二人はホロコーストを生き延びたが家族を失っていた。強いトラウマがあった。
お互いの傷がわかる二人だから痛みを分かち合うことができたんだろうねぇ。お互いが絶対的な存在になったが、時とともにそれぞれのパートナーと出会い、新たな人生が始まろうとしていた。
1948年、そしてそれからの40年。
ソ連の影響下で自由が失われた東欧諸国。
アンジェイ・ワイダやタル・ベーラの作品、そして昨年の『異端の鳥』などではの絶望的な閉塞感が描かれた。一縷の光も無かった。
今作では緊迫した状況の中にあって前を向いて生き始めようとする人々がいた。これもまた真実だろう。
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