「ひとを殺した罪で少年院で服役中の二十歳の青年ダニエル(バルトシュ・...」聖なる犯罪者 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
ひとを殺した罪で少年院で服役中の二十歳の青年ダニエル(バルトシュ・...
ひとを殺した罪で少年院で服役中の二十歳の青年ダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)。
院内では看守の目を盗んでの暴力・暴行沙汰が横行している。
そんな彼がひとつだけ心安らぐ場は院内教会での祈りの場。
トマシュ神父(ルカース・シムラット)の影響で熱心なキリスト教徒となるが、前科者は聖職者になれないという決まりがあった。
釈放後にダニエルが訪れた更生施設兼製材所は少年院と同じような雰囲気があり、馴染めそうもない。
そんな彼が足を向けたのは村の小さな教会。
その教会は、老神父に持病があり、老神父を補佐する若い神父の到着が待たれていたが、ダニエルは身分を問われて「トマシュという名の神父だ」と答えてしまう・・・
といったところから始まる物語で、個人的には好きな「なりすまし」ジャンルの映画。
この手のなりすまし映画だと、なりすました側の行動・言動により、周囲のひとびとが影響を受けていくのが定石で、この映画でもそのように展開します。
パンク青年然とした風貌と自由な言動から宗教者としては型破りだが、老神父の代わりを務めた説教をきっかけに少しずつ村人のこころをつかんでいくようになる。
そして、一年前、村では6人の青年が犠牲になった自動車事故があったことを知り、残された家族たちは、事故相手の中年男を加害者として酷く恨んでいることを知る。
しかし、加害者と誹られている男も事故で死んでおり、残された彼の妻は、夫もまた事故の被害者だと信じている・・・
この村人たちとの関係の中で重要なポジションを占めるのが、犠牲者6人のうちのひとりの遺族で、母親と妹マルタ(エリーザ・リチェムブル)。
母親は老神父の秘書のような仕事をしており、マルタは教会でダニエルにはじめて逢った人物で、彼女はダニエルに自分と同じような匂いを感じている。
すなわち、どことなく漂う「悪」というか「背徳」というか「後ろめたさ」とでもいうべきもの。
彼女がいることで、この映画に深みが出てき、それは終盤明らかになる自動車事故の真相と、ダニエルとマルタのより深い関係に、ある種の共犯関係のようなものが滲み出てくる。
最終的には、教会に本物のトマシュ神父が現れ、ダニエルの本当の姿も村人の前に示されることになるのだけれど、このシーンはかなり強烈。
ジャンルは違うが、『狩人の夜』のロバート・ミッチャムや『ケープ・フィアー』のロバート・デニーロを思い出すかもしれません。
ひとによっては、セルゲイ・ポルーニンかも。
ふたたび少年院に収監されることになったダニエルの顛末、そこでのワンエピソードは人間の業のようなものを感じさせるもので、単純な正邪・善悪では割り切れないものを感じました。
シェイクスピアの『マクベス』冒頭の魔女の台詞、「きれいは、きたない。きたないは、きれい」を鑑賞後数日たって思い出しました。