ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
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ラストの詰めが甘い
結局村のことを思いつつも、オーストラリアで歌手を続けるっていうラストですよね。もし春になってあの村に戻ってきて、あの娘と再会、あるいは学級委員や子供たちと再会するラストだったら、かなり感動的な作品になったはずなのに、もったいない映画でした。
結局、世界一幸せな国と言われているブータンを脱出してオーストラリアに行く予定だった主人公の考えは変わらなかったという何のオチもないラストってどうなの。 それとも、世界一幸せな国なのに、なぜ若者は海外に行ってしまうのかという矛盾、あるいは問題提起?
あと、ちょっと不思議だったのが、子供たちが女の子ばかりで、男の子は確か一人しかいなかったこと。それと、ブータン映画なので、ブータン語で話しているはずですが、朝鮮半島からブータンはかなり離れているのに、ハングル語のように聞こえました。私だけ?
いずれにしても、ブータンの大自然、ブータンの田舎の生活を垣間見ることができる貴重な作品でした。ブータンに行ってみたくなりました。
西洋文化への憧憬も否定せず・・
インドと中国の間、ヒマラヤ山脈の斜面に位置するブータン、仏教の「中道」の原理によるのでしょうが物質的満足よりも精神性を重視し世界一国民の幸福感が高い国でも有名ですね、ただ、最近はネットの普及で外国文化を知り考え方が揺らぎ始めたそうです。
舞台はなんと富士山よりも高い山の中腹にあるルナナ村、そんな辺境の地の小学校の教師に派遣された若い教師ウゲンの物語。教師に迷いを感じているウゲンですが村長や子供たちから「教師は未来に触れることが出来る人」とリスペクトされ自覚が芽生えます、まさに教育が未来を拓く基礎というのは納得ですね。
なんといっても村人の温かさ、思いやり、子供たちの表情が素晴らしい映画です。
原題はLunana: A Yak in the Classroom(ルナナ、教室のヤク)、村人の生活をささえる牛の仲間ヤクを称える歌をうたう村の少女と恋仲になるのかと思い、名作「初恋のきた道(1999)」を想い浮かべたが、やっぱり歌手への夢を捨てきれずシドニーのバーのシーンで終わりますが、やがてウゲンはきっとルナナに戻っていると信じたいですね。ただ、文化庁推薦の教育映画的に終わらず西洋文化への憧憬も否定しないストーリーは今のブータンの本音なのかもしれませんね。良い映画でした。
世界一幸せな子供達がより幸せになる為には
2021年6月 4日(金)銀座シネスイッチ
2021年6月20日(日)銀座シネスイッチ
更にAmazonでも見たが、レビューが消されている。
二年以上前の映画なのでもう一度見てレビューす。
私が行ったネパールの村は『ティンボチェ』と言う所でルナナよりも400m低いが同じ僻地だ。周囲の景色も大体同じ様だ。
素朴な場所である事はルナナと同じだ。さて、ディンボチェもルナナも夏季に限っては、ヘリコプターの使用は可能だ。自身、ティンボチェにはヘリコプターで来村した。映画を見る限り、ルナナもヘリコプターの着陸は充分可能。従って、ヘリコプターの力を借りて、村民の生活は改善されているのだと思う。勿論、子供達への教育も然りである。しかし、急激な変化は副作用がある。この映画でも、働かないでアルコールに溺れる村民が描かれている。そして、教育に付いて言えば、子供達に自主性が芽生えるのだから、子供達の世界は広がる。しかし、同時にルナナ村では、子供達の欲求が満たせない事にもなる。一般的な言い方で、善悪を含めた都会の誘惑が子供達を襲う。
ここから
ネタバレ
この映画は昔からある温故知新がテーマの様だが、単なるお涙映画で無い事を再評価したい。
では、どこが違うか?
ネタバレ
最後がまさかの場所で終わっている所である。
だから、ルナナへやって来る都会人のカルチャー・ショックではない。そこが一番大事で、主題はそこには無い。
では、何処?
