由宇子の天秤のレビュー・感想・評価
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トラウマ2連発!あえて共感せり。
この映画もどうやら脚本が壊れている。余り詳しくレビューすると「不適切です」ってレビューが消される位不適合な脚本だと思うが。
テーマが分からない。当たり前の悪事を平然と重ね、隠ぺいを深刻ぽく進行する。稚拙で現実的でなく緊張感が全く保てない。まだ、1時間30分も見なけりゃならんのか。苦痛。
変態大集合♥️
核心を突くと愛の無いAIに警告を出されるくらい不快感を伴う内容だ。
何が言いたいか分からなくなるくらい不快感が漂う内容だ。
少なくとも現実ではない。中年男性が抱く妄想の弁解劇見たいな話だ。
日本演劇界は消滅せり。
あと、15分!
「がわ」って何?
嘘で歪められた真実
嘘をつくのは人間の常。無数の嘘のほとんどは、全く罪にもならない。しかし、真実を歪める嘘は、関わった人々の人生そのものを変えてしまう。
しかも人の生き死にが関わった場合はなおさらである。
真実を追求するドキュメンタリーのディレクターは自身の父親の不純な行動が引き起こした不測の事態を隠蔽する。
父親に対する娘として?女性としての怒りを封印し、自分を守り、自分の周りを守る姿は、決して悪の行動とは言えず、
世の中に無数にある罪にもならない嘘とも言える(違法な中絶を画策したことが実行されたら大きな罪だが)。
ラストシーンで、嘘を貫くことが出来ず告白してしまったが、嘘で苦しむ自分を解き放したからに過ぎないのである、、。
人間のやるせない業を、静かなタッチで紡ぎ映像に収めた秀作と言えます。
あくまでも由宇子の天秤
正しさが何なのかではなく、あくまでも由宇子(瀧内公美)の天秤。
正義を貫こうということではなく、
あくまでも由宇子がどうしたいか、だと思います。
正しいかどうかではなく、由宇子にとってどうか?です。
それは、冒頭からのドキュメンタリー然り、
父親のやらかし然り、だと思うんです。
でも、父親が本当にやらかしているかはわからない。
でも、事実として萌(河合優実)と性交渉したのは間違いない。
だから萌の父親にそのことを告げる。
事実ははっきりしているから伝えたかったんでしょうね。
由宇子に裏切られた感のある萌。
でも、事実はわからないんですよね。
というわけで、あくまでも由宇子の天秤にフォーカスした
物語の紡ぎ方に唸らされましたね。
天秤といえば、昨年末に視聴した『陪審員2番』を思い出しました。
必ずしも正しさが重いわけではないというのが共通していると思いました。
瀧内公美の演技が素晴らしいですし、
この頃から河合優実はすごかったんだなと。
あらためて俳優の演技が素晴らしいからこその本作のクオリティだと感じました。
152分の作品ですが、長く感じませんでした。
こういう邦画がもっと観たいです。
実に余韻たなびき記憶に残る良作だと思います。
悔いが残らぬよう最善を尽くす由宇子
木下由宇子(瀧内公美)と萌(河合優実)の関係が、矢野志帆(和田光沙)と長谷部の娘(自殺した女子高生)の関係と被る。
志帆は弟の和之の名誉を守ろうした。
由宇子は父の木下先生(光石研)の名誉を守ろうとした。
志帆が由宇子に見せてくれた弟(高校教師)と女子高生の動画の存在の違和感。
誰が現場で記録を残したのか。
女子高生が録画したもので、その動画を相手に送った、という自殺前に揉めたであろうことを推測する。
その一連の流れが、萌が意図的に木下先生とのことだけを由宇子に告白した理由に似ている。
ひとことで言えば女は怖い。
なめんなよ、ということである。
勘が鋭く、情報の処理にも優れる由宇子は、萌の父である小畑哲也(梅田誠弘)に、敢えて全てを言わないことで萌を擁護している。
ラスト、萌に頼まれたから隠していたと本当の事は言わず、隠していた理由は自分にあると言い、さらに怒りの矛先を自分と自分の父親(木下先生)に向けさせる。
