映画 太陽の子のレビュー・感想・評価
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異なる視点で描かれた戦争
日本の原爆開発を行う科学者に視点を当てているところが新鮮だった。
科学者として兵器を作ることは正しいのか、自分の信じるものが明るい未来をもたらすのか、
結果を知っている私たちは戦争を出来事の点でしか見ていないけれど、結果などわからず日々必死で生きている人にとっては、自分の信じるもの(未来・死・技術)を信じるしかなかったのだろうと思った。
かつての京大生はどんな道を歩んだのか気になる。
鑑てよかったです
今日で76年、何を思うかは人それぞれ
開発競争
科学は人類を超えるのか?
「科学は人類を超える」
主人公と会話する話者、おそらくアインシュタインが、主人公に語った言葉。
科学のどこまでも透徹な論理と、人間の情緒や倫理観は、時に相容れない事もあるのか。
主人公の母親が「あなたは恐ろしいことを言う。科学者とはそんなに偉いのか」という問いは、間違ってはいないのだろうが(科学者にとっては)おそらく正しくもないのだろう。(だろうか?ちょっと僕には理解できないが…)
インターネットを持ち出すまでもなく、軍用の技術が民間に転用され、世の中の発達・発展に寄与してきた事例はたくさんある。
現代ではAIなどもそれにあたるだろう。世の中をより便利にすることが期待される一方で、人間の関与なしに敵を殺傷する兵器、自律型致死兵器システム(LAWS)という禍々しい技術も開発されている。この両方は、科学的には同じ論理・考え方が基になっている筈だ。科学者の苦悩はきっと現代も続いているのだろうなぁ…。
比叡山の上で、母親から渡された大きなおにぎり(それは弟が再出征する時に彼女が渡した大きなおにぎりと同じもの)を頬張る主人公が、噛み締めるほどに涙を流すシーンは、科学者である自分と息子である自分との葛藤だったのだろうか…。
若い登場人物3人が、未来に想いを馳せて語り合うシーンは、切ないけど美しかった。
全く勝てる可能性がない戦争に突入してしまった日本。一義的には為政者・軍人・官僚の責任なのだろうが、当時の世の中には一部戦争を待ち望む雰囲気もあったと聞く。この国は付和雷同、というか、大勢の意見・主張に流されやすい。一見正論に思えて否定しづらいことには、皆一様に従ってしまったり、従わない者を糾弾したりする。最近で言えば自粛警察だったり、当時だったら「欲しがりません、勝つまでは」みたいな、現代から見ればおぞましくも滑稽なスローガンだったり…。
未来を正当に夢見る自由を奪われてしまった人たち。本当に切なく、悲しいことです。
300万人余を死に追いやった為政者・官僚のような人間が、再び現れることがないよう祈るばかりだ。それに付和雷同する市井の人々も…。
そして僕達は「自由であること」の素晴らしい価値を守り続けなければならないと強く思った。
あ、あと言わなくても良い事を言ってしまいます。エンドロールのBGMは、ホントなくて良かった^^;
科学では説明つかないことはある。
まず、数字は物質ではない。夜見る夢は目をつむっているけどどこで観ている?誰が夢のストーリーを作っている。これらが科学では説明つかないこと。それと、ホームレスでもなく、猫でもなく、皆を救う日本を作るのは君だ。あなただ。皆を救う日本を作ろう!
タイトルなし(ネタバレ)
春馬さん演じる弟 裕之の優しくて、強くて、でも、その強さがまた悲しくて、春馬さんに重ねてしまう部分がたびたびありました。
科学者と戦地に赴く弟。
どちらも真っすぐな眼差しですが、対照的な二人です。
セリフだけでなく、表情、声色、動き、風景、音、全てから語り掛けてくる丁寧なお芝居、演出。
キャスト、製作陣のエネルギーが集約した作品です。
映画もノベライズも違った内容があり、どちらも見る側の想像力をかきたてる作品だと思います。
ぜひ劇場で作品をご覧になってみてください。
もっともっと観たかった
春馬さんはもちろんですが、柳楽優弥さん、そして、有村架純さんがすごくよかった!!