この村から流出する若者に対する問題を提議している。子供達がこれからこの村で死ぬまで生活する事が出来ない。それが問題なのだ。僕が行ったティンボチェは登山道故に活気はあった。しかし、この村の産業は目立ったものが無い。従って、子供達の欲望を満たす為には都会へ出ざるを得ないのだ。言うまでもないが、僕の世代の過疎化現象と全く同じ。また、時間が経過すれば現代の少子高齢化に繋がると思う、この映画では、それをさり気なく訴えている。
さて、現在、ペンザムはティンプの街で暮らしているのだろうか。勿論、自主性が生まれた彼女達の人生なのだから、それが当たり前。
制作会社側の意図なので、仕方ない事だが、地球温暖化の事だけ解釈が間違っている。クリーンエネルギーが叫ばれるが、どうしたら、自然を壊さずに生活てきるかを考えねばならない。少なくとも、原子力潜水艦で戦争なんかやっている先進諸国の文明人(?)には、発展途上国の未開人(?)の村の先生にはなってもらいたくないものだ。
ブータンの子どもの可愛らしさに胸打たれる
ブータンの首都で教師をしている、今どき風の主人公の若者。 義務期間5年間のうち、4年間勤めてたが、やりがいもない様子、辞めようとしていたところへの、僻地への異動が決まる。
ブータン僻地での教師生活、素朴で可愛らしい純真無垢な子どもたちとの関わり、現地に暮らす人々とのささやかな交流。とても充実しているように見えた。
でも主人公はとてもある意味素直だと感じた。シンプルに都会への憧れ、海外への憧れ。
憧れの地で歌ったのは、ブータンの僻地で住民に教えてもらったブータンのヤクの歌。
主人公がステージで味わった心の葛藤は、グローバルなダイナミックに動く社会の中で、私たちの心が刺激されること、刺激させられていること、憧れを抱くもの、抱かされていることの分別が難しいことを改めて伝えてくれたし、また効率という無機質で、ときに絶対と思われがちな物差しから、積極的に切り離して、
守りたいもの、大切にしたい価値を、意図しないと守れなくなっていることを教えてくれる、価値のある葛藤であった。
夢に向かって頑張る若者に見てほしい
目の前の物事に無気力だけどずっと向こうの世界に夢を見ているありがちな青年像の主人公が国の政策でいやいや田舎の村に行かされて変わっていくという話。夢見がちな視聴者に夢と社会のニーズを天秤にかけてどちらを取るか問いかける意義ある作品だと思う。
ブータンの秘境の暮らしというのは見たことが無かったので新鮮な気持ちでドキュメンタリー的にも映像を楽しんだ。彼がルナナ村からの帰り道、行きでは断った旅の安全を祈る伝統的な祈りを捧げているのを見て、人々の地域に根づいた祈りの気持ちというものは、その土地を愛しているかどうかにかかっているのを学んだ。
最後はどっちに解釈するか。彼のその後は分からないのでなんとも言えないが、表現されている限りにおいて、ある一面では彼は青い鳥を探してたけど取り逃してしまったといえると思う。取り逃したのはルナナ村における自分の『ヤク』としての生き方だった、という事ができると思う。
こんな生活もあるんだなぁ。
2021年公開の映画だ。
思わずそれを確認してしまった。
ブータンの山の奥の奥、標高4700メートルの村には、ほとんど文明がなかった。勉強するための紙も鉛筆もない。トイレットペーパーもない。
けれど、人々はヤクと共に日々の生活を大切に生きている。それがいいとか悪いではなくて、人は何を求めて生きるのかを考えさせられる作品だった。
教師としていやいややってきた男は初日に帰るという。
ミュージシャンを夢見る若者は、とはいえ、現地の子達の熱い視線に動かされて次第に教師として一生懸命になっていった。目つきも態度も変わっていく。
足し算を教え始めていたのに、山を降りる冬にはハンドメイドの黒板には掛け算が書かれていた。
子供達の学びへの欲求は素晴らしい。
そしてみんな夢を持っている。
こんなキラキラした目の子供達の夢を叶えてあげたいなぁとは思ってしまった。
主人公の男が、夢を求めてオーストラリアに渡り、そこで本当に求めるべきは何か、気づいたような気がした。
村長の静かにゆっくり話すところだ好きだった。
「旅人とマジシャン(2003年製作の映画)Travellers and Magicians 」というブータンの映画を見たことある。 友達がブータン旅行から戻り、『がっかりした。あちこち観光化され、まるでアメリカをみているようだ。ブータンまで行くのは大変だったのに!』と言ってきた。 (私は海抜が上がると、頭痛と鼻血に悩まされる。海抜1,320mですでに体調が崩れていくので、ブータンには行けない。)友達
は秘境、そして、『世界一幸福度が高い国』と日本で言われるのをまともに信じていたようで、この旅
でブータンに対するイメージが全く変わったようである。『世界一幸福度が高い国』とか『美しい日本』とかいう言葉を聞くと、人はその二面性を考えられなくなるようだ。
がっかり話を聞いた後、ブータンの「旅人とマジシャン」の映画を観てみた。 主人公はアメリカかぶれの若い役人なんだけど、友達の言うように、アメリカを見ている国(憧れている)だと言う意味がなんとなくわかった気がした。
この映画でも、『世界一、幸せな国と言われているけど、若者は国を去って海外に』と 村長Ashaが主人公ウゲン(Sherab Dorji )にいうシーンはいいねえ。どこの国でも人材流出は大きい問題だね。そういう国は流入がすくないだろうからね。私はここのジーンが本当に好きだ。特に、村長が冬が到来するから山を降りて、また春になったら帰ってこいというが、ウゲンはブータンを離れると伝える。この大切な会話を静かにゆっくり運ばせるシーンにより、私(たち)により感動を与える。人格者村長の会話の流れが、気に入った。堂々と、人前でスピーチをするスタイルではなくても、我々を感動させる話ができるというところに。
この映画はウクライナ(NATO)とロシアの停戦協定が噛み合わない状態で、私の心の中にストレスが溜まってきた。それに、ウイルスミスの平手打ちの件が『スケープゴード』になっているという話もよく聞く。個人的なストレスをなんとか打開して、仕事のことも考えなければ自分もダメになってくる。何か心の温まる映画でも見たいと思い見始めた。
みなさんのレビューは読ませてもらった。99%は同意し、人間同士だから、思うことはユニバーサルで、心のつながりや自然の恩恵などが大切だから、感動するんだなあと思った。私が改めて感想をかく必要はないようなほど、みなさんのレビューに感激した。とても良かった。
この映画設定なんだが、制作者に感謝する。ブータンという国内の地理的位置な理解をさせてくれている。この映画の方がわかりやすいし、外国人に親切に、首都の人口。標高など地理的なものを字幕で教えてくれる。これは助かる。ガサ(Gasa 人口448、海抜2860m)ルナナ(人口56、海抜4900m)なんて聞いたこともなかったし、私の知識は乏しい。
監督は違うがこの二つの映画に『自分を発見する』『自分探し』という共通点がある。それは単に外国に出ることではなく、自分の幸せ、自分の居場所を見つけることだ。自分の幸せも、自分がどこにいるか、どういう経験をするか、どんな人と交流するかでも変わってくる。
The teacher touches the future,『先生は子どもたちの未来に触れることができる』これが日本語訳???