他の誰かが孕ませたかもしれないとしても、そのことについては一切言わず、萌の父親に根本的な問題があるかもしれないことにも言及せず、相手を責めず、たとえ萌自身だけが悪いとしても萌のせいにはしない。
由宇子は、自分と自分の父親の落度のみを小畑哲也に言う。
小畑哲也に対して印象操作をしたのである。
その行動の理由。
由宇子は、萌が過去の自分と似ていると思った。
女子高生と教師の自殺の真相を知り、似たような状況が目の前にある今、弟を庇った矢野志帆とは別の行動をとった。父を庇わず、自分と似ている萌を庇った。
プロデューサーの片渕須直さんは、作品の中にある噓を極力排除しようとする(少なくとも、クラウドファンディングで完成させた『この世界の片隅に』の映画化の時はそうだった)。
リアルであることに拘りがある(はず)。
施錠されていない玄関のドアを勝手に開けて人の家に入った由宇子は住人に歓迎される。
二度そのようなシチュエーションが有る。
彼女の選択は間違っていなかった。
二度あることは三度ある。
由宇子の行動は、きっと間違っていないはずなのだ。
瀧内公美さんと河合優実さんの演技が凄い。
終わり方が独特で印象に残る。
ギャグは皆無だし、映像も特別凄いわけでもないのに、飽きることもなく目が離せない約2時間半。
最高傑作。
正しく天秤にかけたような作品
☆☆☆☆ ちょっとだけの感想。 いやコレは凄い! 超暗くて、超重い...
☆☆☆☆
ちょっとだけの感想。
いやコレは凄い!
超暗くて、超重い。それでいて超面白い。
しかし…一切の救いが無い。
全く救いを描く意識すら無い、、、のかも知れない。
それ故に、好き嫌いがはっきりと分かれる作品だろう。
報道の真実を追究する側と、対象にされた側が己れを護る論理。
その立場が逆転する事から、心の隙間に波紋が波打つ。
結論を求める人には納得いかない最後でしたが。その重ったるさの持続は、眼を見張るモノがありました。
2021年10月7日 キネマ旬報シアター/スクリーン2
タイトルなし(ネタバレ)
配信待ってました、やっと観れました!
想像よりはるかにベビーな内容だけど瀧内公美さんの美しさに魅力されっぱなし。
ゆうこの父親のした事は最低だが、売りをしてた萌の事実が本当ならひょっとしてお腹の子は父では無い⁇と希望の光が過ぎってしまった私はまさにゆうこだ、汚くてズルい部分丸出しの自分で情けない…できる事なら隠し通したい。
報道人が陥る究極のジレンマ。
すべての事実は公にされなければならないのだろうか。思いがけず公になることもあるが、実際には公にされる事実、されない事実がある。それは事実を公にするかしないかで決まる。
報道に携わる者は、その社会的役割の重要性から清廉性が求められる。ましてや本作の主人公は報道に対して強い信念を持っていた。
ドキュメンタリーディレクターの由宇子は生じた事件に光を当ててそれを可視化し、問題を社会に投げかけることが報道の在り方と信じていた。
そんな彼女が思いがけず自己の信念と明らかに矛盾する行為を強いられる状況に追い込まれる。
彼女は自らの強い信念から自分が携わるドキュメンタリー番組を放送して事実をつまびらかにしたかった。しかしそうするためにはある事実を隠蔽しなければならない。
ひとつの事実に光を当てるためにはひとつの事実を闇に葬らなければならない。まさに彼女にとっての究極のジレンマに陥る。そして事態は思わぬ方向に、彼女はますます泥沼にはまっていくこととなる。
彼女に罪があるとすれば、事実を隠蔽しようとしたことは報道人として罪かもしれない。だが、それはさておき、まずは子宮外妊娠が疑われた段階で生徒の身の安全のために産科を受診させるべきだったところ、それをしなかったところに彼女の人としての罪がある。
結局、番組は放送直前に遺族が隠ぺいしていた事実が発覚して放送は中止となるが、彼女はそんな遺族を責める気にはなれない。