おそらく、カットされた三人のシーンがたくさんあったのかなと。
追加の映画グッズに使われていた裕之がセツを抱きしめているシーンなどは出てこなかったし、三人の恋愛模様も観たかったな。
けど、修の研究者としての猟奇的になる感じとか、そういうところがメインだったと思うので、こうなったのかな。
最後の最後に三人で海にいる、素っ裸で海ではしゃぐシーン、すごくじんときました。
春馬さんの映画、新しいものはもうないんだなと思ったら余計に泣けてきて、頭がガンガンするくらい号泣してしまいました。
号泣
泣かずにいられない
昨年のNHK放送も見て泣いたが、今回も泣いてしまった。三浦春馬が演じる裕之の耳を触る、母(田中裕子)の優しく切ない手。ここは私の決壊ポイントだった。あと、登場の時の笑顔の「ただいま」。ううっ。
ドラマ放送時とそれほど大きく変わらないが、追加した部分もわかりやすく、丁寧な作り。玉音放送を無音で表現するとは。柳楽優弥の表情だけで想像させるのは上手かった。
世津(有村架純)のポジティブさ、包容力、明るさが救い。この人はどんな局面でも、ブレないんだろうな。太陽のようだと思った。
せっかく静かに余韻を持たせて終わったのに、どうしてそのまま終わらせられないのだろう。そんなにエンディングテーマ曲って必要? アミューズのゴリ押し? 普通に聴けばいい曲とは思うけど、ちょっとわざとらしい。
原爆開発に携わる学生なんだけど
戦争末期の原子力開発に苦闘する若者たちを主軸にしたかったのか?それとも実験好きな若者とその家族を主軸としたかったのかどっちなんだろう。
また所々で悲壮感を感じるんだけど、何かその悲壮感や苦闘する部分より、おにぎりが凄く気になりました。
末期も末期なのに、あんなに大きい白米のおにぎりを渡せたり、ちらし寿司を振る舞うってことからひもじさを感じない戦争末期の表現ってありなのかなって思ってしまいました。本筋からはズレてると思いますが。
最後に戦争や原爆の悲惨さは分かるんだけど、この題材を使って製作者は何を語りたかったのかが最後まで分からなかったです。
名演に感動、悲しいけれどありがとう
葛藤を抱えて戦地へ戻り、その後二度と戻らない姿が春馬くん自身と重なり辛かったのですが、覚悟を決めて観に行きました。
被爆国である日本が、実は太平洋戦争末期に原子核爆弾の開発を試みていたという知られざる事実を背景に、その開発に没頭しつつも、次第に自分が生み出そうとしている物の恐ろしさに気づいていく修をはじめ、戦時中における3人の若者の信念、葛藤、家族や愛する人を思う気持ちがとても丁寧に、綺麗に、繊細に描かれていました。
肺の療養のため一時帰休した裕之が笑顔を見せつつも、戦地の話しを一切しない様子を案じる母。
防空壕に避難した際に、鋭い目つきで空襲の様子を見る裕之。その様子から戦地での壮絶な経験を察する世津。
戦地へ戻りたくない、けれども自分だけ逃げるわけにはいかないという葛藤から海に身を捧げようとする裕之。それを必死に止める修とふたりを抱きしめる世津。
生々しい戦場シーンはなくとも、戦争がもたらす惨さがしっかりと描かれていたように感じました。
裕之が戦地へ旅立つ前日、縁側で戦後(未来)を見据える世津に諭され、2人が圧倒された様子で同時に「はい!」と言ってしまうシーンは微笑ましかったな。
かつて戦争によって多くの人が命を落とし、家族や愛する人を亡くした事実があったことを、戦争を経験した人が少なくなり、テレビ番組で戦争を取り上げることが減り、SNSやYouTubeなど見たいメディアを自分で選べるようになった昨今において風化していくことがないよう、ぜひ多くの人に観てもらいたいと感じた映画でした。
キャスティングがとても良い
昨年のNHKのドラマも見ていたので、ストーリーはある程度把握しての鑑賞
三浦春馬さんのファンなので、春馬くん演じる裕之の演技見てつい彼に重ねてしまうところもありました。
柳楽優弥さんの演じる修と有村架純さんの演じる世津も演技がしっかりしていて自然に感情移入できました。
田中裕子さんの気持ちを抑えた母親の演技は子を持つ親として胸が痛くなりました。
裕之の手紙の朗読がとてもつらかった。
ノベライズ本を読んだ方がよく理解できるという事なので、読んでまた観に行きたい思います。
難しいテーマなので、ヒットしないかも知れませんが、若い人に見て欲しい。
そう思いました。
戦後76年
高齢の母が生きている間に戦争の話を聞かなくては、子供にも伝えなければ。
そう改めて思いました。
上映前に有村架純さん、柳楽優弥さん、黒崎監督の舞台挨拶がありました...
♫いのち短し恋せよおとめ♫
柳楽優弥がとてもいい。演じた主人公の石村修が朴訥な人柄ということもあって台詞は少ないが、話す言葉に嘘も虚飾もないことが伝わってきた。素晴らしい演技である。
福島第一原発事故を扱った菅乃廣監督の映画「あいときぼうのまち」には、戦時中の学徒動員でウランの採掘をさせられたシーンが登場する。とても正気の沙汰とは思えなかったが、本作品を観て原子爆弾の開発が日本でも実際に行なわれていたことを知り、ウランの採掘も本当のことだったことがわかった。原子爆弾の開発も含めて、やはり正気の沙汰ではない。
石村修が自分たちがやってきたことが正気の沙汰ではないことに気づくのはヒロシマの惨状を見たときだが、科学者らしく動揺を抑制して、現地の金属その他の無機物が熱線でどのように変化したか、放射線の線量はどうだったのかなどの情報の収集に当たる。
本作品の肝は、田中裕子が演じた石村修の母フミの台詞「科学者というのはそんなに偉いんか」にあると思う。修が研究していたこととヒロシマ、ナガサキに落とされた原子爆弾が同じものであることを、フミは暗に悟っていた。ヒロシマ、ナガサキが科学実験の場にされた怒りが、フミの静かな表情に窺えた。静かではあるが決して消えない怒りだ。田中裕子の女優魂に満ちた凄い演技である。このシーンが本作品の核となっている。
作中で歌われた「ゴンドラの唄」について。この歌は黒澤明監督の映画「生きる」で象徴的に使われていて、主人公である市役所課長の渡邊勘治がブランコに揺られながらこの歌をくちずさむのが夙に有名である。この映画は舞台でのミュージカルでも演じられていて、当方は鹿賀丈史主演と市村正親主演の両方を観た。真面目で正直な渡邊勘治を演じた両俳優の飾り気のない歌声にしびれたものである。
この歌は多分昭和くらいまでは世代を通じて人気があって、たくさんの歌手が歌っている。好みもあるとは思うが、当方はちあきなおみの歌が一番好きである。思い切りのいい歌い方に微妙な粘りがあって、女性の優しさと色気の両方があるのだ。引退してしまったが、本当に素晴らしい歌手だった。
本作品では有村架純の朝倉世津がバイオリンに誘われるように口ずさむ。
♫いのち短し恋せよおとめ♫
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