でも、それにしても、首都ティンプー で使われるゾンカ語のなかの英語の割合は結構ある。例えば、respectable job(respected jobs?), attitude problemなど、主人公のお婆さんやルナナの村民の間ではいっさい英語が入っていない。 ルナナの小学校では前の先生が教えたという英語『good morning, teacher, Thank you, sir) やウゲンの物語り、数学をなぜ英語を使って教えるのかとも思ったが、この国の国王の学歴を読むと、高校は米国のアンドーバーだし、大学も米国のウィートンで、最終学歴はオックスフォードらしい。村民は国王に対する尊敬の気持ちが強いらしいし、国策で観光業に力を入れているのかもしれない。
いくつか面白い文化に気づいた。箇条書きにする。
1)子供は笑う時、口を隠す。
2)びんろうの実(Betel Nut)は体を温める。これは危険だと思ってた。
3)スプーンを使わず、指や手で食べる。 文化がインド風。
4)木の茶碗で食べることは特別なこと。
5)飲み物を飲む前に、ちょっと手で外に撒く。この意味は?自分の恵を自然にも与える?
ウゲンの自信過剰な顔が…
調子に乗ってるな~ってイラッとする(笑)
しかし行くのに8日かかる…ブータンの広さ、地図を確認せざるを得ない(笑)
そして利便性だけでは人間性は高まらないのがよく分かる。ヘタな歌を他人に聞かせて悦に入っているようなウゲンに呆れるシーンが前半は多い。
ただ、当初こそ帰ろうとするウゲンが最初の授業(自己紹介)から、次第に村のしきたりに慣れていく様は面白い。
あれだけ聴きまくってたスマホが埃を被った頃、
彼は別人になったと思ったが、彼がオーストラリアへ行ったラストを見て思った。
なんでヘタな歌聞かせに行くん?(笑)
半分ドキュメント。どんなラストシーンになってもよい作品。
都会で教員免許を取り、生活も不満なく過ごしているものの、教員自体には向いてないと辞めたがっていた。そのウゲンにブータンでも僻地のルナナへの赴任を命ぜられて、しぶしぶ行く。
何日もかかるため、行く途中も不満ばかり行って、地元民が行う儀式にも時間の無駄と参加しようとしない。
でも、いざ赴任すると最上級の待遇で、教育をうけさせることに期待を寄せている村人からせんぼうの眼差しで見られる。その中授業を始めると、途中で投げ出すことはおろか、子どもたちを見捨てることができないと、少ない教材で授業をはじめ、子どもたちとの友情も芽生える。
最後は冬前にティンプーに帰る約束を延ばして教員を続けるのかなーと思っていたが、期限でちゃんと帰るんだ、と個人的に残念だった。でも、オーストラリアで歌を歌う際、ポップスではなく、ルナナで教えてもらったヤクを飼うときの歌を歌うシーンで終わる。
都会に染まっただけでオーストラリアに行くのと、ルナナを経験してオーストラリアに行くのでは、心持ちどころか、目的も変わってくるだろう。その青年の心の動きがどんどん変わっていくのがこの作品の中心となる。
その心の動きを支えてくれるのがティンプーでの友人恋人、ルナナの村人、村長、祖母、生徒、そしてルナナの雄大な景色と大自然。
スッキリとはいかない結末にもかかわらず、ほっこりさせてもらえる作品。何が人生に大切なものかを考えさせてもらえる。
とにかく自然が美しい映画
秋田県大館市にある東北唯一の常設単館映画館「御成座」さんにて鑑賞しました。
平日昼過ぎの上映だったこともあり観客は私一人。貸し切り状態での鑑賞です。
予告編すら観ていないため、本作の内容に関しては全く事前知識がない状態でした。
結論ですが、めっちゃ良かった!!!