結果的に放送が中止になった時点で生徒の父親に自らの罪を告白することとなった由宇子。父親の怒りはまるで自分の娘と番組放送を天秤にかけた彼女に向けられたかのようであった。
今まで彼女が糾弾する相手に向けてきたスマホのカメラは彼女自身に向けられている。信念を持って報道の仕事に携わる主人公に起きたあまりにも酷な状況。報道への向き合い方が問われる問題作。全編静かなトーンながら凄まじい作品。
今は無きテアトル梅田にて鑑賞。
報道という刃物
2時間33分の大作でもあっという間でした。
いわゆる「切り取り編集」
報道に都合のいい、感情移入しやすい見せ方。
これが今問題になっているところを映画化した勇気に拍手を送りたい。
一度犯罪が起こればそこに加害側、被害側が存在しその後報道という集団がこれに群がる。
どう伝えるかで受け手の印象は形成されてしまう。
そんなやり取りもしっかり映画の中に盛り込まれている。
この作品のすごいと感じたところは、冒頭のストーリーを軸に終わるだけに留まらず、違うエピソードを混えながらエンディングに向かったところをスッキリと締めた。
最後に
エンドロールに生方美玖さんの名前を見つけた
silentやいちばんすきな花で話題の新進脚本家
どこで協力していたのだろう。
おとん、白状するまで撮られ放題
無駄に脱ぎまくる瀧内公美サマ
演技力がしっかりしてるから
脱いでも話の流れに無理がないんだよね。
こういうメディアの下請けってずーっと生活のため
と言い聞かせてゲスなことし続けているんやろうけど
ある日突然自我に目覚め自己崩壊してしまう
って結構あるある。
いつみてもお綺麗な公美サマでした。
あー本作は脱いでないよ。
70点
アップリンク京都 20211012
パンフ購入
二転三転して最後に撮るのは
天秤とは
瀧内公美と光石研の共演は見逃せない
瀧内公美と光石研の共演があるのと、予告編での構図やテンポが好みそうだったので、マークしていたものの、尺が2時間30分近くあるので、映画館でみるのは気が引けていたまま公開が終わってしまった。その後、VOD配信みつけて自宅でみた。
手持ちカメラで演者が歩くところを一緒に歩いて撮る手法が多くて、動感は感じた。編集のカットのテンポもよくて、全体的にテンポが良かった。
主人公の由宇子は、まっすぐで真実を撮ることに情熱をもつがゆえに、思う通りにいかないことが多いが、真実を捻じ曲げてまで行きたくないという潔白さ、信念も感じる。
父親の児童淫行が発覚することから、一気にシリアスな展開になっていく。最後まで隠そうとしていたその事実でさえ、明るみに出してしまい首を絞められて倒れている状態で、エンディング。エンドロールの音楽もないところが妙に合っていた。編集のテンポがよいので、2時間30分という長尺でもそれほど長いとは感じなかった。
瀧内公美は化粧気もないまっすぐな女性を自然に演じていたし、光石研は相変わらずダメ親父を演じるのがハマっている。たった1回、されど1回のセックスが人生を狂わせるという怖さも感じる筋書きでした。
この映画の説明不足の分かりにくい表現と、別の”正義感”に飛びついていないか、問題
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
この映画はかなり説明不足の映画だな、とは個人的には思われました。
例えば、ラストシーンで主人公の木下由宇子(瀧内公美さん)は、小畑萌(河合優実さん)の父親の小畑哲也(梅田誠弘さん)に、小畑萌のお腹の子が自分の父親である木下政志(光石研さん)の子であると確信的に告白します。
しかし、ダイチ(河野宏紀さん)の証言から小畑萌は周りに身体を売っていたことが分かっています。
ではなぜ首を絞められるラストシーンで由宇子は、小畑萌のお腹の中の子の父親が自分の父親の小畑哲也の子であると確信的に小畑萌の父親に言うことが出来たのでしょうか?
