「観客の1人として答えは見つからず…」聖なる犯罪者 KZKさんの映画レビュー(感想・評価)
観客の1人として答えは見つからず…
ポーランド映画際2020にて鑑賞。上映前に現地の映画評論家の解説があり、実際に起きた出来事の着想を加えた作品だという。また、この作品は近年のポーランド国内では最も影響を与えた作品だという。
予告でうたってる通り主人公のトマシュが少年院から退所したばかりの少年がとある田舎町の神父として偽りながら生活し、そして町に携わる話。
トマシュは服役中に礼拝などを通して神父になる事を夢見る。しかし前科持ちは神父になれない事を神父から告げられ出所後、心の葛藤と戦う。
そんな中ある田舎町の教会を訪れた際、冗談半分で神父であると嘘をついたのだが、それを周囲が信じてしまい、そして偶然にも町の神父が休息を取りたかったこともあり半ば強引な形で神父として生きる事となる。
最初は戸惑うものの神父として生き甲斐を感じ、そして自分の考えなどを持ち、教えを与えるようにもなる。
そこで町が抱えてる事故の問題に首を突っ込みすぎて町民から反感を買い、そして少年院仲間に見つかり足元を見られゆすられる。
最終的にはその少年院出の仲間に売られてトマシュも少年院に戻り、また以前の暴力に生きる姿で作品は終わる。
僕は無宗教の為、宗教についてものすごく知識があったり強い考えがあるわけではない。
それでもこの作品はとても見入る事ができ、自分自身の中であれこれ考えたり、自問自答しながら見ることができる作品であった。
結論としては自分なりの確固たる答えは見つからない。
もちろん前科持ちとはいえど、刑期を全うして出てきたわけだからチャンスがあってもいい。
また彼の言葉に救われた人も作中内にはいくらかいた。
これは彼が前科持ちという事を知っていればおそらく同じ言葉や状況でも捉え方は変わるのかもしれない。
それはとても都合の良い神の言葉である。
とはいえ、免許も持っておらず神父になるにあたって勉強をしてきたわけでもなく知識もない。
偽りの中生きており、常に偽りを持ち続けてる中で助けを求める人々に教えを与えるのはやはり違うのものであろう。
トマシュがやってきた事自体は決して許されるべき事ではないのは事実であろう。
前科持ちでも神父になるチャンスは与えるべきかどうかがこの作品の一つのターニングポイントなんだと思うが
、無宗教の自分にとってはやはりその点に確固たる答えは見つける事はできなかった。
答えは見つからなかったがトマシュの神父への希望と現実の苦しみなどが存分に描かれとても見入る事ができ、色々自問自答しながら見ることはとても貴重な体験となった。