2020年に鑑賞して私個人の年間ベスト映画『ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方』に匹敵するくらい自然の描写が素晴らしい映画でしたね。標高4800メートルにある「世界一の僻地」と言われる実在の小さな村「ルナナ村」を舞台とした、若い教師と村人たちとの交流を描いた映画。実在する村を舞台にしており、撮影もその村で行ったそうです。劇中でも描写があるようにかなりの僻地で、ブータンの首都ティンプーから片道8日も掛かる場所のため、パンフレットを見ると撮影時の苦労が見てとれます。学級委員長として登場するペム・ザムは実際に村に住んでいる女の子が本人役で出演していたりエキストラとして多くの村人(特に子供たち)が参加しているんですが、これはルナナ村へ人を連れていくのが大変だったからという側面もあるんでしょうね。
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教師として働いていたがやる気が出ずミュージシャンを夢見てオーストラリアへ渡ることを計画していたウゲン(シェラップ・ドルジ)は、教師として働く最後の一年間、ブータンで最も僻地にあるルナナ村の学校への赴任を命じられる。電気も無い村への突然の赴任で全くやる気が無いウゲンであったが、村人たちから歓迎され、子供たちとの触れ合いを通じて、教師としてのやる気を取り戻していく。
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(失礼ながら)正直あんまり期待していなかったというハードルの低さはありましたが、これがめちゃくちゃ面白かった。
「ブータン映画」は初めて鑑賞しました。調べてみると、ブータンで国産映画が初めて製作されたのは1980年代だそうで、比較的歴史は短いとのこと。本作に出演しているキャストも本職で俳優やっている人がほとんどいないです。ミチェン役のウゲン・ノルブ・ヘンドゥップは失業中の土木作業員だとパンフレットに書いてて笑っちゃいました。子役はほとんどおらず、ルナナ村に実際に住んでいる子供たちが本人役として出演しています。台詞量も多くてメインキャラを演じていたペム・ザムも村に住む演技未経験の女の子です。ルナナ村への移動が非常に大変なので、おそらく人員も機材も限られた中で制作された映画であろうということは、パンフレットに載っている苦労話やエンディングのスタッフロールの短さからも感じ取れます。
ルナナ村に到着するまでの描写がかなり長かったですね。ウゲンの住む町からルナナ村までの道程を30分以上掛けて描写していましたが、これは「ルナナ村がいかに僻地であるか」を時間的に表現した演出のように感じました。ルナナ村までの距離の遠さ、そして「一度行ったらなかなか帰れない」というのを表現してますね。
そして村人たちとの交流。「勉強したい」と思う子供たちの描写と、最初はすぐに帰るつもりだったウゲンが彼らによって心動かされ、町に戻るのを取り止めて村に残ることを決意したシーン。素晴らしかったですね。
ラストシーンは結構解釈分かれそうな雰囲気でしたね。あれはハッピーエンドと呼んでいいんだろうか。悩みます。
他の国の映画と比べてしまうと、キャストやスタッフや機材が限られ、尚且つ俳優たちもプロではなく、かなりの低予算で制作されたであろう本作ですが、「面白さ」で言えば全く引けを取らない。それどころか「面白い映画を撮りたい!」という努力や情熱がスクリーンを通して伝わってくるような作品でした。オススメです!!!
村には学問がない、だから先生が必要。
でも自然の中で暮らす村人は環境の変化をつぶさに感じ取っている、地球温暖化という言葉を知らずとも。
自然から得てきた学問、知識を高度に積み上げてきた都市部の人間は、それ故に自然との距離ができて鈍感になったんやろうな。とても皮肉だ、問題もその答えもシンプルなのに。
村人は山々に囲まれた世界に、共に暮らす生き物と仲間に、敬意を払いつつ謙虚に暮らす。自然に生かされているという当たり前の事実、都市部の人間が失った意識。未来に触れること、彼らの言葉の意味と、受け取った私達の意味の違いも考えさせられた。
幸せがなにかは、人それぞれ。
何と向き合って生きているのか。
何を大切に生きているのか。
そんなことを考えさせてもらった映画。
幸福というひとくくりのラベリングではないブータンの世界を知ることができたように思う。
見たかったので再上映してくれた事に感謝。こんな山岳地帯には行けなくても、そんな世界の一片を感じさせてもらえた、いい映画やった。
ヤク満つる
僻地の学校がテーマと言えば、チャン・イーモウの「あの子を探して」を思い浮かべるが、あの映画と違うのは教師が都会から赴任するという点で、いくらか「田園の憂鬱」的な要素も加わってくる。
日本にもポツンと十軒家くらいの山村はあるだろうけど、さすがに行き着くのに8日もかかるところはないだろう。ブータンは九州と同じくらいの面積らしいけど、やはり世界レベルの高地ならではのことはある。画面には3人で山道を登る場面しか映っていないが、機材を抱えて同行していたスタッフたちの苦労もしのばれる。
ペム・ザム本人を演じる女の子は、「ミツバチのささやき」でアナを演じていたアナ・トレントに匹敵する逸材。ほとんど演じていないのかもしれないが、表情だけで目を引きつける。
“ヤクに捧げる歌”というのもすごい。ふだん聴いている音楽とはまるで違うが、なぜか劇中で歌われる度にぐわーっと涙がこみ上げてきた。