その理由の説明が映画では全くされていません。
であるので、以下こちらで勝手な解釈をしてみました。
主人公の由宇子は、映画の終盤で、ダイチから小畑萌が周りに身体を売っていることを聞いたので、車の中で小畑萌にお腹の子の本当の父親は誰なのか?と問い正します。
すると、小畑萌は「なんだ、先生もかよ」と言って車から飛び出し、小畑萌はその直後に交通事故に遭ってしまいます。
このことから、小畑萌の本人は<由宇子の父の木下政志が自分のお腹の子の父親だ!>と確信していることが分かります。
なぜなら、小畑萌が思う自身の真実性を、由宇子も最後は信じてくれなかったとの小畑萌の思いが「なんだ、先生もかよ」の言葉に現れていたと考えると自然だからです。
しかし、これは本当はおかしな話です。
小畑萌が同時期にダイチなどに身体を売っていたことが事実であれば、木下政志が小畑萌のお腹の子の父親だとは本当は限らないはずだからです。
ではなぜ小畑萌は<由宇子の父の木下政志が自分のお腹の子の父親だ!>と確信していたのでしょうか?
その理由は、塾講師である由宇子の父の木下政志が、小畑萌にとってお腹の子の父親だと確信させる他とは違う存在だったからだ、と思われました。
ところで、この映画は由宇子の父と小畑萌にまつわる話と同時進行で、由宇子のドキュメンタリーの話が進行します。
由宇子のドキュメンタリーでは、女子高生の長谷部広美と教師の矢野の2人の自殺の事件が追われています。
そして女子高生の長谷部広美の自殺の原因がいじめと学校の対応とマスコミの教師との交際に関する過熱報道よるものだったことが、長谷部広美の父親の長谷部仁(松浦祐也さん)の証言などから分かります。
教師の矢野の自殺の原因も、長谷部広美との交際を学校側が捏造したからだと、教師の矢野の母親の矢野登志子(丘みつ子さん)らの証言から明らかにされて行きます。
ところが、映画の最終盤で教師の矢野の姉の志帆(和田光沙さん)によって、(観客にとってはスマホの音声のみで分かりにくいのですが)教師の矢野が無理やり長谷部広美に性的な暴行を加えていたことが分かります。
つまり、由宇子がドキュメンタリーで追っていた事件は、教師が自身の生徒であるいじめにあっていた女子高生を無理やり性的に暴行し、その結果、その女子高生が自殺し、教師の方も贖罪で自殺した、という話だったと最後に分かるのです。
ところでこの映画は、由宇子がドキュメンタリーで追っていた教師と女子高生の自殺の事件と、由宇子の父親の塾講師の木下政志と小畑萌との性的関係の話が、類似の話として並行して進んで行きます。
となると、作品の意図的に、由宇子のドキュメンタリーの方の教師の矢野が女子高生の長谷部広美を裏切って性的な暴行を行っていたのであれば、由宇子の父親の塾講師の木下政志の方も少なくとも小畑萌を裏切っている必要があると思われました。
つまり、小畑萌が<由宇子の父の木下政志が自分のお腹の子の父親だ!>と確信していた理由は、(他の身体を売っていた存在と違い)由宇子の父の木下政志が、教師としての信頼を裏切る行為を小畑萌にした、という強い負の印象が小畑萌に刻まれていたからだ、と考えれば、映画の構図の意図としても筋が通ると思われます。
そしてさらに、由宇子のドキュメンタリーと由宇子の父親の木下政志と小畑萌との性的関係の話の平行性の考えを進めると、最後に、では由宇子のドキュメンタリーの方の自殺した女子高生の長谷部広美は、本当に純粋無垢にただただいじめに遭って教師に裏切られた完全な被害者だったのか?‥との疑念がわいてきます。
小畑萌は初め、父親にネグレクトされ塾の支払いも出来ない完全な可哀そうな被害者として描かれます。