主人公はルナナでの数か月で本当に変わったのだろうか。映画はシドニーのライブハウスのシーンで終わるが、その後(ルナナに戻るかどうか)は明示的に描かれてはいない。ルナナにいる間は確かに人々の生活に感化されていたのだろうが、前半の自堕落で不遜な性根がそう簡単に変わるとも思えず、結局都会の生活を送るうちに「昔すごいところに飛ばされちゃってさぁ」とかエピソードトークで回想するだけに終わりそうな懸念を拭いきれない。
山に響く美しい歌声
ポスターの写真だけでも美しいブータン映画。首都ティンプーの普通の若者、他の国の都会の若者と同じような今どきの軽いノリの彼。一応教員なんだけどこらえ性なく教員やめてオーストラリアへのビザを毎晩遊んで待ってる。急に辺境の小さな山の村に赴任命じられ携帯電波もない山奥へ。最初は帰る!というんだけど目がキラキラの子供たちがかわいくて何もない教室工夫を凝らして授業を始める、ヤク飼いの女性にヤクを追いながら歌う歌を習う、貧しいが満ち足りて、足りないものを渇望して決して満足とはならない都会とは違う生き方暮らし方を知る。オーストラリアへのビザ無事取れて、冬がくる前に(冬の間は雪で学校閉鎖)任期は終わるのでそのまま子どもとも女性とも別れを告げてギター片手に歌手になろうとオーストラリアへ。バーで英語の歌(古くてださいの・・・)歌うがオージーたちは誰も聞かない、嫌気がさしてふとギターを置いてヤク飼いの歌を歌うってラストで、ネタバレしちゃいましたが、幸福度世界一というブータンで背中にそう書いてあるTシャツを主人公も着ているんだけど、年寄りが幸せ世界一の国って言われてるのにお前たちはなぜ外国へ行きたがるんだね幸福はここにはないのかってつぶやく。おそらくコロナワクチンもまだ届いてない、山奥の村で、確かに物はないけど手に入るもので充足している村、学校の先生を熱望し三顧の礼で迎える村長さんは「教師は未来に触れることができる職業」という。不便で寒いけどほぼ自給自足で捨てるものがほとんどなかった古き良きラダックの暮らしとか、ある意味幸福度高いこのようならブータン山村とかにある幸福、それに比べ、モノ金サービスが究極を超えてしまった都市部の生活その落差。今SDGsとかESGとか言ってるけどこれも法制化されて制度化されて資金化されてCO2削減できない小さな企業は淘汰される、設備投資できる大企業だけが生き残れる。子どもたちの未来将来のため教育を受けさせたい村長、教育を受けた子どもたちは都会に出てさらに勉強を続けるだろう、未来は都会や幸福の国の外を出ていくところにあるのからさらに未来に触れるべく山の教室にもどってくるのか。ヤク飼いの女性はいつでもここにいると言った。私たちが回帰するところはまだ常にあるのか、微かな希望を感じる。
真の豊かさとは
気のいい今時の若者の教師ウゲンを、シェラップ・ドルジが素朴な魅力で好演。思わず不満を漏らす姿にクスリとさせられた。
厳しい自然と共存し、毎日を慎ましく生きる彼らの住むルナナから見える山にも温暖化の影響が。。彼らに罪は無いのに。
最後にお店で歌うウゲンは、想いを馳せただけなのでしょうか、それともやはり一念発起…。
ルナナで生きる彼らの純朴さと、真っ直ぐで強い眼差しが印象的でした。
この春、親元を離れ、新人教員として奮闘している彼女の事を思った。
映画館にて鑑賞
ブータンの美しい景色と心の綺麗さを感じた傑作
ネットの短めの予告動画を見て、絶対面白いと面白い、直ぐに観に行くことにしました。
内容は想像どうりの内容だったが、想像を超える面白さと感動。僻地の村人達みんなが学校の教師を待ち望み、教育の大切さを理解して、子供達の未来を本気で考えている事に感動。また、子供達の純粋に勉強したい気持ちとそれは応えるウゲン。徐々に村の生活に慣れて行くが、帰らなきゃ行けない状況に自分も同じように心が締め付けられました。誰も傷つけない素晴らしい映画。今年見た映画で1番良かったです。
「山の彼方の空遠く」に幸せの国があります。幸せの意味を考えるきっかけになる作品です。
予告で見たブータンの少女
純朴な笑顔に心を奪われました。
幸せの国へ行ってみたくなり鑑賞です。
◇ まめ知識
舞台のブータン
九州くらいの国土。人口は70万人。 ふんふん
首都はティンプー。
標高2300メートルに10万人が暮らすそうです。
そしてルナナ村。
首都からさらに北。 ヒマラヤの麓 (中腹…?)
標高4800メートル ひぇぇ
2000メートルを超える場所には
一度も行ったたことがありません。
富士山+1000メートルの高さは想像不能 …です。
◇
主人公のウゲン。
首都で教師をしている が、無気力。
オーストラリアに行き
音楽で暮らしていきたいと考えている。
祖母と暮らしているが、置いていくつもりらしい。。
そんなウゲンに役所から呼び出し。
「1年間、ルナナ村で教員をしなさい」
「…高山病になるので…」
「あなたの病気は怠け病です!」
「…」
ささやかな抵抗も聞き入れられず
しぶしぶ赴任の準備をするウゲン
途中までバス。
終点からは徒歩。 徒歩 とほ とほほ
野宿。 また野宿。
ようやく到着。
迎えに来た村長に 「ボクには無理です」
…はたして彼はやっていけるのか
◇
次の朝
疲れて寝ているウゲンの元にやってくる女の子。
ペム・ザムちゃん。 9才。
小学生で級長をつとめるしっかりした子。
「何?」
「授業の時間を過ぎているの先生が
にいらっしゃらないので、様子を見にきました」
…
教室にいき、みんなで自己紹介をする。
教室は薄汚れていて
黒板も置いてなくて でも
生徒たちの眼はキラキラとしていて
帰りたいと思ってもすぐには無理…。
ならば居る間に少しでも と
村人に黒板を作ってもらったり
街から教材を送ってもらったり
そしてある日
学校の前の草原から聞こえてきた歌声。
「ヤクに捧げる歌」
を歌う少女との出会い。
ウゲンの体と心がゆっくりと
ルナナの空気と大地に溶け込み始める。
季節が過ぎ
冬になる前に山を降り、街に戻るウゲン。
「また戻ってきて」 と、子供たちの願い
「私はここに居ます」 と、ヤクの歌の少女
そしてウゲンはどうするのか…
◇
この作品を通して
伝統的生活を守ろう とか
そういったメッセージ性はあまり
感じられないのですが
「幸福ってなんだろう」
とのメッセージが感じ取れました。
簡単には行くこともできない
けれどそこにも 人々の暮らしがある
そんな場所が この地上にあってもいいんじゃないか
そんな風に思えます。
色々と考えるきっかけになる作品です。
観て良かった。
◇ あれこれ
日本から見れば
ブータン自体が山奥の国ですが
ルナナという場所は
ブータンのなかでも、秘境中の秘境。
なにせ
「ラジオもねぇ、テレビもねぇ」
のは当たり前
そんな吉幾三の世界のはるか上をいく世界。
「先生のためにトイレットペーパーを用意」
→ 村人たちは葉っぱを使うらしい
「暖房で燃やす紙がない」
→ 紙は貴重。
燃料はヤクの糞
おそらく
昭和初期 (100年前くらい) ころまでは、
日本の山奥にもルナナのような村は
あったのではないか思います
何かを手放し 何かを手にする。
永遠に変わらぬ物などないとは思いますが
願わくは、100年後のブータンでも
ヤクに捧げる歌を歌う声が聞こえますように。
# 外部の人間の、無責任な願いと思いつつ
◇ あれこれ その2
幸せの国はどこにある
「幸せの国と言われているのに
幸せを求めて国を出て行く人たちがいる」
う~ん。
重い…。
これが現実なのかもしれません ふぅ
フン闘するウゲン
ヤクの糞を求めて山の中
手を伸ばし迷い無く掴む ぐちょ …あぁぁ 生…
かまわず次々と… ふん ふん ふん
…
すっかり山暮らしに馴染んだウゲンの姿が
そこにありました。
後日、ヤクの歌の少女に指摘されます。
「拾うのは乾いたフンよ」
ああ …ですよね
◇最後に
気軽に 「風景の綺麗な場所」 なんて
いってはいけない時もあるでしょう
けれど
遠くには白く雪におおわれた山々
手前には一面に広がる草原
綺麗です。
神の舞い降りる土地。
まさにそんな感じがしました。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
【”先生は未来に触れることが出来るから・・と村人は尊崇の念を込めて青年に言った・・。”真の情と自然への畏敬の念を持つ村人の素朴な表情。真の幸せとは物ではなく、心にある事を思い出させてくれた作品。】
ー ウゲン(シェラップ・ドルジェ)がうだうだ文句を言いながら、漸く標高5000M近くあるブータン辺境の地、ルナナに到着した時の、村人全員(50数名だったか・・)が、出迎えるシーンで、”グッ”と来てしまった・・。
そして、級長を務めている幼きペム・ザムさんが、飲んだくれの父がいるにも関わらず、ニコニコと笑いながら、”いつものように寝坊している”ウゲン先生を迎えに来たり、紙が無くなってしまったとき、徐々にペム・ザムさんたち”山の生徒”の魅力に惹かれていったウゲン先生が大切な紙を配ってくれた時の表情。
そして、ウゲン先生が”夢を叶えるために”村を離れる時のペム・ザムさんの眼が涙で赤くなっている表情や、彼女がウゲン先生に書いた手紙のモノローグのシーンで、もう涙腺が・・。ー
■感想
1.序盤のウゲンは、ブータンの今どきの普通の青年なのだろう・・。
その青年がオーストラリアに行って歌手になる夢を抱えながら、一週間もかけてルナナへ向かう時の態度・・。とルナナの村人たちと接して心の成長を遂げたウゲンの姿の対比。
ー 往:”おい、迎えのミチェン達は往復なんだぞ!と心中で舌打ちしながら鑑賞。せめてヘッドフォンは外せよ!”
復:キチンと峠で、神に祈りを捧げ、ケルンを積むウゲンの姿・・。ー
2.広大な山並みに向かって、セデュが歌う「ヤクに捧げる歌」の美しさと、ウゲンが念願のオーストラリアに渡って、パブでアコースティックギターをつま弾きながら”ビューティフル・サンデイ”を歌うも誰も聞かない中、オーストラリアのガイドの紙に書いた歌詞を見ながら、「ヤクに捧げる歌」を、アカペラで澄んだ声で歌うウゲンの姿の対比。
ー ウゲンがパブで「ヤクに捧げる歌」を歌うシーンは、彼が”自分の大切な場所は、ルナナだ!”と決断したシーンであると思う。ー
3.ルナナの子供達の、好奇心に溢れた表情の豊かさ。
ウゲンが夢を聞くと、言いよどむ子はおらず、”歌手になる!”先生になる!”と、明確に夢を口にする姿。
4.ゲームばかりしていた、ウゲンが電源が入らなくても気にせずになり、帰り際、埃が被った携帯にフォーカスするカメラ。
ー ウゲンの視野が広がり、人としても村人たちのお陰と、彼自身の努力で成長した事を暗示するシーンであろう・・。ー
5.夢を叶えるためにルナナを離れるウゲンがセデュに対し、
”首都ティンブーに一緒に来ないか・・”と誘った時のセデュの言葉。
”行かない・・。私はいつもここにいる。”
ー 劇中で、ウゲンの言葉が、”ずっと海外に住む”から、後半微妙に変化している。
私は村長の重みのある言葉もあり、”ウゲンはいつかブータンの外界を見て、故郷が一番良いと気づき、戻って来るのだろうな・・。
そして、そこにはきっとニコニコ笑っているペム・ザムさん始め村人達、そしてセデュが待っているのだろうな、と思ったのである。ー
<”真の豊かさ”とは、”物質的豊かさ”にあるのではなく、”心の豊かさ”にあるという、当たり前のことを再認識させてくれた作品。
村人たちの素朴な表情と、情の厚さ、心の寛大さを大スクリーンで観て、観ている側の心も浄化された作品。
ブータンの僻地ルナナの住民達を見守るように聳え立つ、急峻な雪山。
広大な自然の美しさも、この作品の醸し出す風合を忘れ難いものにしている作品でもある。>
教育の在り方と、人間本来の幸せな暮らし
アウェ 成功体験ができます!