しかし実際の小畑萌は、自分の身体を売っていたという別の面も持っていることが最後に分かります。
となると、由宇子のドキュメンタリーと、由宇子の父親の木下政志と小畑萌との性的関係の話の平行性を考えると、由宇子のドキュメンタリーの方の自殺した女子高生の長谷部広美も、小畑萌と同じように純粋な被害者だけではない別の面を持っていたのではないかと、思われて来るのです。
これらのことを考えると、なんと当初の大手マスコミが報道していた女子高生の長谷部広美の内容がそこまで間違いではなかった、可能性も出てくるのです。
そうなるとこの映画で描かれている問題は、大手マスコミの間違った報道による報道被害というより、報道内容の根幹は正しいが過熱報道による(その他ネット周辺の真偽不明の中傷含めての)是非の方が問われてくるということになります。
ところで報道で社会に起こっている問題を詳細に明らかにして行くことは必要ないのでしょうか?
例えば学校でかなりひどいいじめの問題があり被害者の生徒が自殺をした事件があったとします。
その時に、物事はグレーだから踏み込んでの取材はせず、”いじめられた側にも潜在的な問題があった”との学校や生徒や保護者やその関係者の空気を温存したまま、自殺した生徒はそれはそれとしてと済まされて良い話でしょうか。
それは当然、言うまでもなく間違っています。
ひどいいじめの問題があったのであれば、事実関係が明らかにされ、学校や加害者に対して相応の批判はなされ、教育委員会等による事実の隠ぺいがあるのであれば厳しい批判は必要なのです。
そして事実関係の解明の後に、被害者への補償と、加害者による深い内省と贖罪、再発防止のための改善策を構築することは、社会にとっても必要なことだと強く思われます。
この”正義感”を否定してしまっては、一方では現状の悪の温存に力を貸してしまうことになります。
つまり正義感は一方で否定してはいけないのだと、そして事実を解明する報道は社会の改善のためにも否定してはいけないのだと、思われるのです。
ただしかし大切なのは本質的なブレーキを常に一方で踏む必要があるのです。
そしてその本質的なブレーキを踏むためには、あらゆる角度からの事実の検証が必要になると思われます。
この映画は事実の描き方としては曖昧で、私が上で示した解釈は”間違っている”という逃げを打つことが出来ます。
また、過度の報道への批判という逆の新たな”正義感”に乗った絶賛を食い止めることが出来ていないようにも思われます。
(人間はグレーの存在だと言いながら、TV局側のステレオタイプに描かれた人物に対して何ら疑問持たずに憤ったりしていなかったでしょうか?‥)
人間はグレーなグラデーションある存在であるのは言うを待たないと思われます。
しかしそれを分かった上での、さらにその先への踏み込み、しっかりとした事実の描写が、この映画には必要とされていたのではないかとは思われました。
映画自体は、長時間の割に長さを感じず、俳優陣の皆さんの演技も素晴らしく、ある水準を超えた見る必要ある映画だとは一方では思われました。
まさかWOWOWで見られるとは思わず。ずっと息をのむ緊迫感だった。...
まさかWOWOWで見られるとは思わず。ずっと息をのむ緊迫感だった。結局のところ、マスメディアのダメさ加減と、日本社会の世間というものの闇が強烈にインパクトをもった。前半の勢いと比べて、足元から崩れていく感はわかる気がする。それにしても光石の父がそういう行為をするという設定がちょっと腑に落ちない感。
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