全ての子供たち、お母さん、先生だけでなく
多くの人に観て頂きたい。 気持ちの切り替えになる。
●リストラのない生活
大自然の中、自給自足の暮らしは、リストラがない。
自然と共に暮らす。
ヤクは寶で、家族のように大切に共存している。
●秘境の村には、どうやって行くのか
・初日は住人3人1軒の村?で泊めてもらう。 そこにも幼子がいる。
・翌日以降は、テントで寝て
何日もかけて村に向かう。
●僻地の子供たち
村には、とてもかわいい子がいる
皆とても勉強したがっているが、先生がいない。
僻地で先生は、神様のように尊敬されている
温暖化で山から雪が無くなれば、雪の神は住処を無くす
象徴的なメッセージだったんですね、コレが。
世界一の僻地の学校?いや、この前、グリーンランドに赴任したデンマーク人教師の映画があったがな。あれ、生徒はぼっちだったけど?「北の果ての小さな村で」だよ、思い出したよ。
と言う事で調べてみたら。あっちは人口80人だった。ルナナは56人だっけ?確かに世界一の僻地かもw
しかしながら。
天使の村ですよ。ペンザムとか完全に天使。セデュも天使。教室は天使&天使、へ?ヤクも一緒なんか?
なんて驚くほどじゃない。明治・大正時代には、日本でも馬小屋は母屋の中にあったらしいから。
さてさて、世界一幸福な国と言われるブータン。確かに、世知辛く殺爆とした社会に生きる我々からしたら、幸せそうに見えます。実際、争い事を知らずに、「村」が家族として生活する暮らしは「幸福」だって思う。
夢を叶えてオーストラリアに出て行ったウゲンには、ブータンの幸福が実感できるんじゃないかと。峠を越えてルナナに戻る日も遠くはなさそうです。
って事で。
良かった。
地味に。
子供たちの笑顔にやられた、とても幸せな気持ちになれる作品です♪
劇場で予告編を観た時に授業を受ける女の子の屈託のない笑顔を観て、“これは良い映画だ”と言う印象にかられて、鑑賞しました。
で、感想はと言うと…良い!
凄い良い。めちゃくちゃ感動しました♪
もう、この良さをいろんな人達に伝えた気持ちで一杯w
なので、めっちゃネタバレが有るのはお許し下さいw
教職志望のウゲンはやる気が無く、教職訓練の最終年であっても教職に就かず、オーストラリアに渡り、ミュージシャンとして成功を夢見る青年。
だが、そんなウゲンに人里離れたルナナと言う村に学校教師としての派遣が告げられる。
ルナナはウゲンの住むティンプーから8日間もの移動時間が掛かり、その殆どは徒歩での移動が強いられる程の高地にある村。
移動中も不満と文句が一杯のウゲンだったが、村について何も無い環境に驚愕。
到着早々、村長に帰りたいと告げる。
だが、最大限の尊敬ともてなし。またウゲンの到着を心待ちにしていた、村人と子供達の思いにウゲンの気持ちは揺らぎ始める…
と言うのが大まかなあらすじ。
ブータンの事は殆ど知らなくて、アジアの国で中国やインドと国境を接していて、仏教の国でチベット系の民族と言うぐらい。
「世界一幸せな国」と言うフレーズが有名ですが、幸せかどうかは人それぞれとしても、ルナナの村に人々の優しさが身に染みます。
登場人物に悪い人がいなくて、みんな純粋で良い人ばかり。
唯一居るとすれば…酔っぱらって外で寝てるペム・ザムの父親ぐらいw
ウゲンも今時の若者ではありますが、根は純粋で子供達の思いを真っ直ぐに受け止めるとても良い奴。
いろんな物を取り寄せて、徐々に教室らしくなっていくのも良いんですよね。
その中でギターを取り寄せて、音楽をみんなに教える事や歯磨きをみんなに教えるのにはなんか物凄く気持ちがほっこりします。
村までのガイドを努めるミチェンも村長もウゲンと淡い恋仲になりかけるセデュもみんな良い。
特に子供たちの眼差しと笑顔が抜群で汚れた大人には目を背けたくなる程の真っ直ぐな眼差しが眩しすぎるw
屈託のない笑顔と言うのはこういう事なんだと教えてくれます。
学校の子供達がみんな良い子すぎですがペム・ザムが純粋で真っ直ぐ。
無垢な笑顔がとても良い子で可愛らしい。いや可愛らし過ぎるw
いろんな仕草や言葉がいちいち可愛いんですよねw
この作品の半分以上の良さはこのペム・ザムの笑顔かと思いますw
子供たちは先生に勉強を教わる事に待ち焦がれていて、それぞれの夢がある。
その中で「将来は先生になりたい。先生は未来に触れることができるから、将来は先生になることが夢」と口にする。
物凄く目が覚める思い。
「教育」とは教えて育つと書くが、教えるだけでなく自身が教えられて、自ら育っていく事だってある。
相互教育と言う言葉だけで括れないぐらい。
昨今の教育者の不祥事に教育と言う言葉が汚されて踏みにじられている事を思うと本当は教育と言うのは尊い事を教えてくれる。
分かっていても実は分かっていなかったと言うか、表面だけで分かっているフリだけだったと、目から鱗がぼろぼろ落ちるw
本当に子供たちのキラキラと輝く瞳に心が洗われるんですよね。
ウゲンがここに留まる事に少しずつ気持ちが傾くのも分かるけど、故郷を離れて自分の夢に賭けたい気持ちも分かる。
正直ルナナの生活はとても過酷。
電気・ガス・水道がスイッチ1つでなんて事は夢のまた夢。電気もソーラーでの自家発電がギリギリある程度で、それでも殆ど使用不可な状態。
トイレ等の環境も至極劣悪で正直自分には無理w
紙もとても貴重。
都会で暮らしている者にとって、普通に有る物が殆ど無い。
そこには都会に無い物が沢山ある!なんて言うのは現地に居ない者の言う事で実際に「無い」事が当たり前のルナナの人々はそれを受け入れられても、普段「有る」事が普通の者からすると、窮屈この上無いと思う。
村に向かう道中にお世話になる家族が子供以外は靴を履いてない事に「高価な靴を買うなんてお金は持っていない」と言う。でも自分の子供には靴を与えている無償の愛。そんな気持ちがしみじみと感じられます。
また、教育を受ける事で様々な将来の職業の選択肢が増え、村を出る事だって出きるし、村に留まっても、ルナナの村の未来の可能性を広げる事が出来る。
この辺りはグリーンランドの辺境の村をテーマにした「北の果ての小さな村で」に似ているかも。
でも、村長がウゲンが外国に行くのを聞いた時の「ブータンは世界一幸せな国と言われてますが、そんな幸せな国を出て海外の国に行く…」と言う台詞は物凄く心に突き刺さります。
これって、地方から都会に上京する時の親の気持ちを知ったのと似ている感じで、物凄く突き刺さります。
また、ウゲンが村を出る時のクラスを代表して、ペム・ザムがウゲンに渡した手紙では泣きました。
物凄く真っ直ぐ気持ちが綴られていて自然と涙が出てきた。
もしかしたら「俺はルナナに留まる!」とか「また春には戻ってくる!」と言うかもと淡い期待をしましたが、そうはならなかった。
遠くオーストラリアに渡り、シドニーでクラブのステージで歌を歌う。
でも、殆ど聴いている者はいない。ただ流れているBGM程度の認識。
そんな時にルナナでセデュから教わった「ヤクに捧げる歌」を歌い始める…
憧れではあったが、遠く異国の地に行ってきて、ルナナの暖かさを思い出して歌い始めたけど、ウゲンがブータンに戻って再びルナナに行ったのか、シドニーに留まったのか迄は描かれてないんですが、結構良い終わり方かと思います。
個人的には「ブータンに帰る。ルナナに戻る!」と劇中に意思表示してたら、ベタでもなんかスッキリしてたけど、これはこれで良いかと。
ウゲン役のシェラップ・ドルジやミチェン役のウゲン・ノルブ・へンドゥップ。セデュ役のケルドン・ハモ・グルンも殆どこの作品で俳優デビューとの事。ミチェン役のウゲン・ノルブ・へンドゥップはちょっとジャッキー・チェンに目元が似ているかもw
ペム・ザムは役名と実名で同じで実際にルナナで暮らしていると言うのも驚き。
演技を意識しない自然な演技が心に迫るのは2018年に公開されたレバノンの「存在のない子供たち」の主役のゼインが実際にシリア難民であるのと同じでリアリティーを醸し出していると思います。
標高4,800メートルの地にあるルナナでの壮大な大自然の風景と映像美が圧巻でそれぞれの場所での「人口」の説明がクスッと笑わせてくれる。
学ぶ事も尊さや本当の豊かさと言う言葉を文章にするとチープにも感じますが、それをこの作品は教えてくれる。
とにかく良い映画。
映画としてのストーリーはオーソドックスですが、凄く良い作品で2回目の鑑賞は余程の事が無い限りしないんですが、これはまた観たくなりました。
とても良い映画ですが、コロナ禍の影響もあって、都内では「岩波ホール」でしかやってないのが残念です。
でも、こういう状況下でこういう作品に出会えた事がとても嬉しい。
また、岩波ホールも初めて行きましたが、街の公民館みたいな感じですが、古き名館的で良い感じ♪
派手なエンタメ作品も良いですが、こういう時だからこそ、観てもらいたいしみじみとしたお勧めの作品。
何回も良いを連呼しているのは、それだけ良い映画だったんですが、自分は今年前半ではナンバーワンかも。
ちょっとでも興味と機会がありましたら、是非是非な作品で絶対お勧めです